2.有名な依頼人①
「その日、探偵部は激震に包まれた。終わったはずの因縁。それが再び時を経て舞い戻ってくるとは、さすがの名探偵リョウっちでも――」
「モモちゃん……何やってんの?」
新入生も少しずつ学校に慣れ始めたゴールデンウィーク明けの登校日。部室に入った僕を待っていたのは、何故か早くも活動日誌を書き始めているモモちゃんだった。
その傍らでは女中見習いの姫乃ちゃんがせっせと部室の掃除に精を出している。
「あ、リョウっち!」
「あの……先輩、こんにちは。今日もよろしくお願いします」
僕が室内に入ると、二人は笑顔で出迎えてくれた。モモちゃんはニヤニヤ笑いながら朗読していた活動日誌をひらひらと振り、姫乃ちゃんは負けませんと言わんばかりに力こぶを作ってみせる。
「もちろん! この前の事件を正確に残してるんだし!」
「はいっ。そして私は部室の整理をしておりました。重要な物は全部纏めてしまっておかないといけませんから!」
なるほどなるほど。そうなると、僕の答えはこうなるわけだ。
「えぇっ!? そんなことお願いしたっけ!?」
「ぶーっ! リョウっち酷い!」
「先輩……それはさすがに……」
「そんなことより、美味しいクレープ屋さんを見つけたんだ! どうせ事件なんて起きないだろうし、今日は皆で遊びに行こうよ!」
僕の言葉にモモちゃんが頬を膨らませて抗議しつつも、直ぐに出立の準備を続けていく。それに合わせて姫乃ちゃんも適当なところで手を止めた。
そうして、2人とも僕に聞くのだ
「リョウっち……活動日誌は金庫の中で良かったんだよね?」
「うん。南京錠の方だよ。ダイヤル式の金庫は番号不明で長く使われてないんだ。他の重要な物と一緒に鍵を開けて仕舞ってね」
「申し訳ありません先輩。鍵はどちらでしたっけ?」
「鍵は天井の蛍光灯の裏側だよ。既に寿命が来てる所! 時々位置は変えるから、その都度電気をつけて確認してね」
この探偵部の部室の蛍光灯は、一つだけ切れているのだ。そして、それを利用して天井と電灯の隙間に南京錠の鍵を隠しているのである。ちなみにこれは……春休みの間に僕がこっそりと作り上げた仕掛けだったりする。
かくして僕たちはしっかりと部室の電気を消して戸締まりすると、目的のホームセンターへと足を進めていた。もちろんクレープは売ってない。
行き先はその最上階の屋上駐車場である。そんな僕達の片手には双眼鏡。見晴らしの良いそこから3人で立浜高校を観察しているのだ。
「でもさ、リョウっち? 流石にここまでする?」
「もちろんだよ。あの秋風だもん。部室には盗聴器の一つや二つ設置されてる筈なんだ」
「あの……」
にわかには信じがたい、と顔に書いてあるモモちゃんに言うと、そこで姫乃ちゃんが控えめに手を上げた。
「私……見つけました。清掃用のロッカーと壁の間です」
「……やっぱりね。新しく設置された物だ」
そう。僕たち探偵部がわざわざデタラメの茶番までしていたのには全部理由がある。全て秋風の盗聴対策だった。探偵部は毎日活動している部活じゃないから、生徒会権限でマスターキーを保管している秋風は部室に入り放題なのだ。実際卒業式の日にはICレコーダーをちと先輩が回収している。
「……リョウっち……大丈夫なの? なんか……相手が本気でヤバそうだったけど……」
大丈夫、と断言できないのが秋風の恐ろしさだ。でも、既に宣戦布告を受けている僕に彼女から逃げるという選択肢は選べない。逃げても追いかけてきて……きっと予想も出来ない角度から攻撃をされるだろう。ならば、道は一つ。先手を打って彼女を滅ぼすしかない。
「一応……可能性はあるよ。彼女の野望をへし折る策も考えてある……だから、今日はここに来たんだしね」
僕がそう言うと、主従コンビは揃って首を傾けた。時間が無くて全部は説明できなかったのだ。
そうしている内にも遙か先、双眼鏡の向こうに変化があった。校庭にずらりと並んだ緑のカーテン用朝顔の植木鉢が途切れた辺り。その真上が僕たちの部室である。その誰も居ないはずの部室に明かりが付いた。
きゅうっと僕の目線が細められる。案の定部室を這い回る黒い影があったのだ。もちろん僕もその正体を知っている。
「クロヨシ……だ。あの体格、大町じゃない。彼は目立つからか……」
探偵部部室に侵入した人影は黒く……つまり学ランを着ていたのだ。点灯された蛍光灯は直ぐに消されてしまう。間違いなく鍵の位置だけを探っていたのだろう。ということはだ。
「秋風が去年使っていたのはICレコーダーで、後から回収するっていう手法だったけど、今のは違う……」
いくら何でも対応が速すぎる。まるで、リアルタイムで盗聴しているかのような。……間違いなく、本格的な盗聴器だろう。何処で買ったのやら。
ICレコーダーなら回収に来ない可能性もあった。だから僕はわざわざ出るとき部室の扉にゴミを挟むなんて面倒な手法を使ったのだけど……必要なかったみたい。秋風の手法は進化している。いや、それとも、もともとこっちが本命なのかな?
ICレコーダーを使ってくるのを僕は知ってるから、方法を変えてきたようだ。
「……恐ろしい相手です……まさか、こんな相手が私達の学校に跋扈しているなんて」
「姫乃ちゃん。特に部室は気をつけてね。だってあそこは間違いなく秋風が用意した餌場なんだから」
よく考えて欲しい。寺島理事は探偵部に表向き便宜を図ったりはしてないのだ。にもかかわらず、僕たちは同好会規模だけど平然と部室を使えている。何故か?
「生徒会……その秋風がリョウっちを油断させるために部室を使わせてるって事?」
「多分そうだろうね。……だって僕、寺島理事には部室は無くても良いって話してるし」
僕としては、別に部室はなくなっても良かったのだ。実際去年度の終わり頃から重要な話は部室ではしてない。そして、それは今日も同じなのだ。
僕たちに少しだけ遅れて、その人達はやって来ていた。
「全く困った後輩です。春茅君、ご迷惑をおかけします」
モモちゃん達が驚いて振り返る中、足音に気付いていた僕は平然と声の主を見る。
男女の二人組だ。学ランを着た男の方はやや身長が低く、中性的な外見もあっていまいち年齢が分からない。だけれどこの場に来るということは、僕と同じ2年生に違いないだろう。
そうしてもう一人。
「お久しぶりです愛梨先輩……いえ、愛梨会長とお呼びした方が良いでしょうか?」
相変わらず人形のように無個性ファッションを貫いた、愛梨先輩だった。去年と違うのはリボンの色が赤から青に変わったことだけ。時が凍ったように変化がない。
……黄金色に輝くハート型のイヤリングと指輪を除けば、だけど。
とっても高そうだけど、派手すぎて愛梨先輩には似合ってないような。
「お気になさらずに。呼びやすいように呼んで下さって構いませんよ? そちらの新人さんも……」
「出たな生徒会長!? 去年は良くも――」
「あら、あの時のお茶の子ですね。何卒よしなに」
地味な過去の因縁を愛梨先輩はあっさりと水に流すと、隣で不服そうな顔を隠せない男子生徒に目を向けた。
「彼は――」
「それにあんた……三白じゃん! こんな所でなにやってんの!?」
モモちゃんは驚きに目を丸くしていた。僕たちが何か言うよりも先に口を開いていて……珍しいことにその顔はなんだか嫌そうにしている。
「ちぇっ、よりにもよってこいつと手を組むなんて……」
「それは私の台詞だし!」
一方の三白もモモちゃんに対して露骨に嫌な顔を隠そうともしていない。もしかして……この2人、仲悪いのかな? でも、学年も違うし接点が――
「あの……先輩」
「姫乃ちゃん?」
「三白さんは名家の出身ではありませんが、この辺りでは有力なトレーダーの家の方なんです。なのでお嬢様とは……その、パーティーで何度か会ったことがありまして……」
それで仲が悪くなったと。ううん。確かに去年までのモモちゃんは髪も染めてたし、親に反発する不良娘丸出しだった。一方の三白は絵に描いたような模範生、確かに性格が水と油かもしれない。
僕たちがこそこそと話す傍ら、モモちゃんも三白もますますヒートアップしていく。
「純って名前の割に、全っ然純粋じゃないひねくれ者だし!」
「は! 花の要素が欠片もないお前に――」
「三白」
「す、すみません会長! どうも、……探偵部とは手を取り合っていきたいと思っています」
愛梨先輩が表情を変えないまま人形のような声で咎めると、ようやく2人とも落ち着きを取り戻していた。だけれど、三白の仕草の節々には侮りが見え隠れしている。
「それで、愛梨先輩が連れてきたということは……?」
「えぇ、もちろん。……ところで、ここは風が当たって少し寒いですね」
言われるまでもない。僕は隣で姫乃ちゃんの前に立ちつつ、可愛らしく威嚇するモモちゃんを見た。そう。モモちゃんである。今日の探偵部は遊びに行ってそのまま直帰予定。ということは、だ。
「……桜田のリムジンならあっち」
もちろん、モモちゃん御用達のリムジンもあるのである。その快適さは僕もよく知っている。
「つまり……リョウっちと会長は手を組むって事?」
それが話を聞いたモモちゃんの結論である。大体あってる。一方姫乃ちゃんは見知らぬ人にノックアウトされたのか、涙目になっていたので休んで貰っている。
「そういうこと。僕と愛梨先輩は同じ目的を持っているからね」
「はい。私も春茅君のことは信頼しておりますので」
僕と愛梨先輩は平然と並んで座っていた。それが象徴しているのだ。
「探偵部と生徒会で手を組んで、秋風の生徒会長就任を阻止する。その為の同盟だよ」
お互い損はない。愛梨先輩は秋風だけには生徒会長を譲りたくない。一方僕も秋風が様々な権力を持つ会長就任を阻止したい。ついでに彼女の野望も挫いて負けを認めさせたい。
残念なことに、秋風の言うとおり立浜高校の頂点たる生徒会長は1人だけなのだ。
「それで……秋風の対抗馬が三白ぅ? 人選ミスじゃないの?」
「なにっ………………いや、三白純だ。春茅君、よろしく頼むよ」
そう言うと、三白は静かに僕に頭を下げた。その声は甲高い。女生徒が男装していると言われても驚かない。でも、それは決して有利な事ではないだろう。
同感なのか、モモちゃんはこっそりと僕の肩に寄りかかるように囁いた。
「……リョウっち、大丈夫かな? 見ての通り三白は典型的な成金で親の七光り、覇気の無い奴だよ?」
「……うん。愛梨先輩やそのお兄さんとも違う。愛梨先輩が推すくらいだから実力があるんだろうけど……」
三白には決定的なまでに迫力が足りなかった。言い換えるのなら……動機が足りない。彼では秋風の恐喝に屈してしまいそうな……そんな印象が拭えないのだ。
「ねぇ、本当に大丈夫なの? リョウっち……」
「まぁ、愛梨先輩とも打ち合わせは済んでいるからね」
そう。共同戦線は既に始まっていたのだ。最初の議題。それは――
「それで春茅君。私達が最初にお願いしたいのは――」
「生徒会内部の秋風に付いた生徒の割り出しですね?」
――今の生徒会は真っ二つに割れているのだ。愛梨先輩率いる会長派と、秋風に脅されている秋風派である。だけれど厄介なことに、秋風は自分で派閥を作ると言ったわけではない。そして、今日も会長派の切り崩しに邁進している。その全容は不明だった。
「それでだが……春茅君、お前達探偵部はどうするつもりなんだ? 俺の見たところ秋風に付いた生徒は決して少なくないぞ?」
驚くことではない。弱みを握った恐喝以外に、秋風はもう一つ有利な点を持っている。
そう。容姿端麗な秋風のペット兼広報役、大町勇武の存在である。どうやらペット兼実働部隊のクロヨシとは棲み分けが出来ているようだ。
「確か秋風は大町君を生徒会に入れるつもりでしたよね? その辺りから行こうかと思ってます」
生徒会は1年生から卒業まで同じメンバーが務めるのが通例だけど、別に中途参加が認められていないわけではない。秋風はそれを利用して彼を生徒会にねじ込むつもりなのだ。
選挙は見た目が9割。見目麗しい彼の存在は大いに彼女の役に立つだろう。
「あいつか……確かにあいつが生徒会のボランティアに来てからは、日に日に女生徒の参加が増えてるな……」
相変わらずのモテっぷりで結構。三白も彼のことが好きではないようだ。
「では、春茅君。あまり時間を空けると秋風に不審がられますので、私達はこれで失礼します」
愛梨先輩は徹頭徹尾無表情だった。既に僕と打ち合わせを済ませていたからだろう。それに……もしかしたら……信頼してくれているのかも知れない。
「はい。5月中には報告をお持ちします」
「分かりました」
そう言うと、愛梨先輩と三白は静かに立ち去っていく。
「リョウっち……それで、私達はどうするの?」
「うん? 簡単だよモモちゃん。だって考えてみて? 僕たちの仕事は秋風に付いた生徒の割り出しなんだ。方法は自ずと絞られる……」
この手の調査は案外シンプルな方法の方が効果的だったりする。
「え……ううん……秋風の後をつけるとか?」
「まぁ出来なくはないけど……凄く大変だよ?」
しかもバレる可能性もあるのだ。そうなれば秋風は生徒会と探偵部が手を組んだことに気付くだろう。それは上手くない。
「あ! 分かった! 目には目を、歯には歯を! 盗聴するのね!?」
「惜しい! 発想としては悪くないけど……一つ問題があるよ?」
そう。僕たちは秋風と違って生徒会室に入り込む手段がないのだ。かといって愛梨先輩や三白では警戒されてしまうだろう。
「う!? ……でもそうなると……他に方法ある? まさかリョウっち……これから考えるなんてのは無しだよ」
「もちろん! 僕の答えは一つだけ」
不思議そうな顔を浮かべるモモちゃん。幼さがにじみ出ていて、ちょっと可愛い。
「知ってる奴に聞けば良いんだ。生徒会にはオカルト研究会のシンパが居るはずなんだよ。僕は小室に話を持って行く」
僕はあいつが大っ嫌いだけど……数式暗号を作り上げた手腕だけは認めている。




