干物女は語る2
第6話です。
干物女の日常につづきます。
「高橋君ちょっといいかな」
「・・・はい、なんでしょう」
小奇麗なオフィスの手狭な会議部屋で、ゆかりは上司と話し合いをしていた。
冴えない風に見える壮年の男性だが、なかなか社内では評判が良い。
この人も、家に帰れば家庭があって、お父さんをしているのだなと、見たこともない上司の自宅を勝手に想像しながら、ゆかりは姿勢を正した。
「実はね、新人教育のことなんだが・・・」
「・・・ああ、田崎さんの」
今期新入職員として部署に来たニューカマーの基礎教育を任されているゆかりは、教育計画など入念な準備の上、指導を開始していた。
「そのことなんだがね、その・・・」
「・・・何かまずいことでも」
嫌な話というのは9割がた事前の空気にあらわれるものである。
一瞬下を向いた後、言いにくそうに上司は口を開いた。
「その、・・・ね、もっと優しく教えてあげてもいいんじゃないかな、と」
「・・・特に厳しくしているつもりはないのですが」
「いやね、そうだと思うんだよね。・・・ただね、まあなんというか・・・」
なかなか心外であったのは言うまでもない。
ゆかりは、忙しい業務の合間を縫って、綿密な教育計画をたて、きっちりと毎日それをクリアできるように指導してきた。
「・・・説明を省いたつもりはないんですがね・・・」
「いや、よくまとまった説明をしてくれていると思うよ。僕も。」
「・・・では。何が問題でしょう」
「そうだね・・・」
上司の男性は静かにつぶやいた後、窓の外を見つめた。
向かいの建物には保育園が設置されているのか、子供のキャッキャとしたにぎやかな声がひびいていた。
たっぷり間をとった後、ポツリとつぶやいた。
「何がまずいと思う?」
田山さんが言い出したんですよね、とは切り返さなかった。
おそらく、自分の対応で何か欠けている部分があり、それを気づくよう諭してくれているのは明白であったからだ。
もっとも、その論点が適切かどうかは答えが出ないと不明だが。
「・・・そうですね、作った教育計画のカリキュラムどおりに進めていて、分からないところは適宜田崎さんから聞いてくれています。・・・普段もよく説明を聞いてもらってますし。・・・強いて挙げるなら、・・・私の愛嬌があまりないところでしょうか」
割と小さい頃から、ゆかりはこの問題を指摘されて生きてきた。学業はそつなくこなし、仕事も特に目立った致命的なミスをしない。
ただ、一緒に時間を共にしてみた、多くの人々から言われる言葉。
「ゆかりさんって、生活感ないよね」
どちらかといわなくても、喜怒哀楽はあまり表に出ない方だと思っている。
口数も少ないだろう。
単純に対一人の人間としてみたときの魅力、それが欠けている。
そんな風に日頃からゆかりは自分のことを思っていた。
「ははは、そんな風に自分のことを考えていたのかい。いやぁ聞いてみるもんだね。」
「・・・割と昔から言われてきましたから」
朗らかに笑う田山は、あまり重い雰囲気を感じさせない。
この絶妙な感情のさじ加減を、ゆかりはちょっとうらやましいな、と思った。
「ふむ、そうだね。ある意味そうかもしれない。でも、もしかしたら、そうじゃないかもしれない」
「・・・どういうことでしょう」
「端的に言おう。高橋さんはよくやってくれていると思う。」
「・・・そうですか」
「ああ。ただね・・・」
少し目線をそらした後、明日の食事の献立を離すように、田山はポツリとつぶやいた。
「けっこう見えるんだよ。終わった後に彼女が不満そう・・・というか腑に落ちない顔をしていることを」
「・・・実は聞きたいことがあるのでしょうか」
「・・そうかもしれないね、でもほら、僕は彼女じゃないから・・・」
そういうと、田山は立ち上がる。
つられて立ち上がったゆかりに、田山は軽く告げた。
「ま、考えてみてよ」
***
「なるほど、それでお主は、自分の説明が足りていないという結論に達したわけじゃな」
「・・・ええ。一方的なところはあったかもしれないわ」
PCに向き合った彼女は、スルメをくわえつつ、手を動かしながらおっさんに相槌をうつ。
かたかた、と軽快な音が室内に響いている。
「さっきPCの使い方を説明していたお主は、特に問題なくわかりやすかったように思うがな」
「・・・きっと何かが足りないんでしょう。だからせめて足りない部分を補うように、他はしっかりしておかないと」
「なるほど、考えながら最善を尽くすのは良い」
おっさんはにやっと笑った後、何気なくつぶやいた。
「お主の世界はよっぽど平和なんじゃな」
魔界において、殺るか、殺られないかといった世界で生きている魔王にとっては、笑い飛ばせるような悩みなのかもしれない。
「・・・まあ、もし愛嬌とかが解であるなら、私も同意見だけどね」
ゆかりが働く理由として、99%を占めているものは「生活の為」である。
特に好きでも嫌いでもない仕事をそのために淡々とこなしているといった方が正しい。
そこで、愛嬌や面白い会話を求められても、そんなものは学校でやってくれ、というのが正直な感想である。もっとも決して言わないが。
こと仕事を教えるということについて、手を抜いているつもりはなく、分からない雰囲気を察知して説明を重ねる細やかさをゆかりは実践していた。
無口で対人関係が苦手ではあるが、人の気持ちが分からないわけではない。
ただ単に絡むのがめんどくさいゆかりである。
「よいではないか。端的で無駄のない説明。戦場や軍では理想的だぞ」
「・・・私は一端の民間人だし、そんな人を動かす権利すらない立場なの」
「ま、まあ、よいではないか。無駄口をたたいて大事な時に格下にやられるような奴はそれまでだと我は思うぞ」
「・・・平和な世界ではそうもいかないみたいよ」
実際、無駄のない性格は、どちらかといわなくても「あっち」向きなのだろう。
「まあ端的に言ってしまえばあれだ」
動かない体を少し乗り出して、おっさんがこちらを見つめる。
「・・・何よ」
「お主、優秀なのだな」
「・・・それほどでも」
視線を合わせずサラリといって、ゆかりは妙に受け入れている自分に気が付いた。
曲がりなりにもへまはしていない。
いや、着実に成果は出しているので、優秀なのかもしれない。
「お主、まだ余力を残しているのだから、もっと注いだらよかろう」
「・・・優秀な私は、無駄なおしゃべりがきらいなの」
「別に無駄な世話話に花を咲かせる必要はなかろうて」
「・・・じゃあどうしろと」
パタンとPCを閉じる。
机に肘をついた魔王は、退屈気に身体をゆらした。
逞しい腕が机をぎしぎしいわせているのに一抹の不安を覚えながら、おっさんの一言をきいていた。
「何もする必要はないじゃろ」
「・・・言ってること矛盾してない?なぜ?」
「いや、というより、そのまま今やっておることを続けるしかないじゃろ。完璧じゃし」
「・・・完璧じゃないからこうなってるんでしょ」
「いや、そうとも限らん」
目を閉じたあと、おっさんは少し退屈そうにつづけた。
「歴戦の誰もが認める猛者は、皆に頼られておる。
ただ、そういったものの中には教えるのがあまり得意でないものもおる」
「・・・私はそこまで下手ではないと自覚はあるけどね」
「じゃとしても。仮に完璧であろうとなかろうと、圧倒的な強さだが今一つイケてない当魔族が、何かを改心したところで、次の日から生まれ変わったようになるかというと、ならん」
「・・・まあ、それはそうかもね」
「そんな余暇を求めるのは、世界を掌握したあとでよかろう。でないと、油断して気がゆるんだところで寝首をかかれるぞ」
「・・・こちらの世界はそんな物騒ではないのよ」
そんな簡単に変わらないんだから、明確に気づかないなら最善を尽くせばいいということか。
まあ、なにはともあれ、大きなミスはなさそうである。
考えていても答えの出ない問題は、手掛かりが出そろうまで判断がつかない。
諦めて、再びPCと格闘するゆかり。
「しかし、そんな優秀なら、もしこちらの世界におったら召し上げるんだがな」
「・・・いまは「あちら」でしょう。・・・まあ自分を買ってくれるのは悪い気はしないわ、それより」
ゆっくりとおっさんをみつめるゆかり。
PCをそっとソファにおいて。
「・・・ほんとにトイレは大丈夫なのかしら」
「結局そこにもどるのかい」
あちら側とはいえ、非常用のバケツと芳香剤の購入を検討しつつ。
だらだらとした休日は、今日も絶好調に進行中である。
ゆかりさんは割と優秀なようです。外資に向いてそう。
日本以外の国では、割とお金を稼ぐために仕事をする、というドライな概念は珍しくないと聞きます。
細かな心配りを気にするのは、日本人の良いところであり、ある意味欠点かもしれませんね。
心配りとは、おそらく相手の雰囲気や事情を、自分のなかで仮説を立てたうえで、それを慮る行為です。
一方で、近年の抑うつとは、一説によると、自分が自分に期待する理想と現実がかけ離れているほど発症しやすいといわれています。
ある意味、日本人にうつ傾向が多いのは、国民性であるというのは正しいのでしょうか。
次は、2人以外の要素を入れてみようかなと思います。
ジャベリン「異世界人と交流をもっているのですか、魔王様」