第8回配信 キュン死ふたたび
次の日は土曜日で、学校は休みだった。
僕はお菓子を持参して、昼過ぎにエリスの家に行った。
エリスは、お父さんにやり方を教わって、ライブ配信の宣伝と告知を済ませたということだった。
「覚えることがたくさんあって大変。ゲームの実況中に、ハイライト動画をつくったりとかね。パパは、慣れたら楽勝とか言ってたけど」
「そりゃああの方は、天才だからなー」
エリスの部屋の壁には、ユメエリちゃんねるの心得5箇条が、さっそく貼ってあった。
「ユメオのお父さんとお母さんは、Vチューバーをやってることに賛成してくれてる?」
「いやいや、なにも言ってないよ。自分の顔を出すわけじゃないし、黙ってればバレないかなって」
最近は、親に自分のことをあまり話さなくなっていた。思春期ということもあるが、そもそもが、シャイな性格なのである。
「でもなにも言わなかったら、怪しまれるんじゃない? 毎日帰りが遅くなるんだから」
「大丈夫だよ。夕飯までに帰れば」
そんな他愛のない話をしたり、他人の動画を観て感想を言い合ったりしているうちに、配信の時間が近づいてきた。
「そろそろ4時ね。準備はいい?」
「うん。あのさ、セーブからじゃなくて、もう1度スタートから始めてもいい?」
「あ、そう? また死んで転生しなきゃいけないけど、いいの?」
「前回がグダグダだったから、やり直したいんだよ」
それは嘘ではなかったが、真の理由は別にあった。
(ゲームの中の「エリス」と本物のエリスは、見た目は同じでも、なにかがちがうと感じた。それがなにかを、再び会って確かめてみたい)
僕はエリスのベッドに横になり、ベッドギアを被った。さあ、今からキュン死するぞーーと思うと、少しドキドキしてきた。
右耳のところのボタンを押す。ゲームスタート!
* * * * *
「ケーキ食べる? 甘いの大丈夫よね」
と、エリスのお母さんが言った。
(あれ?)
僕はキツネにつままれた思いだった。前回のスタートは放課後の教室だったのに、今回はエリスの家のリビングだった。
「動画を観せてもらったわ。剣士になって蛇を退治したところ、とてもカッコ良かったわよ。私、ユメオ君のファンになりそう」
「…………」
実際の会話が再現されている。どうやら転ゲーのスタートは、プレイヤーの記憶にある場面で形成されるらしい。しかしこれだと、エリスのお母さんの顔がライブ配信されてしまっている。
「エリス、お母さんの顔、今すぐアバターにして!」
「どのケーキがいい?」
僕の心臓が波打った。目の前に、かつて憧れていた往年のアイドルが立っていたからだ。
と、その瞬間、アイドルの顔にモザイクがかかった。
「?」
〈ユメオ、聞こえる?〉
視界の右上に、宙に浮く「エリウサ」が出現し、ヒゲをピクピクさせながら話しかけてきた。
〈視聴者の皆様に、状況を説明してください。ユメエリちゃんねるの心得第2条、初めて観る人にもわかりやすく実況する、ですよ〉
「んなこと言われたって」
僕はモザイク人間にコーヒーを淹れてもらい、どうもと会釈した。
「僕にも状況が呑み込めてないのに、わかりやすく実況なんかできないよ」
〈ユメエリちゃんねるの心得第1条、まずは自分たちが楽しんで、明るく元気に配信する。ユメオ、もっと楽しんで!〉
「それはわかってるけど、混乱してるんだよ。このモザイクはなに?」
〈ああ、それは、肖像権の侵害になるからよ。ユメオ、ママの顔を往年のアイドルにしちゃったでしょ?〉
「僕の意思じゃないよ。でも前回の配信でも、エリスの顔を今をときめく女優にしちゃったけど」
〈パパに肖像権のことを指摘されて、昨日の夜に動画を編集しておいたから大丈夫。えー、視聴者の皆様、将来転ゲーが発売されたときには、個人で楽しむぶんには実際のアイドルが登場してもいいですが、このようにゲーム実況を配信するときには、肖像権の侵害がないように十分ご注意ください〉
「て、偉そうに言ってるけど、さっき一瞬映ったからね。もー、またグダグダになってきたよ」
〈ユメオ、実況お願い〉
「えー、転ゲーモニターのユメオです。ゲームをスタートさせたら、なぜかエリスの家に来てしまいました。これはゲームに搭載されたAIが、僕の記憶を探って、勝手にその場面を選んだからであります。勝手にというのは、僕は本当は放課後の教室に行きたかったからです」
〈なるほど。転ゲーのスタート場面は、プレイヤーの記憶の中から、ランダムに選ばれるのね?〉
「そのようです。なので意外性はありますが、少々戸惑っております」
〈ユメオ、固いわよ。もっとリラックス〉
「えーと、ここはリビングで、エリスのお母さんが僕にケーキとコーヒーを振る舞ってくれています。これは現実にあったことの再現です。ただしお母さんの顔は、僕の願望が反映されて一瞬だけ往年のアイドルになり、先程エリウサが言った理由でモザイクがかかりました。どうぞみなさん、一瞬映ったアイドルの顔を、拡散なさらないようお願い申し上げます」
「さあ、コーヒーが冷めるわよ。どうぞ召し上がってください」
モザイク人間が、しきりに勧めてきた。そこでまず、コーヒーを一口啜ってみた。
「みなさん」
僕は感動が湧きあがるのを覚えながら、人生初の食レポをした。
「これは完璧に、コーヒーであります!」
〈ユメオ、当たり前なこと言わないで。全然伝わらないわよ〉
「もしみなさんが転ゲーをやる日が来たら、なにをおいてもまず、飲食することをお勧めします。ゲーム内で飲んだコーヒーは、現実とまったく同じ風味を持ち、熱い液体が食道をくだって胃に到達する感覚もバッチリあります。もう一口飲んでみましょう。うん、コーヒーだ!」
〈ユメオ、コーヒーはもういいから、ケーキを食べて〉
「ではいよいよ、イチゴのショートケーキをいただきます。思い切って、イチゴからいこうかな……わっ!」
〈どうしたの?〉
「粒々が、つぶつぶしてます! それを舌先でチョロチョロやって、しっかり確認いたしました!」
〈いやらしい食べ方しないで、普通に食べてよ〉
すると僕は、なぜかケーキを食べるのをやめて、モザイク人間に向かって頭を下げた。
「お母さん!」
(あれ? なんで僕、こんなことしてんの?)
「お母さん。僕は絶対に、浮気はしません。お酒もタバコもやらないし、ギャンブルもしません。見た目は平凡で、頼りになるタイプでもないし、100パーセント幸せにするとも言い切れないですけど、誠実に生きることは約束します。だからどうか娘さんを、どうか僕の、僕のお嫁……」
ダーッ!!
マズい、これ、僕の夢じゃんか! AIのやつ、勝手に僕の夢をゲーム内で実現させやがった!
僕はパニックになって、テーブルをひっくり返し、モザイク人間に飛びかかって抱きついた。
(あ、憧れのアイドル……マジ? なんて柔らかいんだ。うわあ)
キュン。
僕はキュン死した。