蒙彊撤退作戦
昭和二十年八月、日本政府はポツダム宣言を受諾しました。停戦です。そのとき蒙彊(もうきょう:内モンゴル)にはおよそ四万人の日本人居留民がいました。その蒙彊に兵力五万のソビエト軍が迫りました。これに対抗すべき駐蒙軍の兵力はわずか二千にすぎません。主力の独立混成第二旅団はソ蒙国境の丸一陣地に立て籠もって抵抗を試みますが、兵力差は圧倒的でした。駐蒙軍司令官根本博中将は、四万の居留邦人を救うため政戦両略に知謀を尽くします。
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