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エレツアルが魔物を討伐に行く事は、公には、隣国との戦に備える訓練を行う名目で通っていた。出軍はひっそりと行われたようで、噂話以外、大きな騒がしさはない。
私は不安だった。たった一人の家族を失ってしまうかもしれないと思ったのだ。エレツアルが居なくなった日常はただ凪いでいて、色褪せていた。
何日か経った後、歌人の宿舎に驚くべき人が訪れた。
「本日、ルイス陛下がお忍びでお見えになります。皆、失礼のないように」
朝一番に皆が集められ、稽古をつけてくれる師にそう告げられた。
ルイス陛下というのは、このヴァルクアの人間の王だ。正直、あまりどのようなお方なのか全く知らない。歌人の4人は身を固め、顔を見合わせる。
「ああ、レイリア。陛下が貴女に用があるそうです、こちらへ」
師に呼ばれ、私は目を見開いた。
レイは心配げに、シャリス公は無関心。リリアン嬢は憎々しげに私を睨んだ。私は小さくため息を吐く。この国の王2人とも話す機会を得る庶民なんて、この世にいるのかしら……。
部屋を出ると、いつもの門に居る衛兵ではなく、立派な鎧を付けた衛兵が立っていた。おそらく、王直下の近衛兵だろう。師に誘導され、怯えながら移動する。
長い廊下を渡り、普段使っていない部屋へと案内された。
中に入ると、近衛兵達の中心にその方は居た。私は急いで頭を低くする。
「やあ、君がレイリアだね」
「……」
「許す」
顔を上げると、人の好さそうな笑みを浮かべた青年が椅子に座っていた。
年の頃は20歳半ばくらい、銀髪に金の瞳。上品な青を基調としたウエストコートには、金の刺繍が施されている。左肩から膝までにはゆったりとマントがかかっており、その出で立ちはまさにこの国の王の風格だ。
「下がれ」
声は凛としていて、良く通る。近衛兵は忠実に彼の命令を守り、あっという間に部屋に私と陛下の2人だけになった。
「さあ、ここに座って。緊張しなくていいからね、急に呼びたててしまい申し訳ない」
「いっ……いえ、陛下」
陛下に促され、椅子に座る。緊張で口の中がカラカラになり、言葉が出てこない。その様子を見て、ルイス陛下が優しく笑った。
「あのエレツアルが気にかけている娘がいると聞いて、会いたくなったんだ」
「へ……」
どうやら私とエレツアルが会っていることは筒抜けだったようだ。王宮、恐ろしい。ルイス陛下は言葉を続けた。
「驚いたよ。普段決して弱みを見せない彼が、あんなに無防備なるなんてね。よほど、君に会いたかったらしい」
「……」
エレツアル。貴方が帰ってくる前に私、暗殺されそうよ。
「単刀直入に言うと、レイリア。彼を助けてあげてほしい」
「助ける、ですか?」
「ああ。彼は私にできない事を一心に引き受けている。ゆえに、孤独だ。もちろん敵も多い。常に気を張って情報を集め、人を操り、うまく立ち回り続けなければ、とっくに死んでいるだろうね。彼がそうなる理由は、国に反旗を翻そうと企てている貴族なんかを、私の代わりに片付けているからだ。あえて汚れ仕事を買って出て、私にさせようとしない。言いはしないが、そうだ」
「恐れ多くも陛下、私のような庶民に、妖精王陛下をお助けできるほどの力は、ありません」
ルイス陛下は寂し気に目を伏せた。
「彼は恐ろしい妖精だ。妖精とは恐ろしいものだよ。でも、どうやら彼は心を持っている。幼い頃、君に与えられたのだろう」
「陛下……」
驚く。彼はすべてを知っているようだった。
「君と同じ歌人のシャリスも、彼に助けられたんだよ」
「!」
「シャリスは養子でね、ひどい虐待を受けていた。でも、エレツアルが虐げていた貴族らを殺して助けたんだ。彼にしか出来ないことだった」
「そんなことが……」
「エレツアルは闇に居たがる。でも僕は、彼に光を見出してほしい」
私は黙ってルイス陛下の言葉を聞いた。
「何年もの間、彼は弱みを見せなかった。君が唯一だ。もし、君が少しでも彼を思う心があれば、傍にいてあげてほしいんだ。私から言いたいことは以上だよ。答えは言わなくてもいいい。……呼び出しておいて悪いが、そろそろ行きなさい。これ以上話していると、内容が漏れてしまうかもしれない」
「は、はい。陛下」
表情は優しい。
でも声色は堅かったので、つられるように部屋から退出した。
私は考えた。
エレツアルはこの国を憎んでいる。でも、ルイス陛下の話を聞くと、まるで光を翳らせないように彼を助けている。苦しみ続けて、耐えられずに国を滅ぼそうと思ったのだろうか。
エレツアルはとても複雑で難しい。
それにしても、彼と再び会ってからずっと彼のことを考えている気がした。
不在となっている今でさえ、絶えず頭から離れない。
「エレツアル、いつ帰ってくるの」
小さく呟いて、稽古場へと向かった。