4.踊る冷徹人形①
暖かさが暑さへと変わり始めた7月初め。僕は部室の窓を突き破る熱気から少しでも逃れようと、調合したハーブティー、ミントティーを飲んでいた。もちろんアイス。氷たっぷりで良い音を響かせるグラスも涼しいガラス製だ。
口に含んだそれはミントにたっぷりと含まれたメントールが氷と相まって、心地良いほのかな甘みと共に身体の中から熱を奪ってくれる……。
「どうかな……姫乃ちゃん」
「そうですね……スペアミントの割合が絶妙です。ペパーミントだけでは味気ないですが、スペアミントが多すぎると歯磨き粉みたいな味になってしまいますから……」
「ぐぬぬ……何が何だか分からない……」
実はハーブ好きという共通点を持つ僕と姫乃ちゃんが意気投合する中、モモちゃんだけは夏服姿のままぐったりとなっていた。犬のように舌を出しながらもみっともなく胸元のボタンを開けて仰いでいる辺り、相当暑さに参っているみたい。
っていうか……胸元どころか見えちゃいけないところまで見えそうなんだけど……。
「……ねぇリョウっち……ミントって一種類じゃないの?」
「ううん。ミントは雑種を作りやすい品種で、それこそ数え切れないほどあるんだよ。メジャーなペパーミントにスペアミント、その他アップルミントにパイナップルミント、オーデコロンミントにジンジャーミント、レモンミントにウォーターミント更には日本原産のハッカまで……」
「あの……! 先輩、もしかしてミントティーの隠し味はカーリーミントではないでしょうか!?」
「その通り! ……でもちょっと惜しい。カーリーミントの他にレッドラリピラミント……」
「あぁもうっ! ミントの話はもういいよぉぉぉぉ!?」
何故かとても残念そうにモモちゃんは叫んでいた。
ちなみに、去年お世話になったキャットニップもミントの仲間である。大家族だ。
ハーブ……そう、園芸。僕もちと先輩の影響を受けて管理する者のいなくなった花壇を手入れする内に、すっかりとはまっていたのである。もっとも、今は僅かな領土を残して世話はしてない。
だって本来の管理人が戻ってきたからね。
「っと、依頼人かな?」
「うわっ! 本当だしっ! …………タイミング、悪いなぁ……」
いつも通り校舎の隅っこに位置する探偵部目がけて足音が近づいてきたのだ。しかしその足音は……荒く、速い。
――どうやら、ただの依頼人ではなさそうだ。慌てたように廊下を走りつつも、その足音は不必要なほどに荒れ狂っている。……そう、まるで隠しきれない怒りを床にぶつけているような。
間違いなく不穏な話だろう。
モモちゃんが慌てて制服を整える中、一直線に近づいてきて――
「春茅君ッ! 一体何を考えているんだッッッ!?」
「三白君? そんなに慌てて――」
「探偵部は正気かッ!? それとも……まさか会長を裏切ったのかッッッ!!!」
怒り狂いながらも最後の理性で殴りつけるのをとどまっていたのは……三白だった。生徒会長愛梨先輩の忠実なる部下の三白が……どういうことだろうか。
だけれど、僕には得意の観察術を披露する暇もなかった。姫乃ちゃんが怯えた表情に変わり、モモちゃんが露骨にどうでもよさそうな顔を作る。そう、それだけの時間しかなかったのだ。
三白が怒りの原因を部室の机に叩き付けたのである。
「立高新聞……号外?」
「あぁっ!? なんということだ!? このままでは会長は……秋風に負けてしまう!?」
それを見た僕は思わず息を飲んでいた。三白の態度にではない。新聞の号外にだ。それはどうやら怒り狂った誰かさんが無理矢理壁から引っぺがしたらしく、テープで貼られていたらしい四隅が破れてしまっている。しかも走っている最中に握りしめられたのか、全体的にくしゃくしゃで……だけれど問題の箇所だけは問題なく読むことが出来たのだ。
「リョウっち……これは……どういうことなの?」
「……大人気シリーズ”立浜高校探偵部新作”……ですか?」
後輩2人も驚いたのか、思わず記事のタイトルを読み上げてしまっていた。僕の視線もその一点に吸い寄せられている。扱う事件の内容が問題だったのだ。
――”立浜高校探偵部 《生徒会の醜聞》”
「これは!? 一体どうなって……?」
「この話はッッッ、記事にしないでくれと頼んだじゃないかァァァッッッ!」
三白が怒りを通り越したのか、哀れみすら感じさせる声を上げた。
……僕だって驚いている。記された”生徒会の醜聞”は明らかに現生徒会、特に愛梨先輩にとっては望ましくない記事だ。内容は探偵部が生徒会と直接対決して勝利を収めるというもの。作中には生徒会のささやかな職権乱用があるし、犯人の犯行動機が生徒会への恨みなのである。
言うまでもなく秋風と敵対している僕にとっても有害だ。
「違う……! 僕たちじゃない……」
「じゃあ誰がやったんだよ!? この事件の詳細を知っているのはお前達探偵部だけだろうがッッ!?」
気がつけば僕は三白に胸倉を掴まれていた。慌てたモモちゃんが助けに入るも、三白は止まらなかった。よっぽど愛梨先輩の背中を撃たれたのが気にくわないらしい。
「よくも! よくも会長の足を……!?」
「落ち着いてよ……!? 僕たちは、つい先日手を結んだばかりじゃないか!?」
僕が必死でそう叫ぶも、怒りに身を任せた三白は収まらず……されど止まった。力尽きた三白が力なく項垂れていたのだ。この謎を解決しなくては、彼の生徒会長就任は難しいだろう。
「ちょっと三白! いい加減にして! リョウっちに手を出したら……」
「うるさいッ! このままじゃ……僕たちは……全部あの女の……恐喝王の餌食に……!」
崩れ落ちた三白を見るに、彼はどうやら事前に秋風と小競り合いを経験したらしい。そして、負けたようだ。……もしかしたら、その際に愛梨先輩の邪魔をしてしまったのかもしれない。
――例えば、仲間の弱みを秋風に握られてしまったとか。
……どうやら、潮時だね。
「大丈夫だよ三白君。僕たち探偵部は秋風を生徒会長の座に付ける気は無いよ、安心して」
「だけど……こんな記事が出回ってしまっては……」
「目には目を、記事には記事だ。この謎を解いてそれを次の号にしてしまえば……」
僕はそれを言った瞬間、致命的な欠点に気付いていた。そう。来月は夏休み。誰も記事を読まない。というか、そもそも作られないだろう。そして夏が開けた9月にはすっかり”事実”として生徒会の醜聞が皆にすり込まれてしまう。
……秋風、このタイミングを狙ってたな。
「そうか……! すまない春茅君。僕は……取り乱していたようだ……」
一方、藁をも縋る勢いなのは確かみたい。三白は疑いもせずに僕の意見を聞いてくれた。僕の隣ではモモちゃんが何か言いたげな顔をしているのとは対照的である。
「三白君、状況を説明して」
「あ、あぁ……」
彼に気付かれても面倒なので、僕は話を進めることにした。
どうやら愛梨先輩が追い詰められているのは本当らしい。立浜高校の生徒会は各学年から3人ずつの9人体制なんだけど……辛うじて愛梨先輩達が秋風を抑えているようだ。
記録を取ったメモを見てみよう。途中でモモちゃんが落書きしたからあれだけど……勢力図はこんな感じ。
3年生:能登愛梨(生徒会長)、佐山恭子(眼鏡猿……ではなく生徒副会長)、栗川洋司(手長猿……でもなく、書記)
2年生:秋風葉月(恐喝王)、三白純(へたれ……by百花参上!)、西木祐介(秋風派)
言うまでもないことだけど、眼鏡猿も手長猿も三白も愛梨先輩派だ。一方の西木氏は秋風に弱みを握られて愛梨先輩を裏切ったらしい。つまり勢力比は4:2。愛梨先輩が優勢のはず。
……これだけなら良かったんだけど、問題は1年生。現在はボランティアとして活動している子達だ。彼ら彼女らは……よりにもよって全員が秋風についているようなのだ。
つまり全体的な勢力比は4:5で秋風が優勢なのである。愛梨先輩が辛うじて押さえ込めているのは本人の能力に加えて、ボランティア扱いの1年生達には正規の発言権がない事に由来している。
言い換えれば、選挙に突入して新1年生が生徒会に加わると愛梨先輩の優位は崩れてしまう。そして生徒会長は生徒会員の互選、つまり話し合いと多数決で決まる。そうなれば秋風の生徒会長就任は確実だろう。
……おかしいな。小室の情報よりもはるかに事態が悪い。あいつ……僕に正確な情報を教えなかったのか――?
「リョウっちリョウっち!? どうすんの!? なんか……三白もおっぱい会長も負けそうなんだけど……」
「ひぅ、お嬢様……セクハラは駄目ですぅ。しかし先輩……これは……裏切りなのでしょうか?」
……どうやら僕の後輩達はそれなりに知恵を付けてきたようだ。
うん。僕もそれがありえないとは理解しつつも、その可能性に行き着いていた。果たして誰がこの記事を書いたのか? 最も怪しい人物は確かに僕たちの顔見知りなのだ。
だからこそ、神妙な顔を作った姫乃ちゃんを諭すように言う。
「大丈夫、あの人はそんな子じゃないよ」
「……でも…………」
「私も姫っちと同意見だし。文藝部で”立浜高校探偵部”を連載している張本人、久瀬っちこと久瀬令佳が裏切った。そう考えるのが自然じゃないかな……!」
そう。生徒会の醜聞の事情も僕は彼女に伝えている。伝えた上でちと先輩とも話し合った末、お蔵入りを決めたのだ。
「……彼女はそんなことしないよ」
「でもだよリョウっち? 例え久瀬っちに裏切る気がなくとも、恋人を庇うためだったとしたら……?」
――あり得る話だ。
僕もその考えを否定することは出来なかった。でも、それは言い換えれば佐伯も久瀬さんも敵に回っていることで……
「だから、確かめに行こうか」
友達だと思っていたのは僕の方だけだったのではないか。そんな嫌な考えを振り払うように僕達は文藝部へと足を向けた。
しかし幸いなことに、どうやら僕と佐伯や久瀬さんとの友情は確かだったみたい。少なくとも即座に戦いにはならなさそうだ。
僕たち3人が訪れた文藝部は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたのだ。その中心では可哀想な久瀬さんが全方位を他の文藝部員に囲まれて縮こまっている。その眼前には例の号外。
そう。忘れもしない文藝部は才賀先輩の出身地であり、歴とした親探偵部なのである。
どうにか事情聴取という名目で彼女を救い出したときには、すっかり久瀬さんは煤けていた。それでも大事そうに取材ノートを抱えているあたり、流石の好奇心だ。
と言っても、どうやら僕の出番はなさそう。なにしろ後輩2人、特にモモちゃんの方が俄然やる気を見せているのである。それこそ、失態を拭わんばかりに。もちろん使用人の姫乃ちゃんもそれに続いている。
その甲斐あって僕たちは容疑者の久瀬さんとリムジンの中で向き合っていた。
「同志久瀬っち! どういうことなの!? 断固説明を要求するし!」
「ごめんなさい! でも、本当に心当たりがないの同志モモっち!」
いきなり問い詰めたのは珍しいことにモモちゃんだった。いつの間にかこの2人は仲良くなっていたみたい。
「しかしだよ同志久瀬っち! 生徒会の醜聞のことを知ってる人数は限られるんだし! でも私達探偵部が漏らすはずがない。ってことは、文藝部の貴女が筆頭容疑者だし!」
「分かっているわ同志モモっち! でも、本当に知らないの!? ほら、今までだってお互いに助け合ってきたじゃない!? 他ならぬ同志を信じて!?」
それこそ姫乃ちゃんすら置いてかれている。2人が仲良くなる共通点……何だろう。いや待て、ヒントは置いてかれた姫乃ちゃんかっ!
「そうか、2人とも胸が――」
「せ、先輩!? それ以上はいけませんッ!」
姫乃ちゃんの警告は一瞬だけ遅かった。つい本音と視線がでた僕に、目が笑ってないモモちゃんと久瀬さんの視線がナイフのように突き刺さる。2人とも獲物に飛びかかる猫のように不気味なまでに瞳孔が開いており、それが微動だにしない。
なにこれ……怖い。
「あぁ……春茅君……貴男もタカ君と同じ、触れてはならないことを……」
「ぐぬぬ……これでも努力はしてるんだし! 何故かあんまり大きくならなくて、謎なくらいだし!」
「そ、そんなことより!? 次の容疑者の新聞部を当たる前に、久瀬さんには部員について教えて欲しいんだけど!?」
僕は他に話題を逸らす方法が思いつかなかった。切ない視線で蔑んでくる女の子2人。うぅ……時に謎を解いた真実は人を傷つけるってことか……!
「新聞部は全部で7人の、部活としては中堅どころです。でも、その中で”立浜高校探偵部”の連載に関わっているのは4人だけのはず……」
たっぷりジト目で獲物を舐めるように睨み付けてから、久瀬さんは仕方なくといった体で語りはじめた。一方、モモちゃんは何故か僕の隣で虚空へと恨み言を言っていた。怖い。
「まず私と同じクラスの阿笠恵津子、えっちゃんです。新聞部で副部長を務めていて、新聞の小説とか川柳とかを担当してます。私が書いた小説もよく読んでくれて、”立浜高校探偵部”もその縁で彼女から新聞部へと伝わりました」
阿笠恵津子副部長。知ってる。僕も一度だけあったことがあるはずだ。
……そう去年。確かまだ入部して日も浅い頃、ちと先輩と一緒に挨拶回りに行ったときだ。探偵部と新聞部は、幽霊部員を貸すかわりに面白そうな事件や噂話の捜査に手を貸すという提携を結んでいたはず。
「次にえっちゃんと一緒に企画を持っていった部長の西条大志先輩、確か部活動や委員会といった真面目な記事を担当しています」
西条先輩……思い出した。確か背が高くてさっぱりとした感じの良い人だ。シンプルにイケメンと言ってしまっても良いかもしれない。高い背丈にさわやかな笑顔。それらが嫌みにならないだけの善良さを持ち合わせた好感の持てる先輩だった。
「それから……同じく小説を読んで面白いって言ってくれた倉木清子ちゃん。1年生でちょっと内気なところがあるけど、とっても良い子です。髪も長めで……確か噂話とかを集めるのが担当だったかな? 一緒に曜日七不思議を調べに図書室に行ったことがあります」
でもどうやら久瀬さんもあまり詳しくは知らないようで、倉木さんについてはそれまでだった。彼女は必死で思いだそうとしているものの、芳しくないみたい。
そうして、彼女は暫く奮闘した後諦めた。そして言ったのだ。新聞部の容疑者にして、最も疑わしいその名前を。
「最後に2年の宇田透君です、彼は――」
「な、なんだって!?」
「久瀬っち!?」
「……その方は……!?」
思わず僕は息を飲んでいた。
宇田透。だって、その名前は……小室から……あいつの腹心として紹介された双子の片割れのはずだから……。




