3話 闇の世界
「――っはぁ⁉」
私は息を吹き返したように、起き上がる。
え……真っ暗? ここどこなの?
微かに香る消毒液の匂いと暗闇の中で混乱していると、何かによって目隠しをされている事に気が付く。
「これ……包帯⁉ っ……外れない! ……もうっ!」
柔らかな手触り、見えないけれどこれは包帯だろう。私はそれを力任せに外していく。しかし何重にも巻かれていて、すぐには外せない。それでも引っ張り、ようやく外れた。
そして私がその先に見たものは――
「え……あれ、真っ暗……」
真っ暗な闇の中だった。
私は回りを見渡すが、何も目印となるものが見当たらない。
「ど、どうしよう……何かない……?」
この何も見えない暗闇を打開するために寝ていた場所を調べる。
「とにかく明かりを……スマホか何か……」
この手触り、どうやら家の布団じゃなさそう……何より固いし、シーツがすべすべ……多分これはベッドだ。しかし照明代わりとなるスマホはない。
私は手探りのままスマホを探していると、段差のようなものを手に感じた。
これはベッドの端かな……じゃあ、ここはどこかの部屋? もしかしたら……電気があるかも……。
私は動くべきか動かぬべきか考えつつ、とりあえず照明をつけるため動く事を選ぶ。体を移動させ、段差の方に自分の両足を落とし込む。
地面に足はつく、よし……電気を探そう。
私は体を預けていたベッドから立ち上がり、両手を前に上げながら覚束ない足取りで照明を探していると、手の先に何かが触れる。
これは……壁だろうか? なら、左か右かのどちらかに電気のスイッチがあるかもしれない。
左に進もうかと考えていた矢先、何かの音が聞こえる。
引き戸を開けるような音、誰か……誰かがここに来た?
私は恐怖に陥り、消え入りそうな声で問いかける。
「え……だ……誰……?」
「海! あぁ……よかった、目を覚ましたのね……」
返ってきたのは聞き覚えのある声、それも毎日聞いている。お母さんの声だ。でも、なんでお母さんの姿が見えないの?
次の瞬間、私は誰かに体を触られるような感覚に慌て、それを振り払うように自分の手を振った。
「嫌っ! 触らないで! もう、お母さん! 早く電気つけてよっ!」
「海……嘘、本当に……」
お母さんの泣きそうな声が聞こえる。
なんで泣いているの、お母さん。今、私に触ったのは……誰? お母さんなの……?
しばらくすると、お母さんの声がした後ろの方からバタバタと足音が聞こえてきた。一人にしては多い、誰が……来るの?
「海! 目覚めたんだな……! よかった」
「心配したんだよ! 大丈夫? 調子悪くない?」
「とりあえず、ベッドへ移動させましょう」
お父さんと美紀の声だ……後は誰? 聞き覚えのない男の人の声……だけど。
直後、誰かに体を掴まれ、歩いて来た場所を戻らされるのが分かり、振り払おうとパニックになる。
「嫌! 離して! どうなってるの⁉ お父さん、お母さん! 私は――」
記憶が途切れる前の事を思い出す。
本を買って、それからスマホで星時の情報を見てたら、耐えられないくらい目が痛くなって……それから、それから?
私は頭の中で必死に考えたが、その後の事は全く出てこなかった。急に記憶が途切れるなんて事は今までになかったから。
私の抵抗も虚しく気が付くと肌心地の良い、恐らくベッドの上に寝かされた。
しばらくすると誰かの話し声が聞こえる、小さくて聞き取れないけど……お母さんが泣いているのはわかった。それからお父さんではない、違う男の人が私に語り掛けてくる。
「白崎 海さん、貴女は……目を失明しています」
「……え……?」
私は、驚きのあまり声を殆ど発する事ができなかった。
この人は何を言っているの? は? 失明? 私が? なんで?
そんな言葉がぐるぐると頭の中で回り続ける。確かに視力は悪くなってきてたけど、そんな急に失明って……。
「原因は不明です。目を酷使したからと言う訳ではありません。恐らく、突発的な異常かと思われるのですが……もう回復する見込みは……」
「は……? そんな……嘘でしょ⁉ 目が見えないなんて、私これから……」
「すみません……最善を尽くしたのですが、私共には……」
その言葉は悔しそうに告げられる。突然の事で私は言葉が出なかった、目から暖かい物が流れてくるのに目の前が滲むわけでもなく、目を覚ましてから変わらない真っ暗な闇で、まるで絶望の谷へと落ちていくような――そんな感覚。
それからも誰かが話しているような気がしていたが私は言葉を受け入れられず、何も見えず、もう何も聞こえず、ゆっくりと意識を失っていった。
§
「――――」
「――――」
誰かの話し声が聞こえる。誰だろう……私は、その声の方向に導かれるよう意識を覚醒させていく。
「ん……ん……」
身を起こすと、すぐに目に違和感を感じる。触れてみるとまた柔らかな布、恐らく包帯が付けられていた。
「海……起きたのね、あぁ……よかった……」
「おはよう、海」
涙声のお母さんの声と美紀の声が聞こえる。
そっか、さっきの声は二人だったんだ。
私は左、右と顔を向ける。多分、左側にお母さんで右側に美紀がいる。そんな事をしていると、左側から何かに抱き締められる感じがした。続いてすすり泣く声が、やっぱりお母さんだ。
「海……海!」
「もう……お母さん、恥ずかしいよ……」
私を抱き締めながら、お母さんはしばらく泣き続けていた。
§
時間が経ち、お母さんの泣き声は次第に少なくなっていく。少しは落ち着いたのだろうか?
「お母さん落ち着いた?」
「ええ……」
お母さんは未だに泣いているかもしれないけど、私にはわからなかった。
ふと時間が気になり、美紀へ時間を尋ねてみる。
「もう夕方の十七時半、海はあれからまたずっと眠ってたんだよ」
「そう……なんだ……あ、そういえば、お父さんは?」
私はこの場にいないであろうお父さんの事を聞いた。それにお母さんは答えてくれる。
「お仕事に行ってるわ。終わり次第、すぐに病院へ来るから」
「そっかぁ……昨日、お父さん大変なのに来てくれたんだね……」
「自分の子どもの為ですもの、当たり前よ」
そういって話をしていると、引き戸を開ける音が聞こえ、女性のおっとりした声が聞こえた。
「お邪魔します、いいかしら……?」
聞き覚えがある、この声は――
「な、夏美さん⁉ ど、どうして?」
私は驚き、声を上げた。今は忙しい時間帯なのに、なぜここにいるのか理解できなかったからだ。それに対し美紀が私に声を掛けてくる。
「夏美さんが救急車を呼んでくれたんだよ」
救急車? ああ、そっか……お母さんもさっき病院って言ってたし……救急車、夏美さんが呼んでくれたんだ……そういえば書店の前だったもんね。迷惑かけちゃった。
「そうだったんですね、ありがとうございます……」
私は夏美さんの声が聞こえた方へと頭を下げた。それから、すぐにお母さんと夏美さんの声が聞こえる。
「金木さん、昨日は海の事をありがとうございます。是非、海とお話を……」
「いえ、海ちゃんには私の方こそお世話になっておりましたので……それでは、お言葉に甘えて失礼しますね」
話が終わったのかな、そう思っていると私の方へ足音が聞こえてくる。夏美さんとお母さんだろう。そちらに向かって、私は声を掛けた。
「ありがとうございます、忙しい時間なのに夏美さん来てくれて……」
「お店の事? それなら大丈夫、任せて来ちゃったから。それより……昨日の夜はごめんなさいね、一緒に居てあげられなくて」
「そんな――」
「うーみ、私も来てるんだけどなぁ……」
美紀が話に加わってくる。
そうだった、美紀も昨日、居てくれたもんね……。
「美紀もありがとね」
「にゃはは、良いって良いって」
私を元気づけようとしてくれてるのかな? だけど美紀の声は悲しそうだよ。
それから少しだけ沈黙が続くと、それを破るかのように夏美さんは真剣な声で私へと声をかけてくれる。
「あの、海ちゃん……その目は……」
「……あ、この包帯ですね……」
部屋の雰囲気が変わる気がした、なんとなく重い空気を感じる。お母さんも美紀も喋らない。
私の中に昨日の出来事が蘇る。耐えられない程の目の痛み、真っ暗な闇に閉ざされた私の世界、そして目の失明の話。正直、今でも信じられない……。
あれが夢だったら――いや、昨日のあれは、夢なんじゃないか?
そう自分に言い聞かせる。
――怖い、怖いよ。
この包帯を取って目を開ければ全てわかる。そう、自分の置かれた状況が。
恐怖が私を包んでいき、手が震える。けれど――
私は、そっと震える手を包帯へ当てると、恐る恐る包帯を外していく。
――怖い、怖い怖い怖い!
嫌だ、嫌だけど手は止めない。私自身も知りたいから、怖いけど本当は目が見える事を信じたいから。信じてるから!
私はそう信じ続け目に巻かれてあった包帯が全て外れるのを感じ取った。それでも尚、まだ目を瞑る。
二人の声が聞こえる。
「海……」
「海ちゃん……」
美紀と夏美さんの声、お母さんの声は……聞こえない。
この目を開ければ、いつもと同じ日常に戻れる。
今でもはっきり思い出せる。お母さんとお父さんの笑顔、美紀が私に悪戯する時に見せる笑顔、書店から出る時に見せてくれる夏美さんの笑顔。全て、全て鮮明に思い出せる。
だから、きっと……大丈夫。きっと大丈夫だから。お願い、神様。
私は祈るようにゆっくりと目を開いていった。




