表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/24

天妃の憂いで地上に雨が降る3

「お前、ずっと怒ってるだろ。だから教えてほしい」


 黒緋は正直に打ち明けた。

 分からないまま放置しては後々後悔するだろう。黒緋は後悔を知っている。

 だが。


「……。……怒ってません」


 鶯は困った顔で答えた。

 そんな鶯に黒緋は目を据わらせた。本心を見せてくれないことに苛立ちを覚えたのだ。


「まだ誤魔化すのか」

「っ、……ごめんなさい」


 鶯が少しおびえたように目を見張って、でも視線を落としてしまった。伏せたまつ毛がふるりと震えていて、黒緋はしまったと内心舌打ちをする。

 そんなつもりはなかったがさっきの声には苛立ちが混じっていた。それで怯えさせてしまうなど本末転倒だ。黒緋は鶯を遠ざけたいわけではなく知りたいのだ。そのすべてを。

 しかし黒緋はどうしていいか分からなかった。今までこんな気持ちになったことはないからだ。

 だがそうしている間にも鶯は思い詰めた顔で話しだす。


「……でも、本当に怒ってるわけじゃないんです。ただ、あなたにお願いが……」

「願い? なんだ、なんでも言え」


 黒緋は気負って聞いた。

 今まで鶯になにかをわれたことはない。それを叶えて機嫌が直るなら易いものだ。

 離宮が欲しいというなら望むものを建造させるし、この世に二つとない宝玉を欲するなら望むままに贈りたい。

 そんなはやる黒緋に鶯は伊勢の山々を見つめる。そして。


「では一つ」


 鶯はそう言うととある方角の山間やまあいを指差した。

 木々の合間に大きな屋根が見える。


「あそこに見えるのが斎宮の本殿です。本殿を囲むようにして幾つもの離れがあります。本殿には神事のや斎王の居室があって、離れには巫女や白拍子の稽古場があります。離れではたくさんの白拍子や巫女が暮らしていて、生まれながらに才ある者は子どものうちに斎宮にあがります」


 鶯は淡々と斎宮の説明をした。

 黒緋は訳が分からない。鶯の願いを聞きたいというのに、斎宮を遠目に見せられるばかりなのだ。


「そうか。それで願いとはなんだ。お前はなにが欲しい」

「欲しいものはありません。ただ、あなたにはここからの眺めで我慢してほしいのです」

「どういう意味だ?」

「……斎宮にはたくさんの女人が暮らしています。なかにはあなたが心惹かれるような美しい者もいるでしょう。あなたが興味を引かれるような気立てのよい者もいるでしょう。……あなたは案内してほしいと言いましたが、私はどうしても案内したくありません。だからここで我慢してほしく……。……ごめんなさい、我儘を言っています」


 そう言った鶯は申し訳なさそうに小さく笑った。

 黒緋は愕然とした。鶯の笑みにはどこか諦めめいたものが宿っていたのだ。

 その意味に、怒りとも情けなさとも言えない複雑な感情がこみ上げる。


「俺はお前を愛していると言った。……信じてないのか?」


 そう聞いた黒緋の声は僅かに掠れていた。

 そんな黒緋に鶯は驚いたように目を瞬く。でもすぐに首を横に振った。


「いいえ、信じています。今あなたは私を愛してくれていること、とても伝わってきます。ありがとうございます」


 鶯は嬉しそうに言った。

 嬉しそうに笑んだ鶯に黒緋は言葉を失くした。

 なぜなら、鶯は『今』と言ったのだ。それは今の愛情が時のまやかしになってしまうこともあると危惧きぐしているから。

 鶯は今を信じていた。でも明日は心変わりをするかもしれないと、そう思っているということだ。

 そのことに黒緋は結局信じていないのかと怒りを覚える。

 しかし責めることはできなかった。

 鶯が地上へ落ちる前、天妃として迎えながらも裏切り続けたのは黒緋のほうなのだ。自分が怒りを覚えることすら間違っている。

 だが、それでもと思ってしまうのは身勝手だろうか。


「…………分かった。お前がそう願うなら、そうしよう」

「ありがとうございます! 嬉しいです!」


 鶯の顔が明るくなった。

 こんなことで喜んでくれるのかと思うと愛おしさがつのっていく。

 でも同時にこんなことを鶯の喜びとしてしまった自分に怒りを覚えた。

 だが黒緋は内心の自責を隠し、穏やかな笑みを浮かべた。


「鶯、ここからの眺めは素晴らしいな。お前と見ることができて嬉しく思う」

「私もあなたに見せたいと思っていたんです。私が斎宮にあがったばかりの頃、一人でよくここに来ました」

「そうなのか?」

「はい。白拍子になるまでは下女の仕事をしていたんです。同じ斎宮にいても斎王の萌黄には滅多に会えなくなって、それで寂しくなった時は一人でここに。ここから沈む夕陽を見ていると不思議と涙が出てくるんです。そうすると少しすっきりするようで、明日からも頑張ろうと思えました」

「そうか……。今も涙はでるか?」

「どうでしょう。今は紫紺や青藍がくっついてきますから一人になる時間が減りましたね」


 そう言って鶯がクスクス笑った。

 鶯は萌黄と遊んでいる紫紺と青藍を見つめる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ