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第28話 一日目・昼


 俺たちはクリストフ・ミュラーが作ったレストラン『血漿(けっしょう)』の個室にいた。血漿とは血液内の体の各部位に栄養を運ぶ溶液のことだ。この店名にはそういった意味が込められているのだろう。


 店を訪れると、本来予約が必要なのかもわからないままにアリアさんの顔パスで個室に通された。さらにネコも一緒で問題ないらしい。


 三人で丸いテーブルを囲んでメニューを受け取る。


 ちなみにタナットはいつもどおり俺の膝の上に座っていて、ネコは俺のイスの隣で丸くなって鼻をひくひくさせている。


 俺にはわからないが、レストランの中だからきっといい匂いでもするのだろう。


 俺はタナットの頭の上に顎をのっけてメニューに目をとおす。


 メニュー表はバインダーのようなものに綴じられて作られたものだが、品数がずいぶんと少ない。


「メニューは少ないのですね」


 俺も思っていたことをエルウィンさんが口にしてくれた。


「はい。このレストランはとても食材にこだわっていて、納得いく食材しか使わないので、どうしてもメニューは少なくなってしまうそうです。それに日によってもメニューが全然違ったりもします」


「なるほど」


 エルウィンさんが頷く。


「おすすめは肉料理です。クリストフさんの実家、ミュラー家はこの町で一番の畜産家です。そこで育てた家畜の中でも特別上質なものがこのレストランで使われているそうです。中でも牛料理は絶品です」


 この世界にも牛が存在する。ただ優羽のいた世界の牛より一回り大型で毛深い印象だ。


 俺はビーフシチュー、エルウィンさんはテールスープ、アリアさんは牛頬肉の赤ワイン煮、ネコはステーキを頼んで、タナットはみんなから少しずつわけてもらうことになった。


 テーブルの上のベルを鳴らして店員さんを呼ぶ。


 そして注文を言ってから、エルウィンさんが付け加えた。


「すいません。もし可能であれば、以前ここでオーナーシェフをしていたクリストフさんのことを知りたいのですが、教えていただくことはできないでしょうか?」


「わかりました。手が開いている者がいれば呼んでまいります」


 そして来てくれたのがジェレミー・ルベイエールさんだった。


 彼は六十代前半くらいだろうか、ふくよかな体系でとても優しそうな人だった。彼はこの店がオープンしたときから働いていた料理人で、クリストフさんの友人でもあったという。


「クリストフ・ミュラーという方は、あなたから見てどんなご友人でしたか?」


 エルウィンさんが尋ねる。


「そうですね。何から話せばいいか……クリストフは生真面目で頑固な男でしたが、何よりも家族を大切にしていました。両親に兄弟、結婚してからは妻と子供たちも本当に大切にしていました」


 ジェレミーさんは懐かしそうに友のことを語る。


「それで、この店はどういった経緯で始めたのでしょうか?」


「あいつは畜産家の倅で、とにかく食に対するこだわりが強かった。それであいつはもっとたくさんの人に食の大切さを知ってほしいと、実家で育てた食材を使ったこの店を始めたんです。あいつのこだわりは本当に強くて、今でこそ不評でそんなことはしていないのですが、あいつがオーナーだった頃は家族で来店したお客様には、絶対に家族全員に同じメニューしか提供しませんでした」


 そう言って、ジェレミーさんは笑った。


「それはいったい、どんなこだわりがあってのことなのでしょうか?」


「あいつはいつも言っていました。口にしたものが自分の体を形作る。血液に細胞、そのすべてが食べたものからできている。自分を形作る材料なのだから、口にするものにはこだわる必要があるし、家族には同じものを食べて、同じもので作られていて欲しいと……」


「それは本当に、ものすごいこだわりですね」


 ふふっと笑いながらエルウィンさんは言う。


「でしょう? あいつが急にいなくなって、それからすぐに家族で来店したお客様にも、各々好きなものを注文してもらえるようにしました」


「それでクリストフさんの家族が急に失踪した理由には、何か思い当たることはないのでしょうか?」


「それはまったくありません。あいつはいなくなる前日も普通に働いていました。いなくなった日、あいつは午後から出勤のはずでしたが、来ませんでした。次の日も来なかったので、スタッフが家に見に行ったんですが、そのときにはもう家には誰もいなかったそうです」


「店の運営に問題が生じていたとか、家族が何かトラブルに巻き込まれていたとかいうようなこともなかったのですか?」


「私の知る限りではなかったと思います。店も順調でしたし、あいつは家族を何よりも大切にしていました」


「そうですか……」


「それではそろそろ料理も来ると思うので、私はこのへんで失礼します。後、もしよろしければ食後にはデザートも頼んでください。私はデザート担当ですので」


「わかりました。では三人分、食後にお願いします」


「ありがとうございます。確かに承りました。それでは私は失礼します。どうぞ食事を楽しんでいってください」


 そう言って一礼すると、ジェレミーさんは個室を出て行った。


「ふむ……クリストフさんの人となりは多少知ることができましたが、心霊現象と何か関係ありそうな話はなかったように思います。お二人は何か気付いたようなことはありましたか?」


 考えてみるが、特にはなかったと思う。


 あえて上げてみるとすれば、食にこだわる人が建てた家が現在は人を食べる家などと呼ばれているのは、皮肉めいている気がするくらいだろうか。


「私も特にはありませんでした」


「俺もです」


 俺がそう答えると、ちょうど料理が運ばれてきた。


「それではせっかくですので、今は食事を楽しむことにしましょう」


 俺の前に並べられたのはビーフシチューとパン。


 シチューは俺の好物で、それなりに食べてきたつもりだった。母さんにはよく作ってもらっていたし、山猫亭でも食べたし、昨日の宴会でも食べた。


 どれも違いはあったが、俺の思うシチューの形をしていておいしかった。


 しかし今、目の前にあるシチューは、俺の中にあるシチューのイデアとはまったく違う形をしていた。


 俺が想像していたのはスープ的なものだったが、目の前にあるのはどちらかというと肉や野菜に少し多めのソースがかかったようなものだった。


 さっそくスプーンを手に持って、お皿の真ん中で威風堂々と鎮座している大きな牛肉にアプローチをかける。


 やわらかい……ナイフも使わずにお肉の一部をスプーンですくうことができた。


 口に運び食べてみる。


 口の中で肉がほどけるようにしてとけていき、口いっぱいに味が広がっていく。


「すごいですね……」


 おいしいという言葉ではとても言い表すことができなくて、そんな言葉が口からこぼれた。


「確かにこれはすごいですね。ガナス王都でもこのレベルは食べたことがありません」


 エルウィンさんも感嘆の声を上げる。


「味は間違いなくこの町一番です」


 すこし誇らしげなアリアさん。


 パンも外はカリッとしていて中はふわふわでおいしい。肉にもスープにも合う。


「ほらタナットも。すごくおいしいから、口を開けて」


 ひな鳥みたいに待っているタナットの口の中にスプーンを運ぶ。するとタナットがぱくんと食いつくので、スプーンを引いて口の中から取り出す。


 噛む必要もないくらいにやわらかかったのに、タナットはしっかりもぐもぐしている。


 本当にタナットは愛らしい。


 そして料理が食べ終わると、デザートが運ばれてきた。


 小さなカップの中にはチョコレートミルクがそそがれていて、その中心には大きなストロベリーアイスが入ったデザートだ。


「これは真ん中のアイスをまわりのチョコレートミルクでとかしながら食べると、冷たくておいしですよ」


 アリアさんに言われたとおりにやってみる。


 アイスで冷えたチョコレートミルクが凍って少し氷のような食感まであっておいしい。


 ただなかなか冷たくて、喉をとおったその冷たさが頭に突き刺すような痛みを与えた。


 頭にキーンとくる。


 俺が痛みに耐えていると、目の前ではアリアさんも頭の痛みに悶えていた。


「冷たいものを食べると頭が痛くなるというやつですか?」


 エルウィンさんの問に、俺とアリアさんは「はい」と頷く。


「不思議なことに、私は全然痛くならないんですよ」


 そう言いながらぱくぱくと次々に口へと運んでいくエルウィンさん。


「アイスクリーム頭痛ってやつですね。これは痛くなる人と痛くならない人がいるみたいです」


「そんな名前がついているんですか?」


 俺の前世の知識にエルウィンさんが食いついてきた。


「正式な名前かはわかりませんが、そんなふうに聞いたことがあります」


「もしかして痛くなる理由も知っていたりします?」


「はい。いくつか仮説のようなものを聞いたことがあります」


 前世の、いつことだっただろうか……イスラフィールから聞いた話を思い出しながら話す。


「まず一つ目が、確か冷たいものが喉を通るときに血管が一度収縮し、元に戻るためにまた膨張します。このとき近くの神経が刺激されて、痛みという情報を間違って脳に伝えてしまうというようなことだったと思います。そしてもう一つが、危険信号だという説もあるそうです」


「危険信号ですか?」


「はい。冷たいもの食べたことで、冷たいところにいると勘違いした脳が、これ以上この場に留まり続けると危険だぞという信号を頭痛で伝えているという説です」


 そこまで話して、ふとある考えが頭をよぎった。


 もし今の説があり得るのなら、心霊現象も似たような理由で起きるものだとは考えられないだろうか。


「今、話していて気付いたんですけど、もしかしたらアリアさんが霊を見たのも同じような現象だとは考えられないでしょうか?」


「……というと?」


「霊こそ見はしませんでしたが、俺もあの家は何か嫌な感じがしました。特に風呂場のドアを開ける前に、その嫌な感じが強くなったような気がしました。これもある意味では危険信号です。そしてドアを開けた後、アリアさんは霊を見ました。あの風呂場は黒カビだらけでした。黒カビは体に悪いものです。だからそこから避難させるために、アリアさんの脳が危険信号として霊を見せたという可能性はないでしょうか?」


 もし心霊現象が人体に害のある菌類に対する危険信号であるのなら、心霊現象に塩が有効なことも、前世の世界で少し話題になった殺菌スプレーが効くという話も頷ける。


 それだけじゃない。心霊現象が起きやすい場所としてよく上がる水場、窓のない部屋、暗い場所などはどれもカビなどの菌類が発生しやすい場所だ。


「ほう……なかなか面白い仮説です。少々突飛ではありますが、理論としては納得もできます。確かに霊は危険な場所で遭遇する印象がありますね」


 そんなふうに心霊現象について話しながら食事を終えて、店を出る。


 ちなみに支払いは全部エルウィンさん持ちだ。


「それでこの後はどうするんですか?」


「そうですね。私は今日からあの家で寝泊りしたいと思うので、私が今取っている宿から荷物の移動をお願いしたいと思います」


「わかりました。だったら護衛のためにも俺も一緒に泊まります。大丈夫ですよね?」


「もちろんです。よろしくお願いします」


「あの……私は……」


 アリアさんが言いよどむ。


「もしものときのためにも、あの家に泊まらない人もいたほうがいいでしょう。それにアリアさんには、情報収集をお願いしたいと考えていました。ご実家の商家の力を使ってお願いはできないでしょうか?」


「わかりました。そういうことでしたらやってみます」


「それではこの後は私とアゼルさんはミュラー邸に荷物の運び込みを、アリアさんには失踪した家族の情報収集をお願いします」


 そういうわけで俺とアリアさんは別行動ということになった。


 さっそく俺とエルウィンさんはミュラー邸に荷物を運び込む。


 エルウィンさんは現在泊まっている宿を解約してそのまま移り住むようだが、俺は山猫亭に部屋を借りたままにしておくことにした。


 だから俺たちの荷物は必要なものだけを持っていく。


 荷物を運び終えたら、次は家の中の掃除だ。


 とはいっても家の中も埃が積もっているくらいでそれほど汚いというわけでもない。


 まずは家の中の窓を全部開けて空気を入れ替える。それからはたきで埃を落として、ほうきで掃く。次は雑巾で空拭きして、水拭きで仕上げだ。


 家の中が綺麗になって、窓から新鮮な外の空気が入ってくるようになると、家の中にあった暗く沈んでいた雰囲気のようなものが薄まったような気もする。


 掃除が終わると、エルウィンさんも一緒に買出しに行くことになった。


 この家で暮らすに当たって必要なこまごまとした物や、食材や調味料を買った。


 毎食を外食というのも面倒なのでエルウィンさんが料理を担当してくれるらしい。



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