第23話 不調
(おかしい! おかしい! おかしい!)
リィナはお菓子が並んだテーブルに突っ伏した。
「なんで……祝福が発動しないの?」
先ほどから色んな食べ物を口にしているが、頭の中に情報が何も入ってこない。今まで喧しいとすら思っていた卓上ベルの音が聞こえず、リィナは焦りを覚えた。
肩に手を置かれ、顔を上げるとシャルマが痛ましい顔でこちらを見下ろしていた。
「何かきっかけはありましたか? 変なものを食べたとか?」
「いえ……せいぜい口に入れた情報がちょっと読みづらかったくらいです」
そう、いつも通りに髪の毛や絹糸を口にしたいだけ。いつもと違うとしたら思ったよりも情報がなかったことくらいだろう。
「情報が……読みづらい?」
「はい。絹糸はさすがにあれですけど、髪の毛を口に含んだ時、情報が読み取りにくかったんです」
普段であれば、性別もぱっと出てくる。しかし、今回は人の髪であることぐらいしか簡単に引き出せなかったのだ。
「これを口にした時ですかね、完全に祝福が発動しなかったのは……」
それは長い金髪だ。縮れもなく、キューティクルもあってつやつやしている。
シャルマが入手してきたカツラの一部のはずだが、他の毛と見比べても同じものかどうか分かるはずがない。
「祝福が消えるなんてよほどのことですよ、なんでそんな………………ああ~」
シャルマが意味深に頷いた。
「ど、どうしたんですか?」
「いえ、何でもありません。この件を殿下に報告しましょう。祝福がない以上、毒見もさせられませんから」
「わ、私……クビになったりしません?」
祝福もなしにこの国で生きていくには不安しかない。今まで祝福を隠して生きてきたが、祝福を得ていることが分かっているのといないのでは、心持ちがまったく違うのだ。
シャルマはそんなリィナの不安を感じ取って、優しく微笑んだ。
「大丈夫です。少しは驚くかと思いますが、事情を説明すればユリウス殿下は貴方をクビになんてしません」
「そ……そうでしょうか?」
「はい! むしろ、普通に食事が楽しめると思えばいいじゃないですか! 前向きに考えましょう。ね?」
シャルマはそう言って、懐中時計の蓋を開ける。
「食事にしましょう。今日は蜂蜜とレモンの飲み物を用意しました!」
「……はちみつレモン!」
リィナは少し不安を残しつつも食事に始めるのだった。
◇
「え? リィナの祝福が消えた?」
シャルマから報告を受けたユリウスがぽかんと口を開けた。そばに控えていたガジェットも同様だった。
「ええ、白百合の塔で回収してきた髪の毛を調べているうちに」
「でも、なんだって…………ああ、なるほど?」
さきほどのシャルマと同じように意味深に頷くと、ユリウスはリィナに向き直る。
「リィナ。しばらく君に休みをあげよう」
「もしかして、これが噂の暇を出すってやつですか⁉」
リィナがそう言うと、ユリウスは「違う違う」と首を横に振る。
「君の祝福が発動しないのは、きっと疲れているせいだよ」
彼はガジェットとともにどのくらい休暇を与えるか話していたが、リィナの心境は絶望的だった。クビではないにしろ、戦力外と言われたようなものだ。
「わ、私、疲れてません! 毒見の仕事がなくても侍女の仕事はできます!」
「リィナ……」
ユリウスは、にっこりと笑顔を浮かべる。
「私はなんて言ったかな?」
「うっ…………わかりました」
主のユリウスがダメと言えば、ダメなのだ。こうなれば、大人しく引き下がるしかない。静かにうなだれていると短いため息が聞こえた。
「リィナ、私は別に謹慎を命じているわけではないんだ」
その声色は普段と比べて優しく、小さな子どもに言い聞かせるようだった。
「身体の不調で祝福がきちんと作用しない事例もある。君の場合、急激な環境の変化で知らず知らずに大きな負担をかけている可能性も考えられる。休める時は休むべきだ」
そうなのかとシャルマとガジェットを見れば、彼らは静かに頷いていた。
「お勉強もさせてあげたいけど、アイリーンとシャルマには任せたい仕事があるからね。それになんだかんだ言って、休みらしい休みなんてなかったろう? ゆっくり休みなさい」
「お休み……」
離宮に来てからアイリーンと買い物に出かけたことはあれど、一人の休日なんて初めてだ。喜んでいいのか、寂しがっていいのか分からない。
「リィナ」
ガジェットは紙に何かを書いてリィナに渡す。そこに書かれているのは、王宮の見取り図だ。
「ここに書庫があります。あなたはユリウス殿下の侍女なので出入りができるでしょう。お勉強がしたいならそこへ。ただし、この日の利用をしないでください」
紙に書かれた日付を見て、リィナは頷いた。
「そうそう、リィナ。休暇中は離宮ではなく、寮の方で食事を摂ってくれ。シャルマ、お前は仕事に専念してもらいたいから、リィナへ食事の配給を禁ず」
「え?」
「はい⁉」
リィナも驚いたが、それよりも驚いていたのはシャルマだった。
「な、なぜ⁉」
「さっきも言っただろう? 仕事に専念してもらうためだ。お前はリィナ専属のシェフではないんだよ? いいね?」
ユリウスに言いつけられ、シャルマはしょんぼりしてリィナに向き直った。
「リィナさん、今日の夕食は離宮の厨房に預けてあるので、帰りがけに受け取ってくださいね」
「はい、ありがとうございます……」
「それから今日のデザートは……」
「シャルマ?」
ユリウスはただ名前を呼んだだけだったが、シャルマは主の言わんとしたことを察したのか大人しく引き下がる。リィナも聞きたいことをぐっとこらえた。
(今日のデザートがなに⁉ 気になる!)
食欲のせいで直面している問題が頭から吹っ飛びかけるも、口元を引き締める。
そんなリィナに様子にユリウスは声を押さえて笑った。
「そんな顔をするな。大丈夫、しっかり休めば治るよ」
「そ、そうでしょうか……?」
「もちろん。お休みは一週間あげる。里帰りもいいけど、白百合の塔の侵入者の件もある。周囲には気を付けるように」
「…………はい。御前を失礼いたします……」
リィナは消え去りそうな声で言うと執務室から出ていった。
まず向かう先は離宮の自室だ。荷物を、と言ってもせいぜい化粧品とチャーリーからもらった手紙くらいだろう。
荷物をまとめ、寮の自室へ向かう間、頭の中は真っ白だった。自分から祝福が消えたという事実に、心の中にぽっかりと穴が開いた気分だった。
(本当に疲れのせいなのかな……)
ユリウスは「休めば治る」と宥めてくれたが、本当に戻る確証はないのだ。このまま祝福が戻らなかったら……という焦燥感すらあった。
(いや……ぐちぐち考えても答えはでないわ!)
リィナは荷物を握る手に力を込める。
一つのことに悩んでいるなんて自分らしくない。祝福が使えない今、自分にできることは悩むことではない。ユリウスが言うようにしっかり休むことだ。
(今日はご飯を食べて寝る! これよ!)
休暇は一週間もあるのだ。一度孤児院に顔を出してもいいかもしれない。久しく街に出かけていないし、自分自身のための買い物を一人でしたことがなかった。
そう思うと、前に進む足が少しだけ軽くなった気がする。
(よぉ~~~~しっ! 休暇を満喫するぞ~~~~~~~~~~~っ!)
半ば自棄になりながら、リィナは離宮の厨房へ行き、シャルマの手作りを受け取るのだった。




