天帝と天妃、地上に降臨す3
「ちちうえ、はなせ! ははうえっ、ははうえ〜!」
「あぶっ、ばぶぶーっ!」
「こら、暴れるな」
紫紺が黒緋の抱っこから飛び降りようとし、青藍も小さな手で黒緋の顔をぐいぐいしている。
黒緋は二人の息子を宥めつつも助けを求めるように鶯を見た。
そんな黒緋に鶯は小さく笑い、二人の息子に向かって両腕を広げる。
「黒緋様、ありがとうございます。紫紺、青藍、こちらへ」
「ははうえ!」
紫紺がぴょんっと飛び降りて鶯に駆け寄った。
青藍も抱っこから降ろしてもらうとハイハイで鶯のところへ。
「ははうえ、オレも! オレもぎゅってしろ!」
「あいっ! あいっ!」
紫紺が鶯にぎゅーっと抱きつくと、青藍も抱っこしろとばかりに両手を差し出す。
鶯は青藍を膝に抱っこし、もう片方の腕で紫紺を抱き寄せた。
「ふふふ、焼きもちですか? かわいいですね」
「だって……」
「いいですよ。可愛い焼きもちは大歓迎です」
鶯は楽しそうに笑った。
萌黄も紫紺と青藍の無邪気な様子に優しく目を細めると、改めて天帝の黒緋に向き直った。
そして床に両手をついて頭を下げる。
「天帝におかれましてはご機嫌麗しく。こうしてまたお会いできて光栄です」
「萌黄も元気にしていたか?」
「はい」
「息災のようでなによりだ。顔を上げろ」
「畏れ多いことでございます」
「……相変わらずだな」
黒緋が少し困ったように言った。
でも萌黄は首を横に振る。
「私が人間であることに変わりはありません。礼を尽くすことは当たり前のことでございます」
萌黄は斎王である。
だからこそ天帝と天妃が特別な存在であることも、その存在の尊さを誰よりも知っていた。
しかし畏まる萌黄に鶯が寂しそうに目を伏せる。
そんな鶯に黒緋は気づいて苦笑した。鶯の寂しそうな顔は黒緋に効くのである。
「ならば命じる。お前は天妃の妹として振る舞え」
「それは……」
「許す。お前は人間でも天妃の妹だ。あまり畏まられては俺が困るんだ」
「困るとは……」
萌黄は顔を上げて黒緋を見た。
すると黒緋は心配そうに鶯を見ていたのだ。
その光景を見てしまったら萌黄も頷くしかない。でなければかえって天帝と天妃を困らせて、それこそが無礼というもの。
「畏まりました。天妃様のために」
「ああ。頼むぞ」
黒緋が安心したように頷いた。
鶯も嬉しそうな顔で抱っこしている紫紺と青藍に言う。
「紫紺、青藍、あなた達もご挨拶しなさい。あなた達の叔母ですよ」
「うん」
紫紺は頷くと萌黄に向き直る。
久しぶりの萌黄に紫紺は照れくさそうだ。鶯にくっついたまま挨拶をする。
「もえぎ、こんにちは。げんきだったか?」
「おかげさまで。紫紺様もお健やかなご様子で嬉しく思います」
紫紺の挨拶が終わると次は青藍だ。
鶯に抱っこされた青藍は萌黄を指差して「あうあ〜。ばぶぶっ」となにやらおしゃべりしていた。
萌黄が困って鶯を見ると、鶯がにこにこしながら教える。
「青藍がこんにちはと言っています。青藍はおしゃべりが大好きなんですよ」
「そうなのね。青藍様、こんにちは。お元気そうでなによりです」
「あいっ」
青藍がこくりと頷いた。
でも照れてしまったようで鶯にぺたりっとくっついてもぞもぞした。
こうして幼い子ども達が甘えるように鶯にくっついていて、萌黄は面白そうに小さく笑う。
「御子様方は鶯が大好きなのね」
「うん。ははうえがいちばんすきだ」
「私も紫紺と青藍を愛していますよ」
鶯が幸せそうに微笑んだ。
その姿に萌黄は目を細める。天上で幸せに暮らしていると知れるものだったのだ。
「萌黄、斎宮に変わりはありませんか? 最近のあなたは忙しくすごしているようですが、息抜きも必要ですよ? 分かっていますか?」
鶯はくどくどと言った。
鶯は生真面目で世話焼きなのだ。斎宮にあがる前の二人で貧しい暮らしをしていた時も、『もっとたくさん食べなさい』と自分の食事をわけようとしてくれたり、『体を冷やしてはいけませんよ?』と自分だって寒いのに火鉢の近くの温かい場所を萌黄に譲ってくれた。
時に口うるさい小言のようではあるが、そこには鶯の愛情深さがある。萌黄はそれをよく知っていた。
「うん、ちゃんと気を付けるわ」
「よろしい。夜はしっかり眠って休むこと。斎宮のよいところは殿方の夜這いがないところですね」
鶯が安心したように言った。
殿方は既婚者でも正妻以外の女人のところへ通っていることが多い。いわゆる夜這いである。
しかし斎宮で暮らす斎王は神職最高位の身分だ。おいそれと夜這いできる相手ではなかった。