第10回配信 潜在意識は恥ずかしい
〈ユメオ、キュン死のことはもういいから、今いる場所についてレポートして〉
エリウサが、足を交互にあげながら、話題を変えるよう急かしてきた。僕は反省した。ゲームの倫理問題を話しているあいだ、ずっと同じ場面を映してしまっていたからだ。これでは視聴者が退屈して、観るのをやめてしまうかもしれない。
僕は、大平原の遙かな地平線を眺め渡して、感じたことをストレートにレポートした。
「さて、僕は、異世界に転生しました。一見、どこにでもあるような風景でありながら、どこにもない世界に来た、という不思議な感覚が、ひしひしとしております」
〈どこにでもあるような場所なのに、どこにもないと感じるの?〉
「そうです。たとえるなら、映画のスクリーンの中に飛び込んだような感じです。現実と夢の中間とでも言いましょうか。見ることも触ることもできるのに、この世のどこにもこの場所は本当には存在していないのです。まったく不思議としか言いようがありません」
〈その一面に生えてる草は、どんな感じ?〉
「はい。さっきから、草の匂いがプンプンしてます。ちょっと千切ってみましょう……わっ、汁が指についた! わっ、草臭い!」
〈もっと丁寧にレポートしてください〉
「みなさん、この異世界は素晴らしいです。草がちゃんと草の色をして、草の汁を出して、草の匂いがむちゃくちゃするんです」
〈ユメオ、さっきのコーヒーのレポートと一緒よ。草が草の匂いがするのは当たり前でしょ?〉
「みなさん。僕はあらためて、この世界というものに感動しております。それをたった今、転ゲーに教えてもらいました。これまで当たり前に思っていたことの、ああなんと、当たり前じゃないことか!」
〈視聴者を置き去りにしないで。わかりやすくレポート!〉
「いいですか、みなさん。もし草に色がなく、千切っても汁が出ず、なんの匂いもしなかったら、世界はなんとつまらないことでしょう。草の色や感触や匂いは、僕の五感をとても素晴らしく楽しませてくれます。コーヒーもそうです。色があって香りがあって味があるために、僕はコーヒーを飲むと幸せな気持ちになります。そのことを、僕は再発見したのです!」
僕は嘘偽りなく、感動していた。
この世界というものに対してである。
この世界には色があり、音があり、匂いがあり、感触があり、味がある。
それがどんなに面白くて楽しいかということを、なんとも逆説的なことながら、僕は本当には存在しないバーチャルな異世界に来て知ったのだった。
僕は思いっきり、風の匂いを吸い込んだ。草と土と太陽の匂いのブレンド。ああ、楽しい!
地面にしゃがみ、夢中になって、土を掘ってみた。草の根っこが千切れる感触。黒い土が爪の隙間に埋まる感触。草のあいだを動きまわる緑や赤や黄色のアブラムシ。
どれもこれも、むちゃくちゃ面白い!
〈ユメオ、急に地面を掘ってどうしたの? 宝箱のアイテムでも見つけた?〉
「いや、もっといいものだよ。ほら、これ。見える?」
〈……汚れた指しか見えないけど〉
「てんとう虫を捕まえたよ! この7つの星が見えるかな。あ、なんか液を出した。どれどれ、ちょっと匂いを嗅いでみましょう。わっ、臭。臭ーーっ!」
〈なにやってんの。せっかく異世界に転生したのに、てんとう虫の匂いなんか嗅いでる場合?〉
「いやー、これはすごいね。こうやって土をいじって、虫を観察して、太陽を浴びて風になびかれていたら、僕は何年でもずーっとここにいられるよ」
〈そんなことは、現実世界の日曜日にでもやって。転ゲーは、プレイヤーの夢を叶えてくれるゲームなのよ。ユメオ、なんか大きな夢はないの?〉
「そうだなあ。大きい犬とか飼いたいけど……あ、その前に、大きな家に住みたいな。よし、家を建てるか」
〈ちょっと待ってよ。そんなもの、全然夢がないわ。王子様になって竜を倒して、世界を救ったりしたらどう?〉
「王子様? ああ、そういうことか」
異世界転生ゲームは、ヘッドギアに搭載したAIが、プレイヤーの潜在意識にある願望を読みとって、ストーリーを形成していく。
僕がイケメンアバターになったのも、別にそうなりたいと思ったわけではないが、潜在意識ではそういう願望があったのだろう。
それと同じで、別に大草原に来たいと思ったわけではないが、潜在意識では、広々とした土地を自分1人で独占したいと願っていたのかもしれない。
だから、いくらエリスが派手な展開を願っても、僕の意思ではどうにもコントロールできないのだった。
〈王子様が嫌なら、海賊でもいいわ。世界中の宝を手にするの。でなきゃ宇宙のヒーローになって銀河パトロールをしてもいいし、時空を自由自在に移動して、世界の歴史を思いどおりに変えちゃうのも面白いかも〉
「ところがそううまく、ストーリーを変えられないんだよ。どうやら僕の願望は、広い土地が欲しいってことだったみたいで」
〈えー、夢ないなー。じゃあ視聴者様は、ユメオの土いじりをずっと観てるの? ダメよ。せめて冒険の旅に出て〉
夢ならある。それはそう、榎田エリス、つまりキミをお嫁さんにすること……
だから転生する前に、あんな展開になったのだ。エリスのお母さんに向かって、娘さんをくださいと頭を下げるという。
あ、そうだ。
あの場面、エリスは観たよな。
もちろん、観たに決まっている。ということは、あれが僕の夢だということを、エリスは知ってしまったことになるが……
僕は両手を頬に当てた。熱い。
〈ユメオ、どうしたの? アバターの顔が、茹でダコみたいになってるけど〉
「い、いや、こっちは暑いんだよ。カンカン照りでさ」
そう言ってごまかしたとき、どこかから、キャーという悲鳴が聞こえてきた。
「あれ? 誰かいる。今、人の声が聞こえたので、そっちに行ってみます」
草を踏んで走った。100メートルほど先に、家くらいの大きさの巨大な岩がある。どうやら悲鳴は、その向こう側でしたようだ。
(あれは女性の声だったな。さて、どんな展開が待っているんだろう。その女性はお姫様なのか、あるいは歴史上の人物か、はたまた不時着したUFOから降りてきた宇宙人なのか)
岩のところまで来たので、ぐるっと向こう側にまわってみた、すると、
「キャー、キャー!」
人相の悪い男たちに囲まれて、セーラー服を着た女子高生が悲鳴をあげていた。
「なんだ、エリスじゃん」
女子高生は、エリスだった。また前回の配信のときのように、素顔を晒してしまっている。
「素顔はやめたほうがいいって。アバターにしなよ」
「キャー、キャー!」
セーラー服を着たウサギが、恐怖に泣き叫んだ。
「なにこれ? エリスのアバターって、ウサギしかないの?」
「おい、さっきから、なにゴチャゴチャ言ってんだよ!」
人相の悪い男の1人が、僕にからんできた。パンチパーマで額に剃り込みを入れた、まるで絵に描いたような不良である。
「そのカッコいい顔を、ボコボコにされたいのか?」
と言いながら、いきなり顔面を殴ってきた。
ポクン。
全然痛くなかった。エリスのお父さんが転ゲーを改良して、苦痛をもたらす感覚は再現しないようにしてあったからだ。
「おい、不良」
僕は面白くなって、挑発してみた。
「ちっとも効かないぞ。もっと来いよ」
不良は5人いて、束になって僕を殴ったり蹴ったりした。ポクンポクン。メリケンサックや鉄パイプの攻撃もとんできた。ポクチンポクチン。そのうち不良は蒼褪めて、ジリジリと後ずさりを始めた。
「なんだ、もう終わりか? 次はこっちから行くぞ!」
不良どもは、尻尾を巻いて一目散に逃げ出した。
「ハハハ、口ほどにもない。エリス、もう大丈夫だよ」
そう言うと、セーラー服を着たエリウサが、僕にしがみついてきた。モフモフして気持ちいい。
(あっ、わかった。不良にからまれたエリスを救けて抱きつかれるのが、潜在意識の僕の夢だったんだな。それでこんな展開に……)
「ユメオくん、素敵。わたしと結婚ーー」
「わー! わー!」
僕は慌ててエリウサを突き飛ばすと、足元の赤い光を踏んで、ゲームを強制終了させた。




