3.森亜帝の顔①
今年の夏は空梅雨らしい。6月も大半が過ぎたのにほとんど雨が降っていない。にもかかわらず湿度は当然のように上がっていき、不快な暑さが汗と共にジワリと制服のシャツに染みこんでいく。
……まるで、かつて”幽霊の足”事件が起きた年のようだ。
不思議な因縁もあるものだ。オカルト研究会と探偵部の因縁は空梅雨の才賀先輩の年に始まり、そして同じく空梅雨の僕の年で終えることとなる。
そう、僕は小室と決着を付けることを決めたのだ。
既に七不思議の全てを暴かれたオカルト研究会は、幾重にも身に纏った神秘のベールの大半をはぎ取られている。だけどもこのまま夏休みに突入して時間を与えてしまえば、小室は再び新たな神秘を作り出すだろう。
だから今、この時において小室……いや、小室添大と名乗る誰かと決着を付けるしかないのだ。そうしなければ……今年度で廃部の探偵部は、神秘の横行を見逃すことになってしまう。
僕の出した条件は、衆人環視の中1対1の決闘を行うこと。……そう、衆人環視だ。もちろん小室が負けた時に後で言い訳出来ない、紛うことなきインチキの証明である。
対して小室が出した条件は、6月の最終土曜日11時35分からかつて神代先輩がいた旧オカルト研究会部室にて、という日時と場所の指定だけだった。
勿論僕は条件を呑んだ。そしてその前日から後輩2人とともに会場を徹底的に調べ尽くしている。
だから結果として――
「いよいよだね、リョウっち」
「……うん」
決闘前の最後の一時を、僕はモモちゃんと一緒に探偵部部室で過ごしていた。思えば高校生活の思い出の大半の舞台となったこの部室も、僕の卒業と共に失われることが決定している。そう考えると胸の奥が締め付けられるような気分になりそうだ。
……ちなみに、カルちゃんは気を利かせてくれたのか、席を外して桐国さんと一緒に差入れを作っている。
「お姉が言ってた。罠じゃないのかって。相手が持ち込んだ決闘を飲むって事は、充分に勝算がある証拠だって。むしろリョウっちの方が相手に乗せられてるんじゃないかって」
「……あり得る話だね」
実際、僕の小室に対しての相性は決して良くない。小室は鏡のように自分に有利な状況を作り出すタイプだ。そんな相手には平然と状況を切り裂く剣のような秋風が有利なはず。
だけども、万が一僕が敗北したときのことを考えると、あくまで生徒会はノータッチ。この決闘は探偵部とオカルト研究会のものでなくてはならない。
仮に負けたとしても、秋風なら上手く処理するだろう。
「でも、僕は負けないよ」
「うん。知ってる」
僕がそう言うと、モモちゃんは当然のように僕の隣に座った。そうして、何も言わずに空を見る。ふんふんと鼻歌を歌って、リラックスしているようだ。
無言の、されど無音ではない空間は不思議と居心地が良い。
その鼻歌が止んだ。足音が聞こえてきたのだ。
「……リョウっち、お客さんだよ?」
「……依頼人かもしれないよ?」
僕がそう言うとモモちゃんはクスクスと笑った。
「こんなタイミングで依頼を持ってくる人なんているわけないじゃん。どう考えても決闘前の激励に来たお客さんだし!」
「……モモちゃん、成長したね」
モモちゃんは当然、と言わんばかりに胸を張っていた。同時に扉が無造作に開かれる。ノックもない。こんな事する相手は一人だけだ。
「よお春茅、それに百花ちゃん。新聞を見たぞ」
「才賀先輩……やっぱり、来てくれたんですね」
案の定扉を開けたのは、かつて森亜を打ち破った立浜高校最強の剣だった。実力と尊大さを共存させた彼は、意外なことに正装で着飾っている。その黒いタキシードを飾るのは薄い色のネクタイのみ。才賀先輩にしては珍しく地味な格好かもしれない。……小室相手にはこの程度で充分だと思っているのか……それとも、主賓に敬意を払って目立たなくしているのか。
「当然だ。俺達の代の因縁に後輩が決着を付けようというのだ、見逃すわけにもいかん。そら、土産だ」
「……森亜事件……ですか」
僕がそう言うのを才賀先輩は聞き流すと、勝手にお湯を沸かせ始めた。同時に僕愛用のティーポットを勝手に持ち出して持参した茶葉を入れている。
どうやらただの紅茶ではないのか、開けた瞬間ふわりとチョコレートにも似た甘い香りが立ちこめた。
「紅茶と言えばイギリスが有名だが……それは紅茶そのものに限った場合だ。アールグレイのように紅茶葉に別の香りをブレンドしたフレーバードティーについていえば、むしろ本場はフランスといえるだろう。そら」
出来上がったお湯を早速ティーポットに注ぎ、一拍。爆発的に上品なチョコレートのようなお菓子の香りが広がっていく。たまらず僕もモモちゃんもティーカップを手に取るや、深々と香しい香りを吸い込んでいた。
「これは……この甘い香りのブレンドは確か”クリスマスパーティー”だし! でもおっさん、よくクリスマス限定の茶葉を手に入れられたね?」
「ぐっ……だから俺はおっさんではないと……いや、それはともかくだ」
モモちゃんの揶揄にも負けずに才賀先輩は僕を見た。先輩には珍しい、傲慢さを感じられない”上級生らしい”笑顔だった。
「勝ってこい、春茅。俺は神代の後継者があんな詐欺師みたいな連中だとは認めたくない!」
その激励に、僕は言葉すら返さなかった。それで充分だと分かっていたのだ。
不敵に笑った僕を見届けると、才賀先輩は美麗な身のこなしで退出していく。それを見送りながら紅茶を嗜んだ僕達は、おもむろに時計を確認してみた。
「……決闘までは、まだ時間があるね」
「おーっす! リョウいる?」
「タ、タカ君駄目だよノックしないと!? も、もし中で2人が……」
「……2人が? ……なんかあるか?」
「…………あれ? 確かにそっちは大丈夫かな……いやいやでもでも、やっぱりノックくらいはマナーだよ!?」
その声に僕は目を開けていた。夏の暑さをクーラーで緩和しているので、今の部室はとてもよいお昼寝日和なのだ。実際隣ではモモちゃんが僕に寄りかかるようにして、幸せそうな寝顔を無防備に晒している。
……よく見ると涎が垂れてるし。
「佐伯? それに久瀬さん?」
「おう! 佐伯様と久瀬様の到着だぁ! 存分にもてなすと良いぞ!」
「あ、どうもです春茅君。私達のことはお構いなく」
などと正反対なことを言ってのけたカップルは、やっぱり当然のように正面の依頼人用の椅子に座った。長身でよく日焼けした佐伯に対し、色白で小柄な久瀬さんは見事なまでに対照的で、それゆえお似合いのカップルだ。
その佐伯の手には皺一つ無い近くの高級デパートの紙袋が一つ。なるほど、そうなるとお返しは才賀先輩の美味しい紅茶よりは冷たいお水が喜ばれるだろう。
立ち上がって冷蔵庫からミネラルウォーターを出しつつ、グラスには沢山の氷を入れてあげた。
「この炎天下お疲れ様。30分以上歩き続けるのは大変だったでしょ? とりあえずお水をどうぞ」
「あ、あれ? やだ、臭った? 一応汗対策してたのに、そもそもどうして私達が歩きっぱなしだと……ってこれは簡単ですよね」
久瀬さんは一瞬だけ驚いたようだけれども、さすがに長い付き合いなのか即座に種を見破っていた。
「タカ君の持ってるデパートの紙袋は、立浜高校とは駅を挟んで反対側にあります。しかも今日は土曜日、だから通学バスの本数も平日と比べて各段に少ない。だからそこに立ち寄ってから学校に来るには30分以上歩いていた可能性が高い。そういうことですね?」
「あー、なるほど。令佳、頭良いな」
佐伯が訳知り顔で頷いた。でも、どうせこいつのことだから何も分かってないのだろう。残念な事に佐伯と比べたら、大半の立高生の方が賢いのだ。
「ほら! お土産の羊羹だ! 力を蓄えてオカルト研究会の連中に一泡食わせてやれ!」
「タカ君……それを言うなら食わせてじゃなくて、”吹かせて”だよ……。もう……」
堂々と間違ったことを言う佐伯に対し、僕も久瀬さんも苦笑いを隠せない。そのままお土産を開けてみれば、見るも涼やかな水羊羹だった。せっかくなのでこの場で頂こう。
……佐伯、僕、久瀬さん。僕たちの学力は三者三様だ。きっと卒業後の進路は別々になるだろう。こんなやりとりももう少ししたら出来なくなるのかな……。
そう思うと、なんだか胸の奥がざわざわした。
「リョウ!」
そんな感情的な気分になっていたのに気付いたのか、いつの間にやら佐伯が笑ってふんぞり返っていた。
「頑張れよ! 俺は馬鹿だからお前が勝てるかどうかは分からねえ……! でも、馬鹿だからお前が負ける所なんて想像すら出来ねえんだ! だから、お前は勝つぜ!」
「佐伯…………」
「ふふん! 今、俺良いこと言ったよな?」
「いや……馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、馬鹿の自覚だけはあったんだなって」
「余計なお世話だ馬鹿野郎!?」
同時に久瀬さんが紅茶を盛大に吹き出した。どうも水を飲んで一息ついたのか、才賀先輩のフレーバードティーに興味をそそられたみたい。
「ゲホッ! ゲホッ! ごめんタカ君! ワイシャツが……紅茶色に……」
「ふふ、良いって事よ! それじゃあリョウ、また後でな。ちょっと行ってくる」
そうして、バカップル2人は立ち上がると、羊羹のゴミを片付けてからそそくさと退出していく。それを見送りに立ち上がったところで、僕は素早く佐伯と会話を交していた。
「リョウ……気をつけろ。さっき見た限りじゃオカルト研究会は会場に色々持ち込んでた。それこそ学校の机とは比べものにならない、でっかい4人掛けの木のテーブルを2人がかりで運び込んでたぜ? 良いのか?」
「構わないよ。つまり、持ち込んだものを疑えって事だからね」
「ははぁ、なるほどなぁ……さすがはお前だぜ」
気がつけば僕も佐伯も、顔をつきあわせてニヤリと笑いながら悪巧みをしていた。
その間モモちゃんは安心しきっているのか、スヤスヤと眠っている。時折ぷっくりとした可愛らしい唇を震わせてムニャムニャ言ってるようだけど、起きる気配はない。
だけれど、鋭敏な聴覚が音を聞きつけたのか、うっすらとその瞳が開かれていた。部室の外から足音が聞こえていたのだ。
「……ひょっとして、お邪魔だった?」
「あ、すみません! ちょっと両手が塞がってるんで道開けて貰って良いですかー?」
同時に桐国さんが器用に足で蹴って扉を開けると、カルちゃんと2人で大きなお鍋を持ってやって来ていたのだ。
同時に広がるのは食欲をそそるハーブの、そして隠しようのないお肉の匂い。そう、僕にはもう分かっている。桐国さんはわざわざ土曜日なのに応援で特製ハンバーグの差入れを作ってきてくれたのだ!
戦いはお昼前の予定だから丁度良かった。
「むにゃぁ……あれ? 紺々じゃん! それにこの匂いは……!」
「4種のスパイスの香り際立つ自家製ハンバーグ、探偵部決戦用すぺしゃるえでぃしょん。この為にカルアと2人で仕込んできた。自信作。良かったら食べて」
どうやら美味しそうな匂いにつられてモモちゃんは目を覚ましたようだ。微笑ましい顔を隠しきれない僕を尻目に、モモちゃんは目を輝かせている。鍋の蓋を開けた瞬間、お肉とスパイスの香りが一斉に広がったのだ!
辛みのある胡椒とクローブ、甘みのあるシナモンとナツメグ。世界四大スパイスをふんだんに使ったそれは、世が世なら王侯貴族の食事クラスなハンバーグだろう……!
「うわぁ! 何度嗅いでも良い香りです!」
「…………カルアもどうぞ、遠慮無く」
「はい! 頂きます!」
そうして、2つの鍋に入った大きなハンバーグには瞬く間にフォークが伸びていった。勿論僕や、モモちゃんもカルちゃんも桐国さんも。その美味しさたるや、この世の物とは思えないほどで、思わず佐伯と久瀬さんまでもが足を止めてご相伴にあずかるほどだったのだ。
「美味しい……うちの料理人のよりも美味しいし。それに口の中でハンバーグがシャリシャリ弾けて……」
「玉葱。あえて食感を際立たせてみた。苦労した。シャリシャリ、堪能して欲しい」
「本当に旨いなこれ。肉の旨みの中にも後を引かない辛さと濃密な甘さが加わって、しかもそれらが喧嘩せずに共存している……! 普通に金取れるぞこれ!」
「あ、タカ君の表現素敵。それ、後で使わせて貰うね!」
「ありがとう。スパイスの配合には苦心した。夏なので少し甘みを強くしてみた」
そしてどうやら美味しい料理に縁の無かったらしいカルちゃんはというと、あまりの美味しさに感動したのか思わず椅子に座ったまま蕩けていた。
……どうやら桐国さんが気合いを入れてくれたのは確かみたいだ。
「前の時と味が少し違うね」
「……さすが。その通り。前は11月だったからスパイスの辛みを強めてた。……それに、今回は姫乃がいないから……」
「……そうか、今回は姫乃ちゃんが…………」
いないのだ。姫乃ちゃんはモモちゃんのためとはいえ、お家の名誉に関わる不祥事まで起こしたのだ。だから結果として、彼女は責任を取ってモモちゃんの担当から外れている。……ということは、授業料が決して安くはない私立の立浜高校にいる必要も無いということだ。
だから、今の彼女は転校して普通の公立高校に通っている。もっとも、モモちゃんとはいつもスマートフォンでやりとりしているみたいだから、関係自体はそのままみたい。何よりモモちゃん自身も姫乃ちゃんの女中復帰を待ち望んでいることを考えると、どうやら甘めの裁きで済んだんだろう。良かった。
「凄い……私にもこんな美味しい料理……作れるのかな?」
そこでカルちゃんが表情を蕩かせたまま言った。カルちゃんは姫乃ちゃんと違って料理はできないのだろう。
「大丈夫。いつでも遊びに来て欲しい。一から全部教える」
そんなカルちゃんに桐国さんはどこか申し訳なさそうにしながら頷く。
そうして、美味しいハンバーグはあっという間に僕たち6人の手で平らげられてしまっていた。そこで桐国さんが気付いたように言う。
「……あ、時間……。片付けは任せて欲しい。直接は行けなくなっちゃったけど……応援、してる」
時計を見れば既に11時20分を回っている。決闘まで後15分もない。
「……リョウっち、行くんだね」
「モモちゃん……」
そんな僕の動作で察したのか、モモちゃんは口周りをハンカチで拭うのを止めると、涼やかな視線で僕を見た。
「うん。だからね、モモちゃん……」
「うん……」
僕がそう言うと、モモちゃんは真剣な表情になっていた。同時に視線に隠しようのない縋るような色が混ざり始めている。
「だから…………手伝ってくれる?」
同時にパァッと笑顔が咲き誇った。認められた喜びを爆発させたモモちゃんは、だけれど見事なまでにそれを押し殺すと、ただ純粋な笑顔だけを残して僕にうれしさをぶつけてくれたのだ。
「うん! 最高の探偵リョウっちの背中は、最高の助手、この百花に任せるしッ!」
不覚にもドキリとするほど美しい、そう、可愛らしいではなく美しい微笑みだった。
「さ、行こう!」
「うん! ついていくからね!」
かくして、決戦の幕は上げられた。




