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プロローグ

根本博略歴


明治二十四年 福島県で生まれる

明治三十九年 陸軍中央幼年学校入学

明治四十二年 陸軍士官学校入校

大正  六年 北支那守備隊

大正  八年 陸軍大学校入校

大正 十二年 参謀本部支那課支那班

昭和  元年 南京駐在

昭和  七年 上海駐在武官

昭和 十一年 旭川歩兵第二七連隊長

昭和 十五年 南支那方面軍参謀長

昭和 十六年 第二四師団長(満洲)、中将

昭和 十九年 二月、第三軍司令官(牡丹江)

       十一月、駐蒙軍司令官(張家口)

昭和 二十年 蒙彊撤退作戦を指揮

昭和二十一年 復員

昭和二十四年 台湾へ密出国

昭和二十七年 帰国

昭和四十一年 死去


 昭和二年、支那大陸は戦乱のまっただなかにありました。広東地方に本拠をおく国民党の蒋介石総統が中原に覇を唱えんとし、北伐を宣して軍をすすめ、北部軍閥と戦っていたのです。

 その戦火が南京におよんできたとき、根本博陸軍少佐は駐在武官として南京日本領事館に勤務していました。駐在武官は軍人ですが、同時に外交官でもあり、大使や領事の指揮統率に従います。服装は、時と場合によって軍服と背広とを使い分けますが、この日の根本少佐は紺色の背広姿でした。

 南京城内にある日本領事館は、兵乱を防止するために門を閉じ、二百名以上の民間邦人を保護しつつ、海軍陸戦隊の機関銃隊によって武装し、万が一の事態に備えていました。

 支那軍閥同士の戦闘は蒋介石軍の勝利となり、北部軍閥は北へと撤退していきました。日本領事館内がもっとも緊張したのはこのときです。支那の軍隊は撤退するときに清野戦術を実施します。清野戦術とは焦土戦術のことです。敵に領地を明け渡す前にすべてを破壊し尽くすのです。領事館とはいえ襲撃されるおそれが多分にありました。

 しかし、武装を固めていたおかげで日本領事館は無事でした。北部軍閥の将兵は南京城外へと撤退していき、それと入れ代わりに勝利した蒋介石軍が南京城内に入城してきました。

「もう大丈夫だ」

 青天白日旗が翻るのを見た森岡正平領事は海軍陸戦隊に武装を解かせ、門を開けさせ、日の丸を掲揚させました。

「領事、まだ早いのではありませんか。蒋介石軍だからといって油断はできません。もうしばらく武装警戒を継続してください」

 根本博少佐は森岡領事の判断を尚早とし、門を閉じて武装警戒をつづけるよう意見具申しました。しかし、森岡領事は「心配ないよ」と笑うだけでした。

 この時期、幣原喜重郎外相の対支宥和政策が日本外交の基本方針となっていました。外務省は蒋介石総統と綿密に連絡をとり合っていたので蒋介石軍を信用していました。森岡領事は幣原外相の方針を信じて疑わず、安心していたのです。

 日本領事館の正門が開いてしばらくしたときです。突如として蒋介石軍の一隊が日本領事館内に乱入してきました。森岡正平領事の命令にしたがって武装を解除していた海軍陸戦隊は、不意を突かれて抵抗する術を失っていました。支那兵たちは思うままに略奪暴行をはじめます。

「金を出せ」

「金庫を開けろ」

「殺すぞ」

「衣服を脱げ」

 匪賊と化した暴兵たちは、なかば笑みを浮かべながら、大声で喚き、領事館内を走り回り、骨董品や金庫など金目の品々を物色します。この混乱に地元のヤクザ者や住民までが加わって、日本領事館内のありとあらゆるものが、それこそ便器から水道の蛇口にいたるまで奪い去られていきました。その場にいた日本人の老若男女ことごとくが貴金属から衣類まで身ぐるみ剥がされました。さらに領事夫人を含む三十名ほどの邦人女性が哀れにも強姦されてしまいます。

 このとき駐在武官の根本博少佐は拳銃を携帯していましたが、多勢に無勢でいかんともなしがたい状況でした。背広姿の根本少佐を支那兵たちは領事だと思い込み、問い詰めます。

「おまえが領事だろう。金庫の鍵を出せ」

 見るからに恰幅のよい根本少佐を支那兵たちは領事だと勘違いしたのです。暴兵たちの表情は、獲物に襲いかかる狼の群れのような狂気に満ちていました。軍人として鍛えられていた根本少佐でさえゾッとする表情でした。人間という動物の浅ましさを初めて間近に見たからです。

「鍵はない」

 根本少佐が気丈に言うと、暴兵たちは怒り狂い、根本少佐を銃床で殴り、銃剣で刺しました。黒縁丸メガネが吹っ飛んでド近眼の根本少佐は視界をなかば失いました。おぼろげな視野のなか、根本少佐は拳銃を天井に向けて数発発射しました。これに暴兵がひるんだすきに、根本少佐は二階の窓のあたりへ突進しました。危地を脱するために飛び込んだのです。

 その後の記憶を根本少佐は持っていません。気づいたときには病院のベッドの上に寝ていました。


 この南京事件は、蒋介石軍内部に浸透していた共産分子の煽動によって起こされたことが後になって判明します。

 根本博少佐は重傷でした。数ヶ月の療養で身体の傷は癒えました。しかし、根本少佐の脳裏には、半笑いを浮かべながら暴れ回る暴兵たちの悪虐と、無抵抗な民間人たちの哀れな姿が忘れがたい記憶となって刻まれました。銃剣によって割かれ、血に染まった紺色の背広を根本少佐は捨てようとせず、つねに身近において日頃の誡めとしました。

(あのような失態は二度とせぬ)

 軍務への復帰に際し、根本博少佐は堅く誓いました。

 そして、十八年後、このときの決意が蒙彊(もうきょう)居留邦人およそ四万人の命を救うことになります。


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