4.空き部屋の冒険②
よくよく考えれば、当たり前のことかもしれない。なにしろ、この事件は極めて簡単なのだ。動機も……今になって思えば理解できる。
「とりあえずパソコンを閉じようか」
「うん! それで、次はどうするー?」
その問いに僕は首を横に振った。確かめなければならないことがあるのだ。
「モモちゃん、犯人は君だね?」
真相を突きつけた僕に対し、モモちゃんは真顔になって驚いて見せた。
「な、何のこと!? 私は何も!?」
「間違いないよ。よく考えれば、ちと先輩がそんなミスをするはずは無いんだ。……遺憾ながら、僕を家に招待するほど仲も進展してない。僕を家に誘ったのはちと先輩じゃなかったんだ。君だね?」
「な、何を言ってるのかさっぱり!? 私がどうやってお姉のパソコンでメールを送るのさ! 今リョウっちが推理でパスワードを解くまでは、ログインもできないっていうのに」
そう言いつつも、モモちゃんはノートパソコンを庇うようにして僕の前に立ち尽くす。やっぱり、この子は悪ぶって反発しているけれど、根は良い子なんだ。
「違うよモモちゃん」
「な、何が!?」
「これは……いや、そもそもここは、ちと先輩の部屋じゃ無い。モモちゃんの部屋なんだね?」
僕がそう言うと、モモちゃんはガクリと項垂れた。もっともそれは一瞬のことで、すぐに気を取り直すと、僕をベッドに座らせて自分もそのすぐ隣に座る。
……近い。その距離は驚くほど近かった。互いの体温が感じられるほどの距離なのだ。
「どうして……分かったの?」
彼女は悪戯がバレて許しを請う子供のように、僕に縋るような視線を送ってきた。
「だって、僕に送られたメールとあのパソコンのアカウントのアドレスが違うんだもの。で、あのアカウントはログインしっぱなしになってたから、あのパソコンの持ち主の物だっていうのも分かった。つまりこのパソコンは、ちと先輩のものでは無い。ということは、モモちゃんのだ。そう考えると、全て綺麗に納得できるんだよ」
そう。今考えればその通りだ。刺々しい両親の態度。盗み聞きしていて、モモちゃんがパソコンを見られるのに嫌がっていたのを気づいた女中さん。それだけじゃない。疑い出せばキリが無い。ホームズが一冊も無い部屋はおかしいし……そもそも、この部屋はちと先輩のイメージとはかけ離れてる。独特の葉巻の香りも無いしね。
「……凄いね、リョウっち。まるで、お姉みたい」
「たまたまだよ。っていうか、最初に来たとき、モモちゃん本音が出てたよね?」
「あちゃー。上手く誤魔化したつもりだったけど、バレた?」
そう。モモちゃんは時間より30分も早く僕が来たのに驚いたのだ。
諦めた彼女はため息付くと、本音を語り始めた。そのまま僕を押し倒さんばかりの勢いで縋り付くと、必死に頭を下げる。
「お願い! リョウっち、私を助けてよ!?」
「良いけど……」
「うはっ! よっしゃぁぁ! これでどうにかなった!」
「うわっ!? も、モモちゃん!?」
さっきまでの殊勝な態度はあっという間に消え去る。モモちゃんは僕が了承すると、会心の笑みと共に抱きついてきたのだ。
不意打ちだった僕はそれに耐えきれず、……情けないことにそのままベッドに押し倒されてしまった。
涼しく冷やされた部屋の中、押しつけられたモモちゃんの控えめな胸から暖かい体温が伝わってくる。あ、あれ!? な、なんか、僕の思ってた展開と違うんだけど!?
「リョウっち! 私と付き合って!」
「……へ?」
「だからー! お付き合いだよお付き合い! 男女の! デートとかセックスとかするやつ!」
慌てる僕をよそにモモちゃんは自分の匂いをすりつけるように頬ずりをすると、耳朶をくすぐる色っぽい声で鳴いた。
「お願い……私を助けると思って……」
「も、モモちゃん!? 駄目だよ! ぼ、僕には、ちと先輩が……」
「知ってる。でも、黙ってれば大丈夫……だよ?」
モモちゃんの腕が僕の頭に回され、その顔が少しずつ近づいてくる。いつもとは違う愁いを帯びた瞳に、僕は思わず吸い込まれそうになっていた。
「リョウっち……キス……しよっか?」
「あ……え……? い、いや、その」
「大丈夫。減るもんじゃ無いんだよ?」
情けないことに、僕は初めての体験にのぼせ上がっていた。少しずつ近づいてくる、どこか先輩にも似た顔のモモちゃんを拒めなかったのだ。やがてモモちゃんの瞳が閉じられ、僕もそれに合わせて目を瞑り、
「お待たせしました」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
「ひゃぁあ!? な、何!? って桜田か。良いとこなんだから、邪魔しないでよ」
絶妙なタイミングで女中さんが入ってきていた。心なしか、さっきよりも視線が冷たい。その片手にはシウマイである。
「失礼しました。ごゆるりと……」
そう言うと、女中さんは何も言わずに出て行った。残されたの気まずい僕とモモちゃんだけ。
「あは、あはははは。何よそれ! もーう、こんな形で証明するとはね!」
モモちゃんはすっかりいつもの自分に戻っている。さっきまでの怪しげな空気を捨てて、ケラケラと屈託もなく笑い、僕もようやく安心できていた。
「……君が……百花の選んだ男ということかね?」
「はい! お、お父さん、よろしくお願いします!」
「リョウっち……! 格好良い-!」
1時間後、僕は再び気まずい居間に戻ると、モモちゃんの彼氏としてご両親に紹介されていた。カポーンと鹿威しが響く居間には、驚くことに使用人一同が勢揃いしている。まさか現代日本でこんな風景を見れるとは思わなかったな。まして、自分がその当事者になるなんて……
「不本意ながら、桜田から聞いてるわよね?」
「あぁ。もう十分だ」
そこまで言うと、お父さんは立ち上がり静かに居間を出て行く。残されたお母さんは厳しい表情をほぐすと、にこやかな顔に戻った。
「あらあら。そういうことなら仕方ありませんね。百花、今回の縁談は私の方からお断りしておきましょう」
「そーそー! 私には、自分で選ぶ彼氏がいるんだからね! お見合いなんて金輪際しないからね! まかり間違っても許嫁なんて作らないでよね!」
それが動機だったのだ。
後は若い二人で、と再び僕たちはモモちゃんの部屋に戻ってきていた。彼女は猫被る必要がなくなったからかベッドにダイブすると、会心の笑みを浮かべている。
「いやぁ、本当にリョウっちには感謝してるよー! 最初は私もお姉と一緒に海外旅行の予定だったんだけど、旅先で許嫁候補との観光が入ってるのに気づいて、慌ててどうにかしようと動いてたってわけ!」
「それで僕を彼氏代わりにして縁談を潰そうと……」
「うん! 流石に同い年以下だと説得力ないし、かと言って年上の知り合いは多くない。そうなると、リョウっちが一番いいかなーって。ごめんね?」
だからモモちゃんはわざわざちと先輩の部屋に忍び込んで僕にメールを送ったのだ。その読みは当り、ウキウキ気分で身支度した僕が現れたので、それを元にご両親の注意を引いたのである。
後は適当なことを言って僕を自分の部屋に連れ込み、一緒に過ごすだけ。これだけすれば彼氏として疑われないだろう。しかも、意味深に女中さんを遠ざけてまでいるし。
「いや、構わないけど……最初から言ってくれれば」
「ぶー、そうしたらリョウっち断ったでしょ?」
不満そうなモモちゃんに、僕は返す言葉もなかった。確かに成り行き上こうなったけど、普通に頼まれてたら断ってたと思う。
……そんなことよりも、僕には確認しないといけないことがあるんだ。
見過ごせない……もとい聞き過ごせない!
「それよりモモちゃん! さっき、なんて言った!?」
「……? ぶー?」
「その前だよ!?」
「よー! ……リョウっち、ラップとか好きなの?」
「そうじゃないよ!?」
あ、駄目かもしれない。そう、本格的に駄目かもしれないのだ。こんな結末ってないよ……。で、でも、モモちゃんの口から答えを聞かないと、まだ分からないし……!
「い、許嫁と旅行ってどういうこと!? それって……!? ちと先輩もなの!?」
今度は逆に僕がモモちゃんに縋り付いていた。息がヒューヒューと喉を進み、今にも死にそうな音を奏でる。
僕の必死の祈りを聞き届けるようにモモちゃんは微笑んだ。
「あ……うん。多分」
……終わった。
間違いない。
終わった。
僕が真っ白になって燃え尽きるのと、モモちゃんが気まずそうにしながらも慌てるのは同時だった。だけど、そんなことはどうでも良い……。やっぱり、僕とちと先輩は結ばれる運命にはなかったのだ……。
「リョウっち? おーい! しっかりしてって!」
そりゃあそうだよね。僕は小市民の出身で、ちと先輩は地域の名家。立場が違いすぎるのだ。同じ高校に通ってることすら奇跡的なのかもしれない。いや、むしろ、同じ空間で同じ空気を吸えただけでも光栄なのか? いや、それ以前に言葉を交わせただけで……
「リョウっち? リョウっち! リョウっち!? し、しっかりするんだ! 傷は浅いぞー!?」
あぁ。空が青い。海のようだ。海、行きたかったな……ちと先輩と。海。水着で一緒に泳いで、海の家で焼きそば食べて、ちと先輩の英知に感心して、そうして、いっぱい楽しんで、終わったときには少しだけ2人の距離が縮まっているのだ。いや、一緒に星空を眺めるのも良いかもしれない。
……虚しい。虚しすぎる。
でも大丈夫。僕にはちと先輩から下賜された鹿撃帽があるのだ。あれさえあれば一生を生きていける。そうだ! 春茅家の家宝にしよう! ちょっとプラトニックだけれど、あれさえあれば、僕はどうにかやっていけるかもしれない……! そうだ! そうしよう! そうして時々使ってみるのだ。少しずつ匂いは薄れてしまうけれど、あれにはたっぷりとちと先輩の匂いが付いてるし! あとは、欲を言うなら、ちと先輩と少しでも関わりのある仕事に就きたい…………
「リョウっち! しっかりしろー! 百花パンチを食らえー!」
「げはっ!?」
僕のお腹にモモちゃん拳が食い込み、変な妄想と共に空気が口から吐き出された。
「あのね? リョウっち? なんか勘違いしてない?」
「な、なにが!? 慰めはいらないよ!? 僕は少しでも! ちと先輩に……!」
「一緒に行くのは……許嫁”候補”だよ? 許嫁って決まったわけじゃないからね?」
「………………へ?」
あれ、なんだか空気が美味しい気がする。改めて深呼吸。……問題ない。
そんな僕の動揺が収まったのを悟ったのか、モモちゃんは僕の手を引いて、何故か窓を開けた。ここは2階で、その先には何もない。
「相手とも初対面だし、多分仲の良さでいったらリョウっちの方が上だよ? そもそもお姉だってあんまり乗り気じゃなかったんだよ? 『8月に旅行なんてしたら探偵部が活動できない!』って、結構親とも揉めたし……」
「続けて……僕、死にそう……」
「う、うん。でも、親も相手先との関係もあるし……。あと、私が先に彼氏いるって嘘ついちゃったせいで、お姉も引くに引けなくなったっていうか……。それでせめて、行き先は自分の好きなホームズミュージアムのあるイギリスにして……」
「うん……うん! 続けて!」
僕の勢いに押されて困惑したモモちゃんは窓を抜けた。そう、その先には何もないが、下にはあったのだ。1階の屋根である。僕たちはそれを伝って隣の部屋に向かっていた。
「あの時のお姉の顔ったら、まるで苦虫を噛みつぶしたかのようだったよ! だからね? リョウっち、とりあえず今一番リードしてるのは貴方なの。……頑張ってね」
「ありがとうモモちゃん! 今日は良い日だ! 君は最高に可愛いよ!」
とても微妙そうな顔をしたモモちゃんは隣の部屋の窓を開ける。中は驚くほど整理整頓された部屋で、全体的に19世紀のイギリスを思わせる洒落たインテリアに彩られていた。
そしてそこを渦巻くのは紛れもない、涙が出るほど嬉しい、ちと先輩の葉巻の香りである。よく見れば壁には愛用のインバネスコートまであるじゃないか!
感動した僕を尻目にモモちゃんは窓を閉めると、悪戯猫のように僕に笑顔を振りまく。そうして、特大の爆弾を投げ込んだのだ。
「リョウっちは、”上”と”下”、どっちが使いやすい?」
「……なんの話?」
「……最初に言ったじゃん! 探偵部、真夏の課外活動! 消えた部長の謎を追え! ご褒美もあるよ! って」
「あぁ、そういえばそうだったね」
モモちゃんはそう言うと、おもむろにクローゼットを開け始める。そうして中からそれを取り出すと、嬉しそうにそれを掲げて見せたのだ!
「ブラジャーとパンティ、どっちが使いやすい? 流石の私もそこまでは分からなくってさー」
「ふおおおおおぉぉッ!? な、何やってんの!? モモちゃん!?」
白! 白! あ、でも、よく見るとそれ以外のデザインもあるんだ。さすがはちと先輩。見えないところまでしっかりオシャレしてる……ってそうじゃないよ!?
「何って、ご褒美だけど? 見事に謎を解いたリョウっちには、探偵部のしきたりに則って、ご褒美が与えられますー」
「いらないよ!? ……いや、欲しいけどってそうじゃなくて、いらないよ!?」
「……? だいじょーぶ! 全部百花にお任せあれ! 私が借りて壊したことにするからさー」
「そうじゃないよ!?」
次々とクローゼットから魅惑の品々が取り出され、並べられていく。硬直した僕の耳に向かってモモちゃんは吹き込むのだ。
「取りあえず、お姉がよく使う順に並べておきましたー! せっかく貰ったのに新品同然だったら、虚しいもんね!」
「何その気遣い!? 僕には帽子があるから間に合ってるよ!?」
「……ほほぉう。なるほどなるほど。分かった! 任せろ! 正直なリョウっちには、ブラジャーとパンティの両方を進呈しまーす! 好きなペアを選んでね!」
「湖の女神!?」
「いいえ、下着の女神です」
「こそ泥だよね!?」
苦しい。凄く苦しい。でも、僕にはこの選択しかない……と思えるのだ。だから、僕は涙を飲んで下着を諦める。
「モモちゃん! そんなことより、教えて欲しいことがあるんだけど!」
「良いぞ良いぞー! 最新じゃないけど、お姉のスリーサイズも知ってるぞー!」
「そこから離れてよ!?」
その隙に、僕は必死に真面目な顔を作り上げることに成功した……と思いたい。僕が聞くべき事は一つだけだ。すなわち、ちと先輩のこと。
「モモちゃん。森亜って誰?」
「あ……そっちか」
やはりというか、モモちゃんはふざけた態度を捨てて下着を片付ける。そうして僕を椅子に座らせると、口を開いた。
「私も詳しくは知らないよ? お姉のまた聞きだからね」
「構わないよ」
そう言うと、モモちゃんもどっかりとベッドに座り込んで話す体勢を整えた。……多分、そうせざるを得ない話なんだろう。
「森亜帝は……探偵部の宿命の敵……なんだって」
「宿命の敵……どういうこと?」
「なんでも古い話だとか……。お姉ですら立浜高校に入学する前の事件で、これをきっかけに探偵部ができたの。なんて言ったっけな……そう、連続自殺事件。その真犯人……ってお姉は考えてるみたい」
自殺? なのに犯人? どういうことなんだ? いや、今は考えるよりメモを取ろう。こんな機会は滅多にないだろうし。
「先に言っとくけど、この謎はお姉も解けてないみたい。それどころか、警察だってただの自殺だと考えていて、事件自体も収束してるの。で、探偵部はそれに異議を持った人達が作り上げた部活なんだって。……ごめん。詳しい話は分からないんだ。後はお姉に聞いて」
「自殺……そう言えば、だいぶ前に自殺の連鎖って話があったね。模倣犯とか」
「うん。それだと思う。お姉、というより歴代探偵部は、それに疑いを持って調べてるみたい。何でも活動日誌に調査結果が纏めてあるとか……」
「活動日誌……過去の分ってことか……」
思い返してみる。探偵部の部室には物が多い。とにかく散らかっている。その中の何処かに過去の活動日誌があるはずなのだ。それを見れば、僕にも謎解きに参加する資格が得られるのだろうか。
「あのね、リョウっち」
一際真面目な顔を作ったモモちゃんが言った。
「お姉は最近焦ってるの」
「え? ちと先輩が……?」
「うん。だって、もう8月、夏休みが明けたら9月だよ? 卒業までは半年しかないし、受験勉強だってしなくちゃいけない。だから、お姉が調査に使える時間は少ないの。ううん、多分、お姉の代での解決は不可能だと思う」
「…………」
何も言えなかった。壁の上に時計だけが小さな音と共に時を刻んでいる。モモちゃんは……姉思いの良い子なんだろう。今もまた、こうして心配してるんだ。愛する姉が、挫折するんじゃないかと。
「だから、探偵部に後輩が入った時、お姉は凄く喜んでた。見込みがあるって。でも、それゆえに焦ってるの。見込みがある後輩を鍛えるのに手間をかけてしまって、肝心の事件の調査が進んでないから……だから……」
「先輩…………」
僕は……僕はなんて愚かなんだろう。ちと先輩の気持ちに全く気づけなくて……。勝手に喜んで、勝手に絶望して。僕は……
「だから、リョウっちがお姉を口説こうと思ったら、この謎を解くのが一番速いと思うの。相手は家柄も財産も文句の付けようがない、しかも資産から生み出された物凄い美男子たち。そこで勝負したらリョウっちは他の許嫁候補に太刀打ちできない。けど……」
「謎解きだけは……別だ……!」
モモちゃんは、なんだか眩しそうに僕を見ると笑った。良く笑う子だけど、今のは少しだけ意味合いが違うように思える。なんていうか、そう、憧れるような……。何を考えてるんだ、僕は。
「ありがとう、モモちゃん」
「……リョウっち、頑張ってね……。私も……出来ることがあれば手伝うよ」
そう……だから僕は、この謎を解くことを決意した。立浜高校探偵部。その使命を受け継いで、森亜の謎に挑むのだ。
ちと先輩のクローゼットに架けられたインバネスコートに向けて、固く誓う。僕の進むべき道は決まった。後は足を動かすだけなのだ。それこそ証拠を探す名探偵、シャーロック・ホームズのように……!
next→恐喝王