第2回配信 死に方は選びたい
「異世界に行ってみない?」
と、榎田エリスは言った。
(あれ?)
僕はキツネにつままれた思いだった。確かエリスの部屋で、ヘッドギアを被ってベッドに横になっているはずなのに、なぜか高校の教室に戻っている……
「どういうこと、って訊いて」
エリスが囁き声で言う。そのイタズラっぽい顔を見て、僕はハッと気づいた。
もうゲームは、始まっているのだ!
エリスの説明では、この〈異世界転生ゲーム〉は、五感すべてでバーチャル体験ができる。つまり、現実とまったく同じように見え、聴こえ、触れ、嗅げ、味わえるのだと。
今、僕が見ている教室も榎田エリスも、現実のそれと1ミリのちがいもない。
それなのに、これはゲームなのだ!
(このAI搭載のヘッドギアは、なんと恐ろしい代物だろう。これが現実でなかったら、いったい現実とはなんなのか……)
僕の脳は、完璧に騙されていた。それはもはや、ゲームを愉しむとか感動するとかいうレベルではなく、自分自身が崩壊するような恐怖体験でしかなかった。
「ごめん」
僕は目の前の「榎田エリス」に、頭を下げた。
「僕にはこのゲームは向かないみたい。リアルすぎて怖くなっちゃった。とても先に進めないから、やめることにするよ」
「大丈夫よ」
「エリス」は本物そのままに、クスクス笑った。
「パパの同僚でテストしたときも、最初はみんなそう言ったんだって。でもすぐに慣れて、夢中になったそうよ」
「慣れるかなあ……自慢じゃないけど、僕ビビリだから」
「それにもう、これはライブ配信されてるのよ。せっかく視聴してくださっている方がいるのに、スタート地点でやめるのはねえ」
「なんだって?」
僕は「教室」で、ピョンと飛びあがった。
「僕はまだ、アバターになってないよね? てことは、素顔を観られてるってこと?」
「心配しないで。ちゃんと加工されてるから」
「エリス」はそう言うと、僕に手鏡を向けた。
それを覗く。なんと僕の顔は、ツンツン頭の爽やかイケメンになっていた!
「変なの。これ、エリスの好み?」
「ちがうわよ。AIがあなたの願望を読みとったのよ。ユメオ、そういう顔になりたかったんだね」
僕の顔は熱くなった。いや、アバターの顔が、と心の中で訂正する。
「だけど、エリスは加工しなくていいの?」
「ユメオが転生してからは、アニメチックなアバターになって、画面の端にでも登場する予定よ」
「でも今は素顔じゃん。ネットに素顔をさらすのは危険じゃない?」
「そう? 別に美人でもないし、平気よ」
「平気じゃないよ」
それにエリスは美人だよ、という心の声が、まさか画面のどこかに表示されないだろうかと、僕はすっかり疑心暗鬼になっていた。
「すぐ加工しなよ。そのほうがいいって」
僕はヤキモキして言った。エリスの顔が、たった今も知らない男どもに観られていると思うと、気が気じゃなかったのだ。
「じゃあ、はい」
と言って「エリス」が後ろを向き、振り返ったときには、某有名女優そっくりの顔になっていた。
僕はプーッと噴き出した。
「ハハハ、エリス、その女優さんの顔になりたかったんだ。AIってすごいねー」
「なに言ってんの。私はヘッドギアを被ってないのよ。だからこれは、ユメオの願望」
そう言うなり、僕の頭をポカリとやった。
(某有名女優が、僕を叩いた……)
妙な感動があった。もしかして、僕はもう、転ゲーに慣れてきたのか?
「じゃあユメオ、そろそろ死んで。そして異世界に転生したら、いよいよゲームの本番よ」
「へ?」
僕はまじまじと、有名女優の顔を見てしまった。
「いやいや。これじゃあいくらなんでも、リアルすぎて死ねないよ。ダメダメ、無理無理。やめようやめよう」
そう言って、首を左右にブンブン振ったときだった。
僕の視界の左上のあたりに、ぼうっとなにかが浮かんだ。
(なんだ?)
じっと目を凝らした。よく見ると、それはまるで文字のようであり……
まちがいない。文字だ。
空中に、横書きの文章が浮かんでいるのだ!
急いで読んだ。
♠︎名無し:死ぬの嫌がるのww
「あっ!」
僕は叫んだ。
「誰か知らない人が、僕たちの配信を観ながらチャットしてくれた!」
「本当だ! すごい!」
有名女優も、顔を紅潮させて叫んだ。
「ユメオのプレイ、ウケてるじゃん!」
「プレイじゃないよ。リアルに嫌がっただけだ」
僕はそう言ったが、もしこれが誰かを愉しませているのだとしたら、悪い気分じゃなかった。
「しかしよく、無名の僕らのゲーム配信なんか観てくれたね。どうやって見つけたんだろう?」
不思議なことに、別にVチューバーになりたかったわけでもないのに、たった1行のチャットで、感謝の気持ちがあふれてきた。
すると空中に、別の1文が浮かんだ。
♡エリス:ユメエリちゃんねるにようこそ。ご視聴ありがとうございます。今からユメオは死んで転生するけど、ご希望の死に方があったら書き込んでね。
「コラ!」
僕は思わず有名女優を叱った。
「無責任な書き込みはやめてくれ。死に方くらい、自分で選ぶよ」
「記念すべきメッセージ第1号なのよ。こちらの名無し様には、それを決める権利くらいあるわ」
「いや自分で決める……って、ちょっと待った。そんな心の準備、まだできてないよ!」
そう言いながら、チラッと視界の左端を見た。
案の定、チャットが入った。
♠︎名無し:嫌がるギャグはもういいから先に進みましょう。
「わーん、視聴者は非情だー」
僕の目に、涙がにじむ。それを指で拭って、舌の先で舐めてみた。
しょっぱい。
「あー、リアルだ。なにもかもが」
「ほら、早く進みましょう。どうする? 窓から飛び降りる?」
有名女優に身体を押された。その押される感触もリアルなら、死にたくない抵抗感も、現実そのものとしか言いようがなかった。
「無理無理、嫌嫌、ダメダメ」
そうやって有名女優と押し合いをしていると、また新たなチャットが表示された。
♠︎名無し:ユメエリさんたち、仲良いですね。そのままユメオさんがエリスさんに抱き締められて、キュン死するっていうのはどうですか?
僕と有名女優は、見つめ合った。
「キュン死だって。ユメオ、それでいい?」
「だけど……そんなんで死ぬ?」
「ゲームだもん。あっさり死ぬんじゃない。試してみようか?」
「え? それはちょっと、どうかなあ」
ためらっている僕を、某有名女優の「エリス」が、有無を言わさず抱き締めて……
キュン。
僕は死んだ。