第20話 ブラスター登場
部屋を出て鉄扉を閉めた。ぶあつい扉なので、こちらの話し声は中に聞こえないだろう。怪我をしている雉真のために椅子も持ってきた。雉真は椅子に座って、日和に電話をかけた。戌井にも聞こえるようスピーカーモードにしてくれる。
「もしもし日和さん? 俺、極道に誘拐されてさあ」
意味がわからなかったのか日和は一瞬沈黙した。
「ええっ!? だ、大丈夫なんですか?」
「戌井が助けてくれた。悪い奴はみんな拘束して、今、生殺与奪の権利を戌井が握っている」
「せいさつよだ……? 殺はだめですよ? えっと、警察を呼んだ方が……」
「警察じゃ解決できない。相手は極道だからだ」と、戌井が口を出した。「殺すか殺されるかだ」
「今の聞いた? 他の方法で丸く収めないと、戌井が人殺しになっちまう」
「俺が殺るわけじゃない。牛永が――」
「そういうのいいから。それで日和さんに頼みがあるんだけど」
「私にできることなら何でもします」
「日和さん、霊媒師ブラスターと連絡取れる?」
「ブラスターさんですか? 私の尊敬する先輩で、一緒にお仕事することも多いですよ」
「ほんと? 俺達に手を出したらタダでは済まないってことを、極道達に教えてやってほしいんだ。ブラスターさんの言うことなら、奴らも信じると思う」
「確かにブラスターさんなら……少々お待ちください。必ず連絡取りますので!」
一度電話を切って、2人は待った。しばらくするとチャットアプリに、霊媒師ブラスターを含むグループが作られていた。電話がかかってくる。
「面倒なことに巻き込まれましたねえ」と、機械を通した歪な音声が聞こえてくる。
テレビや動画で何度も聞いた、霊媒師ブラスターの声だ。忘れっぽくても、忘れられない声だった。
「ま、サニー君のお友達ということなら人肌脱いで差し上げましょう」
「ありがとうございます!」雉真が言った。
「なんならそっちに直接出向いてあげてもいいですよ?」
「いえ、そこまでは」戌井が言った。「今からそいつらのところに行くので、電話越しに話してください」
「カメラをオンにしていただければ、たっぷり脅してあげますよ。そっちの方がアガりますねえ」
戌井と雉真は再び部屋の中に戻った。辰巳、牛永、木虎は大人しく待っていたようだ。その場から少しも動いていない。戌井に余計な刺激を与えれば、事態を悪化させるとわかっているからだ。
雉真がカメラをオンにして、床に転がっている3人にスマホの画面を向けた。そこに映っていたのは、液晶パネルを顔面にくっつけたような、フェイスマスクをした奇妙な男だった。パネルには絵文字のようなニコニコ顔が映し出されている。
霊媒師ブラスターだ。鼻やおでこのような出っ張りのある部位はパネルの中に収まっており、表情筋の動きを検知して画面に対応する感情のエフェクトを映し出しているようだ。無駄に高度な技術が使われている。
「どうもーーーー、悪党の皆さん! わたくし、霊媒師ブラスターと申します。ご存知だと思いますが念のため」
パネルの絵文字が、悲しげな表情に変わる。
「極道というのは、まっとうな人間を食い物にする……まるで人狼のような存在。人狼には人権がありませんが、あなた方にはある。それって不公平ですよねえ」
ブラスターが画面にぐっと近付いた。耳まで裂けるような笑顔がパネルに映し出される。
「でも私にはそんなの関係ありませえええん。あなた方を撃ち殺しても、極道に非があったとみんな信じる。私はお咎めなしです」
ショットガンをスライドする音が響いた。
「私の友人とその近しい人物に危害を加えた場合、私があなた方に制裁を加えます。よいですね? わかったらお返事!」
「「「は、はい!」」」
「ああ……悪党の恐怖に歪む顔を見るのは実に良いものです。では挨拶代わりの一発を」
ブラスターは高笑いしながら、なぜかショットガンをぶっ放し、通話がぷつんと切れた。自分のスマホを撃ち抜いたようだ。意味がわからない。
「相変わらずエンターテイナーだなあ」雉真が呆れ顔で言う。
戌井は持っていた拳銃から弾丸を全て抜き出し、ポケットに入れた。拳銃は指紋を拭いてから床に置いた。
「帰ろう」
牛永が言った。「お、俺達をこのままにしていくのか?」
戌井がひと睨みすると、彼は「いや何でもない」と目を逸らした。2人の高校生はビルを出た。
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「いやあ、ブラスターさんがいて良かった~。あと日和さんにも礼を言っておかないとな」
戌井と雉真は人気のない路地を大通りに向かって歩いていく。空気は冷たく澄んでいて、おそらく大通りの居酒屋から焼き鳥の香ばしい匂いが漂ってくる。その匂いを辿れば道に迷う心配はなさそうだ。
戌井は言った。「お前の言うとおり、あれが一番丸く収まるやり方だった」
証拠を残さず全員を始末することもできたが、殺さずに済むならそれ以上のことはない。霊媒師ブラスターを頼るなんて、戌井なら絶対に思いつかなかった。人狼としては人生で最も関わりたくない男である。
「俺、普段からブラスターさんの動画見てるからさ。あの人、人狼ゲームの実況してるんだぜ。知ってるか?」
「いや」
「今度面白かった回を見せてやる。昼休みの時にでも」
雉真は明日もいつも通りに接してくれる。そう考えると、どこか胸のつかえがおりたような気分になった。しばらく無言で歩いていると、雉真がちらちらと何か言いたげにこちらを見てくる。
「言いたいことがあるなら言え」
「お前さ……人殺したことあんの?」
「……」
「堅気は人の親指を靴紐で結ばねえし」
「……」
「あとなんで髪黒く染めてんの?」
「……」
「まあ、いいんだけどさ」
「……いいのか?」
どう答えようかと思案を巡らせていたのだが、そう言われて拍子抜けしてしまった。
「正体バレる危険を犯してまで俺を助けに来てくれたんだ。その正体が何であれ。単に警察を呼ぶんじゃなくて、後々のことまでちゃんと考えてさ。超いい奴じゃん」
「お前が出会った中で、一番の悪人かもしれないぞ」
「確かに滲み出ているなあ。犯罪者感が。でも俺にとってはいい奴だ。過去に何があったにせよ、きっと事情があるんだろうし。話したくなったら聞いてやるよ」
別に話したいとは思わなかった。友人だからといって全てを共有する必要はないし、何一つ相手のことを知らなくても、いい奴だとわかっていれば付き合いは続けられる。余計な葛藤を与えるくらいなら何も話さない方が良いだろう。
その一方で戌井は、雉真に正体を知られることを恐れていた。彼と仲良くなればなるほど、その気持ちは膨らんでいくように思われた。いったい自分の心境に何が起きたのか……。
極道の車に乗って移動していた時、戌井は鰐淵恭也との思い出に想いを馳せた。思い出すことができたのは命の危険に晒されたからだ。火事場の馬鹿力のように脳が活性化し、記憶力と集中力が飛躍的に向上する。危険に直面しなければこの効果は得られない。
戌井は鰐淵恭也のことを忘れたくなかった。すでに顔も声も忘れてしまっている。今となっては彼から教わった殺しの技術、裏社会で生き抜く術こそが戌井の中に残った唯一の思い出なのだ。静かに暮らしたいと願いつつも、恩人から貰ったスキルを錆びつかせたくはなかった。
だから、たまには厄介事に首を突っ込むのも悪くないと考え始めている。以前の戌井は友人を持つことでまさに今日みたいな状況に巻き込まれることを忌避していたが、逆に考えれば、過去の経験を活かす機会に恵まれたと捉えることもできる。友人がいるからこそ、スキルが錆びないのだ。
元々、戌井が友人を持つことに積極的になったのは占いのタイムリミットがあったからだ。短期間なら大してリスクにはならないと考えたからだ。ところが長期的に見ても、友人を持つことは戌井にとってかなりメリットがあると気付いてしまった。
それが彼の心境に変化をもたらした。人狼だとバレなければ、雉真や日和ともっと一緒にいられるのに。
夜空に目を向けると、ゾッとする色の半月が、闇に開いた一つの目のようにこちらを見つめている。
「逆に俺の正体は気にならねえのか?」
雉真の声に戌井はハッとした。平静を装いながら聞き返す。
「お前の正体?」
「そ。なんで早く帰りたがるのか、気になるだろ?」
「いや、全く気にならない」
「はーーーーーー気ぃ悪。もう教えてやらないもんね」
戌井はふっと少し寂しげな笑みを浮かべた。
「お前が話したくなったら、聞いてやろう」




