4.空き部屋の冒険①
ギラギラとした太陽が道路を焼き尽くさんと熱波を送る中、僕はカラカラに渇いた喉を我慢しながらも、獲物に狙いを定める鉄砲魚のような目で街を歩いていた。
あぁ。道行くコンクリ-トに陽炎が揺らいでる。
今年は猛暑が深刻で、その中でも今日は一際暑い日なのだ。当然、午後1時という一日の中でも一番暑い時間帯を出歩く人間は皆無である。
人っ子一人いない立浜の街を、僕は必死に進んでいく。もちろん、ちゃんと目的があってのことだ。あれは確か8月に入ってすぐのこと。
その時僕は、事を急いて見事玉砕した佐伯と一緒に自棄になって遊びに出ていたのだ。確か2人してカラオケで憂さ晴らししていたときのことである。不意のメールの着信があった。
いや、それ自体は別に珍しいことではないけれど。問題なのはその送り主である。……正直なところ、今でも信じられないのだ。だから念のため確認してみるか。
そう思った僕は自分のスマートフォンを取り出していた。
送信者:M-chitose_in_221b_bakerstreet@wahoo.co.jp
件 名:8月17日の予定は?
内 容:
久しぶりだな。突然だが、8月17日は空いてるか? もし空いてるなら、14時に私の家に来て欲しい。住所は………………
間違いない! デートのお誘いであるっ!
これを読んだときの僕の興奮っぷりと来たら、我ながら恥ずかしいほどだ。思わず立ち上がってガッツポーズと共に会心の雄叫びを上げ……歌っていた佐伯が引くほどの勢いで喜びを叫んだのである。
……やり過ぎだよね。まぁ、今更だけど。
それ以降、僕は幸せな気分で運命の日までを過ごして来たって訳だ! 夏休み前半の幽霊に取り憑かれたような暗鬱とした気分は嵐に紛れてどっかに飛び去り、今あるのは高揚だけなのだ!
だってデートだよ、デート! し、しかも、ちと先輩の家から始まるんだよ!? どういうことなんだ!? 家で一緒に勉強しようって事なのかな? でも僕よりちと先輩の方が頭も良いし……。
こ、これは……ついに僕の念願が叶う日が来たって事で良いんだよね!?
あぁ……! 麗しのちと先輩! てっきり幽霊騒動の時に見限られたのかと思ったけれど、そんなことはなかった! 神様は僕を見捨てなかった!
ありがとう! 大手ポータルサイトのWahoo! このメールは僕が生まれてこの方最も嬉しい知らせだ! 万に一つの事態でメールを消滅させたりしないでくれて、本当にありがとう! ライバルのGoogreには浮気しません!
あぁ、とにかく! 全てにありがとう! 佐伯と一緒に真剣に服装もコーディネートもしたし、お財布だってある! しかも……ゴム付だ! あとは頑張るだけ!
いざ、行かん! この曲がり角を曲がれば無事ちと先輩の家に着くはずなのだ。
そうして進んだ僕を待ち受けていたのは、もちろん家だった。邸宅と言うべきなのかもしれない。昔ながらの和風建築で、武家屋敷の様な木製の敷居が遙か先まで伸びている。中の敷地だけで野球ができそうだ。
……うん。これ家っていうか、屋敷だよね。
そこで僕は思い出したのだ。ちと先輩はれっきとしたお嬢様であり、その実家は地域一帯で有名な名家なのである。
だ、大丈夫だ! 服装はちゃんとしっかり決まってる! 僕の予習は完璧だ。万が一家族の人とニアミスしても、無難に挨拶をこなせる自信がある……と思う。
そんなことを考えながら暫く歩いて、ようやく玄関にたどり着く。時間を見れば、まだ約束の時間まで30分もあった。大丈夫だ。一度深呼吸して覚悟を決めた僕は、インターフォンに手を伸ばした。
居間は静まりかえっていた。遠くでカポーンと鹿威しが鳴るのを、嘘みたいな気分で聞き流すことしかできない。
目の前には重厚な色合いの木のテーブルと、来客の為に差し出されたアイスコーヒー。ガムシロップもコーヒーミルクもありません。ついでにストローも。……飲ませる気ないよね、これ。
そんな困惑と緊張で固まった僕の対面では、2人の男女が姿勢を正して座って僕に視線を注いでいる。そう、ちと先輩のお父さんとお母さんだ。
僕が鳴らしたインターフォンに応対したのは……なんとびっくり、お手伝いさんだった。正確には女中さん。この家、時間が100年くらい前から止まってない?
そうして案内された僕は敷地内に存在する錦鯉の泳ぐ川を、これまた苔むして風格のある石橋で越えて屋敷にたどり着いたのだ。そこからは速かった。あっという間に居間に案内されるや、まさかの3者面談に突入したのである。
お父さんもお母さんも何も言わない。だから僕も何も言えない。お父さんこそ洋服だが、お母さんに至っては和服である。2人に共通しているのは、物凄く鋭い視線を容赦なく僕に突き刺してくることだ。
「あの……」
「…………………………何かね?」
「…………いえ」
再びの沈黙。気まずい。僕が必死に絞り出した声は、ドスの利いたお父さんの声にあっさりと負けてしまっていた。
ちと先輩……! は、早く来て下さい!
そんな僕の願いが通じたのか、居心地の悪い空間にトントントンと響く音。そう、軽やかなステップが板張りの廊下を通じて居間にまで届いたのである。
「あれ? リョウっちじゃん! もう…………我が家に来たの?」
「モモちゃん!?」
現れたのは珍しく私服姿で、短いスカートの代わりにカットパンツを履きこなしたちびっ子中学生である。何だって良い。今の僕には女神のような存在なのだ。
「はいはい! こっちこっち!」
モモちゃんもそれが分かっているのか、ご両親に反発するように鼻を鳴らすと、僕の腕組むように引っ張って廊下へ連れ出してしまう。
最後に見えたのは苦虫を噛みつぶしたかのような、ご両親の顔だった。
「ありがとう、モモちゃん!」
「いいよいいよー! あの空気、私も嫌い何だよね。本当、お姉はよくあんな前近代的なしきたりに付き合ってられるよ……」
「あぁ……うん。なんだかとっても厳しそうな感じだね」
「っていうか、実際そうなんよー。私がこんななりしてんのも、親への反発だしねー」
板張りの廊下は広い。暫く歩いてからモモちゃんは平然と話し始めた。なんか、下手なホテルよりも広いんだけど。……しかも中庭まであるし。居間からは十分に距離が取れた筈だろうけど。
「ところで、ちと先輩は?」
「へ? お姉?」
モモちゃんは不思議そうな顔を僕に向けた。そして言った。
「お姉なら、イギリスに旅行に行ってるけど……?」
「………………え?」
……僕の夢と希望の詰まった夏休みが、音を立てて崩れ落ちた瞬間である。
オレンジ色のベッドに暖かみのある絨毯。涼しい風が吹き寄せるクーラーの下で、僕はモモちゃんに取り出してもらったブドウジュースを飲んでいた。美味しい。さすがは100%。ちと先輩が気に入ってるだけはある。
「むー、妙な話だね。お姉がそんなミスするとも思えないけど……」
「だよね。きっと何か理由があると思うんだ」
現在地は……なんと、憧れのちと先輩の部屋。僕の話を少しだけ聞いたモモちゃんは事情を理解すると、ここに手がかりがあるはずと案内してくれたのだ。
しかし、ちと先輩……部屋は結構女の子らしいというか、ファンシーなんだなあ……。暖かいオレンジ色の壁紙の部屋は、個人用冷蔵庫等の家電を除けばぬいぐるみやファッション誌に溢れている。
アロマを炊いているのか、心地よい柑橘系の香りが漂っていた。
「なるほどなるほど……」
「どうしたのモモちゃん?」
「つまり、こういうことだよリョウっち!」
何が何だか分からない僕に向けて、彼女は立ち上がって言った
「探偵部、真夏の課外活動! 消えた部長の謎を追え! ご褒美もあるよ!」
「…………なんじゃそりゃ」
かくして、住人不在の空き部屋の冒険は始まったのだ。
「落ち着くんだリョウっち。取りあえず状況を整理しよう!」
「うん! ……と言われても、大したことはないよ」
そうして僕は、改めて今回の一部始終をモモちゃんに話して聞かせることにした。彼女はいちいちうんうんと頷いたかと思うと、ちと先輩の部屋の各所に視線を飛ばす。そうしておもむろに扉へ向かうと……いきなり叫んだ。
「羊羹持ってきて! それにローズヒップとハイビスカスティー! ステビアで味を整えるのも忘れずに! あと、確かウイスキーボンボンも残ってる奴全部! それからコーラ! 2リットルの奴! 多分無いと思うから買ってきて!」
「モモちゃん!?」
突然の奇行に僕が驚いていると、モモちゃんはニカッと笑った。返事がすぐにきたのだ。
「かしこまりました」
同時に足音が扉の向こうから遠ざかっていく。
「びっくりした? ごめんね。でも、こうでもしないと、中々二人っきりになれないからさ……」
「じょ、女中さん!? 凄いね、部屋の外で待機してたんだ」
「まあねー。壁に耳あり障子に目ありって奴なんだよね。ほんと……嫌になっちゃう。って、そんなことより、謎を解こ?」
是非もない。改めて僕は床のふかふかのクッションに座り、モモちゃんは柔らかそうなベッドに腰掛けて足をこっちに向けて伸ばしてくる。これがスカートならパンツが見えるところだけど……残念なことに今日はズボンなのだ。……何を考えてるんだ。僕にはちと先輩がいるのに。
「まず、先輩からお誘いのメールが来たんだ。でも、その日時に合わせて来ると、ちと先輩はいなかった」
「そうそう。しかも、リョウっちのメールの送信日時なら、もちろんお姉は旅行が決まってる。ミスでないと仮定するなら、何らかの意図があってリョウっちを呼んだはずだよ!」
言われて改め考える。駄目だ、心当たりはない。
「……多分、探偵部に関することだとは思うんだけど」
「……まぁ、そうなるよね」
正直、それ以外だとお手上げだ。しかし、モモちゃんは人の部屋なのに平然と寛いでるなぁ。ベッドは乱れてるし、このブドウジュースもちょっと高い奴だよね? いや、女中さんがいるような家だから、些細な問題かもしれないけど。
そこでモモちゃんは閃いたとばかりに言う。
「幽霊騒動のことじゃないかな? あの時……その、リョウっちが」
「……良いところ、一個もなかったしね。この謎を解いて実力を付けろって事なのかな?」
「多分……」
だとしたら、負けられない。汚名返上だ。……というか、これが解けないとちと先輩との仲は一向に縮まらない。
「部屋の中に何かヒントがあるかもしれない。探してみよう!」
「あー……うん、そうだね!」
まず最初に手を伸ばしたのはノートパソコンだ。そう。僕は見逃していなかったのだ! ちと先輩からのメールは普段使っているスマートフォンではなくWahooメール、即ちパソコンのメールで来ていたのだ。
そこに何か意味があるはず……。
そうしてパソコンの電源を入れた僕は、
「あ、パスワード……」
早々に挫折していた。ログインできないのだ。適当に入れてみるか? でも、そんな簡単じゃないだろうし……。
思わず沈んでしまった僕を哀れんだのか、モモちゃんが苦笑いで頭を撫でてくれる。
「うーん。流石の私もお姉のパスワードまでは……」
「だよね……」
「別の所を探す?」
「いや、でも唯一の手がかりはパソコンだし」
そう。僕が懸念しているのは一つ。あのメールが本当に僕宛だったのかということなのだ。
悪い想像だと信じたい。でも、今のところ一番ありそうなのは、ちと先輩が送る相手を間違えたということなのだ。そして、後になって日付のミスに気づいて、スマートフォンのメールで訂正した。
だとしたら、その送り先は僕以上に親しい相手……ということになるだろう。少なくとも、家に招待する程度には。
「リョウっち……大丈夫? なんか、怖い顔してるけど……」
「…………ごめん」
嫌な妄想だと信じたい……。でも、ちと先輩は僕のことを駄目な後輩程度にしか思ってないかもしれないのだ。だとすれば……だとすれば、メールの送り相手が男だとしたら……僕は……。
「あのね、多分お姉が親しいメールを送る男の子は、リョウっちくらいだと思うよ? 妹の私が保証するし」
「……ありがとう。でも、僕はそこがどうしても気になるんだ。もし……もしそうなら、僕は探偵部の活動を考えないといけないし……」
「えっ!? えっ!? そんな深刻な話なの!?」
モモちゃんがオロオロしている。だが、僕にそれを気にする余裕はない。嫌な焦燥感が胸を焼くように広がり、気持ち悪さが止まらないのだ。
「パスワードを……推理しよう」
「……マジで? 無理じゃない?」
「分からない。でもやってみる価値はあるよ」
マジか、と言わんばかりのモモちゃんを尻目に考えてみる。ちと先輩といえば、やっぱりホームズだろう。多分パスワードを決めるなら、喜々としてそれを選ぶはずだ。
他にも独特の香りの葉巻が好きだけど、あれは自作でブランド名とかは無い。
「まずは“Sherlock Holmes”だ」
「あー、なるほど。確かにありそうだけど……」
だが、結果は駄目。当たり前か。ちと先輩ならもう少しユーモアを効かせるだろう。そこで部屋にある本棚に目を向けてみる。……意外だな。コナン・ドイルのホームズシリーズが一つも無い。代わりにあるのは……
「お待たせいたしました」
「うわっ!? 桜田なの!? 随分速いわね!?」
「こういう事態に備えて用意しておりましたので」
僕の後ろでモモちゃんが驚いていた。同時に部屋の扉が開かれると、盆に載った大量の代物を平然と片手で支えた女中さんが現れる。凄いバランス感覚だ。コーラとか載ってるのに。
そしてそれを物ともせずにテーブルに置くと、桜田さんは冷たい視線を僕たちに向けた。
「……お客様、いくら家人の前とはいえ、他人のパソコンを勝手に起動するのはどうかと思いますが?」
「あわ!? 良いの! これは私が許可したの!? そんなことより! 私、崎陽軒のシウマイが食べたい! 速く買ってきてよ!」
「許可? はて。まぁ、そうおっしゃるのであれば、かしこまりました」
同時に女中さんは鋭い視線で室内を一瞥してから、驚くほど静かに扉を閉めて退出する。
「やれやれ。あの地獄耳め……。私達の会話を聞いてたわね」
「……優秀な人なんだね」
モモちゃんは相当焦っていたのか、冷や汗までかいていた。だが、お陰で僕の推理も少しだけ進む。そう、この部屋にホームズは無いが、別のシリーズがそれを補うようにあったのである。そう、フランスの傑作小説家モーリス・ルブランの名作、ルパンシリーズだ。
「僕、分かったかもしれない」
「えっ? 何の話?」
僕の視線は一冊の本に注がれている。そう。様々な方面で話題を呼んだ作品である。
「” HerlockSholmès”だ。俗にルパン対ホームズと呼ばれる作品に出てくる、ホームズのパロディだよ!」
同時に僕の指がパスワードを入力し、エンターキーを叩く。結果は……やった! 通った!
「……マジか…………リョウっち、凄い……。その、私が言うのもあれだけど、あんまり余計なところは……」
「分かってる。僕だって見たいけど、マナー違反だし」
それに、多分あの女中さんから連絡が行くことだろう。しかも控えている女中さんが一人とは限らないのだ。モモちゃんは安心してるみたいだけど、もしかしたら他にも聞いてる人がいるかもしれないし。
「見るのはWahoo!メールだけだよ。……よし、こっちはログインしっぱなしになってる! あとは………………これは……一体!?」
僕は見た。多分、驚きに目を見開いていただろう。自分でも分かる。だって、そこの送信メールボックスには、僕に送ったメールは影も形も無かったのだ。
「……あれ? メールが無い! ってことは、削除されたのかな? それとも勘違い?」
モモちゃんが誤魔化すように笑うのと同時に、僕は深いため息を吐いていた。スマートフォンを取り出す。さっきのメール画面がそのまま開かれていた。間違いない。
謎が解けたのだ。