第3回配信 異世界は恐怖でしかない
キュン死の経験を、言葉で表現するのは難しい。
「あっ」
て思って、
「死ぬか?」
てなって、
暗転。
無理に再現するなら、こんな感じ。もちろん文才があれば、もっとわかりやすく伝えられるんだろうけど。
まあ、ありきたりの結論を言うと、どんなことも、経験した人にしか本当のところはわからない。キュン死がどういうものかは、キュン死した人間(僕のほかにいるかな?)にしか理解できないのだ。きっと。
ともあれ僕は、無事に死んだ。〈異世界転生ゲーム〉の第一関門というか、最初のイベントを通過したのだ。
さて。
僕が心の中でこんなことを考えられるのも、僕が死んで生き返ったからだ。
つまり転生。
転生の経験は、どうってことない。死んだように眠ってから、朝だか夜だかもわからずに目覚めた感覚と、まったく一緒だからだ。
(あれー、僕いつ寝たんだろう。今何時だ?)
こんな経験は誰にでもあるだろう。すなわちコレが、転生の第一印象。
そして次に思うことは、
(ココどこだ?)
こんなところで寝た憶えはないぞ、という違和感に戸惑う。
むろんそこは僕の部屋ではなく、室内ですらない。
ギラつく太陽に、目を細める。
ワーワーという歓声。
妙な服を着た人間たちが、遠巻きに僕をぐるっと囲み、何語かわからぬ言語で興奮してわめいている。
その数、ざっと数万。
僕は、自分の右手を見た。
(む?)
重そうなロングブレードを握っている。いや、事実重い。
(そうか。僕は剣士に転生したんだな)
ということを理解したとき、初めてそこが、どのような場所であるかがわかった。
闘技場だ。
おそらく広さは、観客を10万人収容できるスタジアムくらいあるだろう。その中央に、僕はブレードを持ってポツンと立っている。
(古代ローマのコロシアムみたいだな。ということは、僕はこれから誰かと闘うのか?)
胸元の大きく開いた布製の服のあいだを、風が吹き抜けていく。その風に、砂っぽい異国の匂いを嗅いだ。
(風が産毛をくすぐる感覚といい、砂の細かい粒子の匂いといい、どこまでリアルなんだ。エリスのお父さんは、正真正銘の天才クリエイターだな)
しかし……
確かエリスは、こう言っていた。
『なんせ体感がリアルだから、剣で斬り合ったり竜の火炎攻撃を受けたりしたら、心臓の弱い人は危ないでしょ? だから、ゲームの中で転生する異世界は、基本的にほのぼのしてるみたい』
転生したらいきなり闘技場の真ん中にいるのを、ほのぼのと呼ぶのか? 僕はそう思わないぞ!
と、エリスとエリスのお父さんに文句を言ってやろうと思ったとき、視界の右上に、ウサギの着ぐるみを着た女の子が出現した。
〈えー、ユメエリちゃんねるをご視聴のみなさま。エリウサです。どうやらユメオは、剣闘士に転生したみたいです。顔はまたしても、おや、イケメン! しかもなかなかのマッチョ。アバターの容姿に、ユメオの願望がよく現れていますねー〉
「おいおい」
僕はそのとき、自分が剣闘士であることを忘れて、素のユメオで「エリウサ」に言った。
「僕は闘技場で闘いたいなんて思ったこともないぞ。この転ゲーは、AIがプレイヤーの願望を読みとって、その人の夢を叶えるようにプログラムされてるんじゃないのか?」
〈そうだけど、プレイヤーの願望ばっかり優先して、視聴者様が面白くなかったらダメでしょ? だから、モードを少し高く設定したの〉
「なに、モードって? 初めて聞いたけど」
〈6段階あるわ。ビギナーモード、ノーマルモード、ハードモード、ウルトラハードモード、マスターモード、鬼畜モード。これは上から3番目の、ウルトラハードモードよ〉
「勝手にウルトラにしないでよ! 最初なんだからビギナーでいいでしょ!」
と、つい声を荒らげて怒鳴ったとき、視界の左上にチャットが表示された。
♠︎名無し:鬼畜モードでお願いします。
「ほらあ」
僕は、宙に浮いて変なダンスをしているウサギのアバターに向かって、ブレードの切っ先を突きつけた。
「そんなこと言うから、視聴者様が期待しちゃうじゃない。今後僕のことは、心臓の悪い80歳のおじいちゃんだと思ってくれ」
〈名無し様、貴重なメッセージをありがとうございます。では一瞬だけ、鬼畜モードにしてみましょう〉
「コラッ! 僕のことはガン無視か!」
すると突然、ガタンという音が聞こえた。
「なな、なんだ?」
ビクッとして後ろを振り向く。
そこには巨大な鉄のゲートがあり、それが軋みながらゆっくりと開いた。
「……あ、あ、あ」
ゲートの奥には、カバくらいのサイズの大蛇がいた。
そいつは、細くつり上がった邪悪そうな目で僕をにらむと、
「シャー!!」
うなり声をあげて、猛スピードで地を滑ってきた。
「うわああああああああ!!!」
僕は腰を抜かした。あと1秒で蛇に喰われる! もうダメだ!
大蛇が視界を塞ぐほどに迫り、真っ赤な大口をくわっと開けた。
パクン。
僕は丸呑みにされた。
(やられた。ゲームオーバーか?)
そう思った。が、僕はまだ生きている。どうやらこの転ゲーは、蛇に喰われたくらいでは、ユーアーデッドとならないらしい。
蛇の内側は暗い。生あったかい。ぬめぬめしている。そしてギューギュー圧迫してくる。
イカン。このままじっとしていたら、消化されてしまう。
僕は蛇の消化管に押し潰されそうになりながらも、なんとかブレードの切っ先を垂直にして、上に向かってエイと突きあげた。
すると、堅い肉と皮を突き破る感触があり、外の光が射し込んできた。
「よし!」
僕は渾身の力をこめて、ブレードで蛇の身体を真っ直ぐに裂き、切り口を両手で広げた。
「やった!」
見事、大蛇の体内からの脱出に成功すると、観客たちの悲鳴が聞こえた。
「今度はなんだ?」
客の視線を追って上を見あげると、オレンジ色に輝く火の球が、空から降ってくるところだった。
「うわあ!」
それは闘技場に落下し、その爆風で、僕は大蛇と一緒に吹き飛ばされた。
(わかったぞ。これはメテオだ!)
鬼畜モードに設定すると、次から次へと強力な攻撃が襲ってくるのだろう。これでは文字通り身が持たない!
「エリス、鬼畜モードは中止だ! 今すぐビギナーモードに切り替えてくれ!」
〈ユメオ、上!〉
エリウサの声で空を見た。新たな火球が10個ほど、グングン地上に迫ってくるところだった。
「……鬼畜モード考えたやつ、バカだろ?」
つまりエリスのお父さんだ。僕はもう、逃げるのを諦めて、身体を丸くして地面にうずくまった。
(ああ、もうすぐ死ぬ。メテオにやられる瞬間って、むちゃくちゃ熱いのかな。それとも即死して、なにも感じないのか。いや、即死のコンマ1秒が、永遠にも感じられるのかもしれない。身体が焼け、全身火傷の痛みに苛まれ、肉や骨が溶けて蒸発する感覚が、永遠にずっと続き……)
「あ」
うずくまった体勢になったら、足元に赤い光が灯っているのが見えた。
「思い出した。これを踏めばゲーム終了できるんだ」
それを踏むのと、メテオが墜落するのが、ほぼ同時だった。
僕の身体は炎に包まれた。