ひとつめの嘘
昔から特に意味もなく嘘をつく男であった。
本人にも何故なのか分からない。
あるいは、全ての人間は意味もなく嘘をつき続けるものかなのかも知れないと男は思う。
最初の印象的な嘘は記憶喪失であった。
小学生の頃である。ふと記憶喪失になりたくなった。
なので、記憶喪失のふりをした。
友人は面白がり、先生は呆れていた。それでも記憶喪失のふりをし続けて、その日は終った。
記憶喪失のふりをしてみて分かった事は、記憶を失くす事など対して面白くないだろうという事だった。
それからは面白い嘘が良いとは思ったのだが、結局の所、意味もなく訳もなく嘘をつき続ける人生を送る事になる。こうなると、これはもう男の個性とでもいうものなのかも知れない。
しばらくは、大した嘘もつかずに過ごしていたが、長ずるにつれて、詐欺を働くようになった。
といっても、別に金が欲しいわけでもない。
ただ嘘をつきたいのだ。
あたかも大金が手に入るような嘘を他人に吹き込むと、面白いように金が入ってきた。
男は手入れた金自体をどうこうする事もなく、ただただ漫然と嘘をつき続ける。
もっと、もっともっと、もっともっともっと 嘘をつき続けたい。
そうこうしている内に男の嘘は磨かれていくのである。
さて、ここで嘘の本質というものを考えてみたい。
日本語に限る話ではあるが、嘘とは古語のウソブクが転化したものである。
ウソブクとは何かを真似たり、隠したり、大げさな言葉をはくといった使われ方をするのだが、多分に呪術的な意味もある。
そこに無い何かを、あたかもあるかの如く語る事により、言葉を言にするのである。
言は事である。つまり事実である。
呪いと祝福は同一の根源をもつ。
嘘も方便なら祝福になり、嘘つきは泥棒のはじまりなら呪いとなる。
嘘とはことわざからしても、あまり悪い意味合いばかりでは無い。
そもそも、あらゆるフィクションを嘘だとして禁止してしまえば、何とも味気ない世の中になってしまう。
では、詐欺などの悪意ある嘘は駄目で、フィクションと呼ばれる娯楽としての嘘は良いのだろうか?
この男の嘘は例えそれが詐欺であったとしても良いものになるのかも知れない。男は決して金目当てではなく、また誰かを貶めたくて詐欺を行うのでもない。
時には、誰かを儲けさせる為にも詐欺を行うのである。
儲けさせる詐欺と聞いて不思議に思う方もいるだろうから、男が他者を儲けさせる為に行った詐欺の話をしよう。
ある時、男はふとした事で知り合った男性に「株をやっている」という話しをした。
実際には株を取り扱うための口座すら持っては居なかったのだが、株という現象の事は熟知していたので、大体の予想は当たり続けた。
数年の間、そのようにして男性の信用を得た後、「この株は必ず3倍から4倍になるので買うと良い」とすすめた。
勿論、必ず上がる株など無いのだが、男性が購入してから一年程で、その株は倍になった。
こうなると男性は男の言葉を信じるようになり、男の言葉をまるで予言かの如くに扱うようなった。
そして、倍になった所で「ここから2割から3割程値を下げるので、一度売ってから2割程下がった所で買い直しなさい」と指示をして、これまたその通りになってしまった。
こうなるともう男性にとっては、男の言葉を真理そのものとなる。そして周囲にまで、「これは私の師が五割増、もしくは倍になると言っている株である」と言いふらすようになった。
男性は信用のある人物だったのだろう。男が指定した株はいよいよ熱をもって買われだし、最終的には4倍以上の値を付けた。
そして、大金を手にした男性に対して男は「君も中々儲けたようだね」と言いい、自分は更に儲けたかの如くにふるまい、繁華街にて一晩豪勢に飲み食いさせてやったのである。
世の人の大半には男の行為が分からないであろう。
そもそも、そんなに株で儲ける能力があるのなら、詐欺など行わなくてもよいのではないかと考える方もおられるだろう。
もっと言えば、そんなに他者を欺く事が出来るのであれば、世の中を良くする方向でも十分に活躍出来るのではと考える方もおられるだろう。
だが、嘘とはそういうものでは無いである。
嘘とは人が長い時間を生き抜く為に、必要としてきたものであり、それがあるからこそ存続しえたものであるのではと男は思う。
嘘とは人間にとっては快楽であり、危機を回避する為のものであり、愛であり、社会を維持する為に必須のものなのでは無いかと男は思う。
男は何もしない、ただ嘘をつき続けるだけである。
就職し、結婚し、子供を産み、他者から夫や父親や友人だと思われつつ、実の所は何者でもない自分自身を心底理解しているのである。
さて、今夜はもう眠くなった。私の気が向けば嘘をつき続ける男の別の話をしにくる事にしよう。