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立浜高校探偵部  作者: 中上炎
探偵部の事件簿
48/93

5.立浜の大地主②

 興奮か、それとも驚きからなのか。再び榊さんは荒い息をついていた。視線でそれに気付いたのか、直ぐに誤魔化すように深呼吸を行う。


 そんな彼を横目に、庭師の恩田さんは鋭い視線と鋏を最も怪しい場所へと向けていた。そう。もし他に隠れられそうな隙間があるとすれば、それは一カ所だけなのだ。


 「消えた……まさか、そんなはずが……」

 「落ち着いて下さいー。思ったより害虫は賢しいようです。でも、これで終わりですー」


 鋏を持った彼女。その視線の先は手洗い場の下、消耗品入れ用の戸棚に向いていたのだ。確かに強引に身体を折りたためば、人一人くらいなら入れるかもしれない。


 「うふふ、春の害虫なのでアブラムシかと思ったら、尺取り虫でしたかー」

 「そうか!? 戸棚の下か! よくやった恩田! 危うく騙されるところだった!」


 同時に虚仮にされたと感じたのか、榊さんの顔は見る見るうちに真っ赤に染まっていく。恩田さんも興奮を隠しきれないのか、鋏をチョキチョキと鳴らし始めていた。


 「……行くぞ」

 「はいー」


 そのまま有無を言わせずに恩田さんが勢いよく戸棚を開けて――


 「……あ、あれ?」

 「……何もないではないか……」


 正確にはトイレットペーパーと手拭き用のペーパータオル、それからトイレ用洗剤や雑巾やらの清掃グッズが詰め込まれている。どうやら清掃用具入れの方はモップや便座拭き等の汚れても良い物、こっちは汚れてはいけない物と棲み分けされてるみたいだ。


 当然、大人どころか子供すら入り込む隙間もない。


 その事実に気付いた2人組は愕然としながら顔を見合わせていた。そうして深い困惑が浮かんだ顔のまま申し訳なさそうに、そう、心の底から申し訳なさそうに僕に尋ねた(・・・・・)のである。


 「お客様(・・・)、大変お見苦しいところご覧に入れてしまい、誠に申し訳ありませんでした」

 「申し訳ありませんでした」

 「それでその……お手数なのですが……こちらのトイレに走り込む男を見ませんでしたか?」

 「男ですか? いえ、どんな格好ですか?」


 僕は湧き上がる歓喜と興奮を必死に押さえ込みながら口を開いた。もっとも動揺はしっかり顔に出てたみたいで、大きな鏡に映った僕はそわそわとして着慣れないネクタイ(・・・・)をいじり回している。


 「立浜高校の制服を着ていた筈なんです。黒い学ランです」

 「……制服……申し訳ないのですが分かりません。高校生も今日のパーティーに参加されているのですか?」

 「あ、いや……その……そんな所です」


 そう。なんて事は無い。僕は言うまでもなく窓から逃げたりはしてないし、個室にも隠れてはいない。


 僕がこのトイレでしたことはたった一つ。正装として購入したスーツの上に着ていた制服を、脱いだのだ。走りながら学ランのボタンを開ける。ズボンには予めベルトを着けていない。後は脱いだ物をトイレの貯水タンクの中に放り込んで隠しただけ。


 するとどうだろう。学ランを着ていた高校生は、瞬く間にオシャレにスーツを着こなす紳士に早変わり! 僕の顔すら知らない使用人2人にパーティー客だと思いこませたのである! 


 ……相手も、まさか僕がトイレを借りてる客になりすましているとは思わなかっただろう。


 もちろん全部計算尽くで、非常事態のためだけにこの真夏の暑い中を必死で重ね着してきたのだ。


 ……いや、本当、昨日は草むらで寝苦しくて大変だったんだから。


 でもその甲斐はあってようで――


 「ところで、寺島才賀さんはどちらにおりますでしょうか? 一度御挨拶にお伺いしたいのですが……」

 「然様ですか。承知しました。私の方でご案内させて頂きます。……恩田、お前は外を探しなさい。もしかしたら、換気のために最初から開けっ放しになっていた窓を強引にジャンプして潜り抜けたのかもしれん」


 そう言うと、恩田さんは素早く外へと向かって駈けていき、榊さんの方は深々と溜息をついてから静かに僕を案内してくれた。ついでに靴まで貸してくれる。……結構良い人っぽいかも。


 「はぁ……まさかこんなことになるとは……」

 「なにやら大変そうですね?」

 「えぇ、まぁ。その……お嬢様から学友をお連れするように言われているのですが、見つからなくてですね」


 と言いつつ、榊さんの目は露骨なまでに泳いでいた。僕が真っ直ぐ覗き込むと、その視線から逃げるように逸らしていく。


 「そういえば、寺島さんから聞いておりますよ! 何でも大層賢い方で……謎解きがお得意だとか?」

 「そうなのです。当家の期待の跡継ぎなのです。それゆえ……色々ありまして……」


 そんなことを考えながら、僕は榊さんに案内されて正々堂々パーティー会場に侵入していた。そこでは驚くほど多くの使用人さん達が総出で給仕に精を出している。夏の日差しを遮るように設けられた赤い番傘の下では着飾ったご婦人達が、木陰では立派な身なりの紳士達が涼やかなグラスに注がれた飲み物を片手に談笑していた。


 その真っ只中を平然と顔色一つ変えずに進む。時より使用人が若い僕へと視線を向けてくるものの、直ぐに榊さんに案内されていることに気付いて疑いを外していく。


 「……謎解き好きですか」

 「えぇ、賢い方なのです」

 「でしたら、その消えた友人の謎にも興味を持たれるかもしれませんね?」


 間違いなく目を輝かせるだろう。そして、直ぐに冷静な視点で事態を見抜くに違いない。でも、それはチャンスでもある。


 つまり、僕はこう言っておけば良いのだ。


 「私は寺島さんと話をしております。もし何かお聞きになりたいことがありましたら、何時でも来て下さいね?」

 「……お気遣いありがとうございます」


 後は、自然と、ちと先輩がッ! 僕の元へとやってくるって訳なのだ! やったよ僕! 今回はかなり頑張ったんじゃないかな!?


 でへへ……これは間違いなくご褒美物だよね!? 何が良いかな!? この前は……ん、唇だった……。………………今度は……その先まで許されるかな!? チューは当然として、それ以上……ひゃあー! じ、事件だ、これは大事件かもしれない!


 「お客様、何かお飲み物をお持ちしましょうか?」


 はっとなって周囲を見渡してみる。確かにみんな何かを飲んでいるようだ。でもどうしよう……どれも僕が見たこともない代物なんだけど……。いや、一つだけ真っ赤なアレがあるか。


 「ワイン、赤ワインをお願いします」

 「かしこまりました。直ぐにお持ちいたします。少々お待ち下さい」


 そう言うと、榊さんは見事な一礼を披露してから近くの使用人が運んでいたワインボトルを手に取り、鬱憤を晴らすかのようにコルクを抜いていた。


 しかしながら、その背中にはどこか哀愁が漂っている。無理もないかもしれない。ここまで必死で走って追いかけていた獲物が忽然と消えてしまったのだ。その結果――


 「あの人……トイレで深呼吸してたからなぁ」


 ……働くって大変なんだ。僕にはまだ分からないけど。


 そんな事を考えていると、直ぐに戻ってきた榊さんがワイングラスをくれた。見様見真似で持とうとする僕に榊さんは苦笑して……正しいワインの嗜み方を教えてくれた。


 どうやら、挨拶に来た若手有力社員だと思われてるみたい。


 そういえばモモちゃんが言ってたなぁ。贔屓にしてる会社があるとか……。なんだっけ? 確か、なんとか商事――


 「こちらになります」

 「あぁ、すみません。ありがとうございました」


 僕がおずおずとお礼を言うと、榊さんは再び深々と頭を下げてから後退していった。


 そして肝心の寺島理事、才賀先輩はというと……


 「お前……いや、大胆不敵というか何というか……妙なところで肝が据わってるな」


 赤ワイン片手に平然と使用人に案内されて現れた僕に対し、苦笑いを隠せていなかった。才賀先輩……自分の人生は終わったとか言っておきながら、テーブルに結構人が集まってるじゃん。しかも利権が少ないから集まるのは自分の知り合い中心で……なるほど、権謀術数渦巻くこの会場では数少ないエンジョイ勢かもしれない。


 「おい、榊! 害虫は捕まったのか!?」

 「旦那様!? も、申し訳ございません! 面目ないことに見失ってしまいました! 恩田が捜索中です!」

 「何だと!? おのれぇぇ小童の分際でェェェェェッッッ!!!」


 隣のテーブルでは振り向かなくても分かるほどの怒気が膨れあがった。間違いなくちと先輩のお父さんだろう。是が非でも踏みつぶしたい僕にまんまと逃げられたのが悔しくて堪らないようだ。


 思わず隣のテーブルが静まりかえる中、お父さん、いやお義父さんは湧き上がる怒りを隠しきれずに吠えた。


 「ありったけの人員を投入せよ! それから榊! お前が必要だと判断した物は自由に使え! その権限を与える!」


 ――それは僕の予想通りの灼熱の憤怒を含んだ声色でありながら、予想とは真逆の、叱咤罵声ではなく応援だったのだ。


 「ハッ! 必ずやご期待に応えて見せますッ!」

 「お前の能力は確かだ! 期待しているッ!」


 思わず振り返ってみれば、榊さんは頭を下げつつも深い忠誠を示していた。それどころか、自分への評価に対し感涙の涙まで浮かべている。


 ……僕は、この人を見誤っていたのかもしれない。


 そんな怒声を背中に受けながら、僕は才賀先輩のテーブルに目をやった。立食パーティーだけはあって、名前もあやふやだけど豪勢な食事が山のようにのっている。お肉もあればお魚も有り、とても美味しそうだ。


 そして、そのテーブルを囲むのは……才賀先輩の他に4人だった。いずれも見たことがない人々だ。


 まず、先輩の隣で無邪気にご飯を食べている小柄な女の子。僕より1つか2つ上くらいだろうか。でも制服の代わりにドレスを着ているし、大学生のご令嬢なのかもしれない。


 そしてその隣には………………思わず見とれてしまうほどの美女が立っていた。それこそ、ちと先輩という心の嫁がいる僕ですら一瞬だけ心を奪われたのだ。着ているのはおとなしめのシックなドレスで有りながら、その抜群のスタイルはちっとも魅力が損なわれていない。身長も高く、顔立ちに至っては女優と言われても納得しそうだ。何故だか少しだけ居心地が悪そうにしている。


 そんな美女の唯一の欠点。それが……その隣で無邪気に飲み物を両手で持って一生懸命飲んでいる男の子だ。どうも、この綺麗な女の人の息子らしい。


 そして最後が、この場で一番年上そうな男の人。顔だけ見ればそこまで年齢を重ねているようではないけれど……小太りの体型といい薄くなり始めた頭髪といい、若者ではなさそう……


 「それはともかく、久しぶりだな春茅。まさか堂々と使用人に案内されてくるとは思わなかったぞ」

 「そうですよ! 私達もテーブルの下かと思って探したけれど見つからなくて……捕まっちゃったんじゃないかと心配してました!」


 才賀先輩が喋るのと同時に小柄な女の人が好奇心に瞳を輝かせて僕の目の前までやってきた。


 「危うく捕まりそうでしたが、何とか誤魔化せました。……ところで、こちらの方はどなたですか? ……数代前の探偵部の方でしょうか?」


 僕がそう言った瞬間……何故か女の人はもの凄い勢いでクネクネし始めた。喜んでいるみたい。そして、苦笑いの才賀先輩の前で口を開いた。


 「やだっ! もう、後輩君ったら上手なんだから! ……私は寺島紫と申します。主人共々何卒よろしくお願い申し上げます……」

 「……紫!? 紫って……治村先輩ですか!? 初代探偵部部長の!? 才賀先輩の愛弟子の!?」


 そう。信じられないことに、この若々しい女性は才賀先輩より一個年下の……治村初代探偵部長だったのである。ってことは……大学生どころか社会人でもおかしくない年齢の筈なのだ。


 「えへへ……あなたぁ……春茅君ったら、私のことあなたの最愛の人ですって! このこのこのぉ! 話に聞いてたとおりの推理力です! 人を見る目があります!」

 「バカか貴様。いやそれはともかく。すまない春茅。こいつは旧姓治村紫。……まぁ、なんだ。俺の妻だ」

 「結婚されてたんですね……才賀先輩!」


 僕の言葉に才賀先輩はこそばゆそうに頭をかきながら、静かに頷いた。そんな彼の片腕には治村先輩……もとい紫先輩がべったりとくっついている。その顔はとてもにやけていて……なんだかとっても幸せそうだった。


 「あの二人……本当に仲の良い夫婦でしょう?」

 「えぇ、そうですね」


 そこで僕に話しかけてきたのは美女の方だった。改めてみると背が高い。下手したら僕と同じか少し高いぐらいかもしれない。


 ……何が言いたかったかっていうと……見事な谷間を作り上げている胸に視線が行ってしまったのは仕方ないと思うんです。


 だ、大丈夫。視線を奪われたのは僕だけじゃない。小太りの人も……才賀先輩もだ。だって腕にくっついていた紫先輩が涙目になって自分の胸を押さえているし……


 「初めまして、今代の探偵さん。乙母蘭です」

 「乙母って……生徒会の!?」

 「えぇ。生徒会に乙母は私だけのはずです」


 どうやらこの綺麗な女の人も才賀先輩の顔見知りだったようだ。そして何故か安堵したように一息ついた。


 「ふぅ。実は私もこのパーティーに来るのは初めてなんです。お仲間がいて、良かった……」

 「あわ!? 光栄ですぅ!?」


 ――大人の色気だあぁぁぁぁ……。


 乙母先輩はただ息を吐いた。たったそれだけにもかかわらず、圧倒的な色気が間近にいる僕に迫ってくるのだ。


 そして大人の包容力も併せ持っているのか、僕がガッチガチに緊張してしまっていることにも気付いたらしく……優しく微笑みかけてくれる。これが……大人の魅力……。


 「あなた! 何だかとっても視線がイヤラシイ気がします!」

 「……気のせいだ。なぁテル?」

 「はぁはぁ……はっ!? そうですよ紫さん!? 決して、そう決してそんなことはなくてですね……」

 「テル君……」


 一番興奮して鼻息が荒かった小太りの人は、紫先輩にジト目で見られて行き場を失っていた。


 「あぁ、そうだ。春茅、紹介しよう。こいつは深井輝利(ふかいてるとし)、通称テルだ。3代目探偵部部長にして、紫の弟子でもある」

 「深井って、もしかして……」

 「そうだよ。勝利兄さんの弟になるんだ。で、才賀の兄貴の舎弟で立浜高校の理事だったりもするのさ! ……もっとも、才賀の兄貴とは違って非常勤だけど」


 そう言うと深井理事、テルさんはにこやかに笑いつつも癖なのだろうか、頭を掻きむしった。同時にささやかな風が吹くと、薄くなり始めた頭髪が数本風に舞い散っていく。


 「……あれ? ということは、深井理事は……才賀先輩より年下ですか!?」

 「そうだよ春茅君! ……ん? 何故そんなことを……ま、いっか! 僕のことは気軽にテルとでも呼んでくれれば良いよ! 同じ才賀の兄貴の舎弟でしょ? 仲良くしよう?」


 ――ただのおっさんだと思ってました。


 とは口が裂けても言えない僕は、慌てて口を噤んでいた。どうやらそれは乙母先輩も思っていたのか、一瞬だけ目が合うと苦笑いしている。


 「はい! えっと、テル理事――」

 「ノン! テルで良いよ!」


 そう言うとテルさんは太めの体型とは裏腹に軽やかに跳ねると、僕の隣にステップを踏んでやってきた。着地すると同時にその肉が激しく揺さぶられる。気のせいか臭いも……


 密かに隣で乙母さんの顔が顰められた。


 「元々テルっていうのもフルネームを省略した渾名で、学生時代に紫さんが付けてくれ――」

 「えぇっ!? テルってそういう意味だったの!?」

 「……おいバカ。何故お前がそこで不思議に思う?」


 嬉しそうに言うテルさんに対し、何故か紫先輩は驚き、そして気まずそうだった。


 「私……てるてる坊主みたいだったからテルって呼んでました……」

 「それ遠回しにハゲって言ってますよね!?」


 気がつくと僕は突っ込んでいた。慌てて見ればテルさんは……衝撃の事実に打ちのめされて涙目になっている。


 「ハゲ……違う。僕は禿げてない。うん。間違いない。そう、人間は一日に50本程度は自然と髪が抜け落ちるんだ。だから僕は決して禿げてなど……」

 「ち、違うのテル君!? えっと……そう! お坊さんみたいに真面目そうだから――」

 「……バカか!? ハゲ要素を増やしてどうする!?」


 才賀先輩がそう言うとテルさんはガックリと項垂れてしまい、紫先輩がオロオロしながら必死でフォローする。


 何だろう。この2人……学生時代からこんな感じの関係だったんだろうっていうのがヒシヒシと伝わってくる。


 「その辺にしたらどうかしら? 今日の主役が来たようだけれど?」


 言われて視線を向けた瞬間だ。僕の心が鷲づかみにされたのは。


 お供の梅谷さんを傅かせながら、自然と出来た人混みの中の道を優雅に歩くその姿。爽やかな風によって翻るドレスの裾が眩しい――


 「……っちと先輩ッ!」


 ――僕の最愛の人だった。


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