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31/43

第31回配信 学校にて

 転ゲーは、究極にリアルなゲームである。


 女性が飴を舐めればチュッチュと音がし、豪速球がバットをかすめれば、ツーンと焦げ臭い匂いがする。


 そうすると、ゲームをやめて現実に戻ったとき、音や匂いに対してやけに敏感になったりする。


(世の中って、こんなに音や匂いで充ちているのか。今までそれを当たり前のこととしてスルーしていたけれど、毎日転ゲーから刺激を受けるうちに、日常の音や匂いをやたらと面白く感じるようになった)


 例えばコーヒーである。


 転ゲーの中で嗅いだ匂いと、どうしても較べるようになった。


 そして、その微妙なちがいに気づくと、


(うん。やっぱり現実のコーヒーのほうが、匂いが複雑というか、いろんな分子が混ざっている感じがする。気のせいかもしれないが、ゲーム内で再現された匂いより、深みや奥行きがあるようだ)


 と、このように、コーヒー一杯飲むにしても、前よりも楽しみが増えた。まあ所詮は、インスタントコーヒーだけど。


 しかし問題もある。


 それが、エリスの部屋でした失敗だ。


 エリスがトイレに立ったとき、イケナイことだが、僕はオシッコかなと考えた。


 すると僕の耳は、聴こえもしないジョボジョボという音を聴き、僕の鼻は、漂いもしない甘酸っぱいアンモニア臭を嗅いだ。


 転ゲー病である。


 いや、なにも転ゲーを経験したら、誰もがそういう病気になるわけじゃない。あくまで柏木ユメオの個人的なケースである。


 僕はおそらく、音フェチ&匂いフェチだったんだろう。自分でも気づかなかったその性癖が、転ゲーで音や匂いのバーチャル体験をしたことをきっかけに、きっとダイナミックに開花してしまったのだ。


 僕はたまらなくなり、エリスの布団に顔を突っ込んで、思い切り匂いを嗅いだ。


 それをエリスに見られた。


 僕は激しく動揺した。


 そのあとの記憶は、定かではない。


 気がついたら、僕はエリスに向かって、


「好きな子のオシッコの音と匂いが好きだ!」


 などと、いささかハードな告白をし、部屋から追い出される始末となった。


 その夜は後悔から、眠れなくなった。


 なぜあんなことを言ったのか。


 僕はエリスを真剣に愛している。大げさでなく、貴重な宝物のように思っている。


 だからこそ、簡単に付き合おうとはしてこなかった。告白するなら、Vチューバーとしてさまざまな困難に打ち克って成長し、エリスのパートナーに相応しいと自分自身で思えるようになってからと考えていた。


 しかし僕は、そんな立派な人間ではなかった。


 性癖が開花すると、あっという間にそっちの方向に引っ張られた。


 理想と現実はちがった。


 僕はエリスの音や匂いに興奮し、理性を失いかけた。


 まるで動物だ。これが男の本能なのか、思春期の一時的な反応なのか、それとも僕という人間の利己的な一面の表れなのか、それはわからない。


 わかっているのは、頭では大切にしたいと思っているエリスに、手を出したい欲求が急速に膨らんでしまったことだ。


 そういう自分に、嫌気が差した。


(僕はエリスに相応しい人間ではない)


 と思うと、身を裂かれるように苦しかった。


(現実は否定できない。自分の心を探れば、エリスをそういう目で見ていることは確かだ。それを理性で我慢していただけだ。しかし昨日は、その理性に綻びが出た。果たしてこんな状態で、さもなにごともなかったかのように、しれっとした顔でエリスの家に通っていいものだろうか?)


 いや、そういうわけにはいかないと、僕は結論づけた。


 すでに性癖を告白したのである。


 それに対してエリスが、


「生理的に無理っ!」


 となれば、Vチューバーのコンビは解散だ。


 最悪の結末である。もしそうなったら、僕は放浪の旅に出よう。


 そして旅先で、おんなじような性癖の女と出会い、似た者同士のカップルになればいい。うん、それなら誰にも迷惑はかけない。


 と、想像したら、たまらなく悲しくなった。


 結婚の対象に、エリス以外の女性を想像することは、悲しみでしかなかったのだ!


 ましてやその相手が音&匂いフェチ……僕は自分のことは棚に上げて、そんな女性は尊敬できそうもないと思った。


 僕はハアーッと深いため息をつき、重い足取りで学校に行った。


 いつものように、エリスのほうが先に教室に来ていた。


 チラッとこっちを見る。


 が、すぐに目を逸らし、仲の良い女子との会話に戻った。


 僕の全身はスーッと冷たくなり、貧血患者のように、ほとんど倒れ込むようにして席に着いた。


(終わった……)


 エリスの一瞬の表情で、それを悟った。


 あの冷たい目。あれにはもはや、


「今日も配信頑張ろうね!」


 というメッセージはかけらもなく、


「オシッコ野郎。不潔」


 という、人を見下げた感情を隠しもしない、冷酷さだけがあった。


(決めた。今夜荷物をまとめて旅に出よう。不潔なオシッコ野郎には、不潔な場末の女がお似合いなのだ)


 僕は真っ暗な気持ちで、未来を想像した。


「あんた」


 頭にカラーを巻いた、体型の崩れたネグリジェを着た女が、煙草臭い息を吐いて言う。


「オシッコ嗅ぎたくなっちゃった。トイレのドア開けてしておいで」


 僕は机に突っ伏して、頭を抱えた。


「なんだ、頭痛か、ユメオ?」


 梅村リョータの声。僕は顔をあげて、ゆるゆると首を振った。


「別に」


「暗いな。あれか、ゲーム実況の編集で寝不足なんじゃない?」


「いや、編集は、全部エリスがやってくれてる」


「ご苦労なこったな。ところでどこまで行った?」


「どこまで? 今は野球場だけど」


「観に行ったの?」


「観にっていうか、転ゲーの設定で、プロ野球選手になったから」


「バカ。そういう意味じゃねーよ。エリスとはどこまで行ったかって訊いたんだよ。キスくらいはしたろ?」


「なに言ってんだ」


 聞かれたらどうするんだと思い、僕はリョータをにらみつけた。


「そんなんじゃないって言ったろ。エリスの親もいる家に行ってるんだぞ」


「バカだな、おまえ。エリスだって女だぞ。期待して待ってるに決まってんじゃん」


「待つって、なにを?」


「おまえから積極的に行くことをだよ。なんにもしなかったら、しまいにはガッカリされて、別の男に気がいくかもしれないぞ」


「勝手に変な想像をするな。今はお互い配信に必死で、雑念なんか入る余地はないんだよ」


 チャイムが鳴り、その会話は終わった。


 がしかし……


(エリスだって女だぞ。期待して待ってるに決まってんじゃん)


 リョータの声は頭にいつまでも残り、僕は授業中、ずっと雑念に支配されつづけた。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 私、飲んだことはないんですがお嬢様聖水なるドリンクがありまして、それを思い出してしまいました(^_^;) やはりデリカシーは大切ですね!
2021/04/24 22:55 退会済み
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