番外編 リヴァイアサンの胎動・1
西暦2128年。
十九歳の俺、叶優羽は寮内の自室で携帯端末をいじっていた。
時間は夜十時半、寝る前に少しの時間だけネット上にあるオカルト情報を集めるのが日課だった。
心霊現象、霊能力者、妖怪、精霊、神、悪魔、UMA、この世界にあるたくさんの解明されていない不思議なこと、それに興味があった。
きっとそのほとんどはいつか解明される自然現象なのだろう。それをよくわからないまま、そういうものだと理解するために昔の人が名前をつけて意味をあたえたものが妖怪とか神とかなんだと思う。
例えば今でこそ雷という自然現象の原理は解明している。しかし科学の発展していない大昔の人たちがその音を聞いて、神様が雲の向こうで太鼓を叩いているのでは、と考えたことも理解はできる。
昔の人たちだって、現象には必ず理由があることを理解していた。だから雷という不思議な現象にも理由を求めた。そして考えついたのが雷様という存在だったのだろう。雷様が雲の上で太鼓を叩くから、あんなに大きな音がして空に光が走る。
そうやって現象に理由を与えて、理解したのだ。
俺がやりたいこともそれだった。
ただ不思議を楽しみたいわけではない。不思議に触れて、理解したかった。
そう俺は自分の中にある異能力と呼ばれる力を理解して、その意味を知りたかったのだ……
だから今日もいろんな不思議にまつわる掲示板を巡って情報を集めていた。
そして面白そうな書き込みを見つけた。その書き込みには位置情報も付随している。
どうやら近所に新しい心霊スポットがあるらしい。
場所は小さな廃工場。
現代では様々なものが大きな工場で全自動化した機械システムによって生産されている。そんな中、必要とされなくなった小さな工場がそのまま放置されていることはよくあることだった。
そんな近くの廃工場に恐ろしい噂があるという。
書き込みによると、その廃工場から夜な夜な呻き声や悲鳴のようなものが聞こえてくるという。
その噂を耳にして、夜中に肝試しに行った大学生グループが実際に行方不明にもなっているらしい。書き込みにはリンクもついていて、大学生グループの行方不明のニュースを確認することもできた。
行ってみたいと思った。自らの足でその場所に訪れ、現象を確認し、謎を解き明かしてみたかった。
ただそれには問題があった。
今、俺が住んでいるこの寮には門限があるのだ。門限は夜七時。もうとっくに過ぎてしまっている。
じゃあ明日、門限前に行けばいいのかというとそうでもない。書き込みによると、廃工場での心霊現象が確認されているのが夜の十時以降から早朝にかけてということなのだ。
だからもし心霊現象を見に行きたいのなら、門限を破らなければならない。
決まりを破ることは悪い事。間違った、正しくない行動だ。
しかし考えてみる。
七年前、研究所から救い出されたとき、自分がそれまでに研究所で学んだ正義や倫理観は間違いであると教えられた。自分の信じていたものが間違いであったことを教えられた。
俺よりずっと歳のいった大人たち、自分を正しいという人、俺を育ててくれる人、先生と呼ばれるような人、俺を大切に思ってくれて優しくしてくれる人。そんな人たちも嘘をつくことはあるし、間違えてしまうことだってある。
テレビや本、ネットの情報だってそうだ。
だから、ただ言われるがまま信じてはいけない。自身で考えて、それが本当に正しいのかを精査しなくてはならない。
だから考える。
今、俺たちを保護してくれている大人たちだって同じように間違えている可能性はあるのだから。
そもそもどうして門限なんてものがあるのだろう。わからないので携帯端末で調べてみた。
『子供が夜遅い時間に出歩き、危険な目にあうことを防ぐため』と出てきた。
そうであるのなら大丈夫だろう。俺は強い。そうそう危険な目にあうことはない。
逆にもしこの門限が俺たちを寮内に閉じ込めるための決まりであるのなら、この決まりを守らせようとする者たち自身が研究所に俺たちが拘束されていたことを人権侵害の悪だと言っていたのだから、やはり門限を定めることは間違いということになる。
うむ。しっかりと考えてみたところ、この門限と言う決まりごとは間違いだろうという結果に至った。
だったら守る必要はない。
俺は玄関にある靴を手にとって部屋に戻る。そして部屋の窓を開けると、念動力を使って夜の空へと飛び出した。
訓練所外でむやみに能力を使うことや、人前で能力を使うことは極力避けるように決められているが、この場合は計画的だし、人前でもないので問題ないだろう。
空を飛んで移動すると、廃工場にはあっというまに辿りついた。
流石心霊スポット、なかなか雰囲気のある場所だった。
敷地を囲う、錆びてボロボロの金網のフェンス。工場の壁は色褪せたトタンの波版。敷地内の地面には雑草が生い茂っていて、赤く錆びたドラム缶が並んでいた。
フェンスの破れたところを潜って敷地内に進入する。
わくわくした。今俺は心霊スポットの中にいた。
もし幽霊が本当にいたらどうしよう。幽霊は人ではないから、幽霊相手になら念動力を使ってもいいはずだ。
でも幽霊に念動力が効くのかどうかはわからない。
幽霊の怨念とか呪いの力を俺の力で防ぐことはできるのだろうか。
どきどきした。この胸の高鳴りが、興奮によるものか恐怖によるものなのかもよくわからない。
それでも俺は進む。今いるのは廃工場の裏側なので工場の中に進入するために、表側へと向かう。
そのときだった。工場の中から漏れ出る、呻くような声と悲鳴のような声が同時に聞こえた。
その声にドキンと大きく鼓動を打つ。
噂は本当だった。
俺は急いで工場の正面に回って、シャッターを開けた。シャッターの開け方は知らなかったので、念道力で無理矢理開けた。
八つの瞳が俺に集中する。
薄暗い工場の中には幽霊ではなく四人の人影があった。
入り口の近くに一人。工場の中心あたりに三人。
入り口付近の男と中心付近の男の一人は立っていて、その手には銃が握られている。スーツ姿の強面の男たちだ。
中心にいるもう二人はカジュアルな服装をしていて、後ろ手に拘束され正座で座らされている。
「何だ、お前?」
言いながら入り口付近、つまり俺のすぐそばにいた男の銃が俺に向けられた。
俺は軍のようなところで戦闘訓練を受けている。だから体が勝手に反応した。俺へと向けられた銃を絡め取って、相手に向け返す。
すると中心付近にいた男が俺に向けて銃を発砲した。連続で四発。目の前の男をこちらに引き寄せて盾にする。そして自分の手中にある銃を打ち返す。
正確に二発。頭と心臓。
あっ……つい反射的に、訓練で習ったように動いてしまった。
人を殺してしまった。これは悪なのだろうか。
でも相手が先に撃ってきた。だったら正当防衛が認められるはずだ。俺は自分の身を守っただけだ。
念動力を使えば、相手を殺すこともなく制圧できただろう。しかし人前で念動力を使うことは禁止されている。
俺はどうするべきだったのだろう。どうすることが正しかったのだろう。
そんなことを考えていると……
「あの……すいません。あなたは何者ですか?」
縛られている男の人から声がかけられた。
そうだった。事情はまったくわからないけど、今はまず彼らを助けるべきだろう。それがきっと正しい行いだ。
「すいません。今助けます」
そう言って、二人を縛っていた結束バンドを解く。彼らは俺と同じくらいか少し年上くらいの年齢の青年だった。
一人は短髪のメガネの青年。もう一人は泣き腫らして目を真っ赤にした長髪でふくよかな体系の青年だ。
「ありがとうございます。助かりました。それであなたは何者なんですか?」
「あ……俺はネットでここが心霊スポットだって見て、来てみただけなんだけど……急に襲われたので、つい反撃してしまいました。これって正当防衛になりますよね?」
「なると思います。必要だったら僕たちも証言します」
メガネの青年はそう言ってくれた。
「それでこれはどういった状況だったんですか? 銃の所持は法律で禁止されていますよね? あっ……まさか俺が撃ったのは警官だったり……」
「違います。こいつらは暴力団です」
「暴力団?」
聞いたことのない言葉だった。言葉のニュアンスからいうと暴力をする団体?
「ヤクザですよ」
「ああ。ヤクザは聞いたことがあります」
ヤクザはなんとなく知っている。映画で見たことがあった。日本のマフィアだ。悪い奴。
「それでどうしてあなたたちはヤクザに捕まっていたんですか?」
「あなたと一緒です。僕たちもネットで見て、肝試しにここに来たんです。そうしたら本当に工場の中から呻き声みたいなものが聞こえてきて、工場の中に入ってみたらヤクザたちが中で誰かを拷問していたんです。僕たちはすぐに逃げようとしたんですけど、捕まってしまったという訳です」
「なるほど……ということはこの工場から聞こえた呻き声っていうのは、ヤクザたちが時々ここでそういうことをしていたからかも?」
「そうだと思います」
おお……心霊現象の謎を解き明かした。本当の心霊現象ではなかったが、それでもこれはこれで満足だった。
「そんなことより! どうするんだよ!」
ずっと黙っていた太った青年が急に涙混じりに声を上げた。
「僕たちは助かったけど、こいつらここで死んじゃっているし、僕たちの端末はあいつに持っていかれたんだぞ。住所とかも把握されているだろうし、家族だって危険かもしれない!」
詳しい事情はわからないが、彼らの問題はまだすべて解決したというわけでないらしい。
だからといって、俺が彼らを助けることは今の世の中では推奨されていない。もし時代劇のような世界であれば、ここで俺が悪人を懲らしめて彼らを助ければ美談になっただろう。
しかし現代では違う。
もし目の前に悪が蔓延っていたとしても、その悪を力で倒すことは正義ではない。
悪と戦うにしても決められた手順があって、そのとおりにやらなければ、悪を倒すことも悪であり罪になるという。
さらにその手順は面倒で、とにかく時間がかかる。
その間にも、悪の手によって罪なき人々が被害を受けることだってあるだろう。でもそれはしかたのないことだ。悪逆非道の罪人にも守られるべき人権があるのだから。
「警察に相談したらいいんじゃないですか。警察ってそういうのを解決する組織でしょ?」
俺はそう提案した。それがこの世界での正しいやり方だ。
「そうですね……そうします……」
曇った表情でメガネ君が頷く。
「本当にそれで大丈夫なのかよ? 藤崎組の奴らは警察や政治家とも通じているって噂じゃないか。家族まで危険になるくらいなら、俺がここで殺されるほうがずっとましだった」
ふとっちょ君が泣き叫ぶ。
「どういうことですか?」
「そういう噂があるんです。藤崎組っていうヤクザの連中が問題を起こしても罪に問われることはほとんどありません。警察に捕まっても、ちょっと注意を受けるくらいだって……」
ありえない。映画ではそんな話が良くあった。でもそれは作り物のお話を面白くするためのもので、現実世界のことではないと思っていた。
警察は悪を取り締まり、戦うことを許されている唯一の組織なのに、その彼らが悪と通じている。
もしそれが真実であったなら、戦う術を持たない人たちはどうやって己を守ればいいんだろう。
怒りが沸く。鼓動が早くなって怒りが溢れる。
さらにメガネ君は言葉を続ける。
「僕たちがここに来たとき、ヤクザはこの二人だけじゃありませんでした。もう一人いたんです。そいつが拷問されていた人と僕たちの携帯端末を持っていきました。だから僕たちの個人情報はきっと全部筒抜けです。警察がちゃんと動いてくれないと僕たちはやばいかもしれません」
「お前は軍人かなんかなんだろ? 強いんだろ? 頼むよ。助けてくれよ」
ふとっちょ君も声上げた。
目をつぶる。怒りをコントロールしながら考える。
昔は悪い奴をやっつけることは正しいことだったはずだ。
桃太郎が鬼を退治することも、カニに柿をぶつけて殺した猿に復讐することも絵本では正しいこととして描かれていた。
今でもそういった映画は多く存在する。ヒーローがヴィランを倒す物語に、元軍人や元スパイが一人で犯罪グループを倒す物語。
映画を見ている観客の多くが主人公が悪を倒すことを応援し、正しいと感じているはずだ。
しかしよくよく考えてみると、法律的には主人公が殺した悪人一人一人よりも、多くの悪人を一人で皆殺しにした主人公のほうが罪は重い。
映画を鑑賞した多くの人が主人公がしたことを正しいことと感じているのにもかかわらず、法律では悪を滅ぼした主人公を一番の罪人として裁くことになる。
これは多くの人間が共有している道徳観と法律が乖離してしまっているということだ。
そんな法律が本当に正しいのだろうか……俺にはわからない。
それでも法律を犯すことが正しくないということだということはわかっている。
ただ法律には人を殺してはいけないとは明記されてはいない。殺人に対する罰則が記されているだけだ。
もちろん正しいことをしろとも書かれていない。
困っている人がいたら助けるべきだとも、人には親切に接するべきだとも書かれていない。
だったら俺も法律に従いつつ正しく生きることにしよう。
自身の道徳に従って生き、自分が正しいと思ってしたことであってもそれが露見して罪に咎められたなら、その罰則を甘んじて受け入れればいい。
そうすれば俺は法律に従っていることになるはずだ。
研究所で言われた。この力は特別なものだと。正しい行いを行うために与えられたものだと。悪を挫き、戦う術のない人を助けるための力だと。
やっぱり俺には研究所の科学者たちが言っていたことのすべてが間違いだったとは思えない。
きっと俺になら二人を助けることができるだろう。俺にはそれが可能な力があるのだから。
この世界にはいつだって理由が存在している。それは俺のこの力にも理由があるということだ。
人はいつだって理由を求めている。
それは自然現象に限ったことではない。
自らに降りかかった突然の悲劇、生まれ持った才能に与えられた境遇や出会い。そしてこれまでに下した多くの選択。そのすべてに理由があるはずだと考える。
中には明確な理由があることもあるだろう。しかしその理由がわからないときは、神や運命、過去の行い、更に遡って前世の行いのせいにすることだってある。
結局のところ何だっていいのかもしれない。その理由で自分が納得できればそれでいいんだ。
だったら俺もそうしよう。本当の理由がわかるまではこの力は誰かを助けるために、正しいことをするために与えられたものだと、そう納得することにしよう。
「わかった。俺に任せて。二人の端末を取り返してくるよ。それでその端末がどこに持っていかれたのかとかはわかったりする?」
「ありがとうございます。端末は組事務所にあると思います。出て行った奴が拷問されていた人を処理した後、事務所に戻るって言っていたのを聞きました」
「組事務所?」
「ヤクザの本拠地です。藤崎組の事務所の場所なら有名なのでわかります」
「悪の組織の本拠地の場所が有名なんだ……」
その事実に驚いた。テレビで見たことのある戦隊ものでは悪の組織の場所は隠されていたし、悪い奴らは潜んでいる印象があったのだがヤクザはそうではないようだ。
メガネ君からヤクザの本拠地の場所を聞いて、端末を取り返した後届けるために二人の住所も聞く。
「二人は自分たちで帰れる?」
「大丈夫です」
そう言ってメガネ君は自分たちを縛り上げていた男の死体のズボンのポケットを漁る。
「ありました。俺たちがここまで乗ってきた車があるので、大丈夫です」
「わかった。じゃあ、行って来るよ」
「よろしくお願いします」
メガネ君の声を背に受けて俺は工場を後にした。
工場を出て空を行く。空高く、夜の空の上から町の明かりを眺め考える。
本来は警察に任せるべきなのだろう。しかしもし噂が真実であったのなら、なんの罪もない二人とその家族に危害が及ぶ可能性がある。
それを許すことはできない。
でもヤクザが悪人だとはいえ、彼らにだって家族がいる。普通に考えれば両親はいるだろうし、兄弟もいるかもしれない。結婚していて子供だっている可能性もある。
何が正義で、何が悪なのだろう。何が正しくて、何が間違いなのだろう。
俺にはわからない。だからせめて自身で正しいと感じることをしよう。
まずはヤクザの本拠地に行って、端末を返してもらえるように頼もう。そして今までに犯した過ちを悔い改めるように提案しよう。
もしその提案が受け入れられなかったなら、彼らがこれからも悪事をなして、誰かに危害を加え続けるというのなら……
そのとき俺はどうすればいいのだろう。




