ホームズ対ホームズ!③
思った通り。この結果は当然としか言い様がない。そう思った俺は、なんだか複雑な気分だった。春茅にしろ百花ちゃんにしろ、優秀な後輩だ。この先経験を積めば、さぞかし大物になるだろう。
……問題は、その経験が無いということなのだ。
――配られた手札はダイヤのキングとクイーン。実に結構。スートも数字も揃っている上に、カードの強さ自体がなかなかだ。
そう、経験だ。社会に出れば分かる。いくら優秀な人間でも、全く経験が無ければただの足纏に過ぎない。実際そうだろう。お役所の作った小難しい法律の文書を隈無く読んで抜け穴を見つけ出す才能があったところで、会社の財務状況を見抜くのにはなんの役にも立ちはしない。その逆もまたしかりだ。
――テキサス・ホールデム。手札共有ポーカー。それが日本のポーカーとは全く別のゲームな事は直ぐに分かった。7枚の手札のうち5枚が共有カードなのだ、差異を生むのは最初の2枚だけ。残りの5枚に大きな期待はしない方がよいだろう。なにしろ、強いカードが出ようと、相手もそれを使ってくるのだから。
だから、てっきり千歳ちゃんはゲームを通じて交渉事のイロハを学んで欲しいのだと、そう思った。……たしかにそれもあるだろう。だが……それだけではない。普段の彼女なら、間違いなく俺の金を賭けようと提案を断るはずだった。大事な彼氏にギャンブルの味を教えたくないだろうから。それをしないということは、何か動機があるということであり…………突き詰めていけば、それは百花ちゃんと狩亞ちゃんに行き着くのだろう。何しろ、千歳ちゃんが春茅に対して懸念があるとすれば、自分のいない高校生活くらいなのだから。
――そう、言い換えれば最初の2枚の時点で、勝負は半分以上着いている。とはいえ、ポーカーは運の要素も強い。最初の2枚が強力だったからといって、不運にも残りの共有カードで逆転されてしまう可能性がある。……なら、どうすれば良い? 答えは簡単。最初の2枚の時点で相手を叩きつぶしてしまえば良い。同額賭けは得策じゃない。相手を叩きのめす賭け金上乗せか、尻尾を巻いて降参かだ。
つまるところ、ギャンブルという形を取った戦い。それがこのゲームの本質だろう。
……そこで不意に千歳ちゃんを向いた。彼女はカードを配った後は、後ろで無言のまま俺の手札を見ている。その顔色に焦りの色は無い。そしてもう1人。狩亞ちゃんがにっこり笑ったまま当然とばかりに俺の手札を覗き込んだ。そうして、すぐに春茅の方にも歩いて手札を覗いて……そのまま百花ちゃんの元へと戻って行く。
2人とも、何か企んでいるな。
……良いだろう。どいつもこいつも、腹に一物抱えて動いてやがる……面白い……!
「同額賭け」
春茅の先手がそれだった。アルカイックスマイルを浮かべた表情には、焦りの色は見えない。そうだろう。今のこいつは俺の一挙手一投足を観察しているのだから。だけれど、それは甘い。ウォームリーディングは観察されていると分かっていれば、いくらでも偽装できるのだから。
なにより……
「賭け金上乗せ、12枚だ……!」
春茅の顔色が引き攣った。当然だろう。あいつの手持ちの硬貨は21枚。その半分以上のベットとなれば、自然と慎重になってしまう。生半可な手札では勝負できまい。……そして、勝負を避ければ避けるほど俺の所にポンドが貯まり、それがますます俺を有利にしていく。
……甘いな、春茅。やはり今のお前では、この俺の相手にはなり得ん。相手を読むのに集中するあまり、敵の推理に対する防御が疎かだし、なにより行動が露骨に感情の影響を受けてしまっている。
だがこのゲームを通じて、お前の欠点が明らかになったのは良いことだ。後はそれを少しずつ克服して行けば良い。
――音楽が鳴り響いた。さっきからうろちょろしていた狩亞ちゃんが、ジュークボックスを動かしたらしい。これはピーター・ポール&マリーの“Puff the magic dragon”だな。……もしかして洋楽に興味があるのか? これは、後でCDを貸してやらねば……
「……降参するし」
だろうな。そして……それは懸命な判断だろう。百花ちゃんは昔から、不思議と読みが鋭いところがある。今だって俺の手札は間違いなく強い。だから、その選択で正解だ。
さて、このターンも俺の勝ち――
「同額賭け」
――ではなかった。春茅がコールしてきたのだ……! これは完全に予想外! なにしろ
「ほう? 良いのか春茅? それは完全に悪手だぞ?」
……そう、ポーカーにおいて、取るべき行動は2つだけだ! レイズかフォールドか!
「もちろんです才賀先輩。だって先輩……さっきからずっとブラフをしていますから」
「まあな! しかし、それがなんだというのだ? 今回もそうだとは限らんぞ?」
……あぁ、本当にそれは駄目だ春茅! そこで俺を負かしたかったのなら、コールでは無くレイズするべきだった! コールでは自信が無いと言っているようなもの! そんな中途半端な攻撃が効くものか!
「もちろんそうです。でも、このまま譲ってばかりではどんどんポンドが無くなってジリ貧です。だから、僕はここで勝負を――」
「――賭け金上乗せ、もう12枚追加だ」
同時に百花ちゃんが驚きの余り机を叩いて立ち上がっていた。
「おっさん正気だし!? いくら何でも一度の勝負にそんなに賭けたら――」
「――待ってくださいモモ先輩……! これは……!?」
狩亞ちゃんが目をまん丸にしたまま、戦慄している。当然だろう。なにしろ、これは……
「これは、春先輩を滅ぼすための攻撃なんです!」
その通り。この子は結構頭の回転が速くて助かるな。
そう、これが渾身の一撃なのだ。なにせ、追加した12枚とは、春茅の残り全部の硬貨なのだから! しかも既に奴は手持ちの半分以上の金額を費やしてしまっている……。今更後に引いたところで、手持ちのポンドを半分も失ってしまうのだ! かといって、戦ったところで、俺のキングとクイーンに勝てるとは思えない! もはや奴に退路は無い! 進むも地獄、戻るも地獄!
見ればあいつの顔も露骨に引き攣って――
「そう来ると思いましたよ、才賀先輩」
――いなかった。
むしろ、笑いこそしないものの、その両の瞳は喜びのあまり爛々と輝きを放っている……!
「ここで勝負です! 才賀先輩、賢い先輩なら即座にテキサス・ホールデムの要点を理解するだろうと思ってました! そしてそれゆえ……僕が的外れなプレイをすれば、容赦なく攻め立ててくることも!」
同時に春茅が平然と手札を公開してきた。スペードのキングとジャック……ッ! こいつ、強い手札を引いてなお、わざと自信なさそうにプレイしていたというのか!? 直前までの本心の弱さすら利用して……!?
「……さっきまでの僕は、確かにルールを理解していませんでした。でも、今は違います! 才賀先輩、覚悟は良いですか!? 僕は……ちと先輩の為に、あなたを、倒します!」
「……なるほど、面白い。それでこそ、春茅だ」
……そう、本当に面白い……! これが1個前の勝負であれば、実際に勝ったのは春茅の方だったかもしれない。だが、今回は違う……!
本来そんな義務は無いのだが、特別にゆっくりと、全員に見えるように、俺も手札を公開してやった。
ダイヤのキングとクイーン。同時に春茅の顔が驚愕に引き攣った。どうやら、あいつは今回もブラフだと思っていたらしい。
「なッ!? キングとクイーン!? しかも、スートまで揃って……!?」
「悪いな春茅。ブラフじゃない。今回の手札は、お前以上なんだ……!」
硬直した春茅にトドメを刺すべく千歳ちゃんに目配せすると、彼女は冷静なまま3枚の共有カードをめくっていき……当然のように微笑んだ。
「スペードの4、ダイヤの3、そして……スペードのクイーンだ!」
「すごい! ……ってことは……どういうことだし?」
呑気に観戦に徹していた百花ちゃんが興奮の余り口走っていた。あぁ、この子は昔からこんな感じだな。
「……えっと、つまりおっさんがクイーンのワンペアで――」
「――春先輩に役はありません。でも、あと1枚スペードが出ればフラッシュです!」
……一方、俺はクイーンがダブったせいでストレートの可能性は無くなった。しかもフラッシュには、残り2枚の共有カードが両方ともダイヤである必要がある。まずいな、残りの2枚の共有カードが1枚でもスペードだと、その時点で春茅に負ける……!
「叔父さん……一応訊きますが……」
「くっ……良いだろう。そのままゲームを進めてくれ……!」
同時に、全員の視線が千歳ちゃんの指先に集中する。紫など、緊張のあまり無理して飲んでた失敗カクテルが口元から垂れてしまっていた。
「クラブの8!」
同時にざわめきが強くなる中、俺は思わず息を吐き出していた。ひとまず、この場で春茅のフラッシュは完成しなかった。だが、それはなんの慰めにもならん。
まずい、スペードを引かれた時点で、俺の負けだ。確率はどうだ? ここまでスペードはあまり出てないんじゃないか? もちろん決して高くは無いが――
「そして、これが最後の1枚」
――そのまま千歳ちゃんが俺や春茅の緊張などどこ吹く風。淡々とカードを表替えした。
それは、俺の望みとは真逆の黒い色をしていて……
「スペードの10! よってこの勝負、フラッシュを完成させた後輩の勝利だッッ!」
湧き上がる歓声を尻目に、俺はどっと疲れたように椅子に座り込んでいた。見ればそれは春茅も同じようで、あいつは引き攣った表情のまま荒い呼吸を整えている。
この戦いは、俺にとっても向こうにとっても予想外の遭遇戦だったのだ。しかも、そんな偶然の戦いに、よりにもよって大金を賭けてしまった。俺はこれまでのリードがあるから余裕があったが、完全に予想を外して敗退寸前だった春茅にとってはさぞかしプレッシャーだっただろう。
見れば千歳ちゃんは春茅を優しく宥め……代わって狩亞ちゃんがポットに貯まったポンド玉を運んでいく。俺と春茅が全力で殴り合った結果、ポットはなんと54枚まで膨らんでいる。
頭の中の冷静な部分が素早く算出していた。これで手持ちのポンドは……
「大丈夫か、後輩? ほら、水を飲むんだ」
愛しの先輩の言葉に反応する余裕すら無く、呆然と座ったまま盤面を見続けていた。まだ信じられない。心臓だってバクバクいってるし、灼熱した頭脳は限界を超えたのか今度は氷点下にまで冷え込んで覚醒している。
……僕、幸運に恵まれたとはいえ、才賀先輩に勝てた?
そう思った瞬間、どっと冷や汗が流れ出た。同時に心地よい勝利の余韻が心を満たしていく。
「春先輩……っナイスファイトです!」
同時にカルちゃんが小っちゃくて可愛らしい手のひらいっぱいにポンド玉を運んできてくれた。全部で54枚……のはず。残りをモモちゃんと才賀先輩で分け合っているはずだ。
「ほら、大丈夫か?」
「ふぁ……すみません、頂きます」
同時にちと先輩がカクテルグラスに水を注いだのを持ってきてくれた。もちろん水道水じゃない。歴としたミネラルウォーター。お金持ちってすごい……。
「ほら、次のゲームに行くぞ」
気がつけば、仕方ないなと言わんばかりのちと先輩が参加料を徴収し終えて、次の手札まで配っていた。しかも、既に才賀先輩があっさりとフォールドを決めている。
「よし! いける! これなら賭け金上乗せだし! 5ポンド!」
そして、戦いの余波を受けたのか、モモちゃんが威勢良くポンド玉をポットに入れていた。
そういう僕の手札は……クラブの3と9。クラブのさん、きゅう。探偵部サンキュー……
「降参で」
「ぐぬぬ……! リョウっちもおっさんも、私が強いカードを引いたときに限って、あっさり逃げるんだから!」
同時にモモちゃんがぷんすかと怒りながらもポットに貯まった6枚のポンド玉を回収していく。
……ごめんね、モモちゃん。でも山札を見てごらん。もう半分も残っていないんだ。一方で僕の手元には50ポンドもある。言い換えれば、僕はあとひたすらフォールドするだけでも優勝できるのだ。
いや、そもそも僕の目的は立派なスーツを買うことなわけで。目的が達成できた以上、無理に戦う必要も無いわけで、後は颯爽とちと先輩をお嫁にくださいと言えば良いだけで――
「――ネクタイ……それに靴もだな」
才賀先輩が言った。僕は固まってしまう。なにしろ、才賀先輩ときたら、僕がバラ色の未来を妄想しているのをあっさりと見抜いたらしい。
「ど、どういうことですか!?」
「いや、至極当然だが……オーダーメードのスーツを身につけるなら……ネクタイや革靴もそれに見合ったものにしないと、かえって不自然だなと思っただけで……」
……その言葉が思いっきり僕の心に付き刺さった。あぁ、才賀先輩、見ればニヤニヤ笑ってるじゃん。これ、絶対挑発だよ? あぁ、悔しい! でも、その通りなんだ!?
「ほほ-う。これは確かに、おっさんの言うとおりだし。むしろ中途半端に高級物に身を包んだら、それはチャック全開で結婚の挨拶にいくようなもので、かえって逆効果に――」
「――分かった、分かったって! これはゲームなんだし、本当に必要な物は自分で手に入れれば良い。勝ち逃げはしない! それで良いでしょ!?」
ニッコリと笑っていた。モモちゃんも、才賀先輩も。この2人、変なところでよく似てる……。そして戦々恐々となって後ろを振り向けば――
「――まぁ、仕方ないか」
どうやらちと先輩もオッケーらしい。戦いの時はもう少し続く。




