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六幕 契り



 「落ち着いたか」

 「うす」

 (かん)()は頬杖を着いて目の前に座っている少年を見た。

 「いや、色々迷惑かけちまって申しわけねぇ」

 恥ずかしそうに少年―――(ちょう)()は頭をかいた。

 関羽はため息をつく。

 確かに大泣きして騒ぎまくった。

 一刻(約二時間)もの間、泣き、騒ぎ、手近のものを殴り、町を徘徊した。

 住民にとってはものすごい迷惑だった。被害件数など聞きたくもない。

 それも大変だったのだが―――。

 「そっちではなく腹のほうだ」

 「うん?」

 今いる場所は食事処。一刻の間騒いだ張飛は腹が減った、と叫んで倒れてしまったのだ。

 それを関羽が背負って今いる食事処まで運んできたのだが、席に着いた途端に張飛は店のメニューを片っ端から頼み、それを平らげた。しかもいつの間にか代金は関羽持ちとなっている。

 店に着いてから休む間もなく動いていた手は今は止まっていた。

 「店主」

 ならば、と関羽は店主を呼ぶ。出てきた店主に向かって勘定をしようとして、

 「杏仁豆腐二つ!」

 「何ぃ!?」

 張飛の元気な声によって遮られた。

 「ききき貴様、まだ食う気か!」

 生真面目に張飛を泣かせてしまった責任を感じ、食事代は払おうと思った関羽は悲鳴を上げる。しかし、彼に払わないという選択肢がない時点で彼の堅物さが窺えた。

 「ちょーっとした食休めさね、関さん。聞きたいこともあるし」

 半泣きになっていた関羽はむ? と首を傾げた。

 (私に聞きたいこと?)

 「あのよ、関さん―――」

 「へい。杏仁豆腐二丁、お待ち」

 「杏仁豆腐が聞きたいことを食べようぜ」

 「待て、落ち着け。何を言っているのかわからん」

 混じった、と張飛は頭を掻きながら再度関羽に向き直る。

 「関さんはさー。強いよな」

 関羽の目を見てそう言った。

 「――――――」

 関羽は思わず声を詰まらせた。今まで幾度となく試合をし、幾度となく言われてきた言葉。

 なのに、声を詰まらせた。

 「関さんはつえーなー」

 張飛はどこか遠くを見るような目でそう呟く。

 それは違う、と関羽は言った。あれは反則だった。卑怯だった。力で勝てないと踏んで、打ち負かすのが不可能と感じて、相手の未熟だった部分を突いた。逃げた結果が勝ちだったのだ、と。

 それを聞いても張飛は表情を変えない。むしろそんなことはわかってたとでも言いたげに目を細めた。

 「やっぱ関さんはつえぇ。勝ちは勝ちだ。大体そんなんオレの技術が足んなかっただけじゃん? 関さんの努力の結果だ。誇っていいもんのはずだぜ? 謙遜すんなよ」

 張飛の言葉に関羽は目を見開いた。

 そんなことを言われるとは思わなかった。

 張飛のように自分の武に絶対の自信を持った者とも何度も戦った。

 そういった輩は負けた後に話をしようとしなかったし、悪い場合は負け惜しみを言ってきた。

 しかし、

 関羽は目の前に座る子供を見る。

 違っていた。

 張飛は関羽が見てきた今までの武将と何かが違っていた。

 あぐ、と杏仁豆腐を食べながら張飛は続ける。

 「久しぶりに人と戦った。やっぱし人は強いな」

 「?」

 意味のわからないことを言い出した張飛を関羽はまじまじと見た。

 「………何?」

 張飛は関羽の視線から逃れようと背を仰け反らしながら聞く。

 「お前は時々わからないことを言う。人と戦うのが久しぶり? 先ほど伏兵を二百程倒してきたのではなかったのか?」

 「あぁ、それ? そんなんはオレにとっちゃ、有象無象の塊でしかねぇ。オレは一定以上の強い人間じゃねぇと人とは認めねぇんだ」

 関羽のほうに二つ目の杏仁豆腐を寄越しながら張飛はとんでもないことを言った。

 「それは………」

 関羽は視線を彷徨わせる。

 その関羽の意思を汲み取ったかのように張飛は頷いた。

 「あぁ。ここの村人にしたって例外じゃねぇ」

 そうはっきりと言った張飛に関羽は言葉を失ってしまった。

 内緒だけどな、と張飛は関羽の反応を見て苦笑しながら杏仁豆腐を掬った。

 「ほれれら」

 さじを咥えたまま張飛は喋りだす。関羽が眉をしかめたのを見て慌てて口からさじを出しながら、

 「関さんはどんな修行をしてきたんだ?」

 と聞いてきた。

 関羽は戸惑いながらも聞かれたことに答えた。

 「修行と言われてもな。たいした事はしていない。各地を転々としながら武芸者や力自慢のものと勝負をし、色々なタイプのものと戦う事で経験を積んでいるだけだ」

 「山に篭ったりとかは?」

 「したことがないな」

 関羽が言うと、張飛は腕を組んで難しい顔をして黙り込んでしまった。

 「店主よ」

 これ幸いにと関羽が勘定をしようと再度店主を呼び、

 「あ、おっちゃん。お茶ちょうだい」

 またしても張飛に遮られていた。

 「まだ食うのか………」

 関羽はがっくりとうなだれる。

 「まぁまぁ、これで最後だからさ。それよりも………」

 ここで張飛は言葉を切った。

 関羽が張飛の方を見ると、張飛は何事かを逡巡するかのように視線を彷徨わせている。

 「どうした?」

 関羽が聞くと張飛は意を決したかのように関羽の目を見た。

 「関さん。オレは強くなりたい。オレの親父は強かった。それこそ化けもんみてぇに強かった。けどな、そんな親父も死んじまった。確認はしてねぇけど多分死んでる」

 関羽は黙って聞いていた。

 驚きもなかった。張飛のような少年は今までたくさん見てきたし、恐らく張飛も戦火に巻き込まれてしまった被害者なのだろうという事は容易に想像がついていた。

 「オレは張の姓を名乗ってる。親父の姓だ。親父は強かった。親父の仲間もみんな強かった。だからオレも強くならなきゃいけねぇ。強い人間と関わりを持たなきゃいけねぇ。それが、死んじまった親父にできる唯一の孝行だと思うからだ」

 「………………………」

 関羽は黙って、聞いている。

 「なぁ、関さん。オレは強くなりてぇ。もっと、もっとだ。オレに武術を教えてくれ。さっき関さんは言ったよな。オレには力じゃ敵わなかったって。だから、技を使ったって。だったらよ、だったらオレに足んねぇのは技ってことじゃん? 技を鍛えれば、関さんにも勝てるようになる。頼む、オレに武術を教えてくれ。オレは関さんみたいにはできねぇ。この村の用心棒をやってる。放浪はできねぇ。だから関さん、頼む。教えてくれ」

 張飛は卓に手を突いて頭を下げた。

 関羽に震えが走っていた。これが、これこそが武人なのだ。そう思った。この少年は強くなる。関羽の胸には確信にも似た思いが満ち溢れていた。

 (この者の師となる)

 それは自分には過ぎた事のように思えた。

 まだ自分は若輩だ。その自覚はある。年の離れているであろう張飛に対して力で勝つ事が出来なかったのだから。

 しかし―――。

 想像してみる。

 この少年が技も身につけた姿を。

 力と技が共に最大限に引き出されている姿を

 それを作り上げるのに一役買う、そんな自分の姿を。

 胸が震えた。

 心が躍った。

 恐らくすぐに目の前の少年は自分の力を超えていくだろう。すぐに自分の下から旅立っていくだろう。

 それでもいい、と思えた。

 この少年の大成に自分が最初に関わる。それだけで、叫びだしたくなるほどの光栄を得たと思えた。



 張飛はそろりと顔を上げた。

 ダメでもともとで頼んでみた。自分は弱くて負けた。勝った人間が負けた人間の身勝手な頼みを聞く道理はなかった。

 それでも張飛は頼んだ。

 思い出してしまったから。

 幼い頃に立てた誓いを。

 各地を転々として磨耗してしまった願いを。

 関羽は目を閉じていた。

 さらに全身が震えていた。

 (やっぱり………ダメか)

 張飛は目を伏せ、一瞬の後に上げた。

 「わ―――」

 『わりぃ関さん。やっぱいいや。変なこと言ってすまねぇ』

 そう言おうとした言葉は、

 「引き受けよう」

 関羽から発せられた言葉でかき消された。

 「――――――え?」

 張飛は阿呆みたいに半笑いの表情で固まっている。

 「うむ。お前ならばできる。天下無双も夢ではない。一騎当千も夢ではないぞ! それならば早速表に出ろ。親父勘定だ。何心配するな、張。ここの払いはお前が出世するまで貸しにしておいてやる。大陸全土にお前の名が広まった時に返してくれればよい」

 「――――――はい?」

 ものすごい勢いでそれだけ言うと、関羽は勘定を済ませるために席を立った。

 「え、えーっと」

 置いていかれた張飛は呆然としながら関羽を見守っていた。

 (了承された………んだよな? そうなんだよな? あってるんだよな? 何なんだあの人のキャラ。人の話を聞かない暴走列車かよ。思い込んだら止まれないのかよ。ありゃ? オレ………人選ミスった?)

 「張飛よ」

 張飛がこれからのことを考え、頭を抱えていると後ろから声を掛けられた。

 「んぁ?」

 その声に振り向くと村長が立っていた。

 「………何だよ」

 張飛がぶっきらぼうに聞くと村長はにこりと笑った。

 「まったく、飯は静かに食うもんじゃと何度も教えとるはずじゃがのぅ。通りまでお前さんらの話は聞こえておった」

 「………」

 「お前さんは愛想がいいくせにどこか壁があると思っておったら、まさか有象無象とまで思われていたとはのぅ」

 有象無象。

 どこにでもある、どうでもいいもの。

 「それは………」

 「言い訳はせんでいい。ワシはお前さんのことを息子か孫のように思っとった。しかしお前さんは違ったようじゃ。薄々は感じておったが今日、確信した」

 そこで村長は言葉を区切り、息を大きく吸って―――吐いた。

 「お前さんには村を出て行ってもらう」

 「っ!」

 張飛の大きく見開かれた目を見ながら村長は言う。

 「言いたい事はそれだけじゃ。今日中に出て行ってもらうぞ」



 白い目。周りから向けられるそれは、昔、この村に流れ着くより昔に受けていた目と同じだった。

 (ちぇっ)

 それは劇的な変化だった。

 けれど、

 (しょうがない)

 自分はつい、弾みではあってもそれだけの事を言ってしまった。言わないようにしていた言葉を、この村に来る前までは普通に使っていた言葉を、使ってしまった。

 有象無象。

 どうでもいいもの。

 村の人間は自分のことをどう思っていただろうか。

 友と、息子と、孫と、愛する人と、そう見ていたのだろうか。

 それならばしょうがない。

 そう思っていた人間からどうでもいいなどと言われたのなら、

 そう思ってくれていた人間にどうでもいいなどと言ってしまったら。

 最初に裏切ったのは自分だ。

 裏切った人間に優しく接する道理はない。

 張飛はだんだん早足になり、ついには駆け出してしまっていた事に家に戻ってから気付いた。



 「よろしかったのか」

 関羽は聞いてから意味のない問いだと思った。

 良かったからこの男は行動したのだ。

 しかし、

 「これでよかったのじゃ」

 村長は顔を覆いながら呟いた。

 「言ったじゃろう? 息子のように、孫のように思っておった、と。息子は黄巾に殺された。嫁も一緒にじゃ。孫も………。生きていればあれくらいになっとったじゃろう」

 「ならば尚更………」

 離したくないのではないか。別れたくないのでないか。

 「寂しいからといって、己の子の、孫の立身の邪魔をする事は出来ますまい」

 そう言って覆っていた手をはずした老人の顔には涙の後はもうなかった。

 「そうですか」

 関羽はもう何も言わなかった。

 何か言うべきだったのかもしれないし、言うべきでなかったのかもしれない。

 しかし関羽は何も言わなかった。



 旅支度を整えて張飛は門のところに来た。

 門のところには関羽がいる。

 他はいない。

 「お待たせ、関さん」

 張飛はそう言って片手を上げた。

 「早かったな、もう良いのか?」

 「別れを言う必要もなくなっちまったしな」

 関羽の言葉に張飛は肩をすくめて答えた。

 「ならば行こう」

 関羽が先を歩き門の外に出る。

 張飛も続こうとして、

 「ぢょうびぢゃーーーーん」

 とんでもない声にギョッとして振り返った。

 振り返ると、黄巾に脅された村娘の(れん)が泣きながら走ってきていた。

 (あ、刺される)

 そう思った。

 なんせ裏切ったのだ。

 刃傷沙汰を覚悟した。

 しかし違った。

 張飛に突進してきた蓮はそのまま張飛の事を抱きしめた。

 「やだ! やだやだやだ行っちゃやだぁ! もっと張飛ちゃんと一緒にいたいよ。行かないでよぉ」

 「………………………へ?」

 張飛は何がなんだかわからない。

 (え、なに? 裏切りは? 刃傷沙汰は? どうなってんの? なんで蓮姉ちゃんが泣いてオレを引き止めてんの?)

 張飛は大混乱している。

 「その辺にしなさい、蓮。張飛が困っておる」

 「でもぉ!」

 張飛と蓮を引き剥がしたのは、なんと村長だった。

 「じいさん? 何で………」

 「すまんの」

 困惑する張飛に村長は頭を下げた。

 「おぬしは優しいからな。義理堅くもあるからああでもしないと決心しないと思ったのじゃ。本当なら静かに出て行くのを見守ろうと思ったのじゃがな。こいつが暴走しおってからに」

 言って村長は蓮の頭を小突いた。

 「蓮、言ったじゃろ? 男には動かねばならん(とき)があるんじゃ。それを女が邪魔したらいかん」

 「………………………」

 蓮は下唇をかんで項垂れた。

 「………蓮姉ちゃん」

 未だ混乱から立ち返れない張飛が何とか声を掛けるとその声に反応するように連は顔を上げた。

 「なら―――」

 そして自分の着物の帯を解き、張飛に渡した。

 「これ、持っていって。私だと思って大事にして」

 「あ、あぁ」

 張飛が帯を受け取ると、蓮はまた俯いてしゃくりあげ始めてしまった。

 ―――と。

 「「「「待ったー」」」」

 通りの扉が一斉に開いて中から村中の人が出てきた。五十にも満たない小さな村の全員が集結していた。

 「そういうことなら張坊。この干し肉持っていきな」

 「少ないけどお駄賃よ」

 「おにーちゃん、これあげるー」

 「この服、家の息子のお下がりだけど上げるわ」

 一瞬で人の波に張飛は埋もれ、もみくちゃにされた。



 張飛が解放されたのは半刻が過ぎてからだった。

 関羽はその様子をずっと微笑ましそうに見ていた。

 本来持っていくはずだった荷物の三倍になった荷物を抱えて張飛はお礼を言った。

 「張飛ちゃん、いつでも帰ってきてね」

 蓮が涙声で言う。

 「オホン」

 村長が咳払いをしながら一歩前に出た。

 「張飛、その方、(かん)(うん)(ちょう)様はとてもよく出来たお方だ。ワシらよりもおぬしのことを理解し、そして支えてくれるじゃろう。よいな、その方を武術の師としてだけでなく、兄としても見よ。その方の進む道に間違ったものはないじゃろうからな」

 そう言って村長は張飛を、そして次に関羽を見た。

 「関雲長様、関雲長様もどうか張飛のことを弟として見てやってはくれませんか?」

 「私は構わん。むろん、張が良ければ、だが」

 言って関羽が、そして村長を始めみなが張飛を見た。

 「オレは別にかまわねーけど」

 張飛がそう言うと村長は咳払いをした。

 「なれば、今この時より、(ちょう)(よく)(とく)と関雲長の両名を、この()(ほう)(えん)が立会いの下、義兄弟の契りを成すものとする。両者の名を交換し、今後は両者助け合って生きていく事を誓い給え」

 それを受け、関羽は張飛のほうに向き直った。

 「私は姓は関、名は羽、(あざな)は雲長だ」

 「オレは姓は張、名は飛、(あざな)は翼徳だ」

 名を交換し、二人はがっしりと握手した。

 「よろしく、兄者」

 「うむ。世話になるぞ、張飛」

 こうして二人は義兄弟になった。

張飛:杏仁豆腐美味しい!

関羽:支払いの額に冷や汗。


義兄弟の契りをオリジナル解釈で書いてみた!

三点リーダー、表記ゆれの修正、ルビの追加を行いました(2024年8月8日)。

表記ゆれ修正(2024年8月9日)。

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