3.森亜帝の顔②
思わず僕は顔を顰めていた。それはどうやら隣を歩くモモちゃんも同じらしい。
久しぶりに訪れた生徒会分室は、先にやって来ていたオカルト研究会の手によってかつての忌まわしさを少しだけ取り戻していたのだ。
もちろん生徒会メンバーが重要書類は既に持ち出している。
だけれど、それによって不要になったラックが外に出されて広さを取り戻した室内は、まるで時間を巻き戻したようになっていたのだ。
暗幕が張られて薄暗い室内、閉ざされた窓、年月を経て尚色褪せない毛足の長い絨毯、これらはいずれも才賀先輩から聞いたかつてのオカルト研究会部室の様子と一致する。
……違うのは、かつて壁際の本棚にはうずたかく洋書が詰め込まれていたそうだけど、今は代わりに生徒会のラックで重要でない備品類が保存されているぐらいか。
「リョウっち…………」
「分かってる」
そしてその部屋の中央。佐伯のいう”でっかいテーブル”の向こうでは、制服の上に波打つマントを着こなした小室が両手で頬杖をついてこっちを見やっていた。その表情は……苛立ちを隠し切れていない。
「来たか、探偵部め……」
「それは僕の台詞だよ、オカルト研究会……!」
暗幕を張り巡らされた室内を照らすのは、長方形のテーブルの中央に置かれた火のついた太い蝋燭が一本だけ。だけれど空調が作動しているのか、室内は快適な室温に保たれている。テーブルには同じく木製の、といってもこっちは普通の学校で使ってる椅子が4つあった。
――大きなテーブルを2人がかりで運び込んだ、か。
佐伯の言葉が気になった僕は、椅子に座るついでにさりげなく蹴っ飛ばしてみた。……音が軽い。それに少しばかり動いたようだ。どうやらこのテーブル、木製の重厚な見た目とは裏腹にかなり軽いみたい。
そこでぐるりと見回してみる。薄暗い室内にいるのは4人だけだ。今入ってきたばかりの僕とモモちゃんに、テーブルでそれを出迎えた小室、そして……思わずそれを注視していた。
「悪いな。光が席を外しているんだ。戻ってくるまで待ってくれ」
小室の真後ろにぽつねんと置かれた椅子。そこに座らされた物を見た僕は本能的な怖気が走るのを抑えられなかった。
それは一般的には藁人形と形容される代物だ。ただし、サイズが違う。
「随分と悪趣味な……」
「あぁ? これか? 丁度良いだろう。俺達はこれから降霊術を行うんだ。だけれど、俺達の助手役に降ろすわけにもいかない。だから、人間サイズの依り代を用意させてもらった」
「そういう意味じゃない……!」
人間サイズの巨大な藁人形が、僕と小室を覗き込むように鎮座していたのだ。そしてその顔には――
「森亜先輩の顔を付けるなんて、悪趣味だって言ったんだよ……!」
――藁人形にはワイシャツに学ランとスラックス、そしてお面が被せてある。そう、既に亡くなっている森亜帝の写真を元に作られた精巧なお面が……。
僕がそう言うのを聞いて、小室は満足げにニヤニヤ笑っていた。
「よくできてるだろう? 俺はもう探偵部には容赦しないことを決めた。だから、巫女の勾玉の死の呪いを使う。だから春茅、覚悟は良いな? 立浜高校史上最強最悪の悪霊がお前達の相手だ! 邪悪な怨霊に地獄の底まで引きずり込まれるが良い! 2人とも、ここから生きて帰れると思うなよ……?」
同時に激しい憤りが僕の胸から湧き上がった。
もちろん僕だって森亜先輩の事を直接知ってるわけじゃないし、決して褒められた先輩でも無いというのも分かっている。だけど、だけどだよ?
「こんな……死人に鞭打つような真似を、平然とするのか君は!?」
「おやぁ? 探偵部の春茅はかつての敵の肩を持つのか? 」
否定はしない。……でも、こんな森亜先輩を詐欺の口実に使う真似は許せない……!
「別におかしい事ではない。何せ森亜帝こそがこの立浜高校に宿る霊の中でも、人々を死へと誘う最も悪質な者なのだから……! 俺は、最大の悪霊の力を勾玉によって制御し、お前達を呪う!」
「…………あの写真、知ってる。私もお姉やリョウっちの話を聞いて調べてみたんだし」
そこでモモちゃんが呟く。どうやら覚悟は決まっているのか、小室の脅しにも屈せず平然と空いている席に座った。横長の長方形の四隅の席。僕と小室が正面から近距離で睨みあっていて、モモちゃんはちょっと離れた左側の席に陣取っている。
「でも、あれはネットに流出した森亜の顔写真、正確には中学校の卒業アルバムだし。探そうと思えばいくらでも見つけられるありふれた写真で、言わば安物だよリョウっち」
その通りだ。僕も調査の過程で何度となく中学生の森亜帝の顔写真を眺めている。そして、それ故に僕は引っかかりを覚えていたのだ。
――そんなありふれた写真を小室が呪術に使う?
……小室の操る神秘とは奇術に近い。日常の中で非日常を演出して信じ込ませるのだ。蝋燭しかり絨毯しかりテーブルしかり。
それを考えると、今回の顔写真は毛色が違う。あいつが本当に演出するなら、それこそ凶行を行う直前の顔写真を使うべきなんじゃないなのか――
「あぁ、君はそこを疑問に感じたのか……。他人の気持ちに敏感な後輩ならでは、だな」
「……ッ!?」
思わず立ち上がった僕は振り返り……不覚にも喜びを爆発させていた。
思わず目を擦って見るも間違いない。スラリとした長身に空調の風を受けて僅かに揺れる黒髪。鈴を転がすような愛らしい声色は間違いない。来てくれたのだ……僕の愛する人が。
「ちと先輩ッ!?」
間違いない! シンプルなワンピースに片手には麦わら帽子、いかにも良家のお嬢さんな身体は女性らしくほっそりとしている。
その柔らかさを確かめるように僕が抱きしめると、ちと先輩は甘んじて受け入れるどころか柔らかい身体を擦りつけてきたのだ……!
「ちと先輩! お久しぶりですっ」
「ん、こら、くすぐったい」
あぁ! この柔らかさ、間違いない! 本当に僕の愛するちと先輩だ! 滅多に会えないのに……こんな時に限って会えるなんて!
そこで僕はようやく気付いていた。どうやらちと先輩は1人で来たわけでは無いらしい。彼女は抱き合う僕たちを苦笑しながら見守っているのだ。
「ハロー、後輩君! っと言っても、後輩君は千歳しか目に入ってなかったみたいだけど……」
「マイ先輩……その節は本当にありがとうございました……」
そう言って笑ったのは米原涼花先輩、ちと先輩の親友にして僕の恩人だ。よく見れば2人の後ろからは才賀先輩がニヤニヤ笑いながら見ている。どうやらこれは理事の筋書きみたい。
理事は笑ったまま口を挟まない。挟むつもりがない。きっと言いたいことは僕が全部やってくれると信じているのだろう。
そこで腕の中のちと先輩がスッと僕を見た。
「後輩、迷うことはない。井戸の底から這い上がってきた悪霊など、叩き落として沈めてやれ」
「はい! 探偵らしく、幽霊の正体を確かめてきます!」
それだけで充分だったのだ。ちと先輩が小さくよろしいと呟くのを尻目に、再び席に座る。後ろを見たとき気付いたのだ。
いつの間にか観客は増えていた。久瀬さんの文藝部はもちろん新聞部や佐伯の野球部に料理研究会。もちろんカルちゃんもお友達と一緒に。探偵部に関わりのある人達が勝負の行方を見届けようと室内を覗き込んでいる。
もっとも、肝心の久瀬さんと佐伯はまだ来ていない。僕が会場の周囲の捜索をお願いしたからだ。
流石の小室もこの人の多さは予想外だったのか、どこか不愉快そうに口をへの字に曲げている。
「……ちっ、思ったより客が多いな。おい春茅、お前さえ問題なければ……」
「ギャラリーにも中に入って貰おう。もちろん僕たちの邪魔にならない程度に、ね」
小室も異論は無いのか、鷹揚と頷くだけだった。そうして暫し時間が経過していく。それどれくらいなのかは分からない。この部屋には時計がなかったのだ。その間僕も小室も無言で、それゆえ奇妙な緊張感が伝染したのか誰一人として口を挟まなかった。
そうして宇田が帰ってきていた。彼女も人の多さにポカンとしたものの、直ぐに我に返ると無言のまま空いた席に座って正面のモモちゃんと火花を散らす。
「役者は揃った。それでは、この咒法双六のルールを説明しよう」
そこで小室はテーブルを指さした。よく見れば木製のテーブルの表面には浅く削られたような跡があり、それが渦を巻くように中心の蝋燭へと向かっている。
「双六を知っているか? 厳密に言うなら絵双六だ。サイコロを振って出た目の数だけ進み、ゴールを目指すゲーム」
思わず怪訝な顔を作りつつ、頷いていた。
むしろ双六を知らない人間の方が少ないだろう。それ位メジャーな遊戯なのだ。そして確かに目の前のテーブルにはそれらしいマス目が蝋燭を中心に刻まれている。ただ問題が一つ。
「……全てのマス目が空白?」
「あぁ! ルールは簡単だ。このシンプル極まりない盤面を舞台に交互にサイコロを振って、出た目の数だけ駒を進めていく――」
どうやら事前に準備していたらしい小室は足下から2つの小さな箱を取り出した。片方の中には雑多な……それこそ将棋やチェスの駒がごちゃ混ぜになって入っている。
そしてもう片方、小室は恭しくもハンカチで丁寧にその蓋を開けると、中から白いサイコロを取り出した。……特に何の変哲も無いサイコロだ。強いて言うなら普通のサイコロよりも少し大きいけれど、それでも手のひらサイズを超えるほどではない。ただ、出た目を表す「・」が全て真っ赤になっていた。
「――ただし、俺と春茅では勝利条件が違う。春茅、悪霊から逃げるお前は最初に3度投げる機会をくれてやる。その代わりに、追いかける森亜帝の悪霊に追い憑かれた時点でお前の負けだ。言わば双六の形を借りた鬼ごっこだよ」
……何かがおかしい。
僕は思わず得意げに説明する小室の顔を2度見していた。
――常識的に考えれば、サイコロの出目は平均して3.5だ。僕が振ろうが、悪魔が振ろうが、3.5。沢山振れば振るほど誤差は少なくなっていく。
つまりこのゲーム、最初に3回分リードを貰った僕の方が圧倒的に有利なはずなのだ。ということは……
「…………サイコロを見せて」
僕がそう言うと、また小室の奴がニヤリと笑った。無造作にサイコロをこちらへと投げて寄越す。
「はは! 疑ってるな春茅? 良いぞ? 室内にあるものは好きなだけ調べるが良いさ! その時間を取ってやる。ただし、取り扱いには気をつけろよ? 例えばそのサイコロだが――」
そう言って小室は僕が手のひらで転がしているサイコロに視線を向けた。
「――人骨で作られた、呪われたサイコロなんだ」
「――ッ!?」
モモちゃんが驚きに目を見開くのと同時に、思わず背筋を冷たいものが走り、ついサイコロを落としてしまう。
カツンと音をたてて床に落下してしまったサイコロを慌てて拾い上げれば……なんと言うことだ。隅っこに傷がついてしまっている。
……死体損壊罪とかにならないよね?
「そんなにビビるなよ。古の時代、サイコロは元々動物の骨から作られていたんだ。驚くほどのこととでもないだろう? ……それで異論はあるか、春茅? 止めるなら今のうちだぜ?」
……確かに僕は幽霊が苦手だ。でも、一方でこの手の謎解きは嫌いじゃない。矛盾する? いいやそんなことはない。だって幽霊にはタネがないけど、手品にはタネがある。だから、タネありの謎解きなんて怖がるわけがない!
「無い。――井戸の呪いなんて怖くもないっ! 悪霊なんて、井戸の水底の真っ暗な根の国に送り返してやるっ!」
「――――ッッッ!? …………そうか、良いだろう……! 神秘の守りを破らせやしないッッ!!」
小室の奴はどうやらかなり驚いたようだった。
もしかして、最後の戦いを露骨に心霊的な話にしてきたのは、僕の弱点を突いたつもりだったのだろうか。だとしたら残念だったね。
「来い、春茅! 俺はお前を叩きつぶして……神秘を証明してみせるッ!」
「僕は、負けない……!」
同時に僕の手は自称人骨のサイコロを手に取ると、平然と転がしていた。カタカタと音をたてたそれはテーブルの上を転がっていき……
「6か、幸先が良いね」
「……運の良い奴め」
同時にポケットから駒代わりに10円玉を取り出し、マス目を進めていく。小室の用意した駒を使うつもりはないからね。
「どんどん行くよ! 次は……5! そして……やった! また6だ!」
これで出た目の合計は17。およそ3回の試行にしては、ほぼ理想的だと言っても過言ではないだろう。それこそ、神様の祝福を受けていると言われても納得してしまう。
「……チッ! 相変わらず悪運の強い奴だ。……振れよ春茅。次の4回目、”死”からは森亜が追いかけさせて貰う!」
是非もない。僕は一瞬だけモモちゃんに目配せすると、再びサイコロを振った。
――出目は2。……ちくしょう。でも、これまでの数字を考えれば別におかしい数字ではないだろう。
対する小室は僕が10円玉を進ませるのを見送ると、ゆっくりとサイコロに手を伸ばした。
「なぁ春茅、不思議には思わなかったのか? どうして被害者の筈の森亜が最大の悪霊なのかと……」
「……興味ないよ」
……だって、僕は森亜先輩が悲しい人ではあっても、悪い人だとは思えなかったから。むしろ悪さで言うなら、生徒を騙してお金を奪っている小室の方がずっと悪人な筈だ。
小室はねっとりと嫌な笑い方を僕へと向けてきた。その指先が人骨サイコロを撫でるようにいじくり回している。
「それはな? 人間を死へと追いやったからだ! 分かるか? 人を殺したんじゃない、人を死へと追いやったのだ! そのあり方は生きながらにして悪霊のそれと重なるんだ!」
「御託はいいよ。さっさと振ったら?」
「なぁに、そう焦るなよ春茅。最後の戦いはゆっくり楽しもうじゃないか」
ニヤニヤと笑う小室。いや、正確には小室と名乗る誰か。結局僕も秋風も、最後まで目の前の男の正体を暴くことが出来なかったのだ。
……秋風はずっと校舎の玄関及び屋上から正門と裏門を見張っていた。立浜高校生ならば絶対に通るはずの場所をだ。しかも監視してたのは小室の顔を知ってるクロヨシと大町で、2人とも秋風に絶対の忠誠を向けている。
彼らの裏切りはない――
「春茅、よそ見とは余裕だな?」
ニヤリ、と小室が笑った。いや、ちょっと違う。今のはもっと悪意の強い嗤い方だ。そしてその視線の矛先は僕だけではない。どうやらいつの間にか久瀬さんが戻ってきていたみたい。
「そう、森亜帝の話だ。俺があの男を最大の悪霊と呼んだには理由がある。つまり、馬鹿な人間を死へと追いやるには最適な存在だからだよ。例えば……お前だッッッ!!!」
同時に小室の手のひらからサイコロが転げ落ちる。落下の勢いのついたそれは対面の僕へと転がってきて――
「一つ教えてやるよ春茅。悪魔の数字は666。そして、サイコロの出目で最も大きいのは?」
「……ッ!?」
――僕の10円玉の直ぐ隣でピタリと止まった。そしてその目は
「”6”だ!」
そう。確かにサイコロの出目は6だったのだ! 同時に小室が勾玉を握ると、僕たちへと向ける。
「みいこ様、俺に力をッ! 探偵部に、死の呪いをッッッ!!!!」
僕、モモちゃん、そして観客に混じって観戦していたカルちゃん。小室は次々と指さしていく――いや、それだけじゃない!
「そして、彼らを支持する輩にも死をッッッ!!!」
小室は見逃さなかったのだ。勾玉はカルちゃんの次に調査を終えてさっき戻ってきた久瀬さんを、そして今戻ってきた佐伯を指した。
「小室、お前――ッ!」
「何か文句があるのか春茅? 呪いなんて信じてないんだろう?」
その言葉に僕は何も言えなかった。
思わず振り向けば真っ青になった久瀬さんを、事情の飲み込めない佐伯が支えている。
「くっ……それは……」
「感謝しろよ春茅? お前の愛しの先輩は外してやったんだ。……そうすれば、彼女はお前以外の相手の妻になるからな……!」
――この野郎ッッッ!!!
思わず僕は憤りのあまり立ち上がりそうになり……寸前で堪えきっていた。
――待って。落ち着け僕。冷静さを、ホームズ式観察術を失ったら負けだ。……今のところ小室に異常は無い。
これはただの挑発だ。まともに取り合う必要も無い。
そこでモモちゃんに視線を送れば、彼女はあっさりと首を横に振った。……彼女には宇田の監視を頼んでいる。
そう、これを手品と考えるのであれば、小室の役割は間違いなく囮だ。派手なパフォーマンスで観客の耳目を集め、その隙にアシスタントが何かしている可能性が高い。
「……僕の番だ」
だから、尚もネチネチと絡んでこようとする小室を振り払うようにサイコロを投げていた。やや飛びすぎたサイコロは中央の燭台にぶつかって方向転換すると、今度はモモちゃんの方へと転がっていく。
「4、か。まずまずだ」
「……思ったよりやるじゃないか」
頬杖ついた小室がそう呟いた。同時に今時珍しい腕時計に視線を送ると、今度はあっさりとサイコロを振る。出目は――
「ほうら。悪魔の、森亜の数字だ!」
「また6か……」
このターンで僕のリードは2縮まったことになる。
だけども、僕はそれを気にする余裕を失っていく。
僕の次の目は3。
対する小室の目は6。
その次の僕の目は4。
対する小室の目は……再びの6。
不覚にも動揺を隠しきれなかった。双六の半分にも到達しないうちに僕のリードは6まで減ってしまった。
そして……万が一にも小室が次に6を出せば、僕は悪霊に追いつかれる可能性が現れ始めるのだ。




