鬼屋敷の怪・四
恭司の右脚を隼太は左腕でガードし、更に勢いを殺す為に素早く後退した。それでも威力は残り、左腕にじん、と痺れが走る。その感覚に構う間もなく今度は隼太から仕掛ける。とと、と床を蹴り、掌底を恭司の腹に叩き込む。
――――少し浅い。
いなされたなと隼太は右脚をしなる鞭のように動かす。
恭司の左脇腹に叩き込む。加減はしない。隼太は恭司の力を過小評価する積りがない。
「傷」
「解」
「裂」
「解」
「倒」
「解」
恭司の処方するコトノハのことごとくを、隼太は無効とした。
ぴん、と右手の指を弾く。
恭司の顔面目掛けてそれを投げつける。小さくコトノハを囁き、威力を増すことも忘れなかった。
顔面にそれを食らった恭司が蹲る。
隼太が投擲したのは人形の目に使われる硝子玉だった。そこかしこに落ちていたものを拾っていたのだ。
「好い加減、正気に戻れ。覚」
操られている恭司の意識に出来た空隙に、コトノハを処方する。
ぐらりと恭司が上半身を揺らし、顔を伏せた。
次の瞬間、顔を上げた恭司は正気の眼差しをしていた。
「あれ? 隼太。何してんだ」
隼太は溜息を吐く。
「こっちの台詞だ。まんまと踊らされたな」
「――――ああ、そういうことか」
己が傀儡と化していたことを、恭司は自覚する。些かの反省と共に。
そして恭司と隼太は嘗て文豪であった女性を見る。過去の亡霊を。
「そろそろおねんねの時間だ」
「……嫌だ」
「諦めろ」
「私はまだ死にたくない」
「もう、死んでる」
柔らかな口調で、隼太は酷な事実を告げる。哀れみの微笑は、隼太にしてはひどく珍しいことだった。
「いやだいやだいやだいやだいやだ」
女性は獣のように跳躍すると、隼太の首に食らいついた。血が噴き出る。
「隼太!」
隼太は落ち着き払って女性の髪を撫でさえした。
何が彼女を凶行に奔らせたのか、隼太には知る由もない。人が狂うことに、明確な理由などないのかもしれない。
狂気は、ただ狂気としてそこに在る。
例えば無念や悔しさ、悲嘆がその端緒だとしても、それは怪物を産むきっかけに過ぎない。
「人を食ったお前だが、最後は安らかに逝け。散」
隼太がコトノハを処方した瞬間、女性の身体は砂礫と化して、赤黒い色も霧消した。ぱさりと、縄が床に落ちる。
前触れもなく隼太が恭司の頭を殴った。
「いてっ」
「助手が見事に利用されおって。足を引っ張らせる為に連れてきた訳じゃないぞ」
「悪かったよ」
もう日は落ち切って、あたりには宵闇が忍び寄っている。
隼太は砂礫を一瞥すると、恭司を促して鬼屋敷を出た。