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封じ屋

 恭司はこの件では使わない。

 隼太はそう決めた。

 その理由は情を覚えた恭司への危うさでもあり、隼太自身の私情ゆえでもあった。

 即ち、彼にもう手を汚させたくはないという、自覚するだに忌々しい己の甘さに起因していた。

 水木楓はとんだジョーカーだったなと思う。

 恭司を「人」にしてしまった。それまでは荒ぶる(いぬ)であったものを。だからと言って楓に手出しは出来ない。彼女を庇護する音ノ瀬一族の当主である音ノ瀬ことがそれを許さないであろうし、何より楓を手に掛けたら恭司が隼太から離れるだろう。

 そして。

 そこまで考えて隼太は軽く舌打ちする。

 恭司の悲嘆を見たくないという自分を嗤いながらレミーマルタンを呑む。『グリーンスリーブス』の店内には今日もイングランド民謡が流れている。あなた以外に誰がいるだろうかと歌っている。嘗て、隼太にもそんな存在がいた。だがそれも昔話だ。

 扉が開く音と共にカランと、軽い木の音が響く。カウンターに座っていた隼太はそちらを向く。待ち人が来たと知れた。木の音はこの店にはやや不似合な下駄の音だ。


「遅いぞ、封じ屋」


 隼太のぞんざいな物言いに、現れた青年は精悍な顔を少ししかめた。


「時間通りだ。あんたが来るのが早いんだ。それに俺は封じ屋じゃない」

「似たようなものだろう」


 軽くいなす隼太の隣に、青年が居心地悪そうに座る。


「同じ物を彼に」

「畏まりました」


 こうした店に不慣れな青年・作蔵(さくぞう)に先んじて隼太がバーテンダーに注文する。


「おい、俺、金ないぞ。伊和奈(いわな)にも節約するよう言われてんだ」

「相変わらず尻に敷かれてるのか」

「うるせえ――――美味いな、この酒」

「遠慮せず呑め。俺が持つ」


 隼太の言葉に逆にぴたりと作蔵の手が留まる。胡乱な眼差しで、探るように隼太を見る。

 グリーンスリーブスの歌詞も彼は解していないだろう。


「あんたが気前良い時は、大抵やばい仕事の依頼の時だ。何を企んでる」


 隼太は薄くも厚くもない唇を、ほんの僅かに吊り上げる。


「察しが良いな。もうすぐ哀れな死人が出る。その霊魂を封じて欲しい」

「殺しの片棒は担がない」

「違うな。死人の慰撫だ」


 作蔵は今ではレミーマルタンを呑む手を完全に止め、凝固していた。目は隼太を睨んでいる。


「言葉を飾るなよ」

「真実だ」

「帰る。この話はなしだ」


 店を出て、まだ雪が浅く残る路地を歩く作蔵の肩に、雀が留まる。その後ろを追うように歩く隼太の肩には烏。珍妙な組み合わせだった。時々、烏が威嚇するように鳴き、雀が作蔵の首にへばりついた。


「ついてくるな」


 振り向いて作蔵ががなり立てる。


「依頼を受ける返事を聴いたらな」

「どうしてそこまで拘る。あんたはいつもなら……殺してもそのままだろう。今回に限ってアフターフォローを望む理由が俺には解らん」

「俺にのみ恨みが集中するなら良い。だが、余波が及ぶと厄介な奴がいる」


 作蔵が目を瞠った。


「あんたにもそんな情があったのか」

「依頼を受けてくれ」

「……伊和奈とも相談する」

「解った」


 警視庁に潜入した、コトノハを恐れる政治家の手先は、その晩遅く、職場をあとにして家路に就いた。家と言っても簡素なアパートだ。間諜という立場上、いつでも引き払えるような部屋を借りている。今日は殊の外、冷える。警察内部で、コトノハを処方する人間を危険視する風潮は、徐々に広まりつつある。人間は異端を恐れ排除する生き物だ。夜道を弱々しく照らす自動販売機の隣を通り過ぎる時、カップ酒でも買おうかと目を遣った彼の耳に、低い美声が響いた。


(ざん)


 身体の各部に裂傷が走って鮮血が舞う。

 紫陽花色のコートを着た隼太は、うっすらとした笑みを浮かべていた。


「お前と違い、警視庁に潜り込むのは面倒でな。月のない晩は気をつけるものだ」

「音ノ瀬、隼太……」

「ほう、俺のことも調べていたのか。ご苦労なことだ」


 だが終わりだ、と隼太は告げた。


(さつ)


 作蔵が隼太の知らせで駆けつけた時には、全て終わっていた。作蔵は歯噛みして、もっと強く隼太を諌めなかったことを悔やんだ。


「蓋を閉じろ、封じ屋」

「…………」


 闇夜の中、自動販売機の光に照らされて、隼太の紫陽花色のコートだけがぼんやりと浮かんで見える。表情まではよく解らない。作蔵は急いで駆けつけたので、いつもの仕事着ではなかった。相棒の伊和奈もいない。彼女は同行させないほうが良いと、作蔵が判断したからだ。


「まだ相手の鑑定もしてない……」

「今からすれば良い」

「どうして殺した」

「必要だった。自衛の為には」

「コトノハ絡みか」

「そうだ」

「だとしても、他にやりようがあったんじゃないか」

「ないな。早く封じろ」


 作蔵は沈黙して今は血溜まりの花と化した男を鑑定した。そして、彼の無念の情、怨恨、恐怖など諸々の感情を封印した。彼の言う「蓋を閉める」作業である。本来であれば鑑定には水晶など特殊な道具が必要であるが、隼太のコトノハの助力もあり、封印は完了した。だが仕事を終えた満足感は微塵もない。


「こんな仕事は二度とやらない」


 隼太を睨みつけ、立ち去る作蔵の背中に隼太が挑発的な声を掛ける。


「どうかな」


 作蔵は情に弱い。仕事内容が何であれ、そこに人を想う情が介在すると解ってしまえば仕事を引き受けてしまう。隼太は彼のそんな気性につけこんでいた。何にせよこれで一つの懸念材料が消えた。恭司や大海に害が及ぶこともない。

 隼太は月のない夜の曇天を見上げ、満足げな笑みを浮かべた。横には依然として血の花が咲いている。





鈴藤美咲さん『蓋は開かれる』から作蔵、伊和奈、雀の弥之助にゲスト出演していただきました。

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