序章ノ二「死を視る眼」
最初にその力を認識したのは、今から11年前の大火災事故に被災した後だった。
今じゃ事故の大半の記憶は抜け落ちているけど、それだけはしっかりと憶えている。
『化学工場のマニュアル業務を大きく逸脱した業務実行による致命的な人為的な事故。』
時間は朝方未明だったらしい。
意識は水底に落ち、町は眠り、いつも通りの一日がまた始まると町に住む誰もが信じて疑わなかったあの日。
突然巨大な爆発音の後に、轟音と共に室内にいてもわかるほどの衝撃波が町を襲った。
少しだけ遅れて眠っていた身体も意識も空中に放り投げ出され、強制的に覚醒させられたのを今でもハッキリと憶えている。
その後に感じたのは、今までに味わったこともないほどの猛烈な暑さと全身に走る強烈な痛みだ。
身体を包み込むような熱波は皮膚を瞬く間に溶かし、肉を焼き、骨を焦がした。
「…熱ッ!!痛ッ…!!」
一瞬、全ての細胞が激痛に喘いだと思ったら、脳はその生命を守る為に、強制的に意識を断絶させたのだ。
仮に意識を保っていたのならばその瞬間にショック死していてもおかしくない程の重傷だった。
ギリギリのところで脳が自らの容れ物を壊さない様に安全装置の役割を果たしたのだ。
力強く地面を蹴る音と、素早くしなやかに地面を駆ける音が周囲に響く。
あたり一帯を焦熱へと変えた地獄の業火は未だ災異を止めず、それに呼応するように轟々と炎があらゆるものを焼き尽くす火焔の音でかき消されそうだったが、確かにそれは存在した。
しかし闇に葬られた意識は、それを知覚することはない。
「…僅かに息があるな。…他には?」
まぶかにフードを被った男から発せられる声は低く、ややぶっきらぼうに同行者に問う。
「いえ、きっとその子だけだわ。
探知しているけれど、声が聞こえない。」
もう1人は女性のようだが、こちらもまぶかにフードを被っており表情を窺い知る事はできない。
「…そうか…しかしせめてこの子だけでも救わなければ…時間がない。」
全てを諦めたような声色の中にはただ1人の生存者を見つけることができた安堵感も混ざった優しげな印象を受ける。
「たった1人…でも生きていてくれた。この子だけでも絶対に救おう!」
まだ、あどけなさの残る女性の声はこの地獄において悲哀の強い男性とは対照的に、ただ一つの希望を見つけた事に肯定的な印象を受ける。
うんざりするほどの「死」を見てきたであろう精悍な顔つきの男はふぅとため息をつくと、見るも無惨なほどに焼け爛れ、生きているのか死んでいるのかも分からないソレの胸に手を当てる。
少年の胸に当てられた掌の中に存在したソレは数センチ程度の大きさの土塊だった。
「…我が手は癒しを与えるモノ也、この地獄の地において見つけたりし、最後の希望を俺に捨てさせるな。」
詠唱らしき文言を発すると、精悍な顔付きの男の顔には無数の刻印のようなものが現れ出す。
ボロボロの土塊は少年の胸の中にみるみるうちに飲み込まれていき、姿を消した。
「お願い…!どうかこの子を…!」
祈るようにフードをまぶかに被った女性は両手を組み、天を仰ぐ。
すると少年の傷ついた体はまるで、高所から落とした皿が巻き戻されるビデオテープの映像のように本来の姿に逆行していく。
「成功したわね!」
女性は、ぴょんっと大袈裟に跳ねて見せると直様、少年と男性の元に駆け寄る。
「見た目だけはな。あとはこの子の生きたいという力次第だ。」
ほんの数分前まで黒く焼けた物言わぬ肉塊になりかけていた少年は、ぷはっと呼吸をし出す。
混濁する意識の中、微かに開いた視界には見慣れない
男の姿があった。
僅かに見えたその顔付きは酷く険しく悲しげだったが、少しだけ安堵が混ざったような穏やかさも窺える。
「今は何も喋らないでいい。」
男は視線に気付いたのか、無愛想ではあるが極力柔らかい口色で穏やかに声をかける。
「君の両親だが、すまない、救うことは出来なかった。
だが君は、君だけがこの地獄を生き残ることが出来た。
今から君を市内の病院に連れて行く。
君はそこで医師の適切な治療を受ける事になる。
だが俺たちの事は誰にも言うな、いいね?」
両親の死を告げられた。
未だ周囲は激しく燃え盛るこの極限の状況下その絶望という事実だけが胸に重くのしかかり、僅か6歳の少年の心を鋭く抉った。
「うっ…お母さん…お父さん…」
自然と涙が溢れ出る。
まだ全身は裂かれるような痛みに支配されているにも関わらず、少年は肉の痛みではなく、心の痛みで涙を流した。
「強い子だ。
君ならきっと乗り越えられる。
だが、今は君が助かる事だけが最も大事なんだ。」
以前男は笑顔の一つも見せないが、そこには上辺だけでない優しさが宿っていたのを少年は感じた。
「おじさん、ありがとう…」
少年はそう一言告げると、安らかに目を閉じる。
本来ならば即死してもおかしくないほどの大怪我だった。
だがそれは命の灯火尽きるほんの数秒前に現れた2人の魔術師の必死の救命活動により阻止され命は繋がれた。
「ーー、そろそろ追手が来るよ、急がなきゃ。」
先程までの安堵の表情は何処へか、
厳しい顔つきへと変わった若い女性は再びフードをまぶかに被り周囲を警戒しているようだ。
「あぁ、急ごう」
少年を抱きかかえた男と女性は、踵を強く地面に蹴りつけると一瞬にして姿を消した。
その後、少年は市内の病院に緊急搬送され、数時間にも及ぶ緊急手術の末に何とか一命を取り留めた。
医師を含め、警察やら何やら怖い大人の人達に色々聞かれたが、自分を助けてくれた人は誰にも喋るな、と俺は言われていたからだ。
俺は恩人を裏切るわけにはいかなかったので、憶えていないの一点張りでなんとか乗り切った。
不自然だが、あの大火災で何十人って死んだんだ。
奇跡が起きた、なんて安い言葉でも通用するような事態が現実に起きてしまっている。
それに唯一の生き残りが俺だけだったんだ、どうしても情報を集めたかったのだろう。
大人達も申し訳ないとは思いつつも俺に頼るしかなかったんだと思う。
傷も癒え、6歳の子供には過剰とも言える取り調べを終えた頃、俺に一つの変化が訪れる。
「あの人、灰色だ。」
入院していた際に、すれ違う人々の中に体の一部が灰色に見える人が何人かいた。
最初はそれが何かわからなかった。
お医者さんに聞いても事故によるストレス性の後遺症だと明確な答えは出なかった。
気持ちが落ち着いたら、きっと良くなるとそう言われた。
そして、それはいつもように病室で休んでいたときのことだった。
俺が療養していた病室には、俺を含めて3人の患者がいた。
俺、80歳を超える老人、20代の青年だ。
青年はあの火災で全てを失ってしまった俺を気の毒に思ったのか、いつも遊び相手をしてくれた。
なんでもバイト中に事故に遭い、足を骨折してしまったらしい。
そしてもう1人の患者は80代のお爺さんだった。
お爺さんは物静かでいつも優しそうにニコニコしていて、俺を孫のように可愛がってくれた。
がんを患っていたらしいが、幸いにも発見は早かった為にそれほど焦らないでいいような状況だったとか。
両親を失った俺にとって、仮初だけど歳の離れた兄と祖父が出来たような感覚で不思議と寂しくはなかった。
しかし、いつものようにお爺さんと話している時だった。
「お爺ちゃん、胸のとこ…灰色だよ?」
お爺さんは、不思議そうな顔をして自身の胸を見下ろすが、そこに異常は見受けられない。
「新しい遊びかのぅ?」
ニコニコした老人は、同部屋の20代の青年に話を振ろうとしたその時だった。
「うっ…!!」
突然、胸を押さえて苦しみ出す老人。
「えっ…?お爺ちゃん?」
力なく、老人はベッドに倒れ込んだ。
異変に気付いた青年はすぐにナースコールのボタンを押し、状況を説明、医師と看護師数名が病室に到着するや否や直ぐに老人をタンカーに乗せ連れ出してしまった。
俺は呆気に取られていたが、青年はなんとなく察したんだと思う。
何せ元気とは言え80代の病人だ。
いつどうなってもおかしくない、と。
「お兄ちゃん…お爺ちゃん…は?」
不安そうに見上げる俺に青年は頭を撫でながらお迎えが来ちゃったのかもなぁ、と物悲しげに空を見つめていた。
その数時間後、老人はがんとは全く関係のない心筋梗塞で亡くなったとの事。
心肺機能が既に大幅に弱っていたことに加え、年齢もあったのだろう。
俺が「死」を視た最初の出来事だった。
それから俺は全てを理解した。
病院という常に死が付き纏う場所で、「灰色」に染まった人たちをたくさんみた。
それは場所時間問わず、それから数時間、ないしは数日中に亡くなる人の原因となる部分が灰色に視える力だった。
俺は怖くなった。
せっかく助かったのに、こんな視たくもないモノを四六時中、視ないといけない体質になってしまった。
子供ながらに俺は精神的に追い詰められていった。
「縁くん!!何をやっているの!!」
医療器具をこっそり盗み出し、自身の眼を傷つけようとしたこともあった。
生物の終わり。
それを自身の意思とは関係なく視えてしまう力に、俺はほとほとうんざりしていた。
ああ、これはきっと俺に与えられた罰だ。
あの地獄の業火の中、ただ1人だけ生き延びた事に対する助からなかった人たちの妬みの具現だ。
「記憶せよ。」
「あの地獄からただ1人生き残ったお前が。」
「死を記憶せよ。」
「お前が死を数えるのだ。」
黒炭になった人型が俺にまとわりついてくる灼熱の悪夢だ。
どいつもこいつも鼻を突くような死臭を漂わせ、呪詛の言葉を吐き出しながらユラユラと消え入りそうな蝋燭の火のように体を左右に揺らし、目はチカチカと明滅し古ぼけた電球のように赤黒く輝いている。
「視続けるのだ、お前が代わりに。」
「伝えるのだ、お前が死を。」
「お前は、死神だ。」
死を視る眼。
終わりを告げる視線。
呪われた魔眼の力を俺は与えられた。
無残に死んでいった犠牲者達の呪いという名の濁流は
、俺に死を観測する装置としての役割を植え付けた。
これが火災事故を境に俺に備わってしまった呪われた力。