5.立浜の大地主④
湯煙くすぶるお風呂の中で、僕は必死で心を無にしようと天井から垂れる滴の数を数えていた。
……が、駄目だった。
し、幸せだ……! でも、僕たちってよく考えたら、既にデートもキスも済ませてるよね? っていうことは、当然その次が巡ってくるわけで……
「後輩」
「……はい」
「……暫くここで大人しくしていよう」
「えっ!? それって!?」
思わず期待と下心の溢れた僕に対し、ちと先輩は慌てて首を横に振った。
「そうではない! 今は父が呼んだ使用人が室内に集まっている。それが梅谷の誘導で外に集まるまで待とうというのだ!」
「な、なぁんだ。……でもちと先輩、それだと結局僕を探し続ける警戒態勢は解けないのでは?」
そうなると僕は……まぁお風呂からは逃げられるかもしれないけれど、屋敷からは逃げられない。お義父さんも僕を捕まえるか逃げられるかするまでは、追跡の手を決して緩めないだろう。そうなれば遠からず捕まってしまうわけで……。
「大丈夫だ。既に手はうってある。梅谷以外のもう一人が、外に逃げたと証言すれば……うん?」
その時だ。再び脱衣所の扉が開かれたらしい。湯煙の向こうの磨りガラス越しには、2つの人影がある。
「ふいー。何が楽しくて真夏の猛暑の中、着物を重ね着して挨拶しなきゃいけないんだか……やってられないし……」
「お嬢様……まだ午後が残っておりますが……」
「いーのいーの! お姉だって家に戻ってるんだし! それに……その、リョウっちに会う前に汗を流しておきたいし……」
「先輩ですか? ……そうですね、何処かで助けてあげませんと」
同時に片方の人影が豪快に着物を脱ぎ散らかすと、慌ててもう片方が丁寧にそれを畳んでかごに入れていく。思わず僕はちと先輩と顔を見合わせていた。
……あれ? これってヤバくない?
「うん! いくらリョウっちでも我が家の警戒態勢には勝てないはずだし! で、父さんは間違いなく恩田にお仕置きをさせるはず! だから、私達は恩田を見張っていれば良いはずだし!」
「流石ですお嬢様! そして……改めて先輩を彼氏として家族に紹介するんですね!?」
「ふっふーん! その通り! ……だって、その……私の彼氏なら、お姉では無く私に会いに来たことになるから、問題ないし! え、えへへ……そう、自然な流れで問題ないはずだし……」
「はい! この姫乃、感服いたしました! 例え地獄の先でもお嬢様についていきます!」
同時にハイタッチして笑い合う人影達。
……モモちゃんと姫乃ちゃんだ。このままお風呂に入ったとする。当然湯船にちと先輩が居たら寄ってくるよね? ってことは、僕も見つかるよね? 2人とも全裸だし……男が居たら悲鳴を上げるよね?
……マズい。こ、このままじゃ僕は覗きで逮捕されて……あわ!? どうしよう……!?
「……ここでじっとしているんだ。どうにかしてくる」
「し、信じてますから!」
かくして、僕の運命はちと先輩に委ねられたのである! 僕に出来るのは神様とちと先輩に祈りながら、ひっそりと湯船の片隅で縮こまっていることだけだった。
ガラスの向こうからは、2人の賑やかな声が聞こえてくる。そのうち、さっき豪快に着物を脱ぎ散らかしていた人影の方は速くも脱ぎ終わったのか、手持ちぶさたでもう片方を待って居るみたいだ。
脱衣所内を忙しなくとことこ歩き回っていて……何かに気付いたらしい。何故か柱の近くで急に足が止まった。そして……僕の気のせいじゃ無ければ、わなわなと震えている。
「……あれ? 姫っち……去年より大きくなってる?」
「……な、なんの事でしょうか?」
「間違いない!! 柱の目盛を見るに去年より背丈が伸びてるし!? ……しかも……胸に至っては…………解せぬ」
「たまたまですよ!? お嬢様だって……あ」
同時にフォローしようとしたらしい姫乃ちゃんが慌ててモモちゃんに駆け寄り……言葉を無くしていた。
――姫乃ちゃん、モモちゃんと違って……凄く揺れてる……。何処とは言わないけど。
同時に僕がガラス越しのあられも無いシルエットに硬直し、ちと先輩も姉妹で同様にダメージを受けたのか足が止まった。
「ぐぬぬ……おかしい。私の成長期は何処にいったし!? ちゃんと牛乳飲んで早寝早起きしてるのに!?」
「だ、大丈夫です!! お嬢様はこんなに可愛らしいじゃありませんか!?」
「ぐすっ。慰めは要らないし! 」
モモちゃんは胸に手を当てて、ぐぬぬと呻いていた。どうやら姫乃ちゃんは慌てていたらしい。
「ほ、本当です!? 本音なんです!! それこそ……思わず興奮するくらい!!」
「!?」
思わず僕の聞き耳にも力が入った。
「あ……」
「ひ、姫っち!? ま、まさか、そういう……?」
「ち、違います!? 今の言葉の綾で……」
お風呂の扉に手をかけていたモモちゃんが硬直すると、そのまま姫乃ちゃんから後ずさりしていく。が、あっという間にさっきの柱にぶつかってしまった。
「私、なんだか急にシャワー浴びたくなくなってきたなー。ちょっと失礼して飲み物でも……」
「ッ!? 駄目です駄目です!? お嬢様、さては私に隠れてコーラをお飲みになられる気ですね!?」
「え、いや、違」
「違いません!! ええいコーラに負ける屈辱! こうなれば不精この姫乃がお嬢様の体がどうなっているか……確認させて頂きます!! さ、こちらに」
「ちょっ、待つし! 誰かー!? であえー!? であえー!?」
「無駄ですよ。今日ばかりは皆会場警備に回ってます。お覚悟を」
「そんなー!? お姉!? リョウっち!?」
「何を騒いでいるんだ」
そこでちと先輩が頭痛を堪えるように頭に手を当てながら扉を開けると、姫乃ちゃんは我に返ったらしい。どうやらお風呂の中には誰も居ないと思っていたみたいだ。
「お、お姉!? 良かった助かっ――」
「姫乃、百花がコーラを飲まないわけ無いだろう? 実際部屋の冷蔵庫に隠してあるぞ」
「って裏切るんかーい!?」
ガラス越しでも分かるほど、姫乃ちゃんは仁王立ちしてモモちゃんの前に君臨していた。
「どういうことですかお嬢様? もうコーラは飲まないと、私と約束したはずですが?」
「いや。その、違うの姫っち。あれは……お客様用と言うか……」
「部屋を確認してくれば良い。本当にお客様用なら封が開いてないはずだ」
我が意を得たり、と姫乃ちゃんが頷くと、無言で服を身に纏い始めた。もちろんちと先輩はほくほく顔だ。最初はどうなることかと思ったけど、どうにか追い出す算段がついて良かった。
かくして、僕はどうにか着替えて、お風呂から助け出されたのである。
とはいえ、家の外は血眼になった使用人達が必死で警戒している。彼らが警戒を解くまでどこかに潜む必要があるわけだ。
だけれど、流石はちと先輩。賢い先輩にはそんなことくらいお見通しだったのである。そう。1カ所だけ隠れられそうな場所を見つけていたのだ! 当然緊張した僕もそこに隠れるほかに無く……。
だから僕は……緊張した面持ちで……その、先輩のベッドの上で正座していた。もちろん目の前にはちと先輩。湯上がりで上気した身体が何とも色っぽいうえに、黄色いパジャマは、僕を誘うようにあからさまに乱れているのである。
……体調を崩して休んでいるちと先輩の部屋ならば、お付きの梅谷さん以外は入らないはずなのだ。そしてお義父さんも既に僕が目的地に入っているとは思わないだろう。そこに侵入を許したなら負けなわけだし。
ごくり、と喉が唾を飲み下していた。若い男女が……しかも相思相愛の2人が……誰も来ない部屋で2人っきり……。意味は……誰にだって分かる。もちろん……僕にだって……。
「どう……かな? 後輩……私の姿……変なところは無いか?」
「……無い……です……。ん、とっても……綺麗です……」
「……そう、か……ならば……もっと乱さないと……いけないな」
食い入るように見つめる僕の視線に気付きながらも、ちと先輩はゆっくりとパジャマの胸元のボタンに手を伸ばした。白くたおやかな指が2番目のボタンをゆっくりと解きほぐしていき……胸元の膨らみが少しだけ外気に晒されて……
「こんなものか? 流石の私も仮病を使うのは初めてだ。パジャマが綺麗すぎていても乱れすぎていても不自然。病人の変装っていうのは中々難しいな」
――もちろんラブい話では無い。どう転んでもえっちい話でも無い。……無いったらない。……ちくしょう……。…………ちくしょう……。
そう。若い男女……つまり僕とちと先輩が集まったとしたら、やることは一つしか無いのだ。謎解きである。
僕は、前回の新聞部騒動の件で腑に落ちないことがあったのだ。
「新聞部の阿笠副部長が裏切っていたのは分かりました。でも、まだ解けてない謎が残っているんです。確かに阿笠副部長は裏切りました。でも、肝心の久瀬さんの小説自体はデータでは無くノートに記されていたんです。だとしたら、何処で秋風はそれを手にしたのでしょう?」
「ふむ。その記事は……久瀬から貰った”あれ”と大部分が同じという話だったな?」
ちと先輩はそこまで言うと、ベッドの隣の書棚に収められていたそれを取り出す。僕たちが卒業式の日に久瀬さんから貰った、”立浜高校探偵部”の原案だ。もちろん実際に新聞に掲載された話に関しては、細かい語句や誤字脱字が修正されている。
逆に言うと、新聞に連載されない話には手が加わっていないはずなのだ。久瀬さんが最初に書いた原案がそのまま残っていると見て良いだろう。
そして、号外に掲載された”生徒会の醜聞”はというと、奇妙なまでに僕たちの持つ原案と文章が一致しているのだ。一度見た文章を後から思い出して書いたとかいうレベルじゃ無い。
明らかに久瀬さんの持ち歩いている原案を見ながら、記事を作成したはずなのである。
「久瀬が裏切る……ということはないだろう。もし裏切れば後輩が直ぐに気付いただろうし、そもそも脅された時点で相談に来るはずだ……」
「加えて、そもそも秋風はどうやって阿笠さんのストーカー疑惑を突き止めたのでしょう? この為だけに新聞部員全員を調べ上げた、というのは無理がありますし……」
どうもあの事件、まだ裏があるような気がしてならない。
僕がそんなことを考えてる中、ちと先輩も人差し指を唇につけていて……その指が離れた。
「オカルト研究会、か」
「小室ですか? ……確かに怪しいですけど、あいつだって生徒会にも恨みがある筈なんです。実際、僕も愛梨先輩と組んで小室をはめましたし」
そう。今の僕は嬉しいことに、小室とは絶賛絶交中なのである。
事の起こりは5月だ。僕は小室に生徒会の秋風派の情報収集を要請した。そしてその交換条件で一つの依頼を受けている。小室は園芸部に部室、つまり旧オカルト研究会部室にして現生徒会分室の奪還を望んだのだ。
僕には理解できないけど、彼らにとって聖地と呼ぶ部室の奪還は悲願らしい。
約束は約束だから、僕は調査終了と同時に愛梨先輩と掛け合い、少しだけ時間がかかったものの、園芸部への部室の返還を認めさせたのだ。実際7月の時点で園芸部は晴れて部室を使い始めている。
「……何をやらかしたんだ君は?」
「やらかしたなんてとんでもない! 小室が望むように部室をあげたんです!」
すると、ちと先輩はニヤリと笑った。どうやら種を理解して頂けたようで。
「つまり、分室以外の部屋を部室として与えたんだな? 例えば……去年あの冷徹人形が不正経理疑惑で潰した部活とかの!」
「はい! 小室の出した条件は”園芸部に部室を返還すること”! どの部屋かまでは指定されませんでしたからね!」
晴れて部室持ちとなった園芸部は、それゆえ聖地奪還の道を絶たれたのである。よくも偽情報を送ってくれたな。ざまあみろ。
――お陰で僕は激怒した小室と殴り合いの喧嘩になり、以降絶交しているというわけだ。ふふん! 奴も探偵部が運動部だということを理解したに違いない! ホームズは喧嘩にも強いのだ!
「しかし……オカルト研究会情報に嘘が含まれていたとなると、まさに痛み分けとなった訳か」
「……そうですね。結局一番得したのは秋風でしょう」
探偵部とオカルト研究会が互いを出し抜きあい……結果的に生徒会が漁夫の利を得た。結末としてはそんなところだろう。
……確かに、偶然にしては出来すぎているかもしれない。よく考えれば、僕の敵は秋風だし、小室にしたって主敵は神代先輩を謀殺した生徒会な訳で……
「……後輩、気をつけろ」
「分かってます。……とはいえ、小室も数式暗号の解読表を変えたらしく――」
「あぁ、そうではない」
ちと先輩は静かに言った。
「何処かに裏切り者が居るぞ」
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