ホームズ対ホームズ!④
改めて手元のポンド玉を数え直してみる。僕の手元にはピッタリ50ポンドあって、才賀先輩の所には21ポンド、となれば当然モモちゃんは29ポンド持ってるわけだ。
次にトランプの山札に目を向けてみる。本来のポーカーとは違って、1つの山札を使っているから、既に半分以上を使い切ってしまっている計算だ。
つまり、後は慌てず騒がず、勝てそうなときだけを狙って勝負していけば良い。そうすれば……僕は、格好良くちと先輩を迎えに行ける……!
そう考えたところで、後ろに気配を感じる。ちょうどカルちゃんは難しい顔してモモちゃんと小声で相談しているところだから、当然……
「……中々頑張ったじゃないか、後輩」
「ちと先輩……僕は……」
……ちと先輩が……余裕そうな顔で優しく佇んでくれていたのだ! だけれど、僕は知っている。ちと先輩は、実はさっきの才賀先輩に戦いを挑んだときは密かに表情が引き攣っていたのだ。
「……暫く会えない間に……少しは先輩に近づけたでしょうか?」
配られた手札は放っておく。僕がそう言うと、ちと先輩は雰囲気だけで笑ってくれた。
「まさか!」
「…………」
「……君と私の才能は、全くの別物だ。むしろ、君は私とは全く違う道を選んで歩いている」
「…………」
僕が焦れったそうにすると、ちと先輩も全部分かっているのか頭の上の鹿撃帽をポンポンと叩いてくれた。
「だからこそ、君は私の後ろではなく、隣を歩いていると言えるだろうな……」
――となり……。
あぁ……! それを聞いただけで胸の奥から温かい気持ちが湧きだしてくるのを感じる……! 忘れもしない、2年前の卒業式。あの日から僕は、それだけを目指して歩んできたのだから……。
「ほら、百花がコールした。次は後輩の番だぞ?」
優しく促されてから手札を確認してみる。なんと、ハートのエースと7だった。どうやら僕のツキはまだ残っているらしい。
「賭け金上乗せ、8枚」
とりあえず、才賀先輩を真似てみる。8枚は才賀先輩の手持ちポンドの半分で、モモちゃんなら3分の1くらいの金額だ。見れば2人の表情は曇っている。
……たしかに本物のお金がかかったゲームだからこそ、独特の緊張感がある。しかも、人の判断を狂わせる類いのプレッシャーだ。直接プレイしてる僕達だけじゃ無い。もはや紫先輩は勝負を見るのもおぞましいと言わんばかりに、才賀先輩の隣でひたすらアンタッチャブルなお酒を飲んでるし。カルちゃんも目の前で動く大金に恐れをなしたのか、真っ直ぐにモモちゃんの元に戻って、緊張をほぐしているのかスマホを弄ってばかり。
……日常生活じゃよっぽどのことがないかぎり、中々お目にかかれない貴重な機会をくれた才賀先輩には感謝だね。
「降参だ」
「あなた……」
この中で唯一平然とプレイをしている才賀先輩はあっさりとそう言うと、手札を使用済みの方に突っ込んでしまう。
やっぱり、才賀先輩はすごい。今でこそ僕は幸運に恵まれているいけれど、仮にこのポーカーを100回もやったら、その大半は才賀先輩の勝利に終わる気がする。才賀先輩はどんな大一番だろうと普段と全く変わらない。これがきっと、経験を積んだ大人ってことなんだろう。
「賭け金上乗せ、12枚」
「モモ先輩!? いいんですかッ!? ……あ、いや、その」
慌てて口ごもるカルちゃんを尻目に、モモちゃんは笑顔でポンド玉をポットに入れた。
……正直なところ、モモちゃんのことはよく分からない。いや、もちろん、明るく元気な子っていうのはよく知ってるんだけど、そういう意味ではなくて。
「同額賭け」
同時にポンド玉を3枚掴んでポットに入れる。気がつけばポットはだいぶ膨らみ、今や28ポンドになっているではないか。……大丈夫。僕にはポーカーでは最強のハートの1がある。
……あれ? 今回のターン、カルちゃんはまだ僕の手札を見ていない。にもかかわらずあの驚きよう……もしかして、モモちゃんの手札は弱くて、ブラフをかけている?
……いや、それはない。むしろ、そっちが目的なのかもしれない。なにしろモモちゃんは勘が鋭いし、カルちゃんだって優秀な子なんだし。
「ちと先輩……!」
「あぁ、分かってる! それでは最初の3枚だ」
共有カードが表にされた。……素晴らしい。ダイヤのA、ハートの2、そしてハートのJだ。僕の手札はハートのAと7だから、再びフラッシュが狙える上に、既にAのワンペアまで出来上がっている。
「続いて――」
「――ちょっと待ったお姉!」
ぴょこんとモモちゃんが手を上げる。ちと先輩のカードをめくる手が止まった。
「別に今からベットしても問題ないっしょ?」
「……? それはそうだが……賭けるのか?」
思わずモモちゃんの手元を見てしまう。そこに溜まったポンド玉は、僕の半分以下なわけで……
「オールイン」
「え?」
思わず二度見して目を擦ってしまう。同時にモモちゃんが自信満々に胸を張っては、手元のポンド玉を纏めてポットに放り込んで――
「ええぇぇぇぇ!? も、モモ先輩!? だ、駄目ですよその賭け方は!? 確かに弱い手札じゃないですけど……」
思わず椅子から立ち上がったカルちゃんはビックリ仰天。勢いよくモモちゃんに食って掛かっていた。
「……もちろん」
「で、でも、オールインってことは、これで負けたらおしまいってことで……」
まさにカルちゃんの言うとおり。だけれど、モモちゃんの決意は固かったらしい。
「分かってるし」
「……いいんですね?」
「……女に二言は無い。私はこの勝負、勝ちに行くし!」
思わずモモちゃんへと視線を送っていた。モモちゃんは、まっすぐに僕を見ていた。それを見たカルちゃんは何かを察したらしく、無言で頭を振った。そうして何も言わずにモモちゃんの後ろで待機すると、僕の手札なんか一瞥もせずに静かに勝負の行方を見定めようとしている。
……演技とは思えない。だけれど……ここは引くのもありじゃ無いのか?
思わず自分の手元のポンド玉を数えてしまう。38枚。これだけあればスーツ代には十分すぎるわけで……可愛い後輩達も憧れのハワイ旅行に行けるわけで――
「春茅……お前、エースを引いたな?」
……思わずドキリとした。椅子に座って普段の落ち着いた様子は何処へやら、ふんぞり返って観戦していた才賀先輩が鋭く言ったのだ。その仕草は、どことなく西部劇に出てくるガンマンを彷彿とさせる。
「そうとは――」
「――とはいえ、エースを引いたからと言って絶対に勝てるわけではないのが面白いところだ。それこそA以外にK、Q、Jが揃ってこそ強い手札と言える……だけれど、なんだそれは? お前、それ以下じゃないか!」
すらすらと、まるで文章を読み上げるように言ってのける才賀先輩。おかしい……。才賀先輩が僕の手札を読むのはこれが2回目だけれど、そのどちらもがピタリと的中している!? いくら僕と才賀先輩との間に経験の差があるからと言って……これは、できすぎだ!
「――不十分だ。それ以下ではな。少なくとも10でなければ、話にならない。9……いや8か? いや、それでもない。となればお前、まさかの7……そう7とはな! まったく、恐れ入ったよ!」
――ホームズ式推理術じゃないッ! これは違う! 才賀先輩が独自に生み出した何かだ!?
落ち着け僕、もし本当に手札を読まれているのだとしたら……文字通り勝負にすらならないぞ……!? でも、今回の戦いはふとした思いつきから始まったものだから、何か細工されているとは考えにくい……加えてトランプを選んだのもちと先輩だ。それどころか、トランプを配布しているのだってちと先輩な訳で……!?
「あのね、リョウっち? 気持ちは分かるけど……そこで考えに集中しちゃったら、手札がバレバレだし……」
「……落ち着け後輩。今の後輩の対戦相手は叔父さんでは無く百花の方だ。外野に左右されては注意している暇はないぞ?」
うっ……鋭い指摘だ。なにより……やりにくい。才賀先輩の動機が分からない。いや、もしかしたら、そもそも大した意味なんて無いのかもしれない。分からない。才賀先輩は……行動に本気と遊びを混ぜてきている……僕のホームズ式推理術では……それが識別できていない――
「後輩、大丈夫だ。遠慮無く勝ちに行け」
――そうだ。落ち着こう。肝心なのは謎を解くことじゃない。それに……カードを読んでくるのは才賀先輩だけじゃなくてモモちゃんもだ。
モモちゃんはここまでの戦いを、全部最小限の損害で乗り切ってきている。元々人の気持ちに敏感な子の上に……しっかり者のカルちゃんのサポートまである。油断できる相手じゃない。それが……今回勝負に来た。きっと強い手札なんだろう。だけど
「オールインだ!! モモちゃん……勝負ッッ!!!」
同時に僕もモモちゃんからの果たし状に答えるように叫んでいた。ハートのAと7。たしかに才賀先輩の言うように、もっと強い手札の組み合わせはいくらでもある。だけれど、山札が有限なことを考えれば、奇跡的な強さの筈でもある!
ほら、見ればモモちゃんだってあまりの強さに圧倒されたのか、ポカーンとして口が半開きになっていて――
「――え? オールイン? オールインだし?」
「そうだけど?」
だって、モモちゃんが全部のポンドを賭けたから……
「あの、春先輩……いいですか?」
「なぁに? カルちゃん」
恐る恐るといった体で、カルちゃんは僕の手元から素早くポンド玉を回収していく。そして、言った。
「モモ先輩より春先輩の方が手持ちのポンドが多いので、そこは同額賭けで応戦すれば良かったのでは?」
………………………………あ
…………ってことはだよ? 僕はいま……意味も無く全ポンドをギャンブルに突っ込んだってこと? ゲームでモモちゃんを倒そうと思って……結果的にオーダーメードのスーツを質に突っ込んだ? しまッたッ!!!
「あわ!? あわわわ!? カルちゃん! 無し! 今の無しッッ! ポンド返して!?」
「駄目です」
無情だった。思わず足下に縋り付きそうな僕をカルちゃんは笑顔でお断りすると、ニコニコ笑ってパンパンに膨らんだポットを愛おしそうに眺めている。その額、なんとびっくり83ポンド。
「ちと先輩!? ど、どうしましょう!? このままじゃ僕の明るい家族計画が!? やっぱりご両親への挨拶はちゃんとした身なりでないとマズいですよね!? そこそこのスーツで良ければ大学に通いながらバイトで稼ぐつもりなので――」
「――うん、まぁ、気持ちは分かるし嬉しいが、落ち着け後輩」
――落ち着きました。
ぐぬぬ……ぬかった。でもでも、まだ大丈夫。僕の手持ちはハートのAと7。しかも既に共有カードには2枚のハートとダイヤのAが揃っている。既にエースのワンペアがあるし、フラッシュだって狙えるんだ!
「さぁ! お姉、次の共有カードを表にするし!」
「言われなくても……スペードの3だ!」
……あぁ!? こういう時に限ってハートは出てくれない!? でも……まだ大丈夫。よくよく考えてみれば、1つの山札を使っている以上、後のゲームになればなるほどペアはできにくくなる筈なんだ! 既に山札は半分もない以上ペアを作ることすら難しいはず! あ、あれ? ちょっと待って! それって、僕にも当てはまるんじゃ――
「そしてこれが最後の1枚……敗退は百花か後輩か……」
「よっしゃあ! バッチ来ーい!」
「うぅ……モモ先輩……信じてますからね……」
僕の混乱をよそに事態はどんどん進んでいく。ちと先輩の綺麗な指が瞬く間に最後のカードを表向きにし――
「クラブのJだッ!」
――フラッシュじゃないッ!? 終わった……? いや、待って。確かにフラッシュこそ完成しなかったけれど、場にあるカードを見るんだ! 僕の手札がハートのAと7、そして共有カードがダイヤのA、ハートの2とJ、スペードの3、クラブのJ……つまりツーペアだ!
良かったッ! 最後に来てくれたのがJで良かった! ツーペア以上の役となればスリーカードだけど、同じ山札を使っている以上既にスリーカードの可能性は限りなく低いッ! そして、僕のツーペアは最強のエースが混ざっている! 負けはない――
気がつけば、勝手に自分の手札を表にしていた。
AとJのツーペア。文句なしに強いカードであり、ちと先輩も当然とばかりに微笑んでいるッ! 対するモモちゃんは――
「も、モモ先輩ッッ!? これはッ!?」
「リョウっち……まさか、この場でこんなに強いカードを引いてるなんて!?」
――仰天のあまり、思わず天を仰ぎ見ていた。
良かった。どうやらモモちゃんも勝負を仕掛けてきたから弱い手札じゃないみたいだけれど、僕の方が強かったようで……
同時にモモちゃんも手札を公開する。ちと先輩がそれを見るや胸をなで下ろし――
クラブのAとスペードの8。
――刹那、その表情が凍り付いた。
……あ、あれ? モモちゃんもAを持ってたの? そっか、それであんなに強気に……。それに、僕のJのペアは共有カードでできてるから、モモちゃんも利用できるはずなのだ。つまり……
――AとJのツーペア。
それがモモちゃんの作り上げた札だったのだ。
――なんて事だッ!? こんな終盤において拮抗した役柄が出てくるなんてッ!? とはいえ、ツーペアはツーペア。しかも数字の強さまで一緒だなんて、物凄い偶然だ。これはポーカーには滅多にない引き分けってやつじゃ……
「リョウっちッッ!! 私の勝ちだしッッッ!!!」
「――え?」
その一言に、僕は情けない声を上げることしかできなかった。そうして困ったかのよう顔を作ってちと先輩を見上げてみる。ちと先輩も直ぐさま僕の意見に同調しようとして……
「あぁ、ツ-ペアで数字まで被ったのか。ならハイカードだな」
才賀先輩の意見にギクシャクと頷いていた。ハイカード? それってつまり、ペア以外のカードの強さってこと?
「ペア以外の春茅の手札で最も強いカードは7、対する百花ちゃんは8」
――ま、待って!? 僕にはJがあるよ!? って駄目だ!? Jはペアになっちゃってるし、共有カードだからモモちゃんにも有効なカードなんだ!?
ってことは――
「オールイン同士の激突、勝ったのは百花ちゃん。春茅は……残念だが賞金0で敗退だな」
――間違いない。どう目を凝らしてみても疑う余地もない。……僕の……負けだ。




