七幕 幼馴染
張飛のいた村から三つとなりの村、劉備玄徳はそこに………………………いなかった。
付近の村に筵を売りに行っているのである。
村の入り口には一人の少女。
姓は甘、名は英。字はない。基本的にこの国で字を持つことができるのは成人した男性のみだからである。
甘英は腰まで届く栗色の髪をいじりながら村の入り口の岩に腰掛けていた。
「劉備、遅いな~。そろそろ帰ってくる頃だと思うんだけど………」
呟きながら甘英は村の外の地平を見やる。
「英ちゃん、そろそろ門閉めようと思うんだけど………」
村の入り口を警備している警備兵が甘英に話しかける。
「うーーーー。でもでも、劉備もうすぐ帰ってくると思うんだよ~」
「わーがまま言わない、おくがったさっま」
非難がましく警備兵を見る甘英の頭に手を置いて違う少年がそう言った。
「ケンちゃん………」
「もう閉めちゃっていいっすよ、おっちゃん。この時間に帰ってこないって事は帰って来ないっしょ」
「でーもー」
この少年、姓は簡、名は雍、字は憲和といった。
角刈りの頭に背の高い様はどこか野球少年を髣髴させる感じ………と言えばわかるだろうか。警備兵よりも頭一つ飛びぬけて高い。が、しかし十七歳という年齢を考えればさほど不思議ではない身長だった。
「でももだももないっしょ。ほら、おっちゃん困っちゃってるぜー」
簡雍の指差した方を甘英が見れば警備兵が二人のやり取りを見て苦笑しているところだった。
「う………」
甘英の顔が赤く染まり、その顔を見た警備兵が溜息と共に、もう少し待つか? と聞いてきた。しかし簡雍がそれを首を振って遠慮したので、警備兵はくつくつと笑いながら門を閉めた。
「あー」
閉じた門を見た甘英は思わず呟いた。
(今日も………帰ってこなかった)
そんな甘英を見て簡雍は溜息をつき、自分たちの待ち人の顔を思い浮かべた。
劉備玄徳。二人は彼の幼馴染だった。劉備の家は村―――楼桑村の外れに位置していて周りが広い空き地になっていた。そのため子供たちの絶好の遊び場となっていたのだ。
そしてその広場で劉備はいつしかガキ大将のような存在になり、村の人間にも一目置かれるようになっていた。先ほど閉まった門や、村を囲むようにぐるりと立っている囲いも劉備の案で設置されたものだった。
劉備は父親を早くに亡くしていて母親と二人暮らしだった。筵を織っては周りの村に売りに行くのだが、なかなかどうしてかなりの人気らしい。筵売りだけで余裕で生計を立てている。
「ま、そのうち帰ってくるさ。奥方様」
簡雍がにやりと笑って言ってくる。簡雍が言う『奥方様』とは甘英の事である。別に甘英は貴族の出身ではないしましてや誰かの妻でもない。が、いつからか簡雍は甘英のことを『奥方様』と呼び始め、甘英も彼のことを『ケンちゃん』と呼ぶようになっていた。
「そのうち………かー」
甘英は閉まってしまった門を眺め、寂しそうな顔を一瞬してから簡雍の方を向いた。
「そう………だよね。帰ろっか」
その顔には笑顔が乗っており、甘英は門に背を向けて歩き始めた。
「―――はぁ」
溜息。
三日前から溜息が止まらない。
理由を考えると泣きたくなるから考えたくない。
「エイ、皿を並べるのを手伝って」
母親の声で甘英は重い腰を上げた。
「――――――はぁ」
部屋を出る前にもう一度ため息をついた。
「はあー」
溜息。
三日前から溜息が止まらない。
同時にイライラしてくる。
「………あの野郎」
ぼそりと呟いてまたイライラが増す。
劉備玄徳。
村の中心的な人物。
そして、
甘英、簡雍にとっても劉備は中心的な人物なのだ。
「お前じゃねぇとダメなんだよ、オレっちなんかじゃ全然………」
呟く。
甘英の笑顔は劉備がいないとき、どこかウソっぽくなる。
自分は心のそこから甘英を笑わす事は出来ない。
簡雍はひざを抱えながら悔しさを噛み締めていた。
どうも!
初期メンもしっかり書いていく系佐久彦です!
甘英:後の甘婦人。実際の名前は梅というらしいですが、佐久彦は見落としていました。佐久彦三国志では名前は英です。
簡雍:初期からいるはずなのに、活躍するのは益州入りしてからという大器晩成男。佐久彦三国志では最初から活躍してもらうぜ!
三点リーダー、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年8月9日)。