第3話
10月3日分
目がかゆい。今の季節って花粉飛んでたっけ?
寝てばかりいると体力はどんどん衰えていく。あまり派手に運動できる体ではないけれど、時折外を出歩かなければ逆に体に悪いというものだ。私は月に数度、姉の許可を貰って西門の外側にある大きな樹の下まで出向いていた。
大人の男が十人で囲んでも一周できるかどうかという太い幹を持つこの大木。穏やかな眠気誘う風が吹く季節には色鮮やかに花が咲き誇り、世界中の花がこの大樹一本で見られると外界から多くの人がこぞって見学に来るほど有名だった。
ただ、私にとってはそれほど思い入れがあるわけじゃない。こうして時折訪れる場所に選んでいるのは、家から近いからとこの大樹の周りはとても空気が澄んでいて木陰が心地よいからだった。本当に、なんとなく。家の周りが騒がしいだけであって、街の中にも静かに本を読むことが出来る区画はいくつかある。年中この大樹の周りに人が集まっていれば、今頃私はその区画に赴いていただろう。これは偶然が重なった末の結果、のはずだった。
「すまない、少し尋ねたいのだが、いいだろうか?」
「はい?」
ガッチャ、ガッチャと音を立てて本を読む私に近づいてきたのは見知らぬ甲冑を来た兵隊さんだった。戦場帰りを想像できるほどボロボロになった甲冑。背中には私の背丈ほどの盾を二つ。腰に騎士の象徴である剣は無いし、魔士の象徴である杖も見当たらなかった。
様相は威圧的に映るが、どこか小動物を思わせる雰囲気。とって食われるんじゃないかという心配事は、彼のオドオドとしたその態度で霧散してしまった。失礼にならないように笑いをこらえることで必死になってしまう。
「えっと、だな。探し物をしているんだ。あぁ、人でな。探し人。依頼されて人を探している最中なんだが」
「はぁ」
どうにも彼は人と会話することがあまり得意ではないらしい。話すことは分かっていてもどう話していいか分からないといった様子で身振り手振りを加えながら同じことを何度も口走っていた。このまま迷走し続けても本題に入る前に憲兵につかまりそうだ。ほら、後ろで笛を鳴らそうかとこちらの様子を伺っている門番さんの姿がちらついている。
「人を探しているのは分かりましたが、それで誰を探しているのですか?」
「あ、ああ。リスリアという名だそうだ。だそうだ、というのは依頼人から聞いたからであって依頼人も風に乗ってきた噂で耳にした程度なので正確な名前か定かではないらしいのだが……。この街にいるだろうか。なんでも誰もが見惚れる程の美女らしい。ん?ああもしかして貴女がその噂で流れる美女のリスリア殿か?」
「ええっと……」
早口でまくしたてられたものだから情報が渋滞している。本を読むことは好きだが、頭が賢いわけじゃないのだ。
落ち着いて深呼吸。断片的に聞き取れた内容を頭の中で反芻して兜に開いたスリットの奥で泳いでいるだろう彼の目を見つめ返す。すると、仰々しいまで全身を鈍色の甲冑で囲った彼が身じろぎした。どうして彼が身じろぎする必要があるのか私には分からない。
「私ではありません。そのリスリアという人になんの用なんですか?」
「ううむ、私の主人が手紙を届けろと言ってきたのだ。噂をまた聞きしただけなので届けずに帰ってもいいそうなのだが帰ってくる条件としていい知らせを一つ持って来いと命令された。だから実在するならば手紙を渡し出来れば返事を貰いたかったのだが……」
彼の態度も言葉も嘘をついているとは思えなかった。人と言葉を交わす機会が少ない私でもそんなことを思える程に、目の前でバタバタする彼は可愛らしい。きっとせっかちな人は彼の態度に苛立って怒鳴るんだろうな、なんて考えながら立ち上がる。
立ち上がると、彼の背の高さを再確認することが出来た。私の頭がある場所は甲冑の胸元辺り。こんな背丈の人は果物売りのおじさん以外に見たことが無い。中にはどんな人間が入っているんだろう。これでもし、巨漢と呼ばれるような人物が入っていたら私は笑いをこらえられないかもしれない。
「分かりました。案内しますね。ついてきてください」
「ほ、本当か!? 感謝する! この通りだ、ありがとう!!」
足にくっつくぐらい深くお辞儀をする彼。すると、兜がポロリと外れ私の頭を唐突なデジャヴが襲った。
「ぷ! ふふ、ぁはは……」
「? お、おい、何故笑う?」
私は肩を震わせながらごめんなさいと一言、深呼吸して案内を始めた。
今日の筋トレ日記
腕立て伏せ:30回
腹筋:30回
背筋:30回