第二章「寒獄村」①
魔力炉心の解放施術を始めてから意識を失い、どれくらいの間眠っただろうか。
「うっ…。」
意識の覚醒と共に俺を襲ったのは、壮絶な倦怠感と口の中に広がる鉄の味だった。
まるで絶叫マシーンを何件もはしごして胃の中をメチャクチャにかき回されたようだった。
目はぐるぐると回り、猛烈な吐き気が襲う。
「目が覚めたみたいね、縁君、随分と眠っていたみたいね、20時間ほど眠っていたかしら?」
壮絶な乗り物酔い…吐き気と頭痛に襲われている死に体の俺とは裏腹に、優雅にコーヒーを飲みながらテレビのニュースを見ている萌間がそこにいた。
「貴方、案外良い趣味してるわね。
これコピルアクでしょ?貴方、疲れ切って全然起きそうになかったし、夜間は外出禁止令も出てるし、悪いけれど部屋の中色々漁らせて貰ったわ。」
そう言うとマグカップを傾け香りを楽しみながら優雅な朝の時間を満喫していやがる。
「…あぁ、それは吉津人…親友から貰ったんだ、俺にはまだ早かったみたいだから好きにやってくれて構わない。」
呆気なくブラックコーヒーに惨敗した事を白状した。
「ふーん、あの人お金持ちか何か?」
「あぁ、萌間は昨日転校してきたばかりで知らないはずだよな…あいつは斑目吉津人、この辺一帯を発展させた大企業【斑目貿易】の御曹司だよ。」
斑目貿易。
その名を口にした瞬間、部屋中の空気はピリッと張り詰め、萌間の表情が真剣そのものへと変化したのが分かった。
「…斑目貿易…。」
ただならぬ雰囲気に思わず息を呑む。
「…それがどうかしたのか?」
「…いえ、なんでもないわ。
大企業と言ったわね、ボンボンの金持ち息子かー、私の苦手なタイプ。」
萌間はハッとし、取り繕うようにそんな軽口を言って見せるが、世界有数の貿易商社である斑目貿易。
日本に住んでいれば…いや海外にいてもその名前は良くニュースに上がる。
急激に勢力を伸ばした企業だ。
否応なく、耳にするだろう。
「ところで、体の方はどう?縁君。」
話題を切り替えるかのようにマグカップを持ったまま、俺に近づいてくる。
よく見れば男物のロングTシャツを着ている。
「お前…それ俺の服だろ…なに勝手に着てるんだ。」
はぁっと呆れたようにため息を吐く。
「別に良いじゃない。
お風呂も借りたわよ、それとも何?貴方、年頃のレディに同じ服で1日過ごせって言うの?」
「…たしかにそうだ、泊まりになるなら替えの服くらい…」
泊まり?
いや待てよ、冷静に考えたら俺は意識がないとはいえ、女の子を家に泊めたって事か?
「あのー、1人でなんか葛藤しているところ悪いんだけど、質問に答えてくれるかしら?縁君。」
萌間は全く気にしているそぶりを見せない。
こいつにとって俺はそもそも男性として見られていないって事か…。
「あ、あぁ、体調か?すこぶる悪いぞ…なんかずーっと乗り物酔いになってるみたいだし、なんか鉄の味するし口の中…ってか、お前いつから俺を縁君、なんて呼ぶようになったんだ?」
ぶかぶかのロンTの袖から指だけを出し、わざとらしく腕を組みうーんっと唸って見せる萌間。
「特に意味はないわよ?
昨日も言ったけど私と貴方は運命共同体。
仲良くしておいて損はないかな、と思ってね。
だから縁君も私のこといつまでも、お前ーとか萌間ーとか呼ばなくて良いわよ?
私、織って言うの、これからは私の事も織って呼びなさい?いいわね。」
その方が効率がいいでしょう?と言わんばかりに自身の名前呼びを強要してくる。
「あぁ、わかったよ、織。」
「素直で宜しい。
それで、体調だけれど今日1日はその状態が続くと考えて頂戴。」
「マジか…学校は…」
「そんなもん、行く必要ないわ。
それに今の貴方は魔力炉心が開いてまだ1日目。
満足に動く事すら出来ないはずよ。
もしそこを柊に狙われたらどうするの?
貴方、死ぬわよ?」
昔流行った占い師みたいな事言い出したよこの人。
「今日一日は大人しく寝てなさい。
看病くらいしてあげるから。」
仕方あるまい。
確かに織の言う通り、指先を動かすのが精一杯だ。
「…織、結局の所、俺に伝えなきゃいけない事のもう一つってなんだったんだ?」
一つは俺の能力を完全にする為に魔力炉心。
もう一つ、なにか俺に伝える事があったはずだ。
「ああ、それなら…」
織は、コーヒーを啜り首だけをテレビに向けて振る。
「…次のニュースです。
昨日未明、美咲町で小規模の爆発事故があり…12名が死亡、7名が行方不明の状態となっており…」
「…これは」
「予め予測していた事よ。
柊の活動がより大胆になっているわ。
昨日の話を切り出す時点では、こういった事件が起きるかもしれないから、絶対に1人で行動しない事って言おうとしたのよ。」
「ちょっと待て。」
ニュースを報じるテレビ画面には、
「亡くなられた方の大半は美咲学園の生徒と思われる未成年が多く含まれており…」
信じたくない。
こんな…馬鹿な事…。
亡くなった方
藍沢 香織さん (17歳) 井上 斉さん (16歳)
柿崎 真也さん (18歳) 武内 尚さん (15歳)
土屋 由香里さん (22歳)藤堂 勝さん (17歳)
濱崎 真弓さん (16歳)前田 佳代子さん (41歳)
斑目 吉津人さん (17歳) 森田 華子さん(18歳)…
「そんな…嘘だろ…吉津人…」
親友の名前が、そこに羅列されていた。
「…縁君…。」
織は気の毒そうに此方を見ている。
昨日今日初めてあったとはいえ、二条縁にとっては唯一無二の親友だったと言う事も、その落胆ぶりからは窺い知るに充分だった。
「…絶対、倒そうね。」
呆然とする縁の背中を優しく抱きしめ、彼女は今一度自分が相対する巨悪を再認識する。
奴は、人畜無害な一般市民すらも紙屑のように殺す、倒錯した異常者だと言う事を。
…
……
………
「ええ…ええ…今朝のニュースは…はい、見ました…本当に…あの、俺なんて言って良いか…。」
親友の突然の死去に動揺を隠せない。
「…吉津人はね、君のような親友がいて、幸せだったと思うよ…今回のことは本当に…残念だったけどね…君さえ良ければ…いつでもうちに来なさい…君も私の息子のようなものなのだからね…今は、街も混乱しているし、君も気持ちの整理がつかないだろう。
ゆっくり休むと良い…今まで吉津人と遊んでくれてありがとうね…」
電話の相手は、斑目透林だった。
家も両親も失った俺を、交友関係があったと言うだけで俺を引き取り実の息子のように愛情を持って接してくれた大恩人だ。
一番辛いのは俺じゃない。
吉津人の親父さんや、お袋さんだ。
それでも、親父さんは俺に気を遣わせまいと気丈に振る舞っていた。
「…クソっ…なんで…お前なんだよ…!早すぎるよ…吉津人…!」
涙がぼろぼろと零れ落ち、みっともなく鼻水と涙で顔を汚す。
嗚咽を抑えきれず、俺は人目を憚らず泣いた。
そんな俺を織は黙って見守ってくれていた。
「…今日はたくさん泣きなさい、今日だけは…彼を弔
うために。」
「…斑目貿易」
ボソッと今朝の織の不審な反応を示した単語を発する。
「織…何か知ってるんだろう?今朝の反応は明らかに異質だった。」
織は申し訳なさそうに視線を逸らす。
「頼む…教えてくれよ…。」
「…斑目貿易、日本中に支社を持ち世界中と貿易商を営み…」
「俺の知りたいことはそんなことじゃないッ!!」
動かないはずの腕を力任せに地面に叩きつけた。
「…ッ!
縁君、落ち着いて。
これを聞いたら貴方は本当に戻れなくなる。
貴方はまだ、柊を倒した後に今までの日常に戻れる…夕焼けに立っているのよ。
この話を聞いたら、貴方は完全に…」
「教えろ…!斑目貿易が一体なんなんだ!?吉津人はなんで…死んだんだ…」
神に縋るかのように力なく項垂れる。
「分かった。
全部教えてあげる。」
そう言うと、織はゆっくりと話し始めた。
「斑目貿易はね、かつてたった1人の古美術商の男が始めた会社だったのよ。
男の名前は【斑目宗千佳】。
吉津人君の曽祖父に当たる人物よ。
彼は、世界中を旅して珍しい骨董品なんかを買い漁っては日本で流通させていた。
元々は趣味で始めた商売だったけれど、彼の審美眼は確かなもので保存状態の良い貴重品を見極めて売買する事で富を築き上げていったわ。
彼が成功者として世界に名を知られ始めた時、当時訪れたエジプトで不思議な古書を見つけたそうよ。」
「古書…?」
「ええ、古代文字がびっしりと書き記された物だったらしいわ。
その古書に使われていた材質だけど。」
「人間の皮や、血液だったらしいわ。
「…なんだそれ…」
「詳しい事はわからないわ。
ただそれが、古美術品としては似つかわしくない邪悪な製造法で作られた呪われたモノだったって事。
斑目宗千佳はその古書に随分とご執心だったみたいで、当時彼が所有していた全財産の2/3を投げ打ってまで手に入れたらしいわ。」
人間を素材に作られた本…
そんな、悍ましいものがこの世に存在するなんて。
それにそんな気味の悪いモノに傾倒したって?
吉津人の曾祖父さんが?
「…それから程なくして斑目宗千佳は帰国し、事業を更に拡大し悉くそれらは成功を続け今の斑目貿易を磐石な立場にしたと言う話。」
「…その古書は?」
織は視線を下に向け、黙り込んでしまう。
「…消えたって。」
「…どう言う事だ?」
「私も詳しくは聞かされていないけれど、11年前にね。
あの大火災があった日に忽然と姿を消したらしいわ。
斑目家の隠された地下室、そこに保管されていたらしいんだけど、その後、大火災が起きた。」
仮に、その古書には凄まじい力が宿っていて、
誰かがそれを持ち出して街を焼いた。
そんな馬鹿馬鹿しい非現実的な事がこの街で起きてしまっている。
今の俺には理解できる。
柊極星が、その呪われた古書を持ち出して街を焼いたんだ。
「柊…」
「確証はないけどね。間違いないと思うわ。
彼がこの街に来た日、古書が消えた日、そして大火災…全てが繋がってるとしか思えない。」
しかし一つ引っかかる。
「…吉津人や学園の生徒が大勢亡くなった理由…もしかして関係がある…?」
「これも仮定の話でしかないけれど、古書を持ち歩いていた柊を偶然目撃してしまった生徒や教師を残さず始末した…若しくは古書を使って何らかの実験台にした…とか。
何れにせよ、柊極星単体だけでも勝てるかどうか分からないのにそこに街を焼いてしまうほどのエネルギーを秘めた魔導書もあるとすると…」
勝てる確率はほぼ0だ。
「…それとね、もう一つ。」
「斑目宗千佳はかつて、錬金術に没頭していたらしいわ。
それこそ素人知識で行っていたモノだからひどい有り様だったらしいけどね。」
「錬金術…?
土塊を黄金に変えたり、何でも願いが叶う万能の物体【賢者の石】とか、ホムンクルスとか」
「その認識で問題ないわ。
魔術の派生、錬金術…不老不死や黄金錬成なんていう奇跡を本気で追求する連中よ。
かく言う私が所属している組織も錬金術師の集まりだし。」
「お前、錬金術師だったのか?」
「いえ、私はあくまでその組織に雇われた殺し屋でしかない。
今語るべき事なのかは疑問だけど、世界には大きく分けて三つの巨大な組織が存在するのよ。」
「三大組織?」
「一つは【魔術協会】。
魔術師による魔術師だけの楽園。
自分達の魔術を神の領域まで昇華させて自分達が神になるって事を大真面目に2000年以上前から続けてる組織。
二つ目が【聖堂教会】。
巨大宗教組織で現時点で最大の組織だとされているわ。
自分達が崇める神に祈る事で信者以外は絶滅してと良いと本気で考えているイカれた集団よ。
まぁ、こいつらはいろんな意味であんまり相手したくないわね。
そして三つ目が、私が所属する錬金術師達が創り上げた【王城】。
錬金術を使って神と寸分と違わない大いなる存在を生み出して世界を支配するのが目的…らしいわ。」
「らしい?」
「私は所詮、お金で雇われたフリーランスの殺し屋よ。
組織の内部事情が簡単に開示される立場じゃない。
私はただ、組織にとって邪魔になる存在を排除するだけの掃除屋よ。
お金目当てってわけじゃないけど、魔術協会はそもそも私設部隊を持っているし、聖堂教会はなるべく関わり合いたくない、と、なると消去法的にも金払い的にも王城に付くのが一番マシな判断って訳。
それに、王城自体はほとんど無害よ。
そもそも神の時代の錬金術ならまだしも、現代でほとんど神秘性の失われた素材では神を造るなんて不可能だわ。
ただずっと何かを作り続けていて、魔術協会みたいに街を巻き込むことも教会みたいに信者にされることもない。
なら、一番お金を持っていて邪魔者を排除すれば良いだけの仕事ならローリスクハイリターンでしょ?」
案外打算的な女だ。
しかし、確かにその3択の中から一つ選ぶとしたら、叶うことのない目的を無我夢中で追いかけていて、穴蔵に篭っている連中に協力するのが最も効率的だろう。
「しかし何だって殺し屋なんかに…他に道はなかったのか…?」
そう言うと、織は俯き虚空に視線を投げる。
「…貴方、昨日の施術の時に見たんじゃない?凍えるような絶対零度の世界。
大凡、生物が生きていくには似つかわしくない地獄のような光景。」
「あぁ…アレは一体なんなんだ?当たり前だが、死ぬかと思ったぞ。」
織は光の消えた瞳でこちらを、ゆっくりと見据えると悪魔のように微笑む。
「あれはね、私よ。」
「…どう言う事だ?アレが織…?」
「…昔話だけどね。
私はとある山岳地帯にある小さな集落で産まれたの。
村の名前は【寒獄村】。
この現代日本において戸籍を持たない人種が寄せ集められ作られた世間から隔離された場所。
私が生まれ育った場所は、貴方達のように温かな母の温もりも厳しくも優しい父の笑顔も届かない。
地獄のような場所で、真夏でも太陽の光が届かないどんよりとした薄気味悪い場所だった。
今日生きる為に少ない食料を取り合い、酷い時はカビたパン一欠片の為に大人が子供を殺し、子供が大人を殺す…そんなクソみたいな場所。」
寒獄村…?聞いた事もない名前だった。
「…すまん。」
髪を掻き上げると一房の黒髪を指でくるくると巻き付けながら織は言う。
「別に良いわ。
ただ、そういう生き方も死に方すらも選べない闇の世界が未だに蔓延っている。
私ね、そういうの全部、ぶっ壊したいの。
だって不公平じゃない?
ただ、そこに産まれただけで虫けらのように扱われ、日本に産まれたっていうのに命の重さは紙よりも軽いのよ。
内情は違うけどね、あそこは未だに内紛を起こしてる紛争地帯と大差ない。
私達は非人道的な実験のモルモットにされていた。」
言葉が出ない。
軽い気持ちで人の過去を詮索するもんじゃない。
まるで日本とは思えない場所が確かにあって、そこで迫害を受け人間以下の扱いを受けていた、だなんて。
「可哀想、なんて思わないでよね。
私今は感謝すらしているのよ?地獄のような日々を過ごしたけれど、こうやってその元凶を懲らしめる力を手に入れた。
だから私はこの力を自分だけに使う。
そして、これから同じ目に遭う子供達を1人でも多く救いたい。
私の手は既に死者の血でべったり。
だったら闇を持って闇を制す。
それが、闇の落とし子として生まれ、何かを救いたいと願った私の答え。」
「そんなのは、自分の為なんかじゃない。
自分を犠牲にして、誰かを助けるなんて【誰かの為】じゃないか…」
気まずい沈黙が訪れる。
織はふぅと一息ついて続ける。
「捉え方の問題じゃないかしら?
私はその気になれば、この力を使って好き勝手に暴れて何もかも気に入らないものを壊す事だってできたかもしれない。
でもそうはしなかった。
いえ、そうなる前に、私が悪鬼になる前に私の生きる道を指し示してくれた人がいた。
私が闇にいて尚、闇に落ちなかった理由。」
「私は救われたのよ。
7年前、1人の魔術師によってね。」