サンライズ
音ノ瀬の名を冠する一族が処方する、言葉に宿る音色と力・コトノハは、処方次第で良薬にもなれば毒薬にもなる。
ともすれば音ノ瀬隼太は毒薬を多く処方する傾向があった。彼はコトノハを処方する人々を尊しとする選民思想の持ち主で、彼らの保護育成の為であれば悪と見なされる行為も平然として行うところがある。
二十四時間営業中のカフェで、隼太は待ち人を待っていた。
内装に使われる色が主に白と黒だけというスタイリッシュなカフェには、年末年始を共に過ごそうとする恋人同士が集っていた。邪魔臭い、と隼太は思う。白と黒の中、隼太の着る紫陽花色のコートは、そこだけ場違いな花が、しかし凛然として在るようであった。
やがて待ち人が来た。
眼鏡をかけた、やや顔色の悪い細面の、三十絡みのスーツの男だ。年末年始まで財務省も大変だな、と他人事のように見遣る。
隼太の向かいに彼は腰掛け、店員を呼ぶとブラックコーヒーを注文した。隼太も今、飲んでいるものだ。味は悪くない。数時間前に大晦日が昨日となり、間もなく初日の出が拝めようという時間帯だ。考え事をするにはカフェインが必須なのだ。
「それで、隼太さん。相談事というのは何でしょう」
「資産が増え過ぎた。タックスヘイブン(租税回避地)を都合しろ」
果たして隼太があっさりと処方したコトノハは、相手の男には難問であった。
顔色が更に悪くなったように見える。絞り出すような声で応じる。
「……ご存じでしょうが、タックスヘイブンに関しては、パラダイス文書(バミューダ諸島等にある大手法律事務所らから掲載された、各界著名人の税逃れを明らかにしたもの)が公開されてから各界の目が厳しくなっておりまして」
「そこを曲げて、頼んでいる」
到底、頼むという行為には見えない不遜な態度で隼太は言い放ち、コーヒーを飲んだ。
「お前は防衛庁ともパイプがあるだろう、シリア内戦の終息に手を貸してやる。お友達を喜ばせてやれ」
「意外ですね。貴方は好戦的と思っていました」
「軍需物資の大半で利益を得た。これ以上は不要だ。ロシア、アメリカ、トルコ、イラン、サウジアラビア、アサド政権、クルド勢力、IS……、関係諸勢力にコトノハで働きかけてやる。三十万を超す死者も、これ以上は増えない」
隼太は幼少よりの英才教育と成人後の独学により、数か国語を操ることが出来た。それが彼の国を跨いだ暗躍に一役買ったことは言うまでもない。
相手の男はほう、と息を吐いた。隼太を見る目には尊崇の色があった。
「貴方はまるで神ですね。貴方の思惑一つで国さえも操れてしまう」
「そうでもない。俺にも不可能はある」
「ほう。それは?」
隼太の脳裏にある女性の面影が浮かぶ。
「言う必要はない。タックスヘイブンの件を何とかしろ。迅速な平和を望むならな」
凄みのある微笑が、隼太の形の良い口元に咲いた。
男は結局、長考の末、諾と答えた。
カフェを出た丁度その時、初日の出が隼太の視界に広がった。
赤く染まった空の色。
血の紅よりも、魔除けや祝い事を連想させる荘厳さだ。
黄金の日が、どこかの女神がこぼした涙の珠のようにも見える。
紫陽花色が、赤を映しながら孤高の歩みを進めた。
今回の挿絵写真は空乃千尋さんより提供されたものです。
元旦に相応しい美しいお写真に感謝申し上げます。