6.暗黒の天使⑤
状況は悪い。もう少し正確に言うと、とっても悪い。
既に日曜七不思議の証拠の大半は失われており、かつ小室は裏切り者の存在に全く気付いていない。加えて、幽霊の存在を実証せよという不可能に近い勝利条件まで負わされてしまった。
……アロマキャンドルに気付かなかった影響は大きかったな。冷静に考えればこっちから仕掛けたにもかかわらず、相手が決闘に乗ってきた時点で小室の術中にあると判断するべきだった。
「リョウっち? どうしたの、お手紙なんて珍しいね……」
「あぁ、これ? これは平日先輩に送った手紙の返信だよ。……やっぱり、練習の発案者は余瀬先輩だったんだ。一歩前進って所かな?」
僕は部室でのんびりと鹿撃帽を被りながらだらけていた。その正面には不安そうな顔を隠し切れていないモモちゃんが立っている。
まぁ無理もないかもしれない。今の僕は葉巻こそ吸わないものの、鹿撃帽に僅かに残された香りに耽溺していたのだから。
「……明日で……いよいよ土曜日だけど……リョウっちはどうするの?」
「実は、妙案が浮かばないんだ……」
僕がそう言うと、モモちゃんはショックを受けたらしく元気いっぱいの表情をしおしおに変えていた。
「……そんな……リョウっちが駄目なんじゃ、私達にもどうしようもないし……」
「……駄目なんだ。小細工をいくら解いたところで、肝心の日曜七不思議も霊の実証も出来ない。……やるべき事は全てやってしまった。後は平日先輩達に期待するしかないよ……」
尚もモモちゃんは逆転の策があるのではないかと、僕に縋ってくる。だけども今回ばかりはその期待に応えてあげる事が出来ないのだ。どこか痛ましさすら感じさせる顔の彼女を、僕は優しく撫でてやる事しか出来なかった。
そうして、再びの土曜日。
緊張で固くなったモモちゃんと、それを支える姫乃ちゃん。2人のレディをエスコートしながら僕は再び養護施設のホールに集まっていた。
前回同様カーテンで暗闇に染め上げられた祭壇には、既に吹奏楽部も園芸部も勢揃いしている。
前回と違うのは蝋燭が増えたお陰で、多少は明るくなったという事か。テーブルの反対側には勝ち誇った顔の小室が、蛇のようにおもねる光を侍らせている。
「どうだ春茅。七不思議の謎は……解き明かせたのかな?」
「………………」
そんなあいつとは対照的に、僕は仏頂面を隠せなかった。これから起こる事を考えると、気が重くてしょうがない。
僕は最後に確認の意味もかねて、平日先輩へと視線を送った。先輩は複雑そうな顔を浮かべながら、それでも静かに結末を述べる。
「……悪い事を言って済まなかった小室君。君たちのお陰で、確かに”月光”に悩まされる事はなくなったよ」
「素晴らしい! では、除霊は成功したという事ですね先輩!」
一瞬だけ、平日先輩は僕を見た。そして頭を縦に振った。
「あぁ。空子も、風花も……」
「はい! 神子様のお陰で全て良くなりました! 探偵部なんて奴らを信じなくて本当に良かった!」
「…………でも、確かに音楽は消え去った。……世の中には、不思議な事もあるって事……かしらね」
元よりオカルトよりだった余瀬先輩はもちろん、懐疑的だった伊野先輩までも小室を選んだようだ。
そして……僕にはそれを覆す力もない。それでも僕を信じてくれる後輩2人には本当に申し訳ない。力なく項垂れるほかはないのだ……。
「うんうん。実に良い事だ。……それで春茅、何か言い残す事はあるかな? んん、俺とお前の仲だ、言葉くらい聞いてやるぞ?」
「リョ、リョウっち……!?」
「……先輩…………」
ニタニタと笑った小室。サディスティックな笑みを浮かべた光。だけれど、僕にはその顔を屈辱に変える術もない。いや、むしろ出来るのは頭を下げる事だけだった……。
「くっ……」
「悔しくて声も出ないか? まぁ仕方ないだろうさ。でも、今回は俺の勝ちだ! だから……お前には罰を受けてもらう。そう、迷える子羊を地獄の淵まで追い込んだ罰だ」
――僅かに震えたモモちゃんの手が、不安そうに僕の制服の裾を握る。
「平日先輩……」
「春茅君、色々ありがとう。でも、空子の言うとおり世の中には不思議こともあるんだ。そのうちの一つを解けなかったからって、恥じる事はないと思う」
静かに僕はそれを頷いた。それを見たモモちゃんは絶望したように、あるいは観念したように僕から手を離す。そんな彼女を不安そうな姫乃ちゃんが手を握った。
「良い事を教えてやろう。名探偵の生みの親、コナン・ドイルの晩年を知ってるか? 英国随一のオカルティアンだ! 彼は心霊研究家でもあったんだ! ドイルにとってシャーロック・ホームズなど、心霊主義を広めるための金稼ぎの手段でしかなかったんだよ!」
「……うるさい……そんなことは分かって……」
「いいや、分かってない! 確かに世の中の不思議の大半は科学の灯火で照らす事が出来る。だが、何事にも例外は付き物なんだ! 見ろ! 人類は太古の昔から信じられてきた幽霊すら否定できていないではないか!」
小室はマントを翻すようにして立ち上がると、暗黒の中にひっそりと佇む天使像の元へと赴いた。そして、暗黒の中至極どうでも良さそうな顔で、それを見上げている。
「なに、罰といっても大したことじゃない。ただこの養護施設のボランティアを手伝ってくれればそれで良いんだ。……お前には……巫女様の件で借りもあるしな」
小室は静かにモモちゃんを見た。ゾッとするほど冷たい、それこそ金づるでも見つけたかのような視線だった。あいつは以前に会った時にモモちゃん達があっさり騙されそうになったのを知ってるんだ。
しかも、今回はそんな彼女が信じる僕を打ち砕いた直後である。勧誘には……絶好の機会かもしれないな……。
そんな事を考えていると、光が僕の目の前に来て足を差し出した。蛇の名にふさわしく、長くなまめかしい生足だった。
「くすくす! 良い気分ね。探偵風情が。どう? 私の足を舐めるなら、特別に除霊してあげても良いのよ?」
「……リョウっち! ……お願い! ……何とか言ってよぉ! いつもの探偵らしいリョウっちは何処へ行ったの!? お姉と一緒に学んだ、貴方の信じるホームズは何処へ行ったの!?」
悲痛な叫びにも、僕は何も言えなかった。ただ、降伏を示すかのように深々と頭を下げる。それも床へとだ。
……見なくても分かる。今の僕の惨めな姿はモモちゃんからの信頼を失わせ、蛇女の優越感を満たすには充分で――
気がつけば、僕の隣にも同じように頭を下げる影があった。暗黒の中で背を屈めたのは平日先輩である。謎を解けなかった僕に対しても、決して怒らず許してくれた優しい先輩だ。
それは間違いないだろう――
「小室……僕の負けだ」
「あぁ。光さん。これまでの無礼を許して欲しい。貴方は正に俺にとっての天使なんだ……! どうかその祝福の微笑みを……!」
――だって、僕の起死回生の悪巧みに乗ってくれたんだから……!
暗黒の中で頭を下げた僕たちは、確かに一瞬だけ笑い合っていたのだ……!
「………………春茅……? ……まさか……ッ!?」
その一瞬で小室の顔が戦慄を浮かべるも、今度は僕の方が速い。既に僕の攻撃は始まっているのだ!
「平日先輩……お願いします」
「あぁ……! 貴女はなんと美しいんだ! 僕は天使のように美しい貴方をどうして最初から信じなかったんだろう!? それとも……心が高揚するあまり気付いていなかったのか!」
「照君!?」
「照太!?」
途端ギリリ、と歯軋りのような音が暗闇を響き渡る。音の発生源は2人。伊野先輩と余瀬先輩だ。無理もないだろう。言うまでもない事かもしれないけど、高価な宝石を贈り合うこの幼馴染みは三角関係にある。だからこそこんな展開になったのだ。
「すまない。でも、俺はようやく分かったんだ。本当に大切な事は何か? 神様なんだ」
「待て! 平日……あんた何を――」
「おっと小室、君は迷える子羊の懺悔を遮るのかい?」
僕の皮肉に小室は怒りを浮かべながも、その手を止めざるを得なかった。それは一瞬だったけど、充分だ。
平日先輩は卑屈な顔を浮かべながらも、攻撃を見事に完遂させてくれたのである! 彼の手には……札束。全部で20枚ほど。もちろん全部1万円札だ。彼はそれを恭しく光に供物として差し出し――
「あぁ、天使様。僕の全ての財産と残りの人生を、貴女に捧げます……!」
「ま、待ちなさい!」
「そうだよ照君ッ! こんなの全部、インチキなんだからッッッ!!! ……あっ」
……以上が僕の考えたこの事件の解決策である。立ち上がった僕の目には怒りを必死で押し殺している小室と、状況を理解できていない光の姿。そして――
「リョウっち!? いったい何がどうなってるし!?」
――口ではうろたえつつも、とても嬉しそうに笑ったモモちゃんが見えた。
かくして、暗黒に包まれた世界で僕たちの決闘の舞台は整った。
「さて、小室。覚悟は良い?」
「……おのれ春茅ァァ! こんな、こんな手を使ってくるなんて……!」
僕たちの立場は今や完全に逆転していた。ふふん。やっぱり謎を解くのは良い物だ。いや、正確には違うかな。なにしろ今回僕は初動の遅れも相まって、一切証拠を見つける事が出来なかった。
だから、その代わりに犯人に自白させるよう仕向けたのである――!
「風花……インチキっていうのは……どういうことなんだ?」
「ち、違うの照君……いや、……あれ? 違わなくはない……? でも、えっと……その……」
思わず本音を漏らしてしまった余瀬先輩は板挟みになってしどろもどろになっていた。真実を言えば自分が平日先輩を騙していた事が明らかになってしまう。かといって言わなければ、平日先輩はオカルト研究会の忠実な信徒になってしまう……と思っているのだろう。
――あとは、如何に真実を語らせるかの勝負なのだ。
勿論先攻は僕。片手で鹿撃帽を被り直しながら、正面から小室に一撃を加えてやろう。
「……やっぱり、音楽室に男子生徒役を連れ込んだのは余瀬先輩だったんですね?」
「リョウっち……どういうこと?」
「うん。モモちゃん良く思い出してみて? 音楽室に突然現れた男子生徒。種を明かせばなんて事はない。余瀬先輩が普通に扉から招き入れたんだ」
あの音楽室に隠れるスペースなんてないし、音楽準備室にも鍵が掛かっている。となれば、幽霊は扉以外に入る道がないはずだ。
――僕の言葉に、余瀬先輩はビクンと震えた。
「ハッ! 馬鹿か春茅! この女には動機が無い――」
「いいや、あるね! ”惚れ薬”だ! 何時も仲良く3人で宝石までも贈り合う関係から抜けだす為に、彼女は惚れ薬を欲したんだ! だけれどその金額は払えないほどに高い! となれば彼女の選ぶ道は一つだけ。オカルト研究会のインチキに荷担することで薬を譲って貰おうとしたんだ!」
これが僕の考える事件の真相である。だけれど流石と言うべきか、小室は神秘のベールを失い追い詰められているはずなのに平然と笑っていた。虚勢を張ってマントを振るわせる。
だから、それを見ている余瀬先輩は未だに混乱の極致にある。真実を言うべきか、誤魔化すべきか。天秤の揺れが収まるその時を待っているのだ。
「へぇぇ? 大した憶測だな探偵。随分と独りよがりな推理じゃないか! そこまで言うなら訊いてみよう! 平日先輩伊野先輩、余瀬先輩はそんな人間ですか?」
「い、いやそれは……」
「違う。風花はそんな子じゃないわ!」
小室に促されて、伊野先輩は断固とした声でそう宣言していた。余瀬先輩はそれを聞いて意外そうに、そして嬉しそうに目を丸くしている。恋敵の筈の彼女に庇われたと思っているのだろう。
「春茅君。貴方の意見には一理ありますが……所詮それだけです。風花がそんな人間ではない事は、私と照太が保証します」
「ほら見ろ! 春茅! 残念だったな? せっかくの名推理も、証拠がなければただの妄想に――」
「――証拠なら、あるよ?」
言った瞬間、初めて小室が笑うのを止めて僕を睨み付けた。いや、ちょっと違うか。僕の本心を覗き込むように視線を送ってきたのである。
「……馬鹿な! 俺達オカルト研究会も今回の七不思議を調査していたから分かる! いかなる物的証拠もありはしない! それこそ捏造でもしない限りはな!」
「物的証拠はね」
そう。それこそ警察や鑑識の人を呼んでこない限り、物的証拠を見つける事は難しいだろう。でも、だ。証拠が全て物質だとは限らない。
「モモちゃん、純粋な現象だけを取り出してみて。今回の日曜七不思議では何が起こった?」
「え? それは……えっと、音楽室に現れた男子生徒の幽霊に――」
「それだよ」
大事なのは音楽室に平日先輩達吹奏楽部以外の人間が居たという事なのだ。
「男子生徒幽霊役。それが余瀬先輩が一人になった瞬間現れるためには、どうしたって事前にそれを知っている必要があるんだ。言い換えると、犯人は平日先輩に日曜日の練習を提案した人間になる」
考えてみて欲しい。平日先輩は文化祭の為に練習していたのだ。言い換えれば突発的に開催された物で、定期的に行われている練習ではない。部外者にそれを予測する事は不可能だ。オカルト研究会が事を起こそうと考えたら、どうやっても吹奏楽部に協力者がいる。
「そっかッ! だからリョウっちは手紙でやりとりしてたんだ! 何時も一緒にいる他の2人には気付かれないように!」
モモちゃんの声援を受けた僕は、平日先輩に目配せしてから手紙を取り出していた。そこには確かに余瀬先輩が発案者だと書かれているのである!
それを見た余瀬先輩はついに限界を迎えたのか、思わずしゃがみ込んで頭を抱えてしまっている。
……だけれど、小室の奴はしぶといようだ。即座に反論を寄越してきやがった。
「それが何だと言うんだ!! おいそこのチビ成金! 日曜七不思議の他の現象を言ってみろ!」
「誰がチビだしッ! ……それはともかく、残りは黒板に書かれた文字と追いかけてくる月光――」
「それだッ! 春茅、もし余瀬が俺達と組んでいたとしたら、平日と一緒に逃げていた彼女がどうやって黒板の文字を消したって言うんだ!?」
「はぁぁぁぁ? 馬鹿なの変態マント? そんなの男子生徒幽霊役が追いかけると見せかけて直ぐに戻って消せば――」
「それはおかしいわ。私達3人が逃げる時、確かに追いかけてくる足音がしていたもの」
伊野先輩がそう言って平日先輩を見ると、先輩も釈然としないような表情ながら頭を縦に振った。
そこで困ったモモちゃんが縋るように僕を頼ってくる。
「……と申しておりますが、リョウっちはどう思う?」
「悩むほどの事でもないよ」
僕の言葉に小室の顔がピクリと動き、伊野先輩の表情は――
「最初から黒板に文字なんて書かれていなかった。それが正解だよ」
――思わず凍り付いていた。
そう、僕の聞いた証言の内、黒板に書かれた文字というのは伊野先輩の証言でしかないのだ。つまり、彼女が嘘をついたと考えれば筋は通ってしまう。
そこで小室が舌打ちをした。
「わ、私が嘘をついてるって言うの!?」
「聞けば分かる事です。僕たち探偵部は、平日先輩と伊野先輩にしか話を聞いてませんからね――」
「おいおい春茅! 伊野にはそんなことをする必要が無い! 自分の推理を通すために道理をねじ曲げるのは感心しないぞ!」
……伊野先輩も小室も必死になって叫んでいた。どうにかして、余瀬先輩への追及を避けようとするかのように。
「オカルト研究会が誘導したんだろ? 余瀬先輩が惚れ薬をまもなく手に入れることを教えられた伊野先輩が、それ以上の協力を申し出る事で、先に惚れ薬を手に入れようとするように……!」
例えば、七不思議の完成度を高めるために黒板の嘘をつく。例えば、証拠隠滅を図ってから探偵部に脚色された謎を持ち込む。例えば、残りの2人に”月光”を聞かせる――
――そう。“月光”は3人でいる時に聞こえるのだ。となれば、3人の中の誰かが聞かせていると考えるのが自然だろう。
「ち、違……私は……」
「平日先輩、疑うようなら余瀬先輩に直接確認して下さい。間違いなく黒板には何も書かれていなかったと――」
そこで、僕の言葉は止まっていた。止まらざるを得なかった。戦慄したのだ。だって、そこにあり得ないはずの姿を見たのである。
いつの間にか、ホールの扉が開いていた。
暗闇の中で赤くこそないものの、獰猛に笑ったその表情。見間違えるはずもない。
「ご機嫌よう、春茅君。それに……園芸部の皆さん」
「お前……生徒会の……確か秋風とか言ったな……」
我らが恐喝王が、神秘のベールを失った哀れな獲物を貪りに来たのだ。秋風は小室を綺麗にスルーすると、爛々と目を輝かせながら一直線に僕の元へとやってくる。
「流石は春茅君、といったところね。証拠がなくて私では解けなかった七不思議を自白に追い込むとは……お見事でした」
「秋風……ってことは……僕は間に合わなかったのか?」
その言葉に秋風はニコリと笑うと、カーテンの向こうへ艶然と手招きをした。小室が不審そうに顔を向けたその先では――
「あら? 間に合ったわよ? 私の方が少しだけ速かったけれど。さて、宇田君。園芸部の不正の証拠は取れたかしら?」
「もちろんですよ、秋風さん」
同時に秋風に付き添っていたクロヨシが部屋の明かりを付ける。途端眩しい光に溢れた世界の中でも、宇田は確かにその暗黒色のものを抱えていたのだ。
「宇田ァッ! テメェ!」
「兄さん!? 何をやってるの!? そのカメラは何!?」
小室と、双子の妹が驚きを示す中、透は大きなデジタルカメラを抱えていたのである。あの大きさ……間違いない。本格的な撮影とかに使う奴だ。
いや、待って。問題はそこじゃない。宇田は今窓の外のベランダから中に入ってきた。ってことは――
「ご覧下さい! こちらが園芸部が吹奏楽部を騙して大金を詐取していた証拠の写真になります! 他にもありますよ! 前々からあった園芸部の小室部長の飲酒疑惑の証拠となる秘蔵の赤ワインに――」
「――へぇ? 透、面白い事を言ったな? 臆病なテメエがこの俺を足蹴にする? もう一度言ってみろッ!!!」
バァンッと強く机が叩かれる音と共に、小室が座っていた椅子を蹴っ飛ばしながら立ち上がっていた。その衝撃に姫乃ちゃんが小さく悲鳴を上げる中、小室は内心の怒りを全身で表しながら威圧するようにドスドスと透に歩み寄り――
「クロヨシ!」
「おう! お前、証拠を壊す気だな? そうは行かねーぜ? そこで止まって貰おうか」
間一髪の所で大町の言葉で我に返ったクロヨシの太い腕に捕まっていた……。
秋風はそんなあいつなどに目もくれず、ツカツカと優雅さすら感じる足取りで歩いて行き、透のデジカメを覗き込んだ。どうやら中の写真をチェックしているみたいだ。
「リョ、リョウっち!? ど、どうしよう!? あの兄蛇裏切ってたって事だよね!? ってことは先週の惚れ薬も……!?」
「……可能性はあるけど……」
そう。僕は先週惚れ薬、つまり赤ワインを飲んでいる。紛う事なき飲酒の証拠になってしまうのだ。
秋風を見るも、彼女は真意の読めない顔でニコリと笑うだけ。
くっ……まずい! 身体に緊張が走り、喉がカラカラに渇いていく。どうしよう……!? 写真の内容によっては僕も小室も一発で秋風に敗北してしまう――
そこで秋風はデジカメから顔を上げた。思わずビクリとした僕と一瞬だけ視線が交差する。その表情はとても楽しそうで――
「70点……と言ったところかしらね――」
「そ、それでは! 約束通り僕を生徒会に入れてくれるのですね!?」
あぁ……秋風は本当に楽しそうなのだ。暗黒を取り払われた世界の中で彼女の微笑みは一際天使のようであり――
「あぁ、そうだったわね。……でも、肝心の成果は……」
――悪魔の本性を現していた。
不思議そうな声を上げた宇田を尻目に、彼女はどうでもよさそうにデジタルカメラを大町に渡す。そうして、ゆっくりと宇田には背を向けて歩いてくる。
「僕は貴女に言われたとおりにオカルト研究会のメンバーや、寄付等の不正行為の証拠を――」
「……? だから?」
「いや、だから、それで生徒会に貢献を――」
秋風はもう透には感心を失っているらしい。だって、彼女は一直線に僕の方に向かってくるのだから。……どうやら、僕の命脈はギリギリの所で保たれたらしい。
「そんなのもあったわね。でもそれに対する見返りは済んでるでしょう?」
「な、何を……? 僕は――」
「貴方はこっそりと養護施設に隠されたオカルト研究会が寄付や洗脳で不正に集めた”部費”を持ち出してたじゃない? それを見逃してあげるわ」
「なッ!? 兄さんッッッ!? あれは私達皆が神子様の為集めたお金よ!? 寄付もそうだけど、大半は元を正せば必死で働いて集めたお金なのよ!?」
思わず僕は小室を見た。奴は……宇田の裏切りがショックだったのか、平静を取り戻していないように見える。いや、どっちみちあいつじゃ秋風には歯が立たないか。
妹の言葉に、兄は笑って応えていた。
「馬鹿だなぁ光。お金はお金でしかない。お金に綺麗も汚いもないよ。お金はニュートラルな物だ。使い手の人間の業で善にも悪にもなる」
「ふざけないでッ!? あれには……孤児院の弟妹達が少ないお小遣いから――」
「だからなんだ? 弟妹なんて括りに意味は無い。大切なのは自分か他人かだ。光、お前も例外ではない」
――でも、お前には感謝しているよ?
酷薄な笑みを浮かべた宇田は、暗に血を分けた妹にそう告げていたように思えたのだ。
「お前の写真は高く秋風さんに売れたよ。お前の飲酒、お前の献身、お前の洗脳。お前の小細工。いずれもがオカルト研究会を失墜させるのに充分な物だ。僕はこれを手土産に生徒会に行く。じゃあな光。お前は暫く地べたを這い回っていろ」
「あぁ、その件だけど」
気がつけば、秋風は僕の目の前にいた。あぁ、彼女は最初から宇田も小室も見てないのだ! だって、彼女が食べると決めた相手は僕なのだから!
「生徒会の椅子は……残念だけど貴方には相応しくないわね」
「……ッ!? どうして――」
「『どうして?』 そこを聞くの? まぁ良いわ、教えてあげる」
秋風は緊張したまま事態の推移を見守る僕の頬を一撫でしてから告げた。振り向きもしない。だけれど手を静かに中空を泳がせる。……もちろん僕にも意味は分かる。あれは――
「だって、春茅君の写真が1枚も無いじゃない? 私が欲しかったのはそっち。オカルト研究会の不正なんてどうでも良かったわ。確かに部長さんは小細工が得意みたいだけど……春茅君には及ばないしね?」
――バイバイ、だ。
「ち、違うんです!? 僕だってあいつの写真を撮ろうとしたんです! 風にはためくカーテンの向こうから、あいつが赤ワインを取るところを……!? でもあいつが素早く一気飲みしたせいで写真が撮れず――」
「宇田君、言い訳は見苦しいですよ?」
「だな。それに、お前が言い訳する相手は葉月じゃねえぞ?」
そう。撤収していく生徒会。ということは、既に怒り狂った小室も解放されているわけで……。
「そうだ、春茅君。この後珈琲でもいかが?」
「……ご一緒しようかな」
パタンと僕たちの後ろで静かにホールの扉が閉じられた。僕は帰る時に電気を消してやっている。だから、きっと世界は暗黒に包まれた事だろう。
……その中に天使は来るのだろうか?
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