第一章「異能者殺しの少女①」
校舎に踏み入った瞬間に小さな違和感を覚えたが、大抵この程度は日常生活でも頻繁に起こる。
大火災を経験して以来、発現した死を視る力の副産物のような物なのか、自身に何か災難が降りかかりそうな時に身体に違和感を覚えるようになった。
小規模な物ならば特に気にするほどの物でもないので無視することは多い。
それに災難と言っても大体の場所でどの程度の規模で起きるかは自分の身体にどれだけ不都合が出るか、でしか測れない。
さっきのような針で刺された程度の刺激では大したことは起きないだろう。
正直、身の回りで起こる全ての不運に過敏に反応していたら身体が持たない。
精々、この記録的な寒波で身体が冷えて
腹が痛くなる、とか風邪を引く程度のものだ。
吉津人と教室に入り、担任先生の到着を待つが少々遅れているようだ。
「縁、さっきのアレもしかして先生がなんか事故に遭って遅れてる、とかそんな物騒なやつじゃないよな?」
不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「いやいや流石にありえんて。
あのくらいの違和感じゃ、精々俺が腹壊すか風邪引くか程度だ、後な…」
ん?と顔を顰める吉津人。
「あの力の事はあんまりでかい声で言わないでくれ。
俺にだってよくわからん力なんだ。
変な噂が広まったらその…色々面倒だ。」
この力のことは、10年来の付き合いである吉津人にしか教えていない。
大火災に遭い、天涯孤独の身となった俺を兼ねてから両親と親交のあった吉津人の親父さん「斑目透林」が不憫に思ったのか快く俺を受け入れてくれたのである。
美咲町には海沿いに孤児院があるが、せめて親友の息子くらい面倒見させてくれ、と俺を引き取り実の息子のように育ててくれた。
そういった事情から斑目一家とは、高校に進学し独り暮らしを始めた今でも家族同然のように接している。
「あ、あぁ、悪い!でもさ、お前のその力ちゃんと調べてさ、未来を予測できるような力なんだろ?きっと色んな人の役に立つしお前自身も…」
「俺はそう言う柄じゃない。
それにこんな不規則で突然、自分の不幸だけを予知するような力、世間の役に立てたくてもやりようがねぇよ。」
例えば自分が巻き込まれるほどの事故なり事件なりの現場に偶然居合わせたとして、それを声高らかに主張したとして一体誰が信じる?
ただの頭のおかしい奴が喚いている、とSNSに晒されて人生終了だ。
吉津人はやたらこの力について熱心に聞いてくるし、どうにかそれを活かせないか、と俺自身以上に真剣に考えてくれるが、なんて事はない。
こんな力無い方がいい。
自分にこれから嫌な事が起こることがわかる力なんて、余計に気が滅入るだけだ。
「確かにそうだな、朝から悪いニュースが続いてるみたいだから、何とか、な?」
言いたいことはわかる。
俺のこの不幸を事前に探知する力を使って未然に事故や事件を防げないか?という提案だったのだろう。
俺も見知らぬ人に命を救われたという過去がある。
可能ならばこの力を活かしたいが…そう簡単な事じゃない。
「おーい、みんな席つけよ〜。」
扉を開ける音共に、聴き慣れた教師の声が聞こえてきた。
寝癖たっぷりの頭にヨレヨレのジャージ、この寒い時期なのに便所サンダルと無精髭。
教育委員会の偉い方々が見たら発狂して糾弾されそうな如何にも古い時代のダメ教師の柊極星だ。
面倒臭そうに頭をぼりぼりと掻き、寝起きの俺以上に眠たそうな目を擦りくあぁっと大きな欠伸をしている。
生徒を目の前にこれだけ憚らず自由にやっている教師は日本広しと言えどもこの男だけだろう。
ていうかなんでこの人、クビにならないんだ?
このクラスの生徒はもちろんの事、多分この学校に勤めている教師、通っている生徒の殆どが一度は思ったことがあるだろう。
結婚もしておらず、プライベートではだいたい賭け事をしていると噂があり、彼がこの学校を追放されないのは美咲学園七不思議の一つと言われているとかいないとか。
「実はな、今日急遽このクラスに転校生が編入することになってな?その手続きとかまぁあと色々だ。」
説明する気あるのかこの人。
「おーい、入ってこーい。」
だらしのない教師とは裏腹に、
「うおっ」
「えっ、すごい可愛い」
男女問わず教室全体が色めき出す。
その姿を見た瞬間、皆が一様に釘付けになった。
「えーと、名前は…」
まるで人間と寸分違わない精巧な陶器人形の様な白い肌は、美しくも触れてしまえば容易く崩れて壊れてしまうような儚さを思わせる。
「…萌間織です。」
透き通るような声色の中にはまだ少女としてのあどけなさも残る。
「…以上か?」
「以上です。」
…クラス全体に広がる、沈黙。
萌間織と名乗った少女は真っ直ぐに前を向き、まだ、何か?と言った表情のまま直立不動を貫き通そうとしている。
立っているだけで絵にはなるが、ん?終わり?というやや気まずい空気感が教室内を支配し始めた。
「…ん〜、まぁいいか。
皆んな仲良くしてやれ〜、席は二条の隣が空いてるな…二条、いいか?」
何か言いたげだった柊先生は、言葉を飲み込むように空を仰ぎ、俺の方を一瞥した。
「えっ?!俺の横…ですか?」
たしかに俺の横の席は空いている。
空いている…が…。
コツコツと靴底が床を叩く音が教室内に響く。
徐々に近づいて来る美少女転校生。
「美少女転校生がとなりの席とは、ツイてるねぇ。」
明らかな冷やかしだろう、吉津人の声が後ろから聞こえた。
この野郎、あとで覚えていろよ、色男め。
「…あの、えっと、よろしく。」
絵に描いたような女の子慣れしていないリアクションでぎこちなく挨拶をする俺。
「………よろしく。」
そんなコミュ障な俺を、哀れむでもなく蔑むでもなく、本当に何の感情も抱いていないような、無垢な大きな瞳が俺を射抜く。
誓ってだが、決して下心があるわけじゃない。
「…ははっ、よろし…っ!」
精一杯の愛想笑いを彼女に向けた時だった。
「…貴方…顔をよく見せて。」
「えっ?ちょっと…っ?!」
抵抗虚しくその細腕からは想像出来ないほどの力で、俺の顔面をその細くしなやかな白い指でグイッと乱暴に掴むと、強引に顔を近付ける。
(近ッ…!ってか力強ッ!)
息が掛かるほどの距離に彼女の顔がある。
ガラス細工のような大きな瞳は真っ直ぐに俺の眼を見つめている。
「おーおー、これは…」
後ろの席に座る吉津人はもちろんの事、クラス中からおおーー!とか、キャーーー!とか黄色い声が聞こえてくる。
おい、これは一体なんのドッキリだ?
朝の違和感はこれの前兆か?
いや、今まで凶兆を感知する力だったろ?!違ったのか?!
「あ、あの…萌間さん、これって…?」
頭の先からつま先までまるで値踏みするかのように見たこともない美少女がじっくりと俺を眺めている。
「…ごめんなさい、何でもないわ。」
萌間は気が済んだのか、そっと細い指を離し指定された席に着く。
「…なんだってんだ、一体。」
にやにやと悪そうな笑みを浮かべる吉津人を強目に睨み付ける。
「いやー知らなかったよ、子供の頃からの付き合いだったのに、こんな美少女知り合いに居たなんてなぁ、教えてくれればよかったのにー。」
わざとらしく机に肩肘を突き、大袈裟に溜息を吐いてみせる友人。
「…そんな訳ねーだろ?俺だって初対面だ!それに…!」
「それに?なんだよ?」
とんでもない怪力だったぞこの女、と言いそうになったが殴られそうな気がしたので辞めた。
正直、逃れようとしても難しいくらいの握力だった、口が滑ったら殺されかねない。
俺の中で美少女だけどだいぶズレた常識をお持ちの怪力転校生、というニッチな属性が加わった。
…しかし、あんな華奢な身体の子が出せる腕力じゃなかった。
それにいきなりあんな事してくる奴、まともじゃねぇ。
「…あー、いいかお前ら。」
ひとしきりクラスが賑わったタイミングで柊が口を開く。
「あのな、もう一点あるんだよ。
今朝のニュース見たやついるかー?」
今朝のニュースといえば、異常な寒波の襲来、15人行方不明事件、原因不明の爆発事故…だよな?
「教育委員会でその議題が出てなぁ、突然で悪いんだが、本日から暫く18時以降の外出は禁止命令が出た。」
えー!とざわつき出すクラスメイト達。
確かに騒ぎたい気持ちはわかるが、妥当な判断だろう。
そもそも今日登校できたことすら不思議に思う程、今この街には異変が起きている。
「あーあー、お前らの言いたいこともわかる。
先生だってなぁ、抵抗したんだよ、でも教育委員会の爺さんと婆さんはこう言う問題にはうるせーんだ。
だから、部活動も当面禁止!バイトとかも休めお前ら、いいな?」
教師とは思えない口調と、絶対抵抗してないだろ、とクラスメイト全員の思考が一致した瞬間だった。
昼休みになり、教室はざわつきだす。
まあ間違いなく転校生、萌間織の事だろう。
俺はいきなりアイアンクローを決められ、不本意にクラスの注目を浴びせられたせいであまり関わりたくないと思っている。
「どこの学校にいたのー?」
「前は関西の方に。」
「趣味は?彼氏は?」
「趣味は読書ね、彼氏は…ご想像にお任せするわ。」
など恒例の質問攻めを受けているが、その一つ一つに丁寧に答えている。
変わっている。
大体、あの手のキャラって無言で取っ付きづらいだろ?!
萌間は質問に答えながらも俺の方に視線を投げる。
おい、まて。
また俺に謎絡みしてくる気か?
やめろ、俺の平穏を崩すな。
「…ちょっと疲れてしまったわ、保健室に行きたいのだけれど…二条君、案内してくれるかしら?」
俺の予想は当たる、悪い方は特にな。
クスクスと後ろで笑いを堪えている親友、もとい腐れ縁、貴様覚えていろよ。
また騒ぎになっても面倒だ、俺は無言で萌間の手を引き教室を脱出する。
保健室に到着する、幸いなのか災いなのか教師は留守のようだった。
「…一体どう言うつもりだ…あんた。」
率直な感想だ。
まず、この女の意図がわからなすぎる。
「あら、癇に障ったかしら?
斬新な自己紹介になったと思うけど?」
「いやいや…意味がわからないよ。
だとしても俺を利用するなよ…」
結構電波な女だな…
俺の中でアイアンクロー電波女にアップデートされた。
「まぁ率直に言うとね。
私人を殺しにきたのよ、此処に。」
「え?今なんて?」
「人をね、殺しに来たの、私。」
今度は真顔でおっかない事を言ってくる。
おいおい、いよいよやばい女じゃねぇか、こいつ。
「あぁ、貴方じゃないから安心して良いわよ?
ただ、私この町に初めて来て右も左も分からなくてね、そこに丁度協力してくれそうな人がいたからね?貴方が私に協力しやすい状況を作りたくてね。」
「…はい、そうですかって協力すると思ってるのか?
大体、いきなり人殺しを手伝えって頭おかしいだろ?」
「協力するわよ、貴方は。」
屈託のない笑顔でそう言いながら、
どこから取り出したのか、目にも留まらぬ速さで突き付けられたソレは人殺しの道具。
それは時代劇や博物館で見るような「日本刀」だった。
「ひっひぃ?!ほ、本物か?!これ!おい!!誰か!誰か助けてくれー!」
「あー、大きな声出しても無駄よ?
人祓いの術式を組んでいるわ。
貴方がどれだけ騒いでも、ここで機関銃を撃とうともここには誰も来やしない。
ま、私に協力した方が得よ?
今首と胴体泣き別れるよりも、私に協力してくれたら貴方の不思議な力の事教えてあげられるかも?」
人祓い?術式?一体何を言ってるんだ、この女は。
それに…俺の力の事を知っている…?
「お前一体何者だ…?」
「…貴方何も知らないみたいね。
まぁいいわ、魔術師殺しの傭兵、『柊極星』を殺すのに協力しなさい。
大火災の唯一の生き残り、二条縁君!」