白面の教師③
これにて一件落着、めでたしめでたし。私達は新聞部と別れると、一仕事追えた後の心地良い疲労感と共に部室の固い椅子に腰を落ち着けることにしていた。
荷物を置くとそのまま瞬間湯沸かし器のスイッチを入れる。すると1分程度で熱々のお湯ができあがるのだ。だからそれを待つ間にティーポットに茶葉を入れて、尚余った時間でお砂糖を取り出し……
「それでモモ先輩……一旦何をやったんですか?」
そんな私をカルっちの微妙な視線が突き刺していた。思わず振り返ってしまう。
「な、何のことだし? 私にはこれっぽっちも心当たりが――」
「私……視力には自信があるんです。それに、春先輩に感化されて、物事を”見る”だけではなく”観察する”癖も身につきました。いわゆるホームズ式推理術ってやつですね……」
コツコツと足音を立てたカルっちは、まるで容疑者を自白させようとする刑事のように思わず硬直した私の背中に回り込んでいた。鋭い視線だし。そしてその手が私を逃がさぬよう私の肩に乗せられていて……。
「あの時、間違いなく指輪はありませんでした。リングケースの片隅に転がっていただなんてありえません。よしんば私が見逃したとしても、必死に探したクマちゃん先生が見逃すなんておかしいです。ということは……」
思わず逃走を試みた私だったけど、あっさりと腕を伸ばしたカルっちによって引き戻されてしまい、そのまま椅子に強制的に座らされてしまう。
あぁ、せっかく温めたお湯が冷めてしまう……。
などと考えていると、カルっちも流石にばつが悪くなったのか不意に表情を和らげた。
「盗まれた指輪を見つけてきたのはモモ先輩ですね? そしてクマちゃん先生のことを考えて、わざと何もなかったことにした。違いますか?」
思わず溜息を吐いてしまう。どうやら私の後輩は日々成長しているようだった。去年のリョウっちもこんな気分だったのだろうか。
だって、カルっちの言ったことが正解なのだから。
新聞部を呼んだのもそう。全ては事実を隠蔽し、真犯人を庇うためにした小細工なのである。……後輩にあっさり見破られるだなんて……地味に傷ついたし……。
「あのね、カルっち?」
私がそう言うと、カルっちはようやく私を解放して代わりに手早く紅茶を淹れていく。だけれど……甘い。ティーカップを温めるのを忘れているし、茶葉が完全に開ききる前にポットから注いでしまっているのだ。……大丈夫、まだ私にも勝ってるところがある。
「リョウっちが言ってた。探偵部のお仕事は、謎を解くことであって犯人を捕まえることじゃないんだって」
「…………それって……同じことなんじゃ?」
思わず苦笑いしてしまう。私も全く同じ事を考えたことがあったのだ。いや……実を言うと今日までよく分かってなかったっぽい。さっき初めて、実感が湧いたのだ。
「いーや、違うし。例えば、謎を解いた結果誰かが不幸のどん底に追い込まれてしまったら……それが本当に正しいことだと思う?」
「それは……そうですが……。……ッ!? それって……つまり犯人はッッッ」
そこでハッとなったカルっちは、どうやら犯人の正体に気付いたらしい。
……正直に言うと、時々この子が羨ましくなる。カルっちは……見た目に反して論理的なのだ。それこそ私やリョウっちと違って、お姉に近い才能を持っている。だから、もしこの才能が私にあったら、リョウっちの助手役としてはうってつけだったんじゃないか、とか思ってしまうのだ。……他にも長い脚とか高い身長とか大きなお胸とか綺麗なお尻とか自由な立場とか笑うとできる素敵なえくぼとか可愛らしい八重歯とか、あと、えっと、その他諸々……
「モモ先輩が庇う相手なら1人しかいません! 犯人は小白だったんですね!?」
……っと思ったけど、やっぱり私は私で良かったかもしれないし。カルっちは論理的な一方、直情径行的な所があるのだ。
今もカルっちは怒りで顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。……きっと、小白先生がクマちゃん先生を捨てて貝塚に走ったとか思っているのだろう。残念ながらそうじゃないんだし。
「だって考えてみて? オルゴールを鳴らさずにリングケースを開けることは不可能じゃん? 貝塚だけじゃなくて、小白先生にもクマちゃん先生にも」
「……そうですね。それゆえ、みんなモモ先輩の”指輪はリングケースの隅に隠れてしまった”っていう説明を否定できませんでしたし」
「うん、でもね? そもそも指輪を盗むのにリングケースを開ける必要は無いんだよ?」
そう。実は1人だけリングケースを開けずに指輪を盗むことが出来る人間が居たのである。……まぁ、小白先生のことなんだけど。
「え!? …………で、でも、確かにリングケースの内側のゼンマイが巻かれていましたし……外から取り出せるような仕掛けも……」
「うん。そんな代物はない。だから犯人は……リングケースごと盗んだんだし」
ほえ? とカルっちは鳩が豆鉄砲食ったかのような顔になっていた。ふふん、発想の転換って奴だし!
「で、でも、それじゃあリングケース自体も無くなって……」
「うん。だけどね? クマちゃん先生は言ってたじゃん。”2人でお揃いの指輪を買いに行った”と。つまり、同じリングケースを小白先生も持ってる筈なんだし!」
事件の絡繰りはこうだ。
クマちゃん先生が席を外しているか、あるいはその場にいても他の人との会話に夢中になっている隙に、小白先生が事前に指輪を抜いた自分の空のリングケースとすり替えたのだ。なにしろ小白先生の席はクマちゃん先生の隣、チャンスなんて幾らでもあっただろう。
「な……なるほど……。そしてそれが出来るのは小白先生だけ……」
だから、私はわざわざカルっちに新聞部を呼びに行かせ、その間に小白先生に全ての答えを突きつけたのである。幸いなことにコジローはあっさり白状すると、真っ青な顔になって子供が居るからクビだけは勘弁してくれと縋り付いてきた。
「でも……小白先生は何でそんなことを?」
やや落ち着いたカルっちは、そこで不思議そうに首を捻った。そう、一つ確かなこととして、コジローはクマちゃん先生を愛しているのだ。
では、何故コジローは愛する人裏切るような真似をしたのか?
「それは……貝塚のせいだし」
「…………浮気って訳でもなさそうですね」
そう。浮気では無い。だけれど、カルっちの態度がある意味真実だし。
「カルっち、クマちゃん先生の名前を言ってみて?」
「え? それは……熊田友子……ですよね?」
「……うん。多分、そう思ってしまったんだと思う」
思わずカルっちは胸に抱えたプレゼントを確認していた。そこには確かに”熊田友子様♡小白洋輔様 探偵部一同より”と記されているわけで……
それこそが最初のボタンの掛け違いだったのだ。
「それじゃあ、さっきコジローは2回目のプロポーズで何て叫んでたし?」
「……ッッッ!? そうか! あの時小白は……! 友子と呼んでいたはずですッ!!!」
そう。クマちゃん先生の名前は”ゆうこ”なのだ。
「それじゃあ、貝塚の名前は?」
「えぇ!? あいつは……知歌子です。貝塚知歌子」
そう。それが全てなのである。
「さぁ、最後だし! クマちゃん先生は、発見された小白先生の指輪を填めて感激してたし! それが自分の指輪じゃないと気付かずに……!」
「……! はい。そして指輪を見て初めて確信していました! 確かに小白先生からクマちゃん先生に送られた愛の証だと!」
とはいえ、もちろん指輪は決して大きなものでは無い。フルネームを刻むことなど不可能。だから当然……
「イニシャルだし! 指輪の内側に刻まれていたのはイニシャルだったんだし!」
クマちゃん先生は指輪に刻まれた文字を見てこう呟いたのだ。『Y.Kへ、愛を込めて』。そういえば、先生自身も指輪にイニシャルを刻んだって言ってたような。
「そうか! クマちゃん先生もコジローもイニシャルは同じY.Kです! だからクマちゃん先生はコジローの指輪を填めても気付かなかったんですね!?」
「いえーす! しっかもー? あの時、クマちゃん先生の指輪は先生の指より少しだけ大きかったんだし! 一緒に買いに行って――当然そこで寸法を測ったはずの指輪が大きいだなんてあり得ないし!」
となれば、あの時クマちゃん先生が感激と幸せの最中で填めた指輪は、クマちゃん先生がコジローに送った物で間違いないだろう。
「……でもモモ先輩。それじゃあ本物のクマちゃん先生の指輪は何処へ?」
「そんなの……まだコジローが持ってたに決まってるじゃん! だって、それが目的なんだから!」
そして、所持品検査の時もコジロー自身の指輪とリングケースだと思われてしまい、怪しまれなかったのである。いや、そもそも検査すらされてなかったのかも?
私は思わず紅茶が冷めるのも気にせず立ち上がっていた。
「つまり宝石店のミスなんだし! 宝石店がクマちゃん先生の名前を”ゆうこ”ではなく”ともこ”だと思ってイニシャルを刻んでしまったんだし!」
そして、昨日届いたばかりの指輪をみてコジローは顔色が真っ白になってしまったのだ。なにせ、間違ってしまったイニシャルはT.K。よりにもよってクマちゃん先生が一時は身を引く決意をするほど親しい相手、貝塚知歌子のものと同じだったのである!
「そしてクマちゃん先生は生徒指導担当だから、コジローよりも先に指輪を大事に抱えて登校してしまったんだし!」
クマちゃん先生が何処かで指輪に刻まれた愛の言葉と間違ったイニシャルに気付いたら……全てが終わりになってしまう。そう思ったコジローは必死になって指輪を取り返そうとしていたのだ。
全て、不幸な行き違いだったんだし。だから……私はそれを、見て見ぬ振りが出来なかった。
「な……なるほど……。それでモモ先輩は……全て丸く収まるように偽りの真相を述べたんですね……」
「ふっふーん! セカンドステイン作戦だし!」
気がつけば私はプレゼントを抱えると、カルっちを先導するように外へと歩き出していた。
カルっちは放心したかのように蕩けた表情をしている。……だから、そーゆー無防備な顔を誰彼構わず見せちゃ駄目だって!
そんなことより、だ。今私達がするべきことはたった1つ。クマちゃん先生に改めてプレゼントを渡すのである。
「さ! 行こう! さすがにそろそろ職員室に戻っているはずだし!」
「はい! モモ先輩、お供します!」
そうして、思い出の積もった探偵部の部室を飛び出していた。熱い太陽はされど一日の盛りを過ぎたのか、黄金色の光だけを廊下へ燦々と降り注いでいる。誰も居ない中で輝くリノリウムの上を、私達2人はとびっきりの笑顔で駆け抜けていく。
パタパタと可愛らしい足音を校舎に響かせながら角を曲がり、トントンと軽やかなステップを踏んで階段を降りて、再び華やかな愛の会場へと舞い戻るのだ。
そうして戻った職員室は、やっぱりだ。コジローとクマちゃん先生が自分たちの勘違いで済ませたのだろう。机に座った当事者2人を皆で囲んで冷やかしているみたい。
笑顔と祝福の戻ったそこには、意外なことにさっきの先生方が誰一人として帰らずに残っていたようだ。クマちゃん先生は生徒だけでは無く教師にも好かれていたのだろう。うんうん。良きかな良きかな。
「クマちゃん先生! もう……そそっかしいんだから」
「本当です! でも……探偵部の捜査で無事一件落着ですね! 今度ジュースでも奢って下さい!」
「……うっ……それ言われると辛いものがあるな……」
「はは……は……ま、まぁ……結婚前最後の厄落としだと思えば、これはこれで……」
私達がそう言うと、2人は笑って返してくれた。クマちゃん先生は苦笑いで、コジローは冷や汗かきながらの愛想笑い。似た者夫婦だし。
「あ、でもそっか……」
「どうしたんですか? モモ先輩?」
カルっちがニコニコ笑いながらプレゼント渡しているのを見て、1つ気付いてしまったことがあったのだ。そう。クマちゃん先生は結婚してしまった。つまり……だよ?
「もう……クマちゃん先生って呼べないじゃん!」
「あっ……」
ふとした思いつきだったのだけど、それが思った以上にクマちゃん先生には効いたようだった。
先生は不思議と懐かしむかのような顔で遠くを見ていたのだ。
「……クーちゃん?」
「いや、何でも無いよ。……なぁ百花に狩亞。所詮渾名なんて渾名なんだ。それに、思えば私も一時は代替わりしたばかりのお前達の実力を疑ってしまった。熊というのは女性に対して若干失礼な響きもあるが……詫びもかねて好きに呼ぶが良いさ」
そう。女性は結婚すると名字が変る。……いや、多分リョウっちは婿入りするだろうからお姉は変らないだろうけどさ。っと、大事なことはそうじゃない。
私が言いたかったのは、こういうことなのだ。
「そう? じゃあ遠慮無く。これからもよろしくだし! シロクマちゃん先生!」
「お前間違いなく探偵部の血筋だろ!? しかもこれはァ問題児の血統だッ!」
私がビシッとポーズを決めてそう言うと、クマちゃん先生は何時もの調子を取り戻してデスクを叩きながら立ち上がっていた。
クマちゃん先生は何故か頭を抱えて、千歳ェ……とか、春茅ァ……などと呟いていた。だけれど、その横顔は自然と楽しそうに笑みを形作っている。
そうして、探偵部最後の夏は賑やかな盛りを迎えていた。きっとこれから穏やかな秋と物静かな冬を迎え……春を前に消滅する――
「シロクマちゃん先生……!!! モモ先輩……凄い! パナいネーミングですよ!」
「でっしょお! 褒めて褒めてー!」
――それは私達も一緒だ。今がどんなに楽しくても、いずれ別れの時期がやってくる。
だからこそ、今この時を大切に楽しんでいきたい。そう思った。
「お前達……まったく、ちょっと褒めるとすぐこれだ!」
「ぶー! 先生の言うことに従っただけだし!」
「ぶーぶー! そうですよー! ぷんすか!」
屈託もなく笑った私をカルっちが優しく撫でてくれる。そんな笑顔の私達をシロクマちゃん先生は、言葉とは裏腹に優しく見守っているのだ。
探偵部は無くなる。形あるものは全てがいずれ無に帰る。でも、楽しかった思い出だけは残るのだ。永遠に……私達の心の中に。




