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停戦交渉

 八月二十日、地上が明るくなると丸一陣地に対するソ蒙軍の砲撃が再開されました。あいかわらず丸一陣地左翼にソ蒙軍の先鋒部隊が浸透しようとしています。この一点を突破されたら、守備陣は崩壊です。

(予備隊を投入すべきか。いや、まだ早いか)

 膳房堡の旅団司令部では参謀の辻田新太郎少佐が判断に迷っていました。司令部には予備隊として第三大隊が後置されています。

(いま、これを丸一の左翼へ投入すべきか。しかし)

 この予備隊を使ってしまえば、もう持ち駒がなくなります。予備隊投入の時期と場所は高度な戦術的判断です。考えあぐねているうちに昼になりました。昼飯を食っていると、辻田少佐はふと気づきました。

「おや、敵の砲撃が止んでおるぞ」

 確かに砲撃の炸裂音がおさまっています。そして、しばらくすると旅団司令部の有線電話が鳴りました。丸一陣地の中川国夫少佐からです。

「敵の装甲車一両、白旗を掲げ対戦車壕の端まで来て停止しあり。敵の軍使と思われる。至急、通訳を派遣ありたし」

「わかった。俺が行くまで待て」

 さらに監視哨から司令部に注進がとどきます。

「およそ百名のソ連軍部隊が丸一陣地左翼後背の高地に進出しあり」

 ソ蒙軍は、丸一陣地の左翼側の奥深くへ百名ほどの部隊を進めていました。外長城上の監視兵からの報告では、ソ連軍は陣地を構築しているらしいとのことでした。前進しては陣地を構築する。これはソ連軍の常套戦術です。この高地に敵陣地を構築されると、そこから撃ち出される砲弾によって外長城が破壊され、外長城線内への突破を許すことになります。あるいは丸一陣地が背側から砲撃され、守備陣の崩壊を招くことになります。辻田新太郎少佐は敵の狙いを次のように読みました。

(停戦交渉をするあいだに陣地を構築する腹だ。敵はバカではない。こちらの停戦提案を逆手にとってきやがった)

 見え透いて単純だが恐ろしい戦法です。辻田少佐は考えた末、停戦交渉に応じることにしました。また、陣地構築中のソ連軍に対応するため予備隊の第三大隊を投入することに決めました。

「旅団長、よろしいでしょうか」

 辻田参謀は永松旅団長からすべてを任されてはいましたが、いつも必ず旅団長に決裁を求めます。

「かまわん。思うとおりにやってくれ」

 辻田参謀は第三大隊の大隊長金田志一少佐を呼び出し、陣地構築中のソ蒙軍を撃退するよう命じました。

「これから停戦交渉がはじまる。敵軍は交渉中の停戦状態を利用して陣地を構築する考えだ。こちらも塹壕を掘って攻撃態勢を整えておけ」

 第三大隊は、問題の高地にいる敵軍を監視しつつ、懸命に塹壕を掘って攻撃に備えました。

 辻田少佐は外長城に立ち、あらためて丸一陣地をながめてみました。敵の砲撃はやんでいます。

(敵に新陣地を構築されるのはまずい。しかし、停戦交渉はありがたい。時間が稼げる。かりに敵が陣地構築に二日を要するとすれば、その間に、わが居留民は引き揚げを完了できるだろう。敵に肩すかしをくらわせることができるかも知れん。ともかく停戦交渉だ)

 しかし、ノコノコ出ていけば昨日のように撃たれるかもしれません。辻田少佐は膳房堡の住民からソ連軍への連絡役を募りました。戦場のど真ん中へ出て行くのです。みな嫌がりました。ですが、ふたりの蒙古人男性が応じてくれました。辻田少佐はふたりに多額の褒美とともに一通の手紙を託しました。文面は「いまより三十分後、軍使、交渉に至るをもって暫時待機ありたし」でした。

 連絡役の蒙古人ふたりは馬に乗って出かけていきました。ひとりは白旗を持っています。ふたりは、ほれぼれするように見事な馬術を駆使し、無事にソ連軍軍使のもとにたどりつき、返書をもらって帰ってきました。

「承知」

 と返書には書かれていました。辻田少佐はふたりの通訳官とともに九五式小型乗用車で丸一陣地に入りました。そこで中川国夫少佐をひろい、さらに戦車壕の左端に出ました。ソ連軍軍使との距離は二百メートルほどありました。ソ連軍軍使はしきりに手招きします。辻田少佐らは徒歩でソ連軍軍使の方へすこし近づきます。するとソ連軍軍使もすこし近づく。こうして互いに顔を見合わせるところまで接近しました。ソ連軍の軍使は四十代に見える大佐でした。ほかに部下が四人いました。

 上級者であるソ連軍大佐に辻田少佐は敬意を表して敬礼し、名乗ろうとしましたが、ソ連軍の大佐は聞こうともせず、いきなり結論を言いました。

「貴軍は即刻われわれの武装解除を受けよ。生命は保証され、将来かならず本国に送還される。すでに満洲里、ハイラル、チチハル、奉天、牡丹江、四平街など、いずれもソ連軍により武装を解除されている。貴軍も降伏せよ」

 たしかに満洲では関東軍がソ連軍の武装解除に応じていました。ですが、その詳細を辻田少佐は知りません。辻田少佐は目の前の問題だけに論点をしぼって答えます。

「わたしは無益の交戦を避けるため停戦の交渉にきた。わが軍は当陣地の守備を命ぜられている。わが軍の任務達成を貴軍が妨害しないのなら、敵対する必要はない。ただし、貴軍が我々の任務を妨害するというのなら、不本意ながら戦うほかはない」

 毅然たる態度で返答しました。そのとき中川少佐が辻田少佐のそでを引き、ささやきました。

「辻田参謀、最後の言葉は強すぎる。持久を図るためにも穏やかに話したほうがよい」

「それもそうだな」

 言われた辻田少佐はうなずき、ソ連軍軍使に語りかけました。

「わたしには武装解除を命ずる権限がない。また、聞くところでは張家口の接収には傅作義と閻錫山(えんしゃくざん)が名乗りを上げている。これにくわえてソ連軍までが接収を要求するとなれば、わたしは判断に苦しむ。貴軍におかれては本国政府に照会なされよ。また、かりに武装解除を受けるとしても、この陣地は広いので全軍に徹底するためには時間を要する。相当の時間を与えられよ」

 するとソ連軍軍使は顔を真っ赤にして吠えました。

「命令権限などなくてもよい。武装解除を独断で決めよ」

 型どおりの恫喝でした。辻田少佐はいなすように冷静に返答します。

「不可なり。ただちに上官の指示を受けるので待たれよ」

 ソ連軍軍使は、これを無視して、要求します。

「いま午後一時二十分である。これより二時間の猶予を与える。司令部に帰り、本日午後三時三十分にはかならず武装解除するように図れ」

 これを聞いて辻田少佐は、戦うしかないと思いましたが、顔色には表さずに言いました。

「司令部に帰って報告し、善処する」

 辻田少佐らは丸一陣地にもどりました。そして、有線電話を駐蒙軍司令部につなぎ、事の次第を報告しました。

「ソ連軍の態度は横柄で武装解除しろの一点張りです。交渉成立の見込みはありません」

 電話の相手は高級参謀田村清中佐でした。

「持久を図るため、さらに交渉せよ」

 そこで辻田少佐は再び交渉に向かいました。先ほどと同じ地点で再交渉しました。時刻は午後二時半になっていました。辻田少佐は握手を求めてみましたが、ソ連軍軍使はこれをはねつけました。辻田少佐が言います。

「司令部に連絡したところ張家口は在留邦人の撤退で大混乱している。わが軍に二日間の猶予をいただきたい。そうすれば武装解除に応ずる」

「ダメだ。すみやかに武装解除せよ」

「連合国のとりきめによれば、張家口の接収は国民政府の傅作義軍がおこなうことになっている。貴軍がこれをおこなうのは連合国間の合意に違反する行為ではないか」

 辻田少佐は理屈をこねて食い下がります。辻田少佐の日本語を通訳官がロシア語にして話しましたが、ソ連軍軍使はそれを途中でさえぎりました。

「はやくしないと時間がないぞ」

 大げさな動作で腕時計を指でたたきながら言い捨て、ソ連軍の大佐は背を向けてしまいました。その態度からして交渉の余地はなさそうでした。それでも辻田少佐は「善処する」と言いのこし、交渉を終えました。辻田少佐は丸一陣地内から駐蒙軍司令部に電話をし、交渉の決裂を報告しました。さらに、辻田少佐は、敵軍の攻撃再開を午後三時二十分と予想し、全軍に警戒を命じました。

 辻田新太郎少佐は丸一陣地にとどまったまま敵の攻撃を待ちました。しかしながら、ソ連軍は攻撃を再開しませんでした。午後三時二十五分、丸一陣地の前線部隊から連絡が入ります。

「敵は軍使を要求している」

 辻田新太郎少佐は敵の真意を推し量りました。

(敵は停戦したがっているらしい。陣地構築の時間が欲しいのかもしれん。ならば、いっそ蹴ってしまうか。しかし、こちらも停戦したいところだ)

 考え込んでいる辻田新太郎少佐に中川国夫少佐が意見具申しました。

「軍使を出しましょう。時間を稼ぐにはそれがいちばんいい」

「まて。この交渉はすでに一度は決裂したのだ。こんど交渉に行ったら軍使が抑留されるかもしれない。それが敵のねらいだったらどうする。軍使を抑留し、拷問し、陣地内の軍事情報を聞き出すつもりだ」

「そうかもしれません。しかし、敵軍が全力で攻めてきたら丸一陣地は一日で抜かれるでしょう。わたしが行きます。行かせて下さい。拷問されても口は割りません」

 中川国夫少佐は中地区隊の隊長として丸一陣地の戦闘指揮をとってきました。その経験から、敵軍の実力を身に染みて理解していました。戦うより交渉で時間を稼ぐ方がよいと考えたのです。

「わたしに行かせて下さい」

 中川少佐が熱望するので、辻田少佐は中川少佐を軍使として派遣することに決めました。そして、辻田少佐自身は丸一陣地に残ることにしました。もし辻田少佐が抑留されてしまうと、事実上の旅団指揮官が不在になってしまうからです。

 正使中川国夫少佐、副使加藤淳中尉、護衛川村重雄軍曹、沖森収三通訳官の四名は、最前線の戦車壕へと向かいました。四名が先ほどと同じ交渉地点に到着すると、ソ連軍軍使は数百メートルほど北にある建物へと軍使四名を誘導しました。その後、中川少佐以下四名は、誘導されるままにソ連軍の自動車に乗せられ、さらに後方へと連れて行かれました。

「しまった、やられた」

 その一部始終を陣地内の高台から望見していた辻田少佐は後悔しました。

(抑留された。やはり行かせるべきではなかった)

 しかし、四十分後、中川少佐と沖森通訳官のふたりが帰ってきました。中川少佐は次のように報告しました。

「敵の要求は、いまより五時間以内に武装解除を受け入れろ、です。さもなければ張家口まで徹底的に破壊すると言っています。そのほかにも訊問を受けましたが、あいまいに受け流しておきました。加藤中尉と川村軍曹は抑留されてしまいました。申し訳ありません」

 中川少佐はうなだれます。

「あやまることはない。敵が卑劣なのだ」

「わたしは陣地にもどります」

 中川少佐は覚悟を決めたような声を出し、顔を上げ、現場に戻っていきました。おそらく五時間後にはソ蒙軍の総攻撃が始まります。この丸一陣地は圧倒的なソ蒙軍によって蹂躙されるに違いありません。

 無事に帰還した沖森収三通訳官も責任を感じていました。

「もう一度わたしを派遣してください。抑留されたふたりをあのままにはできません」

 辻田少佐に訴えました。

「いやあ、それは無駄だよ。それに間もなく戦闘が始まる。あまりに危険だ。やめたまえ」

 ところが沖森通訳官は引き下がりません。態度を改めて言います。

「わたくしは今までロシア語をもって軍にご奉公をし、厚遇を受けてまいりました。この危急の際、わたくしのロシア語が多少なりともお役に立つのなら、この身はどうなってもかまいません。ぜひ、行かせて下さい」

 その赤誠に辻田新太郎少佐は感動しました。ですが、あまりに危険すぎます。

「きみの真情と勇気にはまったく敬服する。しかし、間もなく敵の攻撃が始まる。危険だ」

「死は度外視しております。敵弾に倒れても悔いはありません。行かせて下さい。わたくしのロシア語できっと抑留されたふたりをとりかえしてみせます」

 熱烈な沖森通訳官はあきらめそうにありませんでした。やむなく辻田少佐は駐蒙軍司令部に電話して相談しました。軍司令部はおそらく否と返答するに違いない。それで沖森通訳官を納得させようと考えたのです。ところが、意外にも軍司令部から許可がおりました。可能性は低いものの、もし停戦となれば時間が稼げるし、抑留された二名も取り戻したい。それが駐蒙軍司令部の判断でした。驚いた辻田少佐は、半ば呆然としたまま命じました。

「沖森通訳官、命令がくだった。軍使を命ずる」

「はい」

 辻田少佐は日本軍側の要求事項を日本語で書きおこしました。それを沖森通訳官がロシア語に翻訳し、正式な文書にしました。辻田少佐は沖森通訳官に地図を見せ、略図を描いて手渡してやり、もっとも安全であろう道筋を懇切に教えました。

「くれぐれも無理をしないように」

「行ってまいります」

 すでに夜です。おまけに細雨まで降ってきました。沖森通訳官は書類をおさめたカバンひとつを持ち、戦場の闇へと消えていきました。


 やがてソ蒙軍の攻撃が始まりました。交渉による停戦状態はおよそ十時間で終わりました。再開されたソ蒙軍の攻撃は熾烈です。丸一陣地の全域は砲弾の豪雨にさらされ、正面の戦車壕には戦車と装甲車が群れをなして波状的に殺到しました。日本軍は防戦に徹し、迫り来る敵軍を撃退しつづけます。

 数時間後、ソ蒙軍は戦術を変えました。丸一陣地左翼に歩兵部隊を進めて再度の浸透を図ってきました。およそ二百名のソ蒙軍歩兵部隊は、日の丸山を迂回して侵入しようとします。そこを守備していたのは第二大隊第三中隊です。激闘になりました。銃撃戦から、やがて彼我入り乱れての白兵戦になりました。その様子を後方の丘上から見ていたのは、数日前に張北で大暴れした第一中隊長増田利喬中尉です。

「オレにつづけ、中隊、前へ」

 増田中尉は軍刀を抜き、第一中隊の先頭に立って駆けました。闇夜の白兵戦です。増田中尉は軍刀を無我夢中で振り回し、斬りまくり、敵兵を八人たおしました。第一中隊のこの奮戦により敵軍は退却していきました。ホッと我にかえったとき増田中尉は全身に痛みを感じました。身体中にたくさんの貫通銃創と切傷がありました。増田中尉は倒れて動けなくなりました。その手に握られていた軍刀はひん曲がっていました。

 ソ蒙軍の歩兵部隊は、丸一陣地右翼側にも進出してきました。夜闇に紛れて戦車壕をひそかに突破し、鉄条網をやぶり、日本軍の第一線散兵壕に突入したのです。白兵戦となりました。ここを守備していた西野中隊と佐野中隊は全力で奮闘し、敵を撃退しました。


 丸一陣地を守る独立混第二旅団が戦闘と停戦交渉にあけくれた八月二十日は、蒙彊居留民輸送作戦の第二日目でした。この日は朝から張家口駅に居留民が殺到し、大混雑しました。だれもが家財をまとめた大荷物を持ち込んでいます。当然の人情です。なにしろ鍋釜や衣類や布団が財産だった時代です。今日のような大量消費の使い捨て時代ではありません。ですが、これらの荷物を列車に持ち込む余地はありませんでした。

「荷物はここに置いていくように。後日、送付する」

 これは結果的に嘘となりました。張家口がソ連軍に占領されてしまったからです。やむを得ぬ方便だったのです。

 第一日目の居留民輸送は周知連絡の不手際から計画輸送人員を下回っていました。その遅れをとり戻さねばなりません。華北鉄道は、次から次へと列車を発車させました。居留民と食糧を貨車や客車に詰め込み、次々に列車を発車させていきます。各車両は満員です。有蓋貨車は人いきれで息苦しくなり、無蓋貨車は風雨にさらされました。列車はノロノロと進み、しかも頻繁に止まります。長編成の列車が五分おきに発車しており、玉突き状態での運行です。安全確保のためには低速度運転が必須でした。通常ならば六ないし七時間で北京に到達するところですが、結果的に、二日から三日を要しました。昨日発車した列車もまだ北京には到着していません。巨大なイモ虫の群れが、列を成してゆっくりと張家口から北京へと這っていくようなものです。

 京包線に対する共産ゲリラの破壊活動が頻繁です。とくに山間部では、どこからともなく銃弾が飛んできて、列車の上を飛び交いました。そのたびに居留民たちは首をすくめ、身を隠さねばなりません。

 上海から北上してきた第百十八師団と独立混成第二旅団第一大隊と華北交通警備隊は二十四時間体制で沿線警備をしています。しかし、張家口から北京までおよそ百五十キロにおよぶ鉄道沿線を完璧に警備するのは困難でした。鉄路爆破などの大規模な破壊は予防できましたが、小規模破壊までは防げません。共産匪賊は、枕木や敷礫や鈎釘を撤去して運行を妨害します。華北交通の鉄道員はそれら妨害の形跡を見つけては懸命の復旧工事を実施します。こうした警備の甲斐あって致命的な鉄路破壊は防ぐことができています。第百十八師団の全力を鉄道警備に差し向けた根本中将の判断は正しかったと言えるでしょう。

 駐蒙軍と華北交通は各駅に食糧を集積して炊き出しを実施したほか、食糧を積んだトラックを走り回らせて停車中の貨車や客車に食糧を投げ入れました。沙城駅から宣化駅まではリンゴ畑の中を鉄道が通っています。ちょうどリンゴが実っている時期でした。鉄道警備中の兵隊や警備隊員はリンゴの実をもいで、列車に投げ入れてやりました。


 駐蒙軍司令部に支那派遣軍総司令部から重要な命令電文が届いたのは、二十日午後です。支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は、駐蒙軍司令官根本博中将に対して即時の停戦と武装解除を命じました。その電文は次のとおりです。

「蒙彊方面におけるソ軍の不法行為に対し、貴軍の苦衷、察するにあまりあり」

 支那派遣軍は駐蒙軍の苦しい立場を理解していました。「しかれども」と電文はつづきます。

「詔勅を体し、大命を奉じ、真に堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶのとき来たるをもって」

 このあたり、この時代の日本人の特徴といえるでしょう。天皇の勅語が行動の原理となっていました。これこそ日本の国体です。とはいえ戦略的には不味い面がありました。あまりに内輪の論理に徹し過ぎており、敵に対する評価と対策がないのです。そして、岡村大将は駐蒙軍に命令します。

「あらゆる手段を講じ、すみやかに我より戦闘を停止し、局地停戦交渉および武器引き渡し等を実施すべきを厳命す」

 天皇陛下の御聖断があり、参謀本部の降伏命令があり、そして支那派遣軍からの武装解除命令です。駐蒙軍司令官は命令に従わねばなりません。実際、駐蒙軍以外の各軍はすでに停戦し、武装解除をはじめています。

 関東軍の場合、八月十六日には軍司令官山田乙三大将がはやくも停戦を決定し、十九日からソ連軍との停戦交渉を開始していました。しかし、根本博中将の考えは違いました。

(関東軍も支那派遣軍もわかっておらんのだ。共産主義というものを。あれらに話は通じない。政府も参謀本部も山田大将も岡村大将もソ連軍の本質を見ておらん。相手が蒋介石ならば話は通じる。だからこそわしは傅作義軍の武装解除を受けようと苦心しておる。それがわかっておらん。国際協調主義の毒だ。ソ連軍に対する認識が甘くて話しにならない。ソ連軍とて丸腰になった日本軍にひどいことはすまい、民間邦人に暴虐なことはすまい、日露戦争のとき日本軍はロシア軍捕虜を厚遇した、だからソ連軍も非道なことはすまい、そんな甘い夢を見ておる。敵を知らぬとはこのことだ)

 やむなく根本中将は苦心の返信電文を起草しました。

「少なくも二ないし三日、なし得れば一週間の余裕を得る目的をもって、さらに交渉続行に努むるも、彼にして応ぜざる場合は最小限の時日の余裕を得る目的をもって、隷下の総兵力を結集し、断固、外長城線要域において敵の進出を抑止するため戦うごとく決意しあり」

 駐蒙軍司令官の決心を明確に表明し、さらに追加電を発信しました。

「大東亜省の指示は本職と反対にて居留民の引き揚げを遅延せしめたるをもって、ただいま張家口には二万余の日本人あり」

 居留民は現地に残す、という大東亜省の現実離れした方針を痛烈に批判しました。張家口にはなお多くの邦人が残っています。これを脱出させなければなりません。

「ソ軍は延安(えんあん)と気脈を通じ、重慶軍に先だって張家口に集結し、その地歩を確立せんがため、相当の恐怖政治を実施せんとしあるが如し」

 延安には中国共産党の本拠があり、そこには毛沢東がいます。毛沢東はスターリンと気脈を通じていおり、重慶に本拠をおく蒋介石軍を出し抜いて張家口を奪取し、北支に進出するための拠点を確保しようとしていました。そして、支那にソ連同様の恐怖政治を布こうとしているのです。そうなれば居留邦人は逃げ場を失います。そうならないように根本中将は工夫を重ね、心労しています。

「重慶側の傅作義は、張家口の接収を提議しきたり、日本人の生命財産を保護すべきも、もし延安軍または外蒙ソ軍等に武器を渡すならば、その約束は守る能わず、と申しあり」

 根本中将は武装解除を受けようとしています。その意味では支那派遣軍の命令に忠実です。しかし、傅作義軍による武装解除にこだわりました。張家口~大同間の鉄道が共産ゲリラによって破壊されてしまったため傅作義軍は張家口に迅速には入れません。そこにつけこんでソ蒙軍が攻めてきています。ソ蒙軍の意図を挫くためにこそ丸一陣地の独立混成第二旅団に防戦を命じているわけです。共産主義をいっさい信用しない根本中将は、ソ蒙軍の武装解除を完全に拒絶する決心です。

 これに対して岡村大将は「ソ連軍の武装解除を受けろ」と命令してきています。支那派遣軍と駐蒙軍との意見の対立は、ソ連軍の武装解除を受けるか否かの一点に尽きました。

「本職は傅作義の申込みに応じ、八路軍および外蒙ソ連軍の侵入は敢然これを阻止する決心なるも、もしその決心が国家の大方針に反するならば、直ちに本職を免職せられたし」

 根本博中将の抗命でした。抗命は、直ちに悪いというわけではありません。軍司令官は兵卒とはちがいます。将校以上の軍人には独断専行の権限があり、独断専行すべき時と手段を判断する能力を涵養するため、長年にわたって教育と訓練を受けてきています。現場の状況を勘案して独断専行するのは軍司令官に認められた権限です。命令を承知していても、それが現状に合わないのなら独断専行せねばなりません。そのことを根本中将は包み隠さず返電しました。見事な態度です。

 これに対して支那派遣軍はかさねて停戦を命令してきました。さらに北支那方面軍司令部からも要請電がとどきました。

「戦局上いかなる犠牲を払うとも、即時、ソ軍との停戦を命ぜられたし。支那派遣軍命令よりするも、また、関東軍停戦の実状よりするも本処置を絶対に必要とす」

 これに対して根本中将は駐蒙軍司令部から、日付の変わった二十一日未明、次の電報を発信しました。

「ソ軍の攻勢は依然継続せられあり。我は万難を排し停戦に関し交渉中なり」

 これは事実です。実際、丸一陣地では独立混成第二旅団の辻田参謀が困難な交渉を実施し、さらに勇敢な沖森通訳官が単身で敵軍に向かっています。根本中将の電報はさらに続きます。

「軍は、交渉間を利用し、二十日中に居留民を徒歩、自動車および列車により北京地区に前進せしむ。軍は、居留民の前進完了を確認の上、明二十一日中に京津地区に向かい前進せんとす」

 これが現下の駐蒙軍の状況と方針でした。居留邦人の財産までは守ってやれない。せめて生命を守ろうというのが根本中将の目的です。そのために丸一陣地の守備を独立混成第二旅団に命じ、第百十八師団に鉄道警備を命じ、華北交通に輸送を命じているのです。満点ではないにせよ根本中将の意図どおりに事態は進行していました。


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