魔王と干物女は危機を乗り越える
第7話です。
動きがあった室内ですが、恐れていた事態がついに起こります。
石畳みの冷たさが心地よい。
深夜ともなると、さすがに家具職人も魔術師も家へと帰っていく。
誰もいない王座のすみに腰を下ろしながら、ジャベリンは独りごちていた。
「なんとも・・・先が読めん」
かつて魔王がどこかへ遠征に出かけたことはあるが、
それを除いて、どこかへ長期不在となってしまったなど前代未聞である。
いや、正確には傍にはいるのだが。
幸い意思疎通はかろうじてとれるものの、
普段の政をすすめるのにはいささか難が大ありであり、
忠実に命令を遂行していくことに慣れきっていた
パワー系の魔族や魔獣は若干おろおろしている。
かろうじて上層部が奔走し、
【魔王様の指示で】ということで何とか統制を維持してはいるが・・・。
「・・・まさか自分がこのような政にかかわることになるとは・・・」
そもそもの発端ジャベリンは、もともとの引っ込み思案な性格もあって、
迫りくる様々なトラブルや仕事を断れず、
研究者というよりは、もはや執政官のような生活をしていた。
最近ではさまざまな領地の調整、いざこざの制定、細かい約定の制定など、
魔王領を図らずも「まわしている」形となっている。
もとより、だれもこんな煩わしいトラブルにかかわりたくないのが人情、いや魔情なのか、
いざとなったときの魔族は冷たいものである。
「・・・温かいニウベの煮込みが食べたい・・・」
小さいころ母親がよく作ってくれた家庭の味を思い出しながら、
ひっそりと故郷ののどかさをうらやんでいた。
時折もぞもぞと魔王が動くたびに気が気ではなかった当初とはことなり、
多少椅子がずれても、変な格好になっても動じなくなったのは、日頃の迫りくる激務のせいか。
はたまた、心臓がつよくなったのか。
と、もぞもぞと動いていた足が激しくどかんと椅子から落ちる。
「・・・まったくいつまでこんなことを」
おそらく惰眠をむさぼっているであろう魔王にため息をつきながら、いそいそと椅子を戻そうとするジャベリン。
魔王の下に潜り込みいすを引き寄せていると、
『・・・なんかすごい音がしたわね』
聞きなれない声に、思わず意識がさえわたる。
「だれかいるのか!!」
とっさに叫ぶが、王座はしんと静まり返っている。
『・・・誰、声がきこえるわね』
!!
間違いではない。
確かに、女の声がする。
おそるおそる、声をかける。
「まさか・・・あっちの世界からか!!」
『・・・本当に【ちょっと漏れてる】のね、これ』
間違いない。
向こうの世界の生物。
しかも言語を持つ、高等生物である。
「私の言葉がわかるのか!」
『・・・一応日本語みたいね』
ニホンゴゥというのはよくわからないが、おそらく言語だろうか。
幸か不幸か意思疎通ができる。
これはかなり有難いことではないか。
「女、名前は何と申す?」
『・・・ユカリよ』
ユカリ・・・、不思議な響きを持った名前の女だ。
姿かたちは視えぬが、それなりに学があるのは理解できる。
「私は、魔術研究者のジャベリンじゃ。魔王様のもとで研究にいそしんでいる」
『・・・ジャベリン。おっさんと同じ種族なのね。』
お、おっさん。
かつて歴代の猛者といわれた世界最強の存在をおっさんよばわりとは・・・。
この女、なかなかただ者ではない。
「あ、ああ、そうじゃ。ところで、魔王様はどうなっている」
そう、向こう側があるということは、魔王様の頭は向こう側ということだ。
焦る私に、変化のないトーンで返答が返ってくる。
『・・・まあ、無事ね。・・こちとら壁からいきなりおっさんが生えてきて大変なことになってるけど』
壁から生えてる。
しごくもっともな表現がすとんとおちる。
確かに、反対側からみたら、そんな感じになるのだろうな。
いやいや、笑ってはいけない。
「女、ユカリといったか、そちらはどのような場所なのだ。貴様の住処か」
『・・・そうね、私の部屋だけど・・・』
「そうか、とりあえず安全そうな場所でよかった」
ひとまずほっと胸をなでおろす。
荒野に忽然とにょっきり姿を現していたり、上空はるか高く寒さにさらされていたりといった懸念が払拭できたことは幸いである。
「・・・何がよかったのかしら。・・・こっちはよくわからないおっさんの居候状態になっているのだけけれど」
『魔王様に向かってなんと失礼な』
この女かなり口が悪いな、と思いつつも、常識が通用しないあちらで何かあってはいけない。
ぐっとこらえる。
「・・・うっさいわね、あんただって自分のうちの壁からおっさん生えてきたらいやでしょ」
うん、それは確かに辛いかもしれない。
インディカのはく製よろしく映えてきたおっさんと同居というのはなかなかにハードルが高そうである。
そんなよくわからないやり取りをわちゃわちゃと続けていると、魔王様が低くうなり声をあげられる。
ぐろろ、ぐる。
よかった、元気なようだ。
思わず笑みがこぼれるが、そんな幸福な時間も、女の少しあせった声に引き戻される。
『・・・あんた、なにを・・・まさか』
『うう・・・すまん、思ったより・・・早くなりそうだわ』
『・・・死ねよ』
今聞き捨てならない言葉が聞こえて殺気立つが、とにかく状況把握が先である。
「おい、女、ユカリ、何がおこってるんじゃ」
『・・・うっさいわね、何のんきなこといってるのよ。・・・トイレの危機よ』
「は、といれ?」
何かの暗号だろうか。
魔王様がぐるぐると震え始める。
『・・だから、といれよ、なんというか、ほら、食べたもんがっておい』
『すまん・・・もう結構限界』
『・・・我慢できるっていって』
ドタバタと遠くで暴れる音が聞こえる。
わからん、何か起きているのか。敵襲に見舞われているのか。
「魔王様!魔王様!大丈夫ですか!おい、ユカリどうなってるんだ」
『・・・あーうっさいわね、うっさい。そこのジャベリンとか、ジャベってないで、はやくバケツもってきなさい』
「ジャベっ」
なんだろう、この言いようのない怒りは。
殺気からわからない言葉が続くが、きっちり馬鹿にされているのがわかるのが非常に腹立たしい。
「なんじゃ、ジャベってるというのは。馬鹿にし」
『おい、ジャベリン!はやく桶をもってくるんじゃ、ユカリのいうことをきけ』
「ま、魔王様!!!」
なんと。
あの魔王様が女の指図をうけると。
今生まで誰にも与せず、孤高であり続けたあのお方が・・・。
よくわからないまま、手近にあったデカめの桶を魔王様に近づける。
「ま、魔王様もってきました!」
『・・・ジャベリン、早くおしりの下に置くのよ』
「お前の指図はうけん」
『・・早くしてくれ~ジャベリン、こやつの指示に従え』
「は、はいすみません。」
『・・無駄口ジャベってるんじゃないわよ、はやくしなさい』
「ぐっ、後でおぼえておれよ、・・・置きました」
もしこちらにいたら消し炭にしてやりたいが、それをぐっと抑えて・・・ってこれはまさか。
『・・・よいか、よいな、行くぞ!』
「ちょちょちょちょちょっとまって、まさか」
『・・余裕がないのよ、ジャベリン支えなさいよ』
「ちょっとまてーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
『『せーの』』
かくして、その日香ばしい香りが王座一帯を支配した。
黄昏た空気、垣間見える城壁の窓からの朝焼け。
鮮やかな色を伴ったその片隅で。
悪臭に耐えながら、めそめそと泣く魔導士の姿があったが、それを見たものは誰もいない。
***
「・・・なんとかなったわね」
「間一髪じゃった」
変な汗をかく二人を和やかな空気が包むが、
しゅっしゅっ
「ぐわっ!!!何する!!それやめ」
「・・・うっさい、消臭、殺菌!」
悪しきものは元から経たんとするかの如く振りかけられる消臭剤に、魔王がしおれていく。
異世界産は特別な効力でもあるのか、奇しくも天敵となった消臭剤は、容赦なくおっさんの体力をうばっていった。
『まおうふぁま・・・だいりょうぶでふか』
鼻がやられたらしいジャベリンがジャベっているが、そんなことは些細な問題である。
由々しきは、その汚染が「こっち」にまで伝播することに他ならない。
「・・・ジャベリン、あんたまだ生きていたのね」
『・・・ユカリ、きひゃまそのつらいふかか』
「貴様禁止!」
『え、はい』
何故だろう。
すごく腹立たしい。
そして妙に説得力のある、凄みの利いた声に、思わず返事をしてしまうジャベリン。
「・・・ジャベリン、あんたマジュツ使えないの」
『にゃにをいうか、わらひはまじゅちゅのだいいひ』
「・・・なんでもいいわジャベらない!はやく清潔にして!!いいから、てくっさ!!!やばい、やっぱ「ちょっと漏れてる」んじゃない」
『きひゃま誰に向か』
「貴様禁止!なんどもいわせない・・・・殺すわよ」
「・・・・・・・・・ジャベリン、・・・・こやつの・・・言うことをきくんじゃ。・・・無礼な言葉遣いをやめろ・・・・我の身があぶない」
『ま、魔王様?!くそっ』
ガタゴトと音がした後、何か聞きなれない言葉の羅列が聞こえると、おっさんの胸元が淡く緑色に光りだす。
やがて、すっと止んだ輝きの元、おっさんの表情が落ち着きを取り戻す。
辺りを正常な空気が支配し、魔王とゆかりはおいしそうに深呼吸した。
『魔王様、対処いたしましたぞ』
「・・・よくやった・・・・ジャベリン」
『はい!魔王様』
取り敢えず危機は去ったようである。
なんだか喜んでいるらしいが、問題はまだ解決していない。
「・・・ジャベリン、あんたこの空間の穴なんとかならないの」
『・・ユカリ、きさ』
「おい」
『ユカリ、様・・・・この空間の裂け目は魔王様の魔力で持っている。かなり微妙なバランスなのじゃよ』
それはつまり、根本解決になっていないということである。
粗相が相次ぐ度、こちらがダメージを負うのは極めて本意ではない。
「・・・微妙とかどうでもいいのよ。なんとかしなさい」
『な、む無理じゃ、これは流石に。確かに純魔力が漏れてるのは【ちょっと】ではあるが、下手をしてバランスが崩れれば、両方とも壊滅するぞ』
「・・・アンタ専門家じゃなかったの、使えないわね」
『ぐっ・・・ユカリきさ・・・』
「貴様禁止。・・・何度も言わせない」
容赦ない罵詈雑言にたじたじのジャベリン。
そもそも魔族は結婚という概念がない。
確かに雌雄は分かれるが、強い魔族ほど自らの魔力をもとに配下を生み出す。
生まれてこの方、魔術と本の虫であったジャベリンには、かなり衝撃的な存在なゆかりである。
「・・・ジャベリン・・・こいつを・・・怒らせては・・・いかん」
『魔王様!すみません!ユカリ様!すみません! でもこれはいかなる魔術に長けたものでも無理ですございます!』
少々泣きが入ってきたジャベリンにちょっと、あーやりすぎちゃったかなと反省するゆかりだが、問題が放置なのとそれとは別問題である。
このままいつ訪れるかわからない茶褐色の爆弾と隣り合わせで眠る気にはさらさらなれなかった。
ゆっくりとおっさんに向き直るゆかり。
おっさんがびくりと肩をふるわす。
「あんた・・・・裂きイカ禁止!!!!」
「・・・わかった」
『はいっ!!!』
ジャベリンまで応答したのはご愛敬である。
滅多に発動されない、大人しい女の怒りは岩をも砕く勢いで、歴戦の魔王と世界屈指の魔術師を黙らせるのだった。
かくして、【ちょっと漏れた】空間は、有効な対処を早急に見つけるという固い約束(?)がジャベリンとゆかりの間では締結され、その間おっさんはぐったりと机につっぷすのであった。
ちなみに、魔王のそばに配置されたのがトイレ芳香剤ではなく、センスの良いビャクダンのインセンスであるのはゆかりの粋な趣味によるものである。
ジャベリンはもし結婚しても尻に敷かれるタイプですね。何気に結構有能な魔族ではあるのですが。
ゆかりが今回は切れました。無理もありません。
言うときは言うゆかり。魔王も威厳が形無しです。
次回は、新しい文化の導入です。
ジャベリン「なんと、そちらの世界の水準は賢者並みですな」