第15話 隈がなければ……①
オムライスを食べ終え、食器の後片付けも終わると3人はゲームに興じた。
「俺がいくつかおすすめしたスマホゲーム、やってみたか?」
「ああ、あれが良かった。『けもクラ』」
「ふーん。スローライフ系のが好きなんだ? 日和さんはやったことある?」
「リリース当初からやってますよ。お二人に私の街をお見せしたいです」
『けもクラ』は農業や釣りや採掘などで荒廃した街を発展させていく、自由度の高いシミュレーションゲームだ。100体くらいいるケモノを町に住まわせるのが目的だが、ただ町の景観を整えるだけでも楽しい。
「これが日和さんの街かあ。可愛らしくてセンスがいいな。けっこうやり込んでる?」
「スキマ時間にちょこちょこと……」
「というか何だよ、戌井のキャラ。ジジイじゃねえか」
「別にいいだろ」
『けもクラ』ではプレイヤーキャラの見た目を好きに変えることができ、戌井のキャラは白髪で髭がたっぷりある老人だった。
「ガーデニングとかに興味持ってるお爺ちゃんなのよ」
「ふふ。お爺ちゃんが走り回っていて、なんだか可愛いですね」
「ジジイ足速えー」
戌井が言った。「おい、街の隅にある壁に囲まれた島はなんだ?」
「監獄島ですね。オオカミ系の住民はそこに収容しているんです。他の住民に危害を加える可能性がありますので」
「さすが預言者の街。オオカミには手厳しいぜ」
「…………」
「戌井くん?」
「……襲ったりしないのに」
「ドン引きしてやがる」
日和が人狼に抱いている嫌悪感は相当なもののようだ。実際に命を狙われたことがあるのだから当然だろう。しかしゲームの中くらい現実の感情を持ち込んでほしくないものだ。
「でも、オオカミを見ると拒否反応が……」
「ゲームの中の存在だ。誰も傷つけたりしない。壁を壊して自由を与えてやったらどうだ?」
「っっ……」
日和はバツが悪そうな顔をした。
「確かに幼稚でみっともない行いかもしれません。わかりました。監獄島を破壊します。代わりにリゾート地にしましょう」
「よし。俺も手伝おう」
「おいジジイ、素手で石を破壊しようとするな。俺のツルハシあげるから」
「腹が減って何もできん」
「しょうがねえなあ。ほら、ごはん食べな」
「どうやって食べるんだ?」
「インベントリで選択して……って、日和さんどこ行った?」
「ダイヤモンド取りに行くので山に潜ってますー」
「俺だけジジイを介護するゲーム!?」
あっという間に時間が過ぎた。夕方頃になると日和が夕食を作り置いてくれた。照り焼きチキン、新玉ねぎのサラダ、味噌汁だ。戌井は香ばしい匂いに胸を踊らせる。
雉真がソファーの隣に腰を下ろして囁いてきた。
「いいなあ。日和さんと結婚できるやつは幸せ者だ。なあ、戌井?」
「……何か言ったか?」
「絶対聞こえてるくせにッ」
「お前はいい奴だが時々おかしな言動をする」
「俺がおかしいみたいな言い方やめろ」
「何を怒っているんだ?」
「怒ってねえよ。とにかく日和さんを泣かしたら絶交だからな」
そんなことはしない、と言いたかったが、次の満月の夜が来たら間違いなくそうなるだろう。戌井には返す言葉がなかった。
雉真が言った。「でもまあ、今日は楽しかったな」
「ええ、とても楽しかったです。次はお二人の街作りを手伝わせてください」
「また遊びに来てくれ」
2人が帰った後の部屋は、いつもより深い静寂が広がっていた。だらだらとしていたが、ただ楽しむだけに過ごした時間。非日常のことより、こういうあたたかな日常の方を覚えておきたかった。
戌井はタブレットを起動すると、絵を描き始めた。
☂
満月の夜まで、あと9日。
翌日は3回目のバイトの面接だった。つまり、もう2回落ちているということだ。自己PRも、志望動機も、普通の人間が言いそうなことを言っている。働く意思を伝え、まともな受け答えができれば問題ない。
肝心なのは第一印象だ。第一印象は最初の2秒でほぼ決まる、と言われている。
戌井は自分の動きに問題があるとは思っていなかった。面接時のマナーは事前に練習して叩き込んできたし、一つ一つの動作には落ち着きがある。
その日の面接も同様だった。『リバーブ・リトリート』の店長、三鴨とお決まりのやり取りをした後だ。三鴨店長はモカのようなブラウン系の髪をゆるくウェーブさせている。柔らかい笑みを浮かべて、彼女は言った。
「じゃあ最後になるけど、何か質問はあるかしら?」
「合否は後日メールでお知らせ、とのことですが」と、戌井は言った。「今、問題点があればご教示いただけないでしょうか? 御社ではご縁がなかったとしても、次に繋げたいんです」
三鴨店長は意外そうに戌井を見つめた。全く期待していなかった相手に思いも寄らぬことを言われ、自分が目の前の少年に抱いた第一印象を改めるように、居住まいを正した。
「……ちょっと言いにくいことなんだけど、かまわない? 気を悪くするかもしれないわ」
「かまいません。お願いします」
「問題は、その大きな隈よ」と、三鴨店長は言った。「生まれつきだから仕方ないとはいえ、印象は良くないわ。特にうちは飲食店でしょ。店員に大きな隈があると、病気とか衛生上問題がありそうなイメージを与えてしまう」
「なるほど」
「お客は店員の事情なんて汲んでくれないし、クレームが来てしまうかもしれない。あなたを雇うのはうちにとってもリスクになる。何度も言うけど、生まれつきの隈だから、本当は配慮してあげたいんだけど……」
「いえ、私の方こそ配慮できておりませんでした。要は、隈を隠せばよいわけですね」
「ええ。それ以外は完ぺきよ。身体的特徴を否定するみたいで申し訳ないんだけど、隠してくれるなら雇ってもいいわ」
「確か、隈を消すための化粧品があったはずです。なんという名前だったか……」
「コンシーラーね。あなたにはカバー力のあるリキッドタイプがおすすめよ。私の持っているやつなら乾燥しにくくて崩れにくいんだけど……ちょっと試してみる?」
三鴨店長は化粧ポーチからコンシーラーを取り出した。
「塗ってあげるからじっとしててね。……はい、でき――――」
三鴨店長はいきなり後ずさった。目くらまし光線を食らったかのように目を細めながら、壁際まで後退していく。
「あの、何か……?」
「あなた……よく見たらめちゃくちゃかっこよくない!?」
「はあ……」戌井は首を傾げる。
「あの大きな隈のせいで、だいぶ人生損しているわよ。やだ私のほうが緊張してきちゃった」
「そのコンシーラー、写真を撮ってもよいでしょうか。後で買いに行きますので」
「いいのいいの。貰ってちょうだい。なくなったらうちで支給するから」
「え? しかし……」
「それとあなたは採用よ。ただしバイト中は必ず隈を隠すこと」
「承知しました。ありがとうございます」
「笑顔の破壊力ヤバ……こほん。お礼を言うのはこっちだわ。これからよろしくね、戌井くん」
☂
満月の夜まで、あと8日。
月曜日、戌井はコンシーラーで隈を消して登校した。今日はバイトの日ではないが、目の下に何か塗っている感覚に慣れておきたかったのだ。
昨日の面接帰りもそうだったが、隈を消すと、どういうわけか四方八方から視線を感じる。以前にも悪目立ちするからと隈を隠したことがあったが、なぜか逆に注目を集め、人に声をかけられることが多くなった。結局、隈がある方が目立たないのだ。それでそのままにしておいたのだが、昨日ずばりと指摘され、思った以上に不快感を与えているのだと気付いた。
これからは隈を隠すべきかもしれない。と、考えたものの、大勢から見られているこの感覚には慣れそうにない。
教室に入ると、先に来ていた女子達が会話を止めて戌井を見た。その後すぐに彼を二度見して、何やら興奮した様子で机の周りに集まってくる。
「戌井くんってこんなにかっこよかったっけ?」
「あの隈が全てを台無しにしてたよね」
「写真! 写真撮っていい?」
「彼女いるの? 好きなタイプは?」
なぜそんなことを聞くのか理解できなかったし、静かにしてほしかった。彼は言った。
「漢字テストの勉強をするから、話しかけないでくれ」
「はーい」
「私もテストがんばろ」
登校してきたばかりの雉真がその様子を見ていた。
「おい、お前。隈をどこにやった?」
「話しかけるな」
「なんだよ。変わっちまったなあ、戌井」
ぎりぎりまで暗記に努めたにも関わらず、漢字テストは10点満点で3点だった。棒が1本なかったり、点の位置を忘れたりと、細かいところでいつも間違えるのだ。一方、雉真は全問正解だった。小テストは隣の席の者と交換して採点するのだが、雉真はどの教科でも満点なのだ。
「忘れっぽいとは言ってたけど、頑張ってこれだもんなあ」
「何かコツはあるのか、雉真?」
次の授業が始まるまでの小休憩の時間だった。雉真と話していると、女子達が会話に割り込んでくる。
「ねえねえ、戌井くんのおかげでテスト満点だったよ」
「俺は何もしてない」
「イケメンが勉強していると、うちらもやらなきゃってなるんだよね」
「モチベ上がりまくり」
「写真撮らせてよ~」
戌井は全く理解に苦しむという顔で雉真を見た。雉真は溜息を吐きながら言った。
「エビングハウスの忘却曲線って、知ってるか」
「学習した内容を覚えなおす時に、どれくらい時間を節約できるかをあらわしているやつでしょ」
女子の一人がすらすらと言う。
「そう。早めに復習すればするほど覚えやすくなるってわけ。十分休憩の間に、前の授業の復習をするとかも効果的だ」
「そういうことなら」と、戌井は言った。「今後はこの時間を復習に使おう。話しかけられても無視する」
「ええ~!」
「雉真君、あんたのせいだからね」
雉真は澄まし顔で肩をすくめた。
「だって勉強のコツ聞かれたんだもん」




