5.立浜の大地主①
「おいお前ッ! あの野郎が来なかったか!?」
「不明ですー。こちらには来ておりません」
慌ただしく裏庭の一角に走り込んできた黒服の男性が、そこで庭の手入れをしていた使用人の女性に詰問していた。不作法なそれをしかしながら、彼女は一切気にすることなく、それどころか手にした鋏を片手に不気味な笑顔を浮かべながら、言うのだ。
「私は裏庭を探します。榊さんは会場の方をお願いしますー!」
「分かったッ! おのれ春茅の小童! 大胆不敵にも当家の敷地に忍び込むとは……! なんとしてもお屋敷の中には入れるなよ!」
「はいー! 旦那様の為にー!」
そう言った瞬間素早く2人の使用人は散開し、会場の捜索へと移っていく。特に女性の方は僕の隠れている草むらをジロリと睨み付けると、不気味な笑顔で片手に持った鋏をチョキチョキさせながら、ふらふらと向かってきたのだ。
「うふふ……泥棒猫の……春茅くぅん? おいたはいけませんよー。大人しく出ておいでー? じゃないと、この鋏で大事なところをチョッキンしちゃいますよー?」
……超怖い。
思わず鳥肌が立った僕は、それでも必死に息を潜めていた。
大丈夫。この鬱蒼と茂るこの草むらの中は、外からは絶対に見えないのだ。真夏の陽光を浴びようと背伸びした草達は身体を隠すのに最適だ。噎せ返りそうな草いきれや名前も知らない虫と、虫っぽい何かでいっぱいだったのは想定外だったけど……それゆえ近づかれないことも期待できる。
……多分。
っていうか、あの人真っ直ぐこっちに来てるけど……。大丈夫だよね?
そう。僕が栄光ある探偵部部長から一転して追われる立場になったのには訳がある。あれは確か……まだ月が変わる前のことだ。
昨年同様の猛暑の中、僕は自室で歓喜に打ち震えていた。
誇張でも何でもない。武者震いに震えながら、一通の手紙を震える指先で丁寧に丁寧に開封していたのである。
何故かって? それは勿論僕の愛しい人にして、将来一緒にヴァージンロードを歩いて子供までこしらえる予定のちと先輩からの手紙だったからだっ!
封筒自体はコンビニでも売ってそうな白い物だったけど、開けた瞬間ふわりとバラの匂いが薫る手紙自体は別。薄紅色の便せんには先輩の丹念な字で、こんなことが書かれていたのである。
『
親愛なる私の後輩へ
元気にしているか?
君のことだから恙なく暮らしていると思う一方で、百花から生徒会やオカルト研究会残党の件は聞いている。どうやら慌ただしい日々を過ごしているみたいだな。
ところで、だ。君はこの手紙と招待状が3通目だという事を知ってるか?
……多分、知らないのだろうな。もしそうなら、いつも通りメールか何かで返信が来るだろうから。それが来ないということは……どうやら我が父は君を当家のパーティーに呼ぶ気はないらしい。
私が送った2通は凝った意匠をしていたから、使用人達がこっそり抜き出して破棄するのも難しくなかっただろう。
8月の第3日曜日だ。私の家で当家とその関係者一同及びその家族を呼んだ大きなパーティーがある。普段は中々会えない私と君だが……人でごった返すパーティー会場なら……その、逢い引きのチャンスがあるかもしれない。
だが、気をつけろ? メールでは返信するな。会場にも正面からは入るな。それから番犬は大丈夫だと思うが、防犯システムにも気をつけろ?
……こんなことばかりお願いして申し訳なく思う。
でも、その、私だって偶には直接、恋人の顔を見たいんだ。
あなたの先輩より
』
「ふおぉぉんッッ!!! 今行きますよちと先輩! 愛する貴女のためならば、僕は何処にだって会いに行く所存ですっ!!」
喜び絶頂のあまり、思わず椅子から立ち上がると自室で拳を突き上げながら咆哮していた。家族に聞かれたら、とか、そんなことは一切頭に浮かばない。何よりも大切なちと先輩で胸がいっぱいなのだ!
あぁ……麗しのちと先輩! 遠くの難関大学に通う先輩とは、普段は中々会えないのだ。ちと先輩の通学は当然使用人の運転するリムジン。なので僕が入り込む隙間はこれっぽっちもない。
だから必死にメールのやりとりをしていたのだけど……どうやらそれも安泰ではないみたいなのだ……。
「第3日曜日……まだ時間はある! その間に準備を整えないと……!」
うん、まぁ、ここまでくれば分かって貰えたと思う。今回の案件……僕的には重大な事件なんだけど、特に謎とかはない。
ただ、僕の僕によるちと先輩の為の一大冒険譚なのである!
僕が最初に手を付けたのは2つ。1つめは金策だ。幸い時期が夏休みだったので、日雇いの仕事には事欠かなかった。
2つめは情報の裏を取ることだ。あの新しく家宝に加わった手紙だけれど……本当にちと先輩の物とは限らない。筆跡だって……家族なら真似ようと思えば真似られるだろうから。
なので、僕は一緒にプールに遊びに行ったモモちゃんにさりげなく聞いてみた。
結果は……あっさりと判明。パーティーはあるし、日時も間違ってないらしい。
思わず目を奪われた大胆なビキニから、ラフなシャツとホットパンツで可愛らしさ全開の姿になったモモちゃんはあっさりと教えてくれたのだ。
会場が開くのは午前10時。だから、僕は11時に作戦を開始していた。
……そう、午前11時ではない。前日の夜11時だ。当日警備の厳しい中ノコノコ進むのは無理だろう。
ちと先輩の家は正門も裏門もきっちりと使用人達が複数人で見張っているだろうし。
――だけれど、準備に忙しい前日の深夜なら手薄なのでは?
この予感は見事にあたり、僕はどうにか前日中に庭に侵入することが出来た。そして裏庭の隅っこにある件の植木の中に荷物を隠して、そのまま夜明けを待ったのである。……厚着のせいもあって、とっても寝苦しかったけど。
「はっるがっやくーん! どこにいるのかなァー? 出ておいでー? でないと目玉をほじくるぞー?」
チョキン。チョキン。
――超怖い。
実に生き生きとした笑顔を浮かべた使用人のお姉さんは、楽しそうに鋏片手に裏庭を徘徊している。駄目だ。今出て行ったら、絶対に見つかってしまう……!?
そっと草むらの奥の方に身を隠していた。
……おかしいぞ? 僕は昨日から今日までの間、まだ誰にも見つかっていない。にもかかわらず、何故か僕の侵入がバレている。
……僕が見つかったのなら、即座に掴まって叩き出されるはずだ。逆に見つかってないのなら、そもそも探されないはず。ということは……
――誰かが僕のことを密告した……
そう考えたところで頭を振る。今回の件を知ってるのはちと先輩だけ。そしてちと先輩が僕のことを密告する筈がないのだ。
……必死に状況を推理していると、不穏な声が聞こえてきた。
「学ラン似合う春茅君! 制服一式5万円―! うふふ、全部綺麗に切り裂いてから、お嬢様と旦那様にお披露目―! そのまま記念撮影をして、女子使用人一同で二度とおいたが出来ない身体に調教するぞ―!」
おそろしやー!?
なんなんだよこの人!? 何でこんな人がちと先輩の家に働いてるの!? 憎たらしいまでに……効果的だなちくしょう!
相手の鋏のお姉さんは鼻歌を歌いながらスキップするように裏庭を巡る。
――落ち着け僕。これは多分ブラフだ。よく考えるんだ。ちと先輩の手紙は3通目、つまり1通目と2通目があったのだ。
なるほど。その内容から、そしてちと先輩の態度からも僕の侵入を予測したって事か。あり得る話だ。あるいはちと先輩のお父さんが駄目元で使用人達に捜索させているのかもしれない。
「ここかなァー? それともこっちかなァー?」
鋏のお姉さんが僕の近くの草むらを探る。
哀れな植木達は遠慮容赦なく肉厚の刃によって散らされていった。
あの鋏、ただの鋏じゃない。園芸用の太い枝とかも切れる奴だ。当然僕の大事なところも……ってそうじゃない。見ればお姉さんはかなり使い込まれた鋏を慣れた手つきで振り回している。
……見れば、ただ単純に切っているのではない。お姉さんが刈り取った後の茂みは、見事なまでに整然と整えられているではないか。
つまり、あのお姉さんの使用人としての本職は庭師なのだ。
だとすると非常にマズイ。僕が隠れ場所に草むらを選んだ理由は単純。汚いし虫だっているし、誰だって近づきたくないからだ。当然、探す側もそうだと思ったのだ。
だけれど、相手が庭師なら話は別だ。庭師なら自身の仕事場に入ることを躊躇しないだろう。
「はっるがっやくーん! 何処かな何処かなー? 大事な大事なお嬢さんに付く悪い虫は、きっちり潰しちゃおうねー」
……このままだと見つかるのは時間の問題か。
どうにかしないと……でも、焦って物音を立てれば見つかってしまう……。何か手は……
「うふふ……楽しみだなァー。男の子にも……穴はあるんだしね! 私の可愛い鋏に支柱―! 何処のお庭に出しても恥ずかしくないオブジェにしますよー?」
おそろしやー!?
あわわマズイ!? お姉さんはついに僕の隣の茂みに手を出し始めたのだ!? ニコニコ笑いながら平然と虫たちをかき分け、植木を綺麗に切り揃えていく。こ、このままじゃ僕も……!?
「可愛い男の子をー可愛い女の子に変えるー。楽しいなー楽しいなー」
もはや恐怖しかないその言葉。だけれど、僕はその瞬間別の理由で真っ青になっていたのだ。草むらの植木越しに見たお姉さん。その口が大きく弧を描いて釣り上がったのだ。
同時に響くくぐもった音。マズイ!? これは……マナーモードのスマートフォンの着信を知らせる振動だ!?
冷や汗が全身から吹き出る。それどころか悪寒が背筋を貫いた。
しまった!? 僕はこんな単純なミスを……!?
「見つけたー」
「――――ッ!?」
鬼のような顔になったお姉さんはもう片方の手をポケットに突っ込み、そこからそれを取り出したのだ。
「あちゃー! 玄関かー。裏庭とは逆方向―。あーあ、でも思ったよりは知恵の無い相手なのは楽かしらん?」
スマートフォンだった。そう。着信があったのは僕ではなく、お姉さんの方。
慌てて走って行くお姉さんを横目に、乾いた笑いを浮かべた僕がゆっくりとポケットに手を伸ばして確認すれば、僕の方は確かにサイレントに設定されていた。
……危なかった。昨日の僕、グッジョブ。
同時にメールが来たみたい。
見ればちと先輩からだった。
そう。ついさっき僕が送ったメールに、先輩は素早く反応してくれたのだ。
僕が鋏のお姉さん対策に取った手段は簡単、別の場所で僕が見つかったと思わせたのだ。
どうやって? 簡単。僕はちと先輩のスマートフォンに、『今入口に着きました。会いに行きます』とのメールを送ったのだ。
そしてそれを盗み見していた使用人達は本命が現れたと思い、ブラフを止めて玄関へと集結したのである!
……ギリギリだった。危うく女の子にされるところだったよ……。
ちなみに、ちと先輩の返信は『庭で待っている』だった。
つまり、室内にいるって事だろう。だとしたら、今がチャンスだ。使用人達も馬鹿じゃないから、直ぐに裏をかかれたことに気付くだろう。この手法は1度しか使えない。
……周囲に人の気配はない。音もしない。
ちと先輩の部屋は2階の筈だ。今しかない……!
抜き足差し足急ぎ足!
学ランについた土を払うと、僕は意を決して侵入を開始していた。
室内は驚くほど静まりかえっていた。当主自ら出席するパーティーは庭で行われている。招待客も多く……必然多くの使用人が必要だろう。女中さん達も駆り出されているに違いない。
使用人用の靴箱の中に自分の靴を隠すと、僕はゆっくりと板張りの廊下を進んだ。純和風建築のこの家は、中庭があることからも分かるように、上から見ると”ロ”の形をしている。この下の部分が玄関及びパーティー会場となる庭って訳だ。
一方僕のいる裏庭は上の部分で、去年来た記憶では2階への階段は”ロ”の左右に一つずつ設けられている。
廊下を滑るように、足音を立てないように進んでいく。
どうやらメール効果は覿面らしい。そうして僕は階段を上ろうとしたところで――
「かはっ!?」
「お久しぶりですね、春茅様」
襟元を掴まれ、近くの倉庫に押し込まれていた――
喉が物理的に締め付けられて空気が足りなくなる中、必死で視線をやる。燕尾服ながら明らかに体格の良いこの人は確か――
「執事の……二見さん……!」
「おや、名前を覚えて頂けましたか。それは光栄」
そう。以前の”花婿疾走事件”、僕がモモちゃんと一緒にテーマパークペンギーシーでお見合いを潰そうと必死になっていたときに会った人だ。
この人は……他の使用人とは違う……! ちと先輩の家の屈指の実力者なのだ! よりにもよって、こんな大事なときに……!
「離して下さい……! 僕はちと先輩に会いに来たんです!」
「ほっほっほ、若い人は元気が良いですね。しかしながら、今2階に春茅様を進めさせるわけにはいかないのです。お嬢様が物憂げに外をご覧になられておりますし、何よりアレがおりますれば」
「何を言って……」
その瞬間だった。それが聞こえてきたのは。
――ァァァァァァアアアア……!!
「な、なんだこの鳴き声は!?」
今までに聞いたこともない、されど間違いなく敵意と悪意に塗れた獣の雄叫び。それがよりにもよって進むべき2階から聞こえてきたのである。
距離は近い。階段の上に姿こそ見えないものの、異形の獣が廊下をひたひたと疾駆する音が鮮明に聞こえてきていた。
――ァァァァアアアアアアアア!!!
思わず怯えた僕はよろよろと後ろに下がってしまう。二見さんも既に僕を解放していたのだ。だけど、それは油断したからじゃない。
「いたぞ! 立浜高校の制服ッ間違いない! お邪魔虫だッ!」
――彼は僕の後ろに迫る使用人達を見つけていたのである!
しまった!? 見つかったのかッ!? なんて間の悪い!?
慌てて視線を向ければ、既に二見さんは僕を見ておらず、真意の読めないアルカイックスマイルを浮かべて佇んでいるだけのようだった。
その間にも上と後ろからは追っ手達の気配が押し寄せてくる。
「ゲェァァァアアアアアアアアッ!!」
「よし! このまま庭の方面へ追い込めッ!! 既に他の使用人達が待ち構えているッ!」
「うぅっ! でも、僕は諦めないですからね!」
もはや一刻の猶予もない!
気がつけば僕は唯一敵の迫ってこない、屋敷の正面方向へ向かって廊下を疾走していた。
跳ね上がる心臓、躍動する筋肉。にもかかわらずほとんど乱れない呼吸。厚着のまま走り出したことで訪れた猛烈な暑さと息苦しさにも負けはしない。
大丈夫。久しぶりの全力疾走だけども、身体は良く僕の思いに応えてくれる!
この時ばかりは探偵部が運動部だって言うのに感謝だッ! ついでに、暇なときに野球部の練習に混ぜてくれる佐伯にもッ! あぁッ! 今はそんなことを考えている場合じゃない! どうやって振り切るかだッ! いくら僕でも沢山の相手に囲まれたら捕まってしまうッ!
「榊さーん! 害虫を見つけたと聞いてー」
「恩田かッ! 丁度良い! お前は正面から回り込め!」
……この声はさっきの庭師のお姉さん!? まずい、このままでは前後から挟み撃ちされてしまう。かといって中庭に逃げれば植木に足を取られて尚更だ!?
どこかに逃げ場所は……見渡す限り逃げられそうな部屋は一つしか無いッ! あれを使おう。
「トイレだ! 春茅がトイレに逃げ込んだぞッ!」
「わおっ! 害虫には相応しい場所ですねー!」
――時間が無いッ!
僕は駆け込んだ先のトイレに入ると、必死で四方に視線を送る。流石はお金持ち。トイレも家庭用のトイレではなく、学校やビルの中にある立派な物だ。清潔感溢れる白いタイルを暖かみのあるLEDが照らしている。左右4つの個室はいずれも扉が閉じられていた。
そして正面には唯一外との繋がりが感じられる窓がある。決して大きくはないけど、僕ならギリギリ通り抜けられそうだ。ただ、位置が少しだけ高い。何か台になりそうなものが必要だろう。清掃用具入れには……バケツがあるな。
そこでふと耳を澄ませば、後ろから聞こえる足音は僕に少しだけゆとりがあることを示している。
……どうやら覚悟を決めるしかなさそうだ。他に道は……ない。
思わず疲れすらも忘れるほどの緊張で時間が間延びしたように感じられる中、僕は懸命に手を伸ばしていた。
「これで終わりだ春茅ッ!!」
さっき榊と呼ばれていた男の使用人が鬼のような形相を喜びに変えながら、必死にトイレに駆け込んできた。普段は身体を動かすタイプではないのか、荒い息を抑えるように胸に手を当てている。その後ろには……恐ろしい庭師のお姉さんが続く。
……ちなみに、まだ鋏は健在だった。走る時邪魔じゃないのかな?
「榊さんー待ってー……おっと、失礼いたしました」
「恩田、その間の抜けたしゃべり方は失礼だから止めろと何度も……それはともかく」
そこまで言うと榊さんはジロリとトイレを舐めるように見回した。黒い瞳が4つの個室、そして上方の開け放たれた窓をなぞっていく。そうして愉快そうに口を開いた。
「ふむ、お客様には申し訳ないが……どうやら謎解きの時間のようだな? 確か害虫は探偵部だったとか。少しは知恵が回るようだが……」
「榊さーん? それはどういうー?」
「見なさい恩田。あのトイレの窓は開け放たれている……」
「つまりー、害虫は窓を伝って外に逃げた-?」
榊はニヤリと笑って首を振った。そのままトイレの中をコツコツと音をたてて一周し、言った。
「いや違うようだ。あの害虫の背丈では窓まで少し手が届かない。窓は開けられん」
「……なるほどー。でも、それなら清掃用具入れにあるバケツなりを足場にすれば良いのではー?」
「もしそうなら、足場にした何かはトイレの中に転がっているはずだ。だが、それがない。ということは、だ」
確かに、仮に窓から逃げたとすれば足場がその場に置き去りになるはずだ。でも、榊さんが探した限りでは、そんな物は存在しない。バケツは誰にも触れられずに用具入れの中でひっそりと佇んでいるだけ。
「春の害虫はこのトイレに潜んでいる……ッ! 窓から逃げたと思わせて、我々の隙を突くつもりなのだ……!」
「なーるーほーどー! さっすが榊さんー」
「行くぞ恩田。お前が扉を開けろ。俺が暴れる奴を捕まえる」
「そして-私の鋏の出番ですねー」
……どうやら話は決まったらしい。
恩田さんは是は急げと言わんばかりに一番手前の個室の扉に手をかけると、勢いよく開いた。
……中には誰もいなかった。
「次、行きますー」
そのまま2人は視線を交すと、反対のトイレに忍び寄る。
「うふふーもしかしたら、春茅君は上を抜ける気なのかもしれませんね……!」
「なるほど、便座を足場にして、我々が扉開けた瞬間飛び越える気か……実に愚かしい選択だが、ありえるかもしれん」
そう言うと、榊さんは少しだけ後ろに立った。扉を開けるのは恩田さんに任せるつもりらしい。
「2つめー。えーいっ」
「……外れか。次だ」
そう言うや直ぐに奥のトイレの個室へ手をかける。少し休んだからか、大分呼吸も回復したようだ。
「行くぞッ! ……ちっ! 運の良い奴め!」
「でも次で最後ですー」
3個目の個室も空だった。だけれど、それは明確に最後の個室が怪しいと示しているわけ……
「ふん。手こずらせてくれたな春茅。その運の良さはだけは褒めてやろう」
「そうとは限りませんよー? なにしろ、これから私達女子使用人一同が贈る魅惑のワンダーランドに行くんですからねー」
ニコリと笑った使用人2人は隙の無い動作で最後の個室を包囲する。鋏を持った恩田さんの方は手をわきわきさせながら今か今かと待ち構え、榊さんの方は少し下がって大きく深呼吸。ここで捕まえる気のようだ。
「やれ」
「はい! 臨時ボーナスゲットですー」
同時に勢いよく最後の個室が開かれる。その瞬間、恩田さんはそのおっとりしたしゃべり方からは想像も出来ないほど機敏に個室に潜り込んだ。同時に援護しようと榊さんも直ぐさま駆けつけ――
「な、なにぃッ!?」
榊さんは驚愕のあまり、あんぐりと口を開けて立ち尽くしていた。同時に恩田さんは素早い身のこなしで入口付近の手洗い場に移動すると、鋭い視線で一瞥する。
「いない……どういうことだ!?」
「……妙な話ですねー。他に不審な形跡はありませんー」
そう。トイレには何処にも怪しい仕掛けはなかったのだ。もちろん清掃用具入れにも隠れてはいない。
「馬鹿なッ!? 俺達は確かにあいつの背中がトイレに逃げ込むのを見たッ!」
「……そして、トイレの個室には誰もいなかった。だけれど、窓から逃げた形跡もない」
そして、窓と入口以外に出入り口はない。映画だと換気ダクトを通って……みたいな話もあるけど、踏み台がない以上それも不可能。
「あの害虫は……煙のように消え去ったということか!?」




