後宮の雀3
「黒緋様、お疲れさまでした。紫紺はどうでしたか?」
「持って生まれた神気も才能も申し分ない。さすが俺とお前の子だ」
「嬉しいことです。紫紺はとっても強いですから」
黒緋と鶯が話していると、紫紺がニヤニヤしている。しっかり会話の内容が聞こえているのだ。
そんな紫紺の様子に青藍は目をぱちくりさせて、「あう?」と黒緋と鶯を見上げた。
その反応に黒緋と鶯は思わず笑ってしまう。
「ハハハッ。青藍、お前もだ。なかなかいい神気を持っているぞ」
「あいっ」
青藍はこくりっと頷くと栗のお菓子をあむあむしゃぶりだした。赤ちゃんなので意味は分かっていないが満足そうである。
こうして二人の子どもはおやつを楽しみだした。
家族団らんともいえる穏やかな時間がすぎるなか、黒緋は鶯を見つめて目を細めた。
かつての天上での日々を思いだす。
天妃を邪険にして何人もの妻を娶っていた時のことだ。
あの時、鶯はなにを思っていただろう。鶯を天妃に迎えながら一度も愛したことはなく、それどころか新たな妻を次々に娶ったのだ。
深く傷つけていた自覚はある。それなのに鶯はその身を引き替えにして四凶を封じたあとも、記憶を失くしても、ずっと黒緋を愛してくれていたのだ。
過去を思い出すと黒緋は罪悪感と不甲斐なさでやるせなくなる。過去に戻れるなら何も分かっていなかった自分を殴りたいくらいだ。
だからこそこれからは鶯だけを愛したい。
そして鶯にも自分だけを愛してほしい。そう思うのは許されないことだろうか……。
「……。鶯」
「なんでしょう」
紫紺と青藍に構っていた鶯が黒緋を振り返った。
鶯は紫紺と青藍をとても愛しているが、この二人は息子なので愛してくれていて構わない。
だが。
「今、宮中にこんな噂があるのを知っているか? 天妃には地上に想い人がいるらしい、と」
「私ですか?」
鶯が目を丸めた。
その反応すらも黒緋は可愛らしいと目を細める。
「もちろん噂だ。宮中にはおしゃべり好きの雀がいるものだからな。だがその想い人、そんなに気になるか?」
「…………気づかれていましたか」
鶯がぽつりと呟いた。
だがその呟きに、一瞬にして渡殿の空気が張り詰めた。
当然だ。天妃が帰ってきてから、宮中では『天妃には天帝以外にも想い人がいる』ともっぱらの噂だったのである。
ここに控えている士官や女官は表情には一切だしていないが、噂の真相が目の前で繰り広がりだして内心固唾を飲む。これは天帝が天妃の浮気を問い詰めているのと一緒なのだから。
黒緋が鶯を見つめて口説くような口調で言う。
「お前が愛しているのは俺だけだと思いたいものだ」
「もちろん、あなたを愛していますよ」
「あれを想いながら?」
「私にとってかけがえのない存在です。愛していますから」
鶯が黒緋を見つめながらも、ここにはいない誰かを愛おしげに語った。
瞬間。
((((((――――っ!!??))))))
士官や女官たちに緊張が走った。
天妃が堂々と天帝以外にも愛していると言ったのだ。
士官や女官はしずしずとした顔をしながらも内心は大混乱だ。
(え、ええっ? どういうこと? 天妃様の想い人は天帝も公認してるっていうこと!?)
(天妃様、素直に答えすぎよ〜!)
(ちょっと待って、ということは二人の殿方が天妃様を……? しかも天帝公認っていうことは、二人の殿方で天妃様を愛する夜もあるっていうこと!? キャーーー!!)
(ああ、恐ろしい恐ろしいっ。その地上の人間、天帝の逆鱗に触れているんじゃないのか?)
(地上に天罰が下るぞ……っ。地上のその男、死んだな……)
(天妃様に愛されるなんて羨ましすぎる……っ)
士官と女官は今にも内心叫びだしたい気持ちになっていたが、もちろん表情には一切出さない。天帝と天妃と二人の御子に従順に仕えるのみ。
「鶯、お前があれを愛する気持ちも分かるが……」
黒緋が少し憂えたように言った。
((((((分かるんだ!)))))))
今や士官や女官たちの気持ちは一つになっている。
天妃が天帝公認で浮気をしているという前代未聞の事態が起こっているのだから。
士官や女官がしずしずと控える中、天帝と天妃の会話が続いていく。
「よく物憂げな顔で地上を見ているそうだな。空いた時間があれば神域の森に入っていくと聞いたぞ。そんなに地上が気になるか?」
「地上の安寧を祈っています。……もしかして、ご迷惑でしたか」
「そういうことじゃない。天妃のお前が地上に想いを寄せることは否定しない。むしろ喜ばしいことだと思っている」
それは黒緋の本心だ。
天帝と天妃の神気は地上の人々に平穏を与え、大地に豊穣をもたらす。人間にとって天帝と天妃とは神という存在。天帝の神気は灼熱の太陽のごときもの、それに寄り添う天妃の神気は木漏れ日のような慈愛に満ちたもの。
以前は黒緋のほうが地上を大切に思っていたが、帰ってきた天妃はそれに劣らぬ気持ちを地上に寄せていた。日々の安寧を慎ましく願う人間の祈りに耳を傾け、慈愛の心でそれに寄り添っているのだ。それは天帝の妃としてあるべき姿だが、黒緋はどうしても言いたいことがある。
なぜなら天妃は地上を愛しつつも、その中に特に愛している存在がいるのだから。