後宮の雀はおしゃべりがお上手で2
「お注ぎします」
「ありがとう。お前も付き合ってくれ」
鶯が注ぐと黒緋も新しい杯に注ぐ。
互いに酒を注ぎあい、二人は三日月を見上げながら一献楽しんだ。
「今日は楽しかったですね」
「ああ、大変なこともあったが」
「子ども達とたくさん遊んでくれてありがとうございます。あの子たちも父上と遊べて嬉しいようでした。いつもよりはしゃいでいたのはそれが楽しかったからでしょう」
「お前は? お前は満足したか?」
「もちろんです。幸せな時間でした」
「それならいい。大変だったが俺にとっても楽しい時間だった。お前の地上の故郷を見れたからな」
「はい、伊勢の御山の景色をあなたと見ることができて良かったです」
「素晴らしい景色だった」
黒緋がくいっと杯を煽る。
空になった杯に鶯は銚子を傾けた。
鶯は銚子を引こうとして、その手を大きな手に捕まれた。黒緋だ。
突然手を握られて鶯の頬に赤みがさし、おずおずと見つめ返す。
「どうしました?」
「お前の話しをもっと聞きたいんだ。お前が地上で目にしたもの、食べたもの、体験したこと、すべてを聞きたい」
「黒緋さま……」
口説くような甘い声色に鶯は恥ずかしそうに目を伏せた。
そして手を握られたまま、もう片方の手で扇を開いて顔を隠す。
間近に黒緋の精悍ながら美しい顔があって目を合わせていられなくなったのだ。
しかし黒緋は鶯の指先にそっと唇を寄せる。
「本気だ。分かっているか?」
「……私の昔語りなど面白くないかもしれませんよ? 生まれは伊勢の片田舎です。貧しいばかりの暮らしで特別になにかがあったわけでもありません」
「構わん、なにもない日々の話しが聞きたい。寒い思いをしていたならそれを話せ。腹を空かせていたなら、その時のことも。……話したくないなら構わないが」
そう言った黒緋に鶯は扇の影で目を丸めた。
少しだけ扇を下げて黒緋を見つめる。
「気を使っていただいてありがとうございます。でも、あなたらしくありませんね」
「お前のことだ。慎重にもなる」
「私のことだから……?」
「愛してるんだ。当然だろ」
「っ……」
鶯は扇をあげてまた顔を隠した。
もうどうしようもなく赤くなっている。
黒緋があまりにも当たり前のことのように言うので困惑すらしている。
「……いいんですか、そんなこと言って。地上の話はひと晩では終わりませんよ?」
「簡単に終わらせるなよ。俺はすべて聞きたいんだ。まず扇を下ろして顔を上げろ。顔が見たい」
「無粋な言い方ですね」
「無粋は承知だ。だが待てない」
「黒緋様……」
鶯がそろそろと扇を下ろした。
すると近い距離で目が合って、黒緋がなんとも幸せそうに目を細める。
「愛してるぞ。何度でも言う、お前だけだ」
「ありがとうございます。私もあなただけです」
「愛してるんだ」
「ふふふ、そう何度も言われると恥ずかしいですね」
「我慢してくれ。何度でも言いたいんだ。お前が安心するまで。いや、安心してからも」
「なんですか、それ」
鶯がクスクス笑う。
黒緋は「本気だぞ」と真剣な顔で言う。
鶯は黒緋に握られていた手をするりと抜くと、扇を閉じて前に置く。そして居住まいを正して両手をついた。
「それでは手始めに、私が初めて覚えた舞をお見せしましょう」
「それは是非」
「ふふふ、そうでしょう?」
鶯はそう言うと扇を持ってゆっくり立ち上がった。
渡殿の舞台で舞いを披露する。
その舞は鶯が子どもの時に必死に覚えた舞だった。
雪が降る寒い冬も、うだるような暑い夏の日も、休むことなく厳しい稽古を続けたのだ。
斎宮で白拍子として生きていくために、斎王を守るために、身につけなければならないものだった。他にも琴や琵琶や笛など多くの舞楽を身に着けたのだ。
その初めて覚えた舞を黒緋に見てもらえるなんて、鶯にとってこれほど嬉しいことはない。
その気持ちはもちろん黒緋にも伝わっている。
こうして月明かりの下で鶯は舞い、黒緋との甘やかな時間をすごすのだった。