7.立浜の吸血鬼①
天高く馬肥ゆる秋。10月も終わりに近づき寒さが目立ち始めた昼休みを、僕は部室の席に座って過ごしていた。姫乃ちゃんによる徹底的な浄化作戦によって盗聴器の類いは綺麗に取り払われ、久しぶりにリラックスできる空間に戻ったのである。
僕の隣にはモモちゃん。ガラス製のティーポットに入れられた紅茶の茶葉が、熱いお湯によって少しずつ解れ開いていくのをのんびりと眺めている。色、それにこの香しい香り……どうやらオレンジペコみたい。
「ふっふっふ。リョウっちには当然この紅茶がオレンジペコなのは分かっていると思う。だけれど、実は追加でハーブを混ぜてみたし! さぁ! それが何なのかを当てて――」
「――この爽やかな香り……ミントでしょ? それにこっそりライムジュース。ということは……紅茶にハッカの清涼感と柑橘類の酸味を加えたこれはシトラスティー! 正にオレンジペコにうってつけだね」
僕の即答に対し、モモちゃんはぐぬぬと机に崩れ落ちた。
どうやら姫乃ちゃんに唆されて、少しずつ脱コーラの生活を過ごしているみたいだ。多分コーラの代わりに進められたお茶のカクテルにはまってるんだろう。
「うぅ……どうしてリョウっちも姫っちも直ぐに分かるし……。私なんて飲み比べても茶葉の違いが分かるか微妙なのに……」
「まぁその辺は慣れっていうか……色々なハーブを試している内に味覚と嗅覚で判別できるようになったというか……ところで、姫乃ちゃんはどうしたの?」
僕がそう言うとモモちゃんは机に突っ伏した身体を持ち上げた。そう。記念すべき部室奪還の最大の功労者である姫乃ちゃんは、珍しい事に昼休みをモモちゃんと過ごさなかったのだ。
あの人見知りする姫乃ちゃんが、である。僕の不思議そうな顔にモモちゃんも合点がいったのか、顎に人差し指をあてて思い出すように言った。
「姫っちなら、今日は紺々と一緒にハーブ談義するって」
「……紺々?」
「そう、演劇部の桐国紺。先月の養護施設で変態マントと戦った時に、蛇女の監視をお願いしたでしょ? あの時一緒にいた紺々とハーブの話題で意気投合したんだって! 何でも紺々も料理上手で、演劇部が休日に練習する時は料理を作って振る舞ってるとか!」
……そう言えば、姫乃ちゃんもモモちゃんの実家では料理を担当していた。なるほど、意外な2人だけど、料理っていう共通点があったのか。
――モモちゃんは側近がいないも関わらず、何故か少しだけ嬉しそうだった。
「と、ところでだけど……! リョウっちさえ良かったら、今日うちに来ない? その、姫っちに色々カクテルティーを教えて貰ったんだけど――」
そこでモモちゃんはさりげなさを装いながらも、両手で首元のリボンを弄りながら言う。だけれど、残念な事にその言葉は部室に届いた足音によってかき消されていた。
モモちゃんもしっかり成長しているらしい。憮然とした表情を浮かべつつも、静かに耳を傾け……
「この足音、内履きじゃないし。しかも数は2つ。むむむ、何の靴だし、実に興味深い……」
「ヒント、靴の種類まで特定する必要は無いんだよ。だって、高校で内履き以外のスリッパを履いてる人間は限られるんだから」
「あ、そっか」
付け加えるなら、足音は迷い無く一直線に校舎の僻地にある探偵部の部室へと向かっている。ということは、依頼人のうち少なくとも片方は見知った相手の筈なのだ。
生徒以外で昼休みに動ける立浜高校の関係者。そう。そこでモモちゃんが顔を輝かせた。
「分かったし! 今回の依頼人、その正体は――」
同時に部室の扉が無遠慮に開かれる。まるで中で何をしているかは把握している、と言わんばかりの傲慢さが感じられ――
「春茅、いるか?」
「やっぱり……才賀先輩でしたか」
当然の如くノックもせずに入ってきた相手に対し、僕は苦笑を隠せなかった。
そして才賀先輩の後ろにはどうやら今回の依頼人らしい姿が見え隠れしている。才賀先輩ほど身長がないけれど、代わりに横幅はあるらしい。そのシルエットは全体的にずんぐりしていて……
「って寺島のおっさんにテルテルおじさんじゃん! おっさん2人が昼休みに集まって何してるし?」
モモちゃんの辛辣なコメントに才賀先輩は元より、一緒についてきたらしい深井理事は酷く傷ついたような顔を浮かべていた。泣きそうだった。同時心地よい風が吹き抜けると、テルさんの頭から髪が舞っていく。
……そして流石の才賀先輩も、自分がおっさんになりつつあるという事態には動揺を隠せていないみたいだ。
「も、百花ちゃん、テルテルおじさんは酷くない? 前にも言ったと思うけど、僕はまだ20代で……」
「ぶー! そんな言い訳聞きたくないし! いくら20代でも見た目がおっさんならおっさんだし! テルテルもいい加減見た目に気を遣いなよー! それに、前のテルテルじじいよりはマシっしょ?」
……テルテルじじい。新しい妖怪かな? あ、いけない。思わず笑いが噛み殺しきれない――
「……春茅、必死で隠してるつもりだろうが、唇が震えてるからな」
珍しい事にジト目の寺島理事が僕を見た。……思わず目を逸らしていた。
それはともかく。せっかくのモモちゃんの淹れてくれたシトラスティーを4人で分ける間に、才賀先輩とテルさんは依頼人用の席に座った。2人ともスーツ姿だけど……今日は特に理事会のような仕事はなかったはずだ。
……にもかかわらず、2人がここにいる。しかも常勤の才賀先輩と違ってテルさんは非常勤理事だったはずだ。事件の香りがするな。
「それで、おっさんズはどうしてここに?」
「ぐ……! それはともかく、だ。今日は探偵部に頼みがあってきたんだ。テル、例の写真を」
「うぅ……おっさんじゃない、僕はまだおっさんじゃない……」
などと念仏のように呻きながらも、テルさんは鞄から一通の封筒を取り出した。別に何の変哲も無い市販の白封筒で、中には何かが入っているようだ。大きさから考えて……写真かな?
もちろん手紙も入ってるみたい。取り出す拍子に見えた文面はパソコンで印字された物で――
「これがテルの元に送られてきた脅迫状だ。探偵部にはこれの解決を頼みたい」
僕もモモちゃんも、思わず居住まいを正していた。
「脅迫状の内容は、テルの淫行をバラされたくなければ、11月の理事会ではこちらの指示に従えというものだ」
脅迫状そのものの内容は極めてシンプルな物だった。脅迫というよりは取引や商品の売買を彷彿とさせるほど余計な装飾文の無い……言い換えれば有無を言わさぬ雰囲気のある物だ。
そこで考えてみる。
「……11月ですか。ということは……」
「生徒会総選挙の後だ。後は言わなくとも分かるな?」
才賀先輩の言葉に僕は頷いていた。立浜高校の生徒会総選挙は11月に行われ、その結果を元に新メンバー達が生徒会長を互選で決めるのだ。そしてそれを形式上は理事会に諮り、正式に生徒会長を選定する――
「……っ!? ってことは……この脅迫状は実質リョウっちへの挑戦状って事!?」
「だろうな。ご丁寧に脅迫状には” Charles Augustus Milverton”と署名してある。要求内容を考えれば送り主が春茅の生徒会立候補に脅かされている生徒会員である事は一目瞭然。……件の恐喝王と考えて問題ないだろう」
そう。僕は決めたのだ。愛梨先輩の後を継ぎ、秋風とは雌雄を決すると。その為に春からずっと陰謀を巡らせ、秋風とはお互いを出し抜き出し抜かれ合ってきた。
でも、それももう終わり。既に生徒会総選挙まで1ヶ月を切っている。長かった戦いの決着を付ける時が来たのだ。
「引き受けましょう」
僕は言った。才賀先輩は当然とばかりに頷き、テルさんは地獄に仏とばかりに拝み、そしてモモちゃんだけは――
「………………リョウっち、いざって時は、私の実家の力があるからね?」
何処か不安そうに、まるで防人に行く夫を見送る妻のような表情で呟く。僕は……不覚にもその時の彼女に無性に惹き寄せられていた。
それを誤魔化すように視線を写真の方へと移す。
「これは……!」
「残念だが、この写真は致命的だ。おそらくテルが養護施設を訪問した時に盗み撮りされたのだろう」
写真には小室が根城にしている養護施設の庭が写っていた。どうやらそこで暮らす児童達が出資者の来訪に合わせて、出し物を披露しているみたいだ。写真の奥の方で幼稚園児くらいの子達が台の上で何かの劇を披露している。
テルさんは案内役と思われる背の高い女生徒と並んでそれを鑑賞しているようだ。うん、実に微笑ましい絵だね。
……テルさんの右手が女生徒のお尻を鷲づかみにしていなければ、だけど。
「駄目ですね、これは」
「駄目だし、どう考えても」
「全くだ」
「ちょっと待って! どうして誰も僕の無実を信じてくれないのかな!?」
憤慨して立ち上がったテルさんに、しかしながら僕たち3人は誰1人として肩を持つ事はなかった。むしろモモちゃんの白い目が突き刺さる。
「テルオは何考えてるし!? いくらお金持ちで孤児達に対して圧倒的優位に立っているからって、セクハラは駄目だし恥を知れ!」
「だから違うんだって!? これは不幸な事故というか、むしろこんな致命的な瞬間が激写されているあたり陰謀だよ!? あとテルオって、僕の名前は輝利……」
「ふん! テルテル坊主のおっさん略してテルオだし!」
ふんす、と鼻息荒くしたモモちゃんはすっかり小さくなったテルさんを容赦なく責め立てていた。
一方、僕はそれを聞き流しながら考える。気になる点があったのだ。
――この写真は、多分建物内から撮られた物だろう。職員も児童も、歓迎のために外に出ていたはず。つまり、当時の建物内は無人に近い状態だったのだろう。……盗撮には持って来いだ。
なにより、お尻を触られている後ろ姿の女子生徒。僕はその姿に見覚えがある。
「この生徒は宇田光ですね」
その言葉に反応したのは針のむしろに立たされていたテルさんだった。
「そう光ちゃんだよ! この写真は僕が汗を拭こうとズボンのポケットからハンカチを出そうとしたら、たまたま光ちゃんが後ろに下がって来て結果的にお尻に触ってしまっただけなんだ……!」
そして、宇田光には双子の兄がいる。この前も僕たちの弱みを握ろうとするどころか、挙句の果てに世話になっているオカルト研究会すら切り捨てようとしたあいつが。
「……秋風は前に言ってました。僕だけが”理事“と親しいとは思わないように、と。彼女が宇田透と接近した目的の一つは、この写真だったのでしょう」
そう。実を言うと僕と秋風の決戦は、およそ8割方予想がついている。それは向こうも同じだろうし、別に驚くべきほどの事でもない。
何しろ僕と愛梨先輩の策略によって、秋風は結果的に自滅してしまっている。今更彼女が暗躍したところで、僕の生徒会総選挙当選を覆すのは難しいだろう。
そして、問題はその後の生徒会長の就任だ。これは生徒会員同士の互選、言い換えれば多数決で決定される。だけれど、僕に味方してくれそうな愛梨先輩の派閥の力は既に無い。言い換えれば、秋風の生徒会長就任を覆す事も難しいのだ。
ここまでは既定路線。問題ない。争点はこの先だ。
「寺島理事。生徒会長の就任には形式的とはいえ、理事会の議決が必要なんでしたね?」
僕がそこで視線を向けると、才賀先輩は全て分かっていると言わんばかりに愉快そうに笑い、モモちゃんにも分かるように説明してくれた。ご丁寧にその手には立浜高校の生徒会規約が握られている。
「立浜高校の生徒会長は形式上理事会の承認を得て就任する事になっている。もっとも、理事会は基本的に生徒の自主性を重んじているから事実上の空文だ。
が、形式上でも理事会の議決が必要なのだ。だからそこで秋風の就任を否決できれば……逆転の見込みはある」
「……立浜高校の理事は全部で5人でしたね。そして、票を持たない代わりに可否同数の時に最終判断を下す権限を持つ議長以外の4人の過半数を持って議決する――」
――言い換えると、寺島理事と深井理事、その2票を確保する事が出来れば僕の勝利はぐんと近づくはずなのだ。
逆にここでテルさんの持つ1票を秋風に奪われてしまえば、僕の勝利の道は閉ざされてしまう可能性が高い。
「だがな、春茅。この戦いは厳しい物になるぞ?」
そこで才賀先輩が試すように言った。僕はそれに負けじと挑発的な視線を返す。
「分かってます。どんな言い訳をしたって、セクハラを否定する事は出来ません。そして既に写真を向こうに握られてしまっている以上、僕に打てる手は非常に少ない――」
刹那、才賀先輩の視線が突き放すように冷えた。当然だろう。彼としては、今日の会話はなかった事にせざるを得ないだろうから。
そして、地獄のように底冷えする牢屋で臭い飯を食べる事になろうと、僕に出来る手はそれしかない。
「――どうにかして秋風から写真を、恐喝の証拠を盗み出す。秋風の恐喝を恐喝する事で打ち消す……残された道はそれだけです」
「リョウっち……!? で、でも、それって、犯罪じゃ……」
そこでモモちゃんは押し黙った。そこで理解したのか、その表情が怒りで真っ赤に染まっていく。
明確な犯罪行為だからこそ、理事達には手も足も出ないのだ。バレてしまえば一族どころかそこに勤める従業員達の生活にまで影響が出てしまうから。
一方、僕はどこにでもいる高校生だ。仮に捕まったとしても、僕自身の人生が台無しになるだけで、被害は最小限に食い止められるだろう。
「ふざけないでッッッ!!!!」
「モモちゃん落ち着いて――」
「落ち着いていられないッッッ!!!」
激昂したモモちゃんは椅子どころか机すら蹴倒す勢いで立ち上がると、今にも殴りかからんばかりの勢いでテルさんの首筋を掴んで――いや、絞めるようにして揺さぶっていた。
「お前ら汚い大人はッッ!!! 自分たちの失態を雪ぐ為の汚れ仕事だけを先輩に押しつけてッッッ!!! 自分たちは責任も負わずに高みの見物かッッッ! 見損なったッッッ!!! 地獄に落ちろ糞野郎――」
「――モモちゃん、大丈夫だから」
そのまま怒りのあまり殺しかねない気迫は、だけれど僕が後ろからやんわりと抱きしめてあげる事でちょっとずつ鎮火していく。
無言のまま歯を食いしばった彼女は僕を見た。モモちゃんの瞳は、一点の曇りもなく義憤で燃えていたのだ。
激怒は収まり、代わりに情けなさへと。気がつけばモモちゃんは高ぶった感情のままに、涙を浮かべていた。
……やっぱりだ。この子は、根はとても優しい良い子なんだ。他人の痛みを自分の痛みとして認識し、上に立つ者として下の人達の気持ちを汲んでくれる、生粋の貴族。歴史の浅い成金の家に初めて生まれた、待望の高貴なる者なんだろう。
「リョウっち……こんなのって……無いよ……」
「大丈夫。僕にも考えがあるんだ。……それになにより、僕は理事達のために戦うんじゃない」
モモちゃんを抱きしめて、慰めるように言葉を吹き込んでいく。伸びた黒髪がさらさらと揺れ、甘い香りが肺いっぱいに広がり――
「でも……それじゃあリョウっちはどうして……?」
「簡単だよ。…………自分の為だ。これ以上秋風を野放しにしたら、誰も止められなくなってしまう……。今の彼女を止められるのは僕しかいない……。僕はそれを……見過ごせない……!」
――その小さな身体は、恐怖に震えていた。
だから少しでも縮こまった身体を温めてあげられるように、自然とぎゅっと抱きしめる。
モモちゃんは腕の中で気持ちよさそうに目を細め、こちらに体重を預けてきた。
「……信じてるから」
僕の腕の中でモモちゃんはくるりと向きを変えると、僕の胸に顔を埋めた。……僕の匂いを、熱を、存在を確かめるように。
「……俺は……いつも危ないのは春茅の方だと思ってたよ。何しろ千歳ちゃんは美人だし賢い。だから、主導権は千歳ちゃんの方にあると思ってた……」
「さ、才賀の兄貴?」
どこか遠くで理事達が会話していた。だけれど、そんな雑音を閉め出すかのようにモモちゃんはますます力を入れていく。丸くて柔らかい身体を、僕の硬い身体に擦りつけ、その違いを際立たせるように。
言葉なんて使わなくても、その愛を僕に伝えるように――。
「これは逆だったか。本当に大物なのは春茅の方かもしれん。危ないのは……1人蚊帳の外にいる千歳ちゃんの方だ。…………だがな春茅、安心しろ。約束は約束だ」
そこで才賀先輩は嗤った。汚い大人の――どれほどの汚名を被ろうとも守るべきものを持つ大人の顔で。
「俺はお前を支持してやる。例えお前が別の相手を選ぼうと、刑務所にぶち込まれようと、だ」
――なにより、紫ならそうするだろうから。
才賀先輩は、きっとそう思っているんだろう。
かくして、僕は秋風との決戦に乗り出したのだった。




