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終わらない恋をしたかった

作者: 森乃白雪


 エマが生まれ育った町を出て行くことを決めたのは、夏のおわりだった。吹き抜ける風がふっと冷たくなり、秋の気配を運んでくる季節の変わり目。


 最後の夜は家族と過ごした。


 お酒を飲みながら泣き出してしまった父親、腕によりをかけて大好物ばかりを用意してくれた母親、いつもは憎まれ口を叩くのに今日はちょっと寂しそうだった弟。


 一人一人の様子を思い出して感慨にふけりながら、エマは自室の扉を閉めた。明日にはこの家を出て行くことになるのだ。そして数日もすれば、生まれ育った町を離れて、彼女は知らない土地へと向かう。そこでの生活に不安がないと言えば嘘になる。でも、自分は一人じゃない。だから、大丈夫だと思えた。


 小さなあくびを一つこぼして明かりを消す。ベッドにもぐりこんだエマは、あっという間に眠りにおちた。




 次に気がついたとき、彼女は白い世界に立っていた。


 何もない夢のなか。あたりを覆う霧が晴れるようにして、見えたもの。ポツリと立っている後ろ姿は──。


「…………ネイト?」


 ずっと、会いたいと思っていた彼だった。


 どれだけ願っても、一度だって夢には出てきてくれなかったのに。明るい茶色のくせっ毛、初夏を思わせる若葉色の瞳、愛嬌のある頰のえくぼ。昔と変わらない姿でネイトは柔らかく笑う。


 エマは、この笑顔が好きだった。



 ──2歳違いのネイトとエマは、生まれたときからお隣に住む幼なじみ。


 近所の怖いおじさんが飼っている大きな犬に追いかけられて逃げ回ったり、木のぼり競争で落下して親たちからこっぴどく叱られたり、二つの家を隔てる垣根にこっそり抜け穴をつくったり、庭の奥にガラクタを集めて秘密基地を作ったり。


 同じものを見て、同じことをして、二人は育ってきた。このままずっと一緒にいるのだと、信じて疑わなかった子ども時代。


 そうではないのかもしれないと思うようになったのは、彼女が12歳のときだった。


 思春期になれば、学校でも気になる異性の話題になる。そこそこ整った顔立ちをしていたネイトは、女の子たちから告白されるようになったのだ。学年が違うエマでも聞き知ってしまうぐらいには。


 エマはそんな彼を見てイライラして。他の女の子に笑顔なんて向けてほしくなくて。


 ネイトに恋をしていると気づいた。


 そこからは彼に会っても、何を話せばいいのか、今までどう接していたのか分からなくなってしまった。変にギクシャクしてしまうのも嫌で、自分だけがこんな想いを抱えているのが恥ずかしくて情けなくて。エマはネイトのことをしだいに避けるようになった。


 けれども、ずっと一緒にいた幼なじみがそれに気づかないはずがない。


 どうして自分を避けるのだと問い詰められて。


 もう逃げるのもここまでだ、とエマは覚悟を決めた。しかし、震える声で想いを打ち明けたのに返事はない。そのまま待つこと数分、彼女は耐えきれなくなった。自分の気持ちを聞いた彼は、一体どう思ったんだろう。勇気を出して顔を上げると──そこには、真っ赤になったネイトがいた。


 そして、ネイトからも実はずっとエマのことが好きだったと告げられて。お互いに顔を真っ赤にした二人は、だんだん可笑しくなってきて、しまいには声を上げて笑いあった。


 幼い頃のように庭の茂みに隠れて、そっとキスをしたことを今でも覚えている。



 順調な二人にひと足早い離別をもたらしたのは、2歳という年の差だった。15歳になった彼は王都の騎士養成学校に行くことになったのだ。


 ネイトは長期休暇には帰ってくる、と。

 エマは2年経ったら彼を追いかけて王都に行く、と約束して。


 ネイトが王都に旅立つ日。

 馬車の乗合所で見送ってから、エマは彼と会っていない。



「今さらどうしたの?ずっと会いにきてくれなかったのに」


 拗ねた表情で文句を言っても、ネイトはただ笑うだけ。おしゃべりな彼らしくない。一言でもいいから何か言ってほしくて、エマは口を開いた。


「わたし、明日結婚するの」


 そう告げても、やっぱり彼は優しく彼女を見つめるだけだった。


 ああ、予想どおりだった、とエマは思う。きっと、はじめから彼は彼女が結婚することを知っていた。


 だからこそ今、こうして会いにきてくれたのだ。




 ──王都に行ったきり、ネイトはこの町に戻ってこなかった。


 彼が騎士養成学校に入学して、3ヶ月経ったころ。忘れもしない13歳の冬。目の前で泣き崩れたおばさんから、エマはネイトが死んだと聞かされた。


 事故だった。


 暴走した馬車に轢かれて、打ち所が悪かった彼は、治療を受ける間もなく息を引き取ったという。


 その日からエマはずっと泣いたし、彼を奪ったものが憎かった。ネイトがいない世界なんて、なくなってしまえばいいと思ったことだってあった。


 でも。

 何度眠れない夜を迎えても、必ず朝はやってくる。


 いつまでも、少女のままでいることはできない。


 彼との約束どおり、王都の学校を卒業してエマは医者になった。この町に戻ってきたのは、医者になって2年が経ったころ。忙しい日々のなかでも、彼女がネイトのことを忘れた日はなかった。年上だった彼の年齢をとっくに超えて、どんどん大人になっていく自分。鮮明だったはずの記憶だって、時がたてば色あせる。彼を置いていくのがとても怖かった。



 恋なんて、もう一生できないと思っていた。



 21歳になったとき、エマは一人の騎士と出会う。山から降りてきた魔物が町に襲来して、大騒ぎだった年のこと。ちょうどその年に赴任してきた騎士は、一番手強かった魔物を倒したものの、全身に大きな怪我を負っていた。彼女は医者として、彼の治療を行なったのだ。彼はどんなに治療が痛くても、我慢してじっと黙っているような男だった。普段から寡黙で真面目。きっと悪戯なんてしたことがないのだろう。……ネイトとは何もかもが違う人。


 しかし、意外にも聞き上手な彼とおしゃべりなエマは気が合った。町で会えば挨拶して、共通の知り合いのことや最近の出来事をしゃべったりなんかして。ただの医者と患者から、知り合い、そして友人と呼べる関係になるまでに、それほど時間はかからなかった。お互いの都合を合わせて、休日になれば食事に行く。そんな付き合いが数年続いた。


 そうして、ある日。


 エマがいつものように男との食事を楽しんでいたとき。重たい口を開いた彼から、この町を離れて遠い地方に赴任することが決まったと知らされた。予想もしなかったことで、彼女の頭はすぐについていけなかった。


 ──さらに驚くべきことに。

 どうかついてきてくれないか、とエマは彼から結婚を申し込まれたのだ。彼女は悩んで悩んで悩んで……最終的にはその申し出を受け入れた。


 エマと男は友人ではなかったのか。もしかして、ずっとそう思っていたのは自分だけだったのか。


 結婚を申し込まれて、最初にエマは尋ねた。その質問に男は否と答えた。彼もエマのことはずっと友人だと思っていた、と。それなら、どうして。戸惑う彼女に男は続けた。


 この町を離れることが決まったとき、自分はその先のことを想像した。そして、隣にエマがいない生活など考えられなかったのだ──と。


 それは、エマにとっても同じことだった。いつのまにか、男の存在は彼女の隣に入りこんでしまっていた。思い出すたびに壊れそうなほど胸が痛かったネイトのことを打ち明けられたのも、人前で声を上げて泣くことができたのも、彼が初めてだった。


 楽しいことも苦しいことも、きっと彼となら分かち合っていける。この先も一緒に、二人で年を重ねていく。


 そんな未来が見えた気がした。




 明日、エマと男は教会で永遠を誓う。


 彼女が彼に抱いているのは、男が自分のすべてだといえるような、そんな想いではない。でも、ネイトに恋していたときのような、どこか青くて頼りない想いでもないのだ。


 彼女の心を満たすのは、深くてあたたかいもの。


 それはきっと恋ではないけれど、だからこそ終わることもないのだろう。




 エマをじっと見つめていたネイトの唇が動いた。


 彼が伝えたのは、幼なじみとして彼女の幸せを願う言葉。


「……ええ、もちろん」


 エマが笑い返すと、ネイトはこちらに手を振った。


 大好きだった笑顔を目に焼きつけるように。もう、忘れることがないように。最後の瞬間までその場にとどまるつもりだったが、だんだんと視界は霞んでいく。

 頰を伝う熱いものを見られたくなくて、エマは自分から背を向けた。



 彼に会うことは、もう二度とないのだろう。



 ──どこかで小鳥のさえずりが聞こえた。




 懐かしい夢に別れを告げて、今日も変わらない朝がやってくる。


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