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特に意味もなく嘘をつく  作者: ひとり
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ふたつめの嘘

 嘘を誰の為につくかというと、大体は自分自身の為である。

 どんなに利他的に見えても人間の行動はすべからく、自分自身の為であると私は信じる。

 人間という生き物は、根本的に自己の世界の内側で生きるしかないのだから、嘘もまた自分自身の為につくのであるはずである。

 ただし、他の行動と違って上手な嘘には結果的に利他的な部分が多い。

 何故なら上手に嘘をつく時は自分自身や、この世界の真理のようにみえるものすら欺くからである。

 嘘をつき続ける男の話には、こんなものがある。


 男には家族がいる。

 男も人間である以上、無から生まれ出る訳もなく両親がいた。

 男本人も妻をめとり、子をなしていくという生物としては、ごくごく当たり前の行為をしていた。

 普通と違うのは、男は家族を愛しながらも物理的にも精神的にも距離をおくようにしているところであろう。

 妻や子と仲が悪い訳では無い。男も妻も子も、それぞれがそれぞれを愛している。

 こう言えるのは男が愛とは何かを知っているからである。

 愛とは何であるか?

 単純な言葉を男から一つ借りる。

 「愛とは見返りを必要としない豊かな関係である。」

 嘘であろうと、互いに見返りを必要としない豊かな関係があるなら、そこには愛がある。

 男にはあふれんばかりの愛があった。

 勿論、嘘の愛であるが現象として現れるものは物理的な行為を伴ったものしかないのであるから、結果として、そこには愛があふれるしかないのである。

 真なる善と、偽善とが同じ行為を行うなら、それを見分ける方法は人間にはないのである。

 では、男には心の底から愛したものや、人物は存在しなかったのかというと、そうではない。


 それが愛だったのかは男にも分からない。

 見慣れた風景の中で、見慣れたはずの彼女が振り向いた瞬間、男は彼女を心底愛してしまった。

 男がいずれ老いさらばえて数々の記憶が色褪せていったとしても、あの日、あの瞬間は輝き続ける。

 

「こんにちは、きよちゃん」

 きよちゃんは元気よく振り向き、挨拶を返してくれながら、にこにこと笑っている。

 その瞬間に男はきよちゃんを愛してしまった。

「ここ座る?」とも言わずに席をあけてくれたので、そこに座る。

 狭い部屋は既に人で一杯なので、ひとめぼれの次の瞬間に訪れた、彼女の隣に座れる幸運をかみしめつつ、その日はもう何も覚えていない。

 ただ彼女がいた日である。

 さて、この狭い部屋であるが、同年代の若者が集い、あれやこれやと話をしにくる場として機能していた。

 ここで、多くのものが将来を見定め、一時の恋人や、友人、時には生涯の友や伴侶と出会ったりもする。

 あえて場の特定はしない。よほどの不運な巡り合わせでも無ければ、誰もが人生のある時期を似たような場で過ごすのだ。

 ひとめぼれしてから、しばらくした頃に男は彼女から相談を受ける。

 彼女には壮大な夢があったのだ。

「世界を平和にするには私はどうしたら良いと思う?」

 男は返事を迷った。それは人類が人類である限り、不可能に近い事であるからだ。

 迷いながらも男は答えた。

「ただ、きよちゃんの心のおもむくままに生きればいい」

 その時の彼女の残念そうな、それでいて美しく、儚い顔を男は記憶する事がどうしても出来なかった。

 彼女は、この質問を誰にでもしていた訳では無い。男の他には、二人だけである。

 もしかしたら、その3人の誰かなら有益な答えを得られるのかも知れないと彼女は考えていたのかも知れない。


 そのうちの一人は、男の親しい人間であった。

 彼は端正な顔立ちをしており、優しく楽しい人物で、女性によくモテた。

 もう一人は、少し年上の男性であった。落ち着きがあり、信用の出来そうな人となりであった。

 数ヶ月して、親しい方の人物が、男に告げてきた。

「俺はきよちゃんが好きだ。告白しようと思っている。」

「そうか、きよちゃんは良い人だよね。俺も好きだよ。」

 男はそう答えた。

 きよちゃんが幸せになるのかどうかは分からないが、確実に不幸になるとも思えなかったので、励ましの言葉もかけた。


 更に数日して、親しい方の人物が男に声をかけてきた。

「振られたよ」

 この人物が振られたという話を男は聞いた事が無かった。

 きよちゃんは彼ではなく年上の人物を愛しているのか、あまりにも巨大な愛ゆえに誰か特定の個人を愛する事が出来ないのか、男自身を愛しているのか、と男は考えた。

 だが、答えは出ない。

 数年の時を経て、きよちゃんは年上の人物も振ったらしい事と、未だに誰とも付き合ってすらいない事を男は知る。

 さらに数年の時を経て、男が偽りの愛の中で妻を得た頃に、きよちゃんはまだ誰とも付き合っていない事を知る。


 そして、十数年の時を経て、男の子どもが大きくなった頃に、男はきよちゃんが未だに一人である事を知る。

 きよちゃんが世界の平和を愛しているのか、男を愛しているのか、それは誰も知らない。

 男は告白すらしていないからである。

 そして、それで満足しているのである。

 きよちゃんの壮大なる夢が叶えば良いのにと、男はただ願うばかりである。


さて、今宵も眠たくなって来た。気が向けばまた男の話をしたいと思う。

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