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立浜高校探偵部  作者: 中上炎
探偵部の事件簿
67/93

ハート連盟

 「っというわけでヤバいんだよ!? どうにか令佳のいる文藝部の騒動に関しては秋風副会長が解決してくれたんだが……とにかくヤバいんだって、リョウ!!!」


 ……あの日から2ヶ月がたった。真冬は過ぎて、しかしながら未だに寒さ厳しい2月の中旬の頃。


 あの運命の日以降、僕はずっと一人で探偵部にいる。モモちゃんは……あの日以来姿を見せていない。もちろんちと先輩も……姫乃ちゃんも。かつてあんなに賑やかだった探偵部は、凍てつく空気に支配されて静まりかえっていた。


 ……僕のこれまでの頑張りって、何だったんだろう?


 「リョウ! しっかりしろって!? お前が居ないと――」

 「――タカ君……その、春茅君は……」


 空が青い。今日も又、楽しかったかつての日々と同じように。今まであんなに笑って過ごした日々は、夢幻の彼方へと消え去ってしまったのだ。


 「……リョウ…………お前……」

 「……タカ君、大丈夫だよ。春茅君はちょっと元気がないみたいだけど……。オカルト研究会の事は私達だけでどうにかしよう?」

 「…………」


 あぁ、空が青い。そして声も遠い。部室で呆けていた僕の前には、いつの間にか佐伯と久瀬さんがいた。


 そこで思わずぷかーと紫煙を吐き出す。いや、これはちと先輩の特製葉巻だから紫煙ではなく白煙と言うべきかな? いや、そんな事はどうでも良いか。今の僕は……牙を抜かれた獣のような物だ。ひたすら授業を聞き流し、あるいは生徒会室で仕事をこなし、その後部室で陶酔作用のある葉巻を胸いっぱいに吸う。それだけなのだ……。


 「あのなリョウ。お前が俺の事をどう思ってるのかは分からねぇ。でも、俺はお前を親友だと思ってる。だから……すまねえ。親友がこんなになってるのに……俺は励ましてやる事すらできないんだ……」


 いつの間にやら、僕の前では佐伯が悔しそうに頭を下げては久瀬さんを心配させていた。


 ……駄目だ。キャットニップや合法ケシの魅力に取り憑かれた僕には、そんな彼らすらも楽しそうに見えてしまうのだ……。


 そう。僕はあの日以降、陶酔作用のある葉巻に耽溺していた。……受け入れがたい現実から逃げるように。


 「……分かったよ! リョウ、お前は少しそこで休んでろ! 後の事は俺達がどうにかしてやるから! ……だから、早く立ち直れよな……」

 「春茅君、またね。……私は……あなたがきっと元気になるって信じてる……。だって”立浜高校探偵部”は、ハッピーエンドって決めてるから……!」


 そう言うと2人は部室を出て行った。乱雑に物が積まれた部室はそれで静まりかえってしまう。僅かに残ったのは……僕が葉巻を吸う音だけだった。


 ――ちと先輩、お慕いしてました……。


 吐き出した煙が静かに僕へと染み渡っていく……。




 「よう春茅。今日も腑抜けた面してるな」


 ある日、探偵部には傍若無人な客がやって来た。こんな乱暴な人は一人しか知らない、才賀先輩だ。


 「……まぁ気持ちは分かる。だがな、残念だがお前は有名になりすぎたんだ。お前が今更平穏を望んでも、世界はお前を離しやしないだろう」


 才賀先輩は勝手に依頼人用の席に座ると、僕愛用の瞬間湯沸かし器を使って紅茶を作り始めた。


 ……僕はそれを霞のかかった頭で眺めていた。


 尋常じゃないほどに濃縮したハーブのせいだろう。いくら合法物で人体に害はないと言っても、それを濃縮したら話は別なのかもしれない。……いや、詳しく調べたわけじゃないから分からないけど。


 「年が明けてから俺が真っ先にした仕事が何だと思う? 七不思議対策だ! ……どうやらオカルト研究会の小室は、秋風が敗れお前が意気消沈した今を絶好の好機だと思っているらしい。お陰で今の立高は気味の悪いオカルトが噴出している――」


 七不思議……あぁ、知ってる。オカルト研究会の新入部員獲得のための手段だ。そうか、今年度は彼らが部員獲得のために動き出す年だった。


 ……今の僕にはどうでも良いけれど。


 だって僕にはもう、戦う理由(ちと先輩)守るべき人(モモちゃん)もないのだから。


 「だがな、この手の話は駄目だ。大人の俺が動いたところで、生徒達は真相を語ろうとしない。俺は……謎を追いかけているうちにいつの間にか大人になっていた。だから、この謎の解決は、お前達探偵部にお願いしたい……と思っていた」


 ……そうだろう。ちと先輩に振られた今、僕は才賀先輩に媚びを売る必要も無いのだ――


 「そうそう、3月の探偵部廃部の件だが――」


 ……あぁ、そんな話もあったなぁ。でも、今の僕には今更未練も何も無い。探偵部なんて、滅びてしまったって構わない。


 「あれは1年だけ延長する事にした。……今のお前から居場所まで奪いたくないからな」


 ……同じことなのに。


 吐き出した煙が虚しく僕へと染み渡っていく……。




 「ご機嫌よう、春茅君」


 ある日、探偵部に珍しい客がやって来た。かつての僕の宿命の敵にして、今は負けを認めて傘下にいる恐喝王秋風だ。彼女はついに下克上でも突きつけに来たんだろうか?


 僕の真正面。椅子に座った秋風は、すまし顔で手帳を取り出していた。


 「驚くべき報告があるの、会長さん。知ってると思うけど、今の立浜高校では七不思議が噴出しているわ。もちろん例の小室とか言う奴の仕業ね。私達生徒会は、当然彼らを掣肘するべく現場に向かったわ……そして、驚くべき事実にぶち当たったの」


 秋風は淡々と話を進めていく。葉巻に溺れる僕に理解させる気がないのか……それとも、当然理解できると信じているのか。


 「”小室添大”という氏名の生徒は、立浜高校には存在しない。生徒会のデータベースを調べたから間違いないわ。もちろん”小室”も”添大”も。


 ”小室添大”っていうのは、偽名よ。オカルト研究会は渾名で呼び合ってるそうだけど……ここまで徹底してるとは驚きだわ。幸い顔は分かってるから、今はクロヨシとユウに昇降口と正門裏門を監視させてはいるけど……未だに見つかっていない。オカルト研究会らしく、幽霊みたいな相手だわ」


 そこで秋風は自動販売機で売られているペットボトルのお茶を飲んだ。そうして僕と同じように窓の外へと視線を送る。


 「もしかしたら……立浜高校の生徒ですらないのかもしれない。高校生くらいの年頃の男が、高校の制服を着て歩いていたら誰だって高校生だと思うでしょう。心理の死角って奴ね……聞いているのかしら、春茅君? ……聞いてなさそうね」


 ……その通りだ。でも、僕はちと先輩の為に探偵部を頑張ってきたのだ。そのちと先輩に振られてしまった以上、探偵部を頑張る理由も無いわけで……


 「まぁ良いわ。私の稼業は信用第一。約束は守るもの。だから春茅君、早く元気になってね?」


 そう言うと、秋風は潔く立ち上がった。少しだけ伸びた、ちと先輩を連想させる黒髪を揺らした彼女は、静かに退出していく。


 「……ペットの監視で見つからないとすれば、サボりの常習者か長期休暇、それに本当に外部の人間という事になるわね。どちらにしろ、小室が高校にいる時間は少ないはず。でも、それでは不安定な新興宗教団体は維持できない。


 教祖の御言葉無しには、彼らは立ち行かなくなってしまう。


 ……何処かに未知の幹部、言わば教祖の代弁者となる影武者的な役割を持ってる相手がいると見るべきか。そう、神を讃える”司祭”ではなく、民衆を教え導く”キリスト”が。


 でも、あの愚司祭のメンバーリストには無かった……面白い。退屈しないわね。思ったよりやるじゃない――あ」


 探偵部の扉に手をかけた秋風はおもむろに立ち止まると、振り返って僕を見た。何故だかその顔は悪戯っ子のように輝いている。


 「大事な事を忘れてたわ。春茅君、貴男にお客さんが来てるの。今は熊田先生と思い出話に花を咲かせているけど、そろそろ来ると思うわよ? ……というか、もう来てるみたいね」


 思わず不審に思った僕は秋風を見ていた。彼女は既に扉を開けて出て行くところであり、それと入れ替わるように――


 ――勢いよく扉が音をたてて開かれ、ずかずかと足音を鳴らして入ってきていた。


 「久しぶりね、覚悟は良いかしら、後輩君?」


 揺らめく怒りのあまり仁王立ちした夜叉だ。僕はその声音に込められた激怒に恐れおののき、思わず幸福感も忘れて見上げてしまう。


 あぁ、僕はこの人を知っている。私服だけれど間違えるはずがない。去年はいっぱいお世話になったのだ。髪を1つに束ねた長身は特徴的。探偵部の巨頭ちと先輩と平然と並び立てる――


 「早速だけど、歯を食いしばりなさいッ!」


 同時にステップを踏むや、握られた拳が容赦なく振り上げられた。一方僕は深い幸福感に底に沈んでいたせいで、ただ目を丸くする事しか出来ない。


 ――女性だから手加減してくれるだろう、あるいはそんなに痛くないかもしれない……


 そんなささやかな願いは木っ端微塵に打ち砕かれ――


 「ぐェッ!?」

 「さて、目は覚めたかしら?」


 痛い。殴られた左の頬が火傷したようにヒリヒリする。


 「いッ、痛いですマイ先輩!?」


 座っていた椅子から殴り飛ばされた僕は思わず涙目になっていた。


 そう、マイ先輩だ。本名は米原涼花。紛う事なきちと先輩の大親友である。たしか、学部は違うけど大学も同じ所に通っていたはず。


 そんなマイ先輩は僕の顔を見るなり怒りが戻ってきたのか、湯気を立てるように怒っていたのである。


 「当然でしょ? 痛くなるようにしたんだから」

 「酷いです! そもそも、なんでマイ先輩がここにいるんですか――」

 「座れ」

 「あ、はい」


 有無を言わさぬ鬼の眼光にビビった僕は、素直に床の上に正座していた。今のマイ先輩には……何を言っても訊いてくれなさそうなオーラが漂ってるのだ。


 「さて、後輩君。千歳を泣かせたのは君って聞いたんだけど……本当かしら?」


 ――そう。マイ先輩はちと先輩の大親友なのだ。そして同じ大学に通ってすらいる。ということはだよ?


 殴られた痛みで僕の頭脳はようやく、久々の平常運転を始めていた。


 マイ先輩は……ショックを受けたちと先輩を想ってここにやって来たんだろう……。


 ……ん? それって……


 「ち、違うんです。ただ、色々事情があって――」

 「――言い訳すんな!」

 「すいませんッ!!!」


 目の前に振り下ろされた足に、僕は思わず平伏していた。マイ先輩は……少しだけ緩んだ、それでもなお厳しい視線で僕を見下ろしていたのだ。その瞳はさっきから僕の疚しい動きを探ろうと、一瞬たりとも他を見ない。


 「では、一応浮気の言い訳は聞いてあげます。被告人は事実を端的に述べるように」

 「被告――な、何でも無いです! すいません!」


 思わず抗議しかけた僕は……マイ先輩の目がゴミでも見るかのように変化したのを見て慌てて謝っていた。


 ……マイ先輩、怖い。


 かくして、僕は言われたとおり12月の事件の事を説明していた。その間口以外は微動だにしない。座ったまま頭を下げた状態で、マイ先輩の足に向かって状況を報告していたのである。……み、惨めすぎるぅ。


 目の前の長い脚はスポーツで鍛えられているだけあって、きゅっと引き締まっていてとっても美しい。だけれど、そんなことを考えていると悟られてしまえば一巻の終わりなのだ。


 だって、僕は聞き逃さなかった。


 口頭で説明する傍ら、僕の頭脳はそれだけを考えていた。マイ先輩はこう言ったのだ。


 ――千歳を泣かせたのは君って聞いたんだけど……


 そう。ちと先輩は泣いていたのだ。


 どうして? 男を寝取られて屈辱だったから? それとも、失恋したから? つまり、好きな男に振られたから?


 「ふむふむ、被告人の言い分は分かりました」


 そこでマイ先輩は厳しい表情を引っ込めた。


 「じゃ、じゃあ分かってくれたんですね!?」

 「えぇ、まぁ確かに後輩君も騙されてたみたいだし……妹さんだって、悪気があったわけでもない。……犯人もね。やれやれ、こんな厄介な案件は、例の”恐怖の谷”以来よ……。でも、確かに情状酌量の余地はある――」


 しょんぼりしていた僕が頭を上げると、マイ先輩は鷹揚に椅子に座るように示した。僕は決意を秘めて椅子に座る。


 そう。マイ先輩はちと先輩の親友なのだ。つまり、彼女のご機嫌を損ねると、僕の最後の望みは呆気なく絶たれてしまうわけで。……事は慎重を要するようだ。


 大丈夫。今のマイ先輩は少しだけだけど優しさを見せてくれている! 後はどうにかして、マイ先輩に面倒を見て貰わないと僕は――


 「――って言うと思った?」

 「え?」


 あれ? なんだか雲行きが怪しいぞ?


 「ま、まさかマイ先輩、僕は無罪じゃ!?」

 「有罪に決まってるでしょうが!! 恋人の目の前でその妹とキスしたら、どんな事情があっても有罪以外あり得ないわよッ!!!」


 同時にマイ先輩の左手が唸る。素早いその動きに僕は全くついて行けない。


 再び部室の空気を空気を乾いたビンタの音が響き渡った。


 「い、痛いッ!? でも、さっきよりは痛くないかも……」

 「痛くして欲しいのなら、もう一発いくけど?」

 「すみません何でも無いですっ!」


 慌てて頭を振ると、マイ先輩はそこでようやく笑ってくれた。隠しようもない苦笑いだった。


 「とはいえ、後輩君の言い分も分かったわ。確かにやむを得ない事情があったわね。千歳には伝えておくわ……有罪に変わりは無いって」

 「はぅ! そ、そんな~!?」


 涙目になって縋り付く僕に対し、マイ先輩はうっすら笑うと無言で窓を指さした。


 何だろう? ま、まさか飛び降りろってこと!? む、無理だよ!? ここは3階だから、おりたら大怪我じゃ済まないよ!? 


 で、でも、それで許して貰えるのなら僕は――!?


 「愛を叫べ」

 「はい?」


 飛び降りじゃなかったみたいです。


 キョトンとした僕に対し、マイ先輩はにっこり笑って言ったのだ。


 「そこの窓から、自分が生涯にわたって千歳だけを愛すると大声で叫べ。自分は千歳の愛の奴隷なのだと」


 代わりにとんでもない事を言ってのけた。


 「で、でも、まだ昼休みだから皆学校に――」

 「それとも、後輩君の愛はその程度なの?」

 「うおおおおッッッ!!! ちと先輩ッッッ!!!! 愛してますぅぅぅッッッ!!! 僕が好きなのは貴女だけですッッッ!!! 嫁に来て下さいぃぃぃぃッッッ!!!!」


 気がつけば僕は葉巻の香りなど考えもせず、窓を開け放って全力で叫んでいた。


 あぁ、恥ずかしい。グラウンドにいた生徒達が何事かとこっちを見上げてる……。


 僕は生徒会長で有名人だから、すぐに知れ渡るだろう。春茅生徒会長、独り虚しく愛を叫ぶ。……リコールされないよね?


 「よろしい。じゃあ、行くわよ?」

 「行くって……何処にですか?」


 羞恥で赤くなった顔を隠すように窓を閉めると、マイ先輩が腕組みしてそれを見守っていた。


 ……そうだ。僕は大事な事を忘れてた。


 「決まってるじゃない。千歳の家よ」


 ――この人は……とんでもなく男前なのだッ!


 「って待って下さいッ!!! 今の僕が行ったら、使用人に有無を言わさず婚姻届を書かされてからモモちゃんの部屋に――」

 「バレずに侵入するのよ。……どうにかしてね」


 マイ先輩は平然と言ってのけた。


 今の僕は一応モモちゃんの恋人扱いである。しかも……どうやら燃え尽きてしまったお義父さんは、僕とモモちゃんとの婚約を認めるつもりらしい。そして……モモちゃん自身も別れ際に言ったのだ。


 ――いつまでも待ってるから……迎えに来て、と。


 当然、使用人達にも僕の顔や身体的特徴は周知徹底されている。変装は即座に見破られてしまうだろう。今度は入り込む隙など存在しない。


 「無茶ですよ!? 使用人の見回りに加えて警備システムまで――」

 「できるできないじゃない、やるしかないのよ。分かった?」


 僕は頷く代わりに頭脳をフル回転させていた。


 ……かくして、僕は最後の事件を解決に走る事になる。




 「……勢いで来ちゃったけど……本当に今日で良いのね?」

 「……構いません。待ってたって状況は何も変わらないし、それに――」


 その日の夜、武装を整えた僕とマイ先輩は夜闇に紛れて立浜の大邸宅の側へとやって来ていた。目の前には武家屋敷ばりの壁と、その向こうに続くであろう大庭園。……どうにかして、そこを越えなくてはならない。


 「……それに?」

 「――それに、ちと先輩にはできるだけ悲しい時間を過ごして欲しくないので」


 僕がそう言うと、マイ先輩は目を細めて優しく笑った。


 僕はそれに目をやらずに考える。勿論歩きっぱなしだ。万が一とはいえ、不審人物には見えないようにしないといけない。……なにしろ、これから本当に不審な行為をしなくてはならないのだから。


 「ちと先輩のいる部屋は知っています。だから、どうにかそこに辿り着かなくてはなりません。でも、そこに行くための階段は室内に2カ所しかない。しかもどちらも使用人達のいる部屋を避けては通れません」

 「……となると?」

 「……屋敷の壁、例えば空調用の配管か何かをよじ登るしかないでしょう」


 幸運な事に、今日のマイ先輩は女性らしさ溢れるスカートではなく、ボーイッシュなパンツルックである。まぁ、そんな服装でも溢れでる女性らしさを隠し切れていないんだけど……ってそれはともかく。


 そこでマイ先輩は僕を試すように言った。


 「でも後輩君? 配管を登って2階に侵入しても警備システムが作動するわよ? そうなれば君も私も、めでたくブタ箱にぶち込まれるんだけど?」

 「……全ての窓に警備システムがセットされてるわけじゃないはずです。後は……ぶっつけ本番、運試しです」


 ……既に覚悟は出来ている。今度は間違えない。


 僕の1番はちと先輩なのだ。先輩が悲嘆に暮れている事以上に解決するべき謎があるだろうか? 自分の保身など、駄目だった時に考えればよろしい!


 「策は無し……ってことね」

 「……マイ先輩こそ、僕に付き合わなくても良いんですけど?」


 僕がそう答えると、マイ先輩は豪快に笑った。


 「さ、そんなことより、まずはこの壁を越えないといけないのだけど……特に足場になりそうな物は無いわね」


 そうしてマイ先輩は屋敷の外と中を区分する壁に目をやった。生け垣ではない。高さは2メートルを超えようかという、立派な木の壁なのだ。まずはこれをバレないように越えなくてはならない。


 「あるじゃないですか、足場」


 僕がそう言うと、マイ先輩は思わず僕を振り返った。それを無視して壁を軽く叩いてみる。冷たい木の感触と、それなりに厚さがある音だ。うん、やっぱり、これしかなさそうだ。


 「()が足場になれば良いんです、マイ先輩は僕を上から引っ張り上げて下さい」


 そうして、僕はその場にしゃがみ込んだ。


 そう、肩車だ。マイ先輩は長身の女性だけれど、僕だって身体を鍛えているのだ。女性一人くらいどうってことはない。


 「……そう来たか」

 「不服ですか?」

 「まさか! ただ面白い事考えるな、って思っただけよ」


 そのままマイ先輩は僕の肩に乗ってきたので、僕は一気に立ち上がる。やっぱり、大した重さじゃない。


 むしろ不安だったのはマイ先輩が僕を上に引き上げられるかの方だったのだけど……さすがはマイ先輩。バレー部一の女傑は顔色1つ変えずに僕を上に引っ張り上げてくれたのだ。


 暗い庭と、明かりの残るお屋敷。僕とマイ先輩は揃ってそれを睥睨していた。そして直ぐさま飛び降り、庭の茂みに身を隠す。


 上から見渡した限りでは、庭に使用人の姿は無かった。とはいえ、それが何時までも続くとは限らない。


 「……急いだ方が良さそうね」

 「はい。いつ人が出てくるか分かりませんし――」

 「あ、そうじゃないの。ただ、夜の庭は番犬がいるから……」


 番犬? はて、そんなの居ただろうか。思わず記憶を辿って見るも、全く見当たらない。


 思わずキョトンとした僕に対し、マイ先輩は真顔だった。そう、マイ先輩はちと先輩の親友なのだ。となれば、当然何度も家にお邪魔しているのだろう。そのマイ先輩が警戒するのなら、注意が必要なわけで……


 そう思った時には手遅れだった。空気を引き裂くようなうなり声が聞こえてきたのだ――


 「ゲェァァァアアアアアアアアッ!!」


 地獄の底から響き渡るような、エッジの効いた野太い鳴き声。あぁ、まるで冥府の番犬ケルベロス、あるいはバスカービルの魔犬といったところか!


 いや、そんなことはどうでも良い。


 僕は壁から飛び降りなければ良かったと後悔したのだ。見ればマイ先輩は失敗したとばかりに天を仰いでいる。


 「来たわね!? ……後輩君、あなたは先に行きなさい! あの鳴き声は2頭いる番犬の内の凶暴な方の鳴き声なの!?」

 「何なんですか!? それに、ここで女性を獣の前に置き去りになんて出来ませんよ!?」

 「そういうことじゃないの!? あの、あの番犬――」


 時既に遅し。マイ先輩がそう呟いた瞬間、屋敷の陰から何かが飛び出してきたのだ!


 明かりのない新月の夜だ。その正体は杳としてしれない。だけれど、四つ足のその獣は異常なほどにすばしっこく、真っ黒い毛皮の中に白い牙が剥き出しにしている。


 「ゲェァァァアアアアアアアアッ!!」


 思わず僕は呆然となっていた。既に奇妙な生き物は間近の草むらにまで迫っているのだ。同時に目の前の茂みが揺れたと思った瞬間――


 「ゲェァァァアアアアアアアアッ!!」

 「後輩君、危ないッッ!!」


 せめてマイ先輩だけでも庇おうと前に出た僕に対し、獣は一切の躊躇無く飛びかかってきたのだ! ようやく見える! 身体は全体的に黒いものの、お腹の方だけは白くふさふさした毛で覆われている。地面を這うように進んだその姿は間違えない、僕もよく知る犬種の……


 「きゅーん」

 「あ、可愛い! チワワですよマイ先輩!」


 つぶらな瞳が大変愛くるしいチワワだった。それが嬉しそうに尻尾をぶんぶん振って僕の足下にじゃれつくや、遊んで欲しそうに鳴き声を上げてきたのである! ……あれ? 何か聞いてた話と違う。


 そう思ってマイ先輩を見ると……不思議なことに距離を取った先輩は僕を信じられないものを見るような目で見ていた。


 「馬鹿な!? 私がどれだけお菓子をあげても懐かなかったピョン助が……後輩君には一瞬で懐いた!?」

 「ピョン助って……名前まで可愛いんですね……」

 「きゅーん」


 それはともかく。僕は遊んで欲しそうに目を輝かせているチワワのピョン助を抱き上げると、マイ先輩と向き合っていた。


 「おかしい、おかしいわ! 私がどれだけピョン助と一緒に遊べる日を夢見ては……そのたびに噛みつかれて挫折してきたことか!」

 「きゅーん?」


 頭を抱えているマイ先輩。だけれど同時に茂みが再び揺れた。そう番犬は2頭いるのだ。同時にうなり声と同時に草むらが揺れて……


 「ぬい! お座り!」

 「ワン!」


 2頭目が現れた。現れたのは身体の大きな雑種犬だった。シェパードの血筋が入っているのか、主人の命令を守りつつもどこか期待を込めて尻尾を振っているではないか。


 「って言うか……犬だから”ぬい”なんですか……安直すぎる……」

 「うるさいわね、良いじゃない可愛いし。元々私と千歳が捨てられてた子犬をこっそり拾って育ててたのよ。捨て犬だし雑種っぽいし……。そんなことよりピョン助……大人しくしてね」


 あぁ、マイ先輩達が拾った犬だから、今でも忠誠を向けられてるのか。しかも相手は巨大な身体を持っている。僕一人で侵入してたら、下手したら死んでたかも知れないぞ……。


 「ピョン助は私達のぬいを羨ましがった妹さんがねだって買って貰ったって聞いたわね。ほらピョン助……おやつですよ――」

 「ゲェアアアッ!!!」

 「痛ッッ!」


 そうして、マイ先輩はおやつを上げようとピョン助に近づいては、噛みつかれて慌てて手を引っ込めていた。


 「うぅー!? どうしてピョン助は千歳や後輩君には懐くのに、私には噛みつくのよー!?」


 そう。犬である。僕にはその瞬間、番犬の謎が解けていたのだ。


 ……もちろん僕が取り立てて犬に好かれるなんて訳でもない。実際、ぬいはマイ先輩に甘えたそうにしている反面、僕に対しては警戒を隠そうともしていない。


 「……多分、嗅覚です」

 「え?」


 同時に僕はピョン助をひとしきり撫で終えたので、仕事に戻してやった。ピョン助は再び庭を疾駆して番犬業務に戻るようだ。


 「犬は人間よりもずっと優れた嗅覚を持っています。あのマイ先輩には懐かないピョン助が僕に懐いたとすれば、それしかありません」

 「ぬい、あなたも仕事に戻りなさい。また遊びましょうね……それってつまり?」


 思わず僕は哀れみを込めた視線を向けながら、神妙に頷いた。悲しいかな、これは事実なのだ。


 「つまり、マイ先輩が臭い――」

 「はっはっはっ。良い度胸ね貴方もう一度言ってみなさい殺すわよ後輩君!? ちゃんと毎日お風呂入ってるし!?」


 帰ってきたのは暴力でした……。マイ先輩は躊躇なく僕の腕を取ると、痴漢でも制圧するかのように後ろに締め上げたのだ。


 「痛たたたたた!? 痛いですっ! ……だ、だとしたら、多分葉巻です! 僕とちと先輩の共通項は、身体に染みこんだ葉巻の香りなんです! だから、同じ匂いを感じたピョン助は、僕を仲間だと思ったんです!」

 「……!! なるほど……!!」


 同時に解放される僕の右腕。痛みこそ去ったものの、その余韻がシクシクと残っている。


 ピョン助は……どうやら飼い主に似たみたい。飼い主の大好きな姉の匂いだから、甘えてきたんだろう。……僕の葉巻に溺れた意気消沈が変なところで役に立ったなぁ。


 「それはともかく、よ」


 そこで気を取り直すようにマイ先輩は言った。


 そう。ぬいはともかくピョン助はここに来るまで散々うなり声を上げて邸宅の主達に不審者発見の方を伝えているのだ。僕たちは既に見つかってしまったと考えるべきだろう。


 「残された方法は一つ、強行突破よ」


 同意だった。




 けたたましく鳴り響く警報音。マイ先輩が派手に見つかってしまったのだ。


 進退窮まった僕たちは、進むを選んでいた。僕が必死に睨む一方で、マイ先輩は後ろを振り向きながら追っ手の位置を確認している。


 「みなさーん! いーきまーすよー!!」

 「おのれ害虫め! この間の借りを返してくれる!」


 一拍遅れて聞こえてきたのは当直に当たっていた使用人の皆さんの声だった。暗がりながらスカートの裾を摘まんで疾駆する女性と、右手に警棒のようなものを持った男性。多分前に僕と追っかけこをした榊さんと恩田さんだろう。


 「身ぐるみ剥がして百花お嬢様に捧げますよー!」


 ……マイ先輩の足は速い。既に暗がりの中で見えるか見えないかの所まで進んでしまっている。


 「行くぞ恩田ッ! お前は回り込めッ!」

 「はーい!」


 そして、屋根に登った僕の足下(・・)を使用人コンビは駆け抜けていった。……囮になってくれたマイ先輩には感謝してもしきれない。


 おかげで僕は……


 「……何事だ?」

 「ちと先輩っっ!!!」


 不審そうに自室の窓を開けたちと先輩と再会することが出来たのである! そう! 警報装置だって内部から開けて貰えれば作動しないのだ!


 僕は歓喜のあまりちと先輩を押し倒すように室内に入ると、勢いそのままに部屋の床を転がり――


 「す、すみませんでしたぁぁぁぁ!!!」


 先輩が何か言うより先に見事なまでの土下座を披露していた。


 「こ、後輩!? どうして――」

 「――すみませんでしたぁぁ!!」

 「よくここまで――」

 「――そんなつもりじゃなかったんですごめんなさいぃぃぃぃ!!!」

 「というか、今庭を逃げ回っているのは誰――」

 「――僕が愛してるのは! 妻にすると誓ったちと先輩だけです! 本当なんです!」

 「いや、その――」

 「――だからちと先輩、許して下さいぃぃぃ!!」

 「ええい! いいから話を聞け! 聞いてやるから!」


 声の小さな大声でひたすら謝罪する僕に対し、ちと先輩は完全に呆れたように苦笑いだった。




 そうして、僕は必死になって浮気の言い訳……もとい、あの忌まわしい”花嫁喪失事件”を説明していた。


 ちと先輩は……流石に冷静さを取り戻したのか、黙って聞いてくれた。静かに、ベッドに脚を組んで、思わせぶりにインバネスコートを羽織って葉巻を摘まみながら。だけど、その視線だけは床に座っている僕ではなく、たなびく煙へと向けられている。


 「所詮は後知恵だが……君は、最初に疑うべきだったな」

 「最初……ですか?」

 「三白純は……私も会ったことがあるが……決して愚かな人間ではない。むしろ家柄上何があろうと名家の人間とは敵対を選ばないだけの知性がある。だから、そんな三白が百花に本気の喧嘩を売った時点で、違和感を覚えるべきだった――」


 僕はハッとなって思い出していた。


 ――そうだ。確かにあの時、僕は三白に対して違和感を覚えていた。あの時は勢いに押されてそのまま忘れてしまったけど、今思えば確かに怪しい。


 「それに、基本的な点の見落としもある。三白はあの冷徹人形を愛していたんだ。ならば、他の女との婚約などするわけがないだろう?」


 ちと先輩は記憶を手繰るように言う。


 ――その通りだ。僕はどうしてそんなに簡単なことを見落としてしまったのだろう。


 「となれば、だ。姫乃が三白と組んで偽装婚約を結ぼうと思ったら、姫乃は三白に譲歩しなくてはならなかったはずだ。それこそ、万が一あの“花嫁喪失事件が”が失敗、つまり百花と三白の婚約が成立した場合に、即座にそれを破談に追いやれるカードが――」

 「……それって…………」


 ちと先輩はようやく僕を見てくれた。だけれど、その表情に笑みはない。


 「推測だが、君と百花と三白の言い争いだ。……そうか、姫乃は確か部室を掃除して恐喝王の盗聴器を発見していた――」

 「――録音……していたんですね」


 実際、あの時のモモちゃんは売り言葉に買い言葉で相当な罵りを浴びせている。そうか、それを記録しておけば、万が一偽装婚約が成立しかけても土壇場でお義父さんの誤解を解けるってことなのだ。


 「全く、落第だよ落第。いや、落第も良いところだ」


 しゅんとなって小さくなった僕に対し、ちと先輩は言った。その瞳は揺れているようだ。僕を許すか……許さないか。


 だけれど……ちと先輩は直ぐに優しく微笑んで――


 「まったく、君って奴は、私がいないと駄目じゃないか……」

 「――ッッッ!!!?」


 そこでちと先輩は机で充電されていたスマートフォンを操作する。すると、なにやら大声で叫ぶ音声が聞こえてきた。


 あぁ!? これは間違いようもない!? 僕が今日叫んだ愛の言葉じゃないか!? マイ先輩……外に向かって叫べってそういうことだったのか!?


 「人間誰しも一度くらい間違えることもあるだろう。それに、私にはこの告白が嘘をついてるようには聞こえない。だから、今回の件は水に流してや――待てッ!? 泣くな!? 君は男だろう!? こんな大事なときに泣いてどうするんだ!? そこは私に愛を囁く場面……ってあぁもう!?」

 「ぢど先輩ぃぃぃ! ありがとうございますぅぅぅぅぅ!!!」


 気がつけば、僕は滝のような涙を流していた。きっと、さっきのピョン助のように瞳を潤ませていたのだろう。


 「もう一度だけチャンスをやろう。君は…………私と百花、どっちを選ぶんだ?」


 言うまでもないことだ! もちろんモモちゃんの事だって嫌いなわけじゃないよ? だって……義妹になるんだし!


 「僕が愛しているのは貴女だけです! あなたが1番で、2番なんて存在しません!」

 「……ん、よろしい」


 そうして、僕は証明しなくてはならないだろう。本当にちと先輩だけを愛し、今この時も夜空に希望を馳せているであろうモモちゃんのことを何とも思ってないということを。彼女に……別れを告げなくてはならない。


 だけども、意外なことにちと先輩は無言のまま屋根を伝ってモモちゃんの部屋に行こうとした僕を止めたのだ。


 ちと先輩は……何時だって僕より賢かった。


 「……百花だって本当は分かってるはずなんだ。だから探偵部に来ない。……今は姫乃への対応も決めかねてるみたいだし、少し待ってあげて欲しい」

 「………………ちと先輩……」


 きっと、僕以上に先輩も妹を愛しているんだろう。冷静になって考えれば、花婿が即座に花嫁を迎えに来ない時点で、モモちゃんだって気付いているはずなのだから。


 そこでちと先輩は悪戯っぽい視線を僕に向けると、静かにベッドに座った自分の隣のスペースをぽんぽんと叩いた。そっちに座れってことなのかな?


 「……代わりに……百花にしたことを……その、私にもしろ」


 蠱惑的な視線に僕は耐えられず、無抵抗なちと先輩をベッドに押し倒して貪るように唇を吸っていた。今度は甘くなく……代わりに苦い大人の味がした。


 そのまま時間を忘れてちと先輩の温度と湿度を堪能して……静かに僕は腕を差し出していた。腕枕って奴だ。


 「……抱いてくれないのか?」

 「だって……モモちゃんにはしてませんから」


 その瞬間だ。ちと先輩が花が咲くように笑ったのは。


 ……何故かそう言わないといけないような気がしたのだ。霊感なのか直感なのか。とにかく、僕はどうやら正解を選べたようで。


 「…………ん、なら良かった。もし君が百花を抱いていたなら、涙を飲んで妹に花婿を譲ってやらなければならないところだったからな……」


 そう言ってちと先輩は嬉しそうに微笑むと、そのまま愛らしくもキスをねだってくる。


 一方僕は――


 「……? どうかしたのか?」

 「そ、その……今更ですがマイ先輩は大丈夫かなって?」


 ――真っ青になって冷や汗を流していた。


 「……涼花の力を借りたのか。あいつも本当に、お節介なんだから……」


 うん。どうやら、僕にも墓の下まで持って行かなければならない秘密とやらが出来たらしい。


next→壮司ヶ谷姫乃失踪

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