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立浜高校探偵部  作者: 中上炎
探偵部の冒険
36/93

最初の事件

 桜吹雪の舞う中、僕は焦った顔で目を凝らしていた。視線の先には無事卒業式を終えて体育館を出て、帰路につこうとする山のような立浜高校3年の卒業生達。


 洪水のように流れてくる彼ら彼女の中には、当然ちと先輩も混ざっているはずなのだ。


 ――そう、今日が……僕が何の口実もなしにちと先輩と会える最後の日なのである……


 大事に持ってきたバッグはやや膨らみ、頭の上の目印代わりの鹿撃帽は微塵もズレていない。また振り返れば、ちと先輩の家から迎えに来た車は駐車場で止まったままだ。


 ドクンドクンと何もしてないのに跳ね上がる鼓動を必死で我慢する。今日こそ……僕の一年の成果を試される。泣いても笑っても本当に最後……いや、ちと先輩と同じ大学に通えればチャンスはあるけど、先輩の進学先はとんでもなくハイレベルな大学で、立浜高校からの推薦もない。正直なところ追いかけていけるかどうかも分からないわけで――


 「……おい春茅。お前はなんで道のど真ん中でまな板の上の鯉みたいな顔をしてるんだ?」

 「ほあっ!? って、寺島理事!? どうしてこちらに!?」

 「どうしても何も、姪っ子の晴れ姿を見に来たんだ。驚くようなことか?」


 僕は相当緊張していたのか、後ろから不審そうな顔で近づいてきた寺島理事に全く気付いていなかった。


 「千歳ちゃんなら、暫く後だと思うぞ?」

 「え? それはどういう意味ですか?」

 「……成績優秀者や生徒会関係者、また部活等で顕著な成績を残した生徒に対しては、理事や教師から直々の激励や記念写真撮影があるんだ。だから出てくるのは一番最後だろう」


 しょうがない奴だ、と言わんばかりに寺島理事は笑って僕の帽子を叩く。そう、なんだかその顔は愉快そうだったのだ。


 「なぁ春茅……お前……幽霊って信じてるか?」


 僕は思わず首を傾げていた。あの寺島理事が、霊能力者と正面から対決した才賀先輩の口からそんな言葉が出るとは思わなかったのだ。


 「ゆ、幽霊ですか!? ま、まっさか~。そんなもの信じてるのは子供だけですよ!?」

 「信じているのか。だと思ったよ」


 そして、その鋭さも相変わらずで、僕のちっぽけな虚栄もあっさり見抜かれてしまう。ぐぬぬ……で、でも良いし。理事は僕のことを支持してくれるって言質取ったし!


 「実はな、今日夢を見たんだ」

 「夢……ですか?」


 そんなことを考えていると、理事は言った。


 「あぁ。懐かしい立浜高校の文藝部の部室で、皆と会ったんだ。


 窓際では菫がお淑やかに小説を読んでいて……部屋の真ん中では深井がだらしなく漫画を読んでいて……白瀬が釈然としない顔で食って掛かっていたな……不思議なことに一切の声が聞こえない無音状態だったが……」

 「……!? 理事……それは……!?」


 思い返す。


 ――あぁ、それは文字通り夢のような話なのだ……


 「俺が呆気にとられていると、不思議そうな顔の菫と目が合ったよ。それこそ、”才賀君、座らないんですか?”って言わんばかりの表情だった。今日みたいに桜の舞い散る朝の風景だ。開いた窓ではカーテンが風に踊り、朝の柔らかい日差しと桜の花びらが舞い降りてくる……。


 でも暫くすると足音が聞こえてきたんだ。そうして部室の扉を開けたのは……神代だった。奴は相変わらず食えない表情をしていたが、菫も深井も気にしていなかったよ。そうしてそのまま席に座って……俺に向かって笑いかけてきた。そうして入口を指さしたんだ。


 ――そこには……森亜がいたよ。奴は当然のように部室に入って俺の定位置だった椅子に座ると……神代に肩を叩かれて初めて驚いたように俺を見た。


 そうして……ゆっくりと頭を下げたんだ。その時口を動かしていたんだが……何を言ってるのかは分からなかった。向こうもそれに気付いたみたいで直ぐに切り替えたよ。森亜は静かに目を細めて笑っていた」


 理事はそうして、静かに目をつぶった。


 「夢はそこで終わりだ。最後に口喧嘩に負けたらしい深井が森亜に対して馴れ馴れしく、それこそ俺にするように縋ってたな……」

 「……だから理事は……今頃になってもこんな場所にいるんですね?」


 僕がそう言うと、寺島理事は痛いところを突かれたと言わんばかりに呻いた。


 そう。さっき理事は自分で卒業生に理事からの激励があると言ったのだ。それなのに、式が終わってるのにここにいるということは――


 「見つかりましたか? 乙母さんは?」

 「……鋭いな。その通り。式に遅刻した甲斐もあって乙母を見つけることが出来た。だがシングルマザーとあっては、苦労も多かったみたいでな……」

 「なるほど。それで……理事が援助するつもりなんですね? ……夢で……森亜副会長に頼まれたから……」


 理事は完全に苦笑いだった。きっと……彼は乙母先輩に手を差し伸べるのだろう。仮に理事がそうしなくとも、治村先輩なら間違いなくそうするはず。


 「……なぁ春茅。おかしいよな。俺は森亜に仲間を三人も殺されたんだ。なのに不思議と……乙母のことを助けたいと思っている。俺は……森亜を許しているんだろうか?」


 ――あぁ、そうか。理事はそれが知りたいから僕に会いに来たのか。


 難しい問題だ。何しろ僕は当事者の内才賀先輩にしか会っていないのだ。他の人は全て又聞き。そんな状況で気持ちを推理しろなんて無茶にもほどがある。


 でも――


 「それは大きな問題ではないのでは?」

 「なに? どういう意味だ――」

 「だって、夢で見た他の方々は気にしてなかったのでしょう?」

 「……………………」


 そう、思う。


 ――認めよう。僕は幽霊を信じている。怪談なんて聞かされた日には、半泣きで耳を塞いでしまうのだ。


 だからこそ、理事の夢には意味があると……そう思った。


 「……俺はてっきり、探偵らしく夢診断のような言葉を期待していたよ」

 「でも、納得されたんですよね?」

 「まあな」


 そう言うと、寺島理事は静かに笑った。


 「ありがとな春茅。俺はそろそろ遅刻が笑えない時間になりそうだ。専務に嫌みも言われそうだし、そろそろ行ってくる」


 そう言うと、彼は足早に体育館へと向かっていく。その間にも卒業生達の群れがポツンと立ち尽くす僕を避けるようにして校門へと向かっていき――


 「よう、春茅」

 「……なんだ小室か。僕、今、すっごく忙しいんだけど」


 その中に紛れた一人に声をかけられていた。持ち主は間違いない。名目上園芸部となっているオカルト研究会の部長を継いだ小室だった。彼は僕の見知らぬ……おそらくは安村先輩の友達と思われる園芸部員と挨拶をしていたようだ。


 「暇に見えるんだが?」

 「余計なお世話だよ。それで……何か用?」


 つっけんどんな僕の態度にも小室は嫌な顔一つしない。それどころか、わざと僕の視界を遮るように立ち塞がりやがった。


 ――僕、やっぱりこいつ嫌いだ……。文句を言ってやろうとすると、ようやく向こうが本題に入った。その顔はニヤニヤと笑っている。


 「この間はありがとな。おかげで、念願だったお姉さんのことを知れて、本当に良かったよ。あぁ……みいこ様! やっぱり貴女は素晴らしい人だったのですね……!」

 「………………」

 「貴女の持っていた勾玉も探偵部と生徒会から取り返すことが出来ました……! 神器として奉らせて頂きます……!」


 そう。遺言に記された発掘物は、お互い分け合ったのだ。


 生徒会の愛梨先輩は何も欲しがらなかった。正確には真実を知ることだけで満足したと。残ったのは……僕たち探偵部と小室のオカルト研究会だけ。話し合った結果、僕達にはICレコーダーを、向こうには勾玉を配分することになっていた。


 僕はその時の歓喜を浮かべたこいつの表情を今でも覚えている。まるで初恋を実らせたかのような顔つきで……だから間違いない。今日こいつは――


 「やっぱりみいこ様は本物の霊能力者だったんだッ!!! 春茅も分かっただろう!? あの寺島理事も森亜帝も! 皆みいこ様の予言通りになったんだッ!」


 ――断じて僕に友情の契りを交そうなどと言いに来たのではない。


 「ありがとう(・・・・・)春茅! でも、さよならだ(・・・・・)、春茅! 俺達は、いつか必ず雌雄を決することになるだろう――! 俺風に言うのなら予言、お前風に言うのなら推理だッ!」

 「……僕たちは謎を追いかけるという点では一致している――」

 「だが、それだけだ! 俺達は謎を守ろうとするのに対し、お前達は謎を暴こうとする……その性質は真逆ッ!」


 ――ならば当然、いつか決着をつける日が来るのだろう。


 しばし睨み合った僕たちだったけど、小室は少しするとニヤリと笑ってから立ち去っていった。まるで脇役が主役にその場を譲るように。その視線は僕の背後に向いている。


 何だろうと振り向くと、なんだか暖かい気配が伝わってくきた。そこにはなんと――


 「ご 機 嫌 よ う 春 茅 君」


 陽光に照らされて正体を晒した、人食い鬼が居た――


 「っあ!? 秋風!?」

 「あはははは。そうよ。どうしたの? そんなに驚いて?」


 それこそ心臓を鷲づかみにされたかのように心が震え上がる。


 秋風は……普段通りの佇まいで……笑っていた。それはもう愉快そうで楽しそうで美味しそうに――そう、まるでご馳走を目の前にした子供のように嗤っていたのだ。どこか焦点の合わない瞳が僕の――僕の魂を前に舌舐めずりしている。


 「ど、どうしてここに!?」

 「そんなことよりも……重要なことがあるわ。春茅君……この私を騙したでしょう? 騙して勝手に謎解きしたでしょう? いけないんだぁ……」

 「何のこと――」


 最後まで言えなかった。秋風が僕との距離を詰めてきたのだ。それこそキスでもするかと言うほど目前に迫り、彼女の潤んだ瞳と共に大きな八重歯がぬらりと光っていて――


 ――あぁ!? 誰も異変に気付いていない!? それこそ、甘酸っぱい青春の1ページくらいにしか思ってないし!? ちっくしょう! 晴れの日なのに、何でこんなことばっかり――


 そうして、彼女は吸血鬼のように僕の首元に口を近づけて、小さく囁いたのだ――


 「濡れたわ」


 ――あ、マズイ。何が何だか分からないけど、とにかく危険だ。危険すぎるぅ。この女間違いない、僕に――


 「あはは、本当よ。ね? もう、とろとろなの……だから……速く味わいたい……アナタを……」


 ――食欲を向けている!


 スカートに隠された太ももをモジモジとすり合わせ、声を発する為に半開きになった口の中では真っ赤な下が唾液に塗れてナメクジのように光っている。一度睨まれたが最後――僕は砂糖粒のように舐め尽くされてしまうだろう……。


 「あははははははは……! 貴男を、食べたい! 組み敷いて、痛ぶって、甘やかして、躾けて、下僕に変えておもちゃにした後、私の栄養にしたい……! 久しぶりね。ちょっととはいえ、私より”上”にいる奴は……!!」

 「待って!? 君にはクロヨシや大町が!?」

 「……? あぁ、あれはペットよ。ご飯じゃないわ」


 ――ただ愛でる以外に価値なんてない。いざとなったら捨てられる。


 秋風は本気だった。


 「春茅君。頂点って言うのはね、1人だから点なの。私はそこに行きたい。だから……ごめんね? アナタを食べちゃうわ」

 「……何を……んんッ!?」


 そう言うと、秋風はその赤く長い舌で僕の首筋を……頸動脈を平然と舐め上げたのだ。


 僕は情けないことに、完全に怯えて硬直していた。これを狙ってやっているとしたら、流石としか言いようがない。だって――


 「用件はそれだけ?」

 「えぇ。では、また来年もよろしくね」


 ――ちと先輩に見られたらどうしよう……。僕の懸念はその点に尽きる。


 危機的状況に追いやられた僕は、この状況をどうにか打破するべくかえって冷静になっていた。


 確かに秋風は怖い。本気でビビったし、ちびるかと思った。でも、僕が恐れているのはそんなことじゃない。


 ……視界の隅にそれがちらついた。行くしかない。


 「先輩っ! ご卒業……おめでとうございます!」


 僕が恐れていたのは、ちと先輩の方なのだ。だって、万が一にも見過ごしたら一週間考えてきた計画が全部パーになるし、秋風との関係を誤解されたら、それこそ僕は泡吹いて気絶する。


 覚悟を決めるしかないのだ。心臓の高鳴りがますます強まっていく。そう、


 ――僕は今日、ちと先輩に告白する。


 そう決めて、僕は立ったのだ。既にバッグを開けてそれを取り出す準備は出来ている。ちと先輩に似合いそうな、大きな大きな百合の花束を買ったのだ。


 あぁ! 先輩が声に気付いて僕を見た! 傍らにいたマイ先輩は僕に気付くとあっさりと譲ってくれる。あとは一直線に駆け抜けて――


 「先輩! 大事なお話があります! 部室に来て下さい!」

 「……っ……ん。分かった」


 言った。言ってしまった。後は……最後まで走り続けるしかない!




 探偵部の部室は閉め切られていた。それどころか、普段は教室と同じく机や椅子といった物がゴチャゴチャと置かれているんだけど、それらは綺麗さっぱり整頓されている。


 おずおずと僕に導かれて入ってきた先輩の前で必死に目をやる。……大丈夫。室温は寒くも暑くもない。隣の教室は誰も居なかったし、窓からは暖かな日差しが入ってくる。絶好の条件だ。


 浅い呼吸を繰り返しながら、荷物から甘く瑞々しい香りを放つ花束を取り出す。


 ちと先輩は……当然ながら察しているのか、少しだけ下を俯いていつつ……その顔色は何かを期待するようで……


 「先輩……これでお別れなんて嫌です!!」

 「…………」


 ――気がつけば、昨日必死で考えていた愛の詩なんて、頭の何処にも残っていない。代わりに心の底から沸き上がる熱を、泣きそうになりながら口にしていた。


 「ずっと……ずっとずっとお慕いしてました…。もう会えないのは嫌です!!  僕と付き合って下さい――」


 ――言った瞬間、身体が干上がった。同時に心臓が張り裂けそうなほどに大きく鼓動する。あぁ、きっと、僕は今酷い顔をしている。だって……だって、ちと先輩が――


 「……ふむ……まぁ、……私も嫌ではない……が」


 ――心底失望した顔をしていたのだ。


 あは……あはは……どうしよう……魂が……成仏しそう……


 「嫌ではない。が……駄目だな」

 「……そ、う…………です、か………………ッ」


 追い打ちをかけるその言葉に、僕は完全に涙目だった。すでにちと先輩の前で体裁を取り繕う余裕もない。


 あぁ、こんなにも明るいのに……目の前が真っ暗に……。どうしよう……僕、何のために生きてきたんだろう……あぁ、墓場で神代先輩達が呼んでる……皆で優しく笑って……僕も……行かないと……ほら、手を振ってる――


 「……惜しかったな、後輩」

 「ふぁい?」


 ――どうやら激励だったみたいです。本当にありがとう、墓場の神代先輩。僕……もう少しだけ、生きられそうです。


 「詰めが甘いぞ。今のは『付き合え』と言うべきだった……。だってそうだろ? そんな自信無さそうに言われたら、私だって困る」


 ――ちと先輩はいつの間にかそっぽを向いていた。白い滑らかな肌が僕の前に露わになる。


 「後輩の様子が普段と違うし、鞄は花束で膨らんでるし薫るし、何より今日は卒業式。とくれば、自ずと推理はできる。……でも、お前は結局最後の壁を乗り越えられなかったな」

 「最後の……壁?」

 「……後輩、お前自身のことだよ」


 不思議そうな顔で一縷の望みを必死に手繰る僕に対し、ちと先輩はというと、いじけていた。それはもう、可愛らしく。


 「この一年で後輩はずっと成長した。良い顔つきになったよ。だけど性格だけは何も変わらず、私に見捨てられないかおどおどしてるじゃないか。……まるで、自分じゃ私と釣り合わない、でも駄目で元々、一か八か告白してみよう。そんな風に」


 僕は……何も言えなかった。その通りだ。僕はちと先輩のことが好きで好きでどうしようもなく、それゆえ怯えていたんだ。


 ――ちと先輩みたいな美人は……きっと僕みたいな男には振り向いてくれないだろう。


 そんな考えが初めて会ったその日から今日までずっと途切れることなく続いている。


 「良いか後輩ッッッ!!!」

 「っはい先輩!」


 ちと先輩が強い瞳で僕を見た。それこそ、初めての先輩の……我が儘だ。


 「女とは、現実に生きる生き物だっ!! 男とは、夢に生きる生き物だっ!! なればこそ、自信を持たなくてはならないっ!! 


 実現不可能な夢は、お前が諦めたら夢でなく現実だっ!! 


 だからこそ、お前が私を得るのに自信を持てず、宝くじ感覚で愛を告げられたのが不服だッッッ!!!


 何故私がその程度の男に合わせなければならないのかッ!?」

 「は、はいっ!」


 ちと先輩は……怒っていた。怒っていて……悲しそうでもあった。だって、それは名家に生まれた先輩の宿命でもあるのだ。


 「……私の家のことは知ってるな? 腰が引けるのは分かる。望みが薄いのも分かる。だが、それでは何も手に入らない……」

 「…………」

 「君は男だろう?」

 「はいっ! 男です!!」

 「よろしい。男は夢に生きる無謀な冒険者だ。現実主義の女には理解できない……。が、そんな男だからこそ、不可能を可能にできるんだ……」

 「……っ!?」

 「私は遠からず、家の存続のため適当な婿を取らされるだろう。拒否権はないし、そのつもりもない……。この役目を百花には回せないからな……」

 「ちと先輩……」


 悲しくて悲しくて、泣きそうだった。


 僕はどうして気付かなかったのだろう? ちと先輩は……玉坂先輩ほど強くはない。賢いけれど、強い人ではないのだ。思い返せばそんなことは今までに幾度もあっただろう。


 僕はこの一年何をやっていたんだ……。


 「……常識的に考えるのなら、我が国の最優秀エリート達が候補だろう。……今のお前では太刀打ちできない。不可能だ」

 「………………」


 ――これだけは言える。僕は失敗してしまった。


 大失敗だ。だから……だから、それを取り戻さなくてはならない――!


 「だからこそ、私に自信を持って安心させて欲しかった。どんな不可能も私のためなら乗り越えて見せるという自信が……」

 「ちと先輩……ッッ!」

 「話は終わりだ。どんなに待てても精々6年か。だが、その時でもお前は大学生に過ぎない。不可能だ。まさに夢物語だよ。それでも良いなら――」


 その先を言わせる前に、僕はちと先輩の前に立っていた。それだけじゃない。心の情動が愛を叫ぶのに従い、先輩の両手まできつく握りしめていたのだ。


 もう……遠慮なんてしない。


 ――だって、この人は僕の(もの)なのだからッッ!!


 そう素直になると、とても穏やかになることが出来た。そのままちと先輩の唇を塞ぐようにして――


 「僕は、いや俺は、あらゆる手段を使って正々堂々ちと先輩を妻にします。そしてお家存続のため、俺の子供を生んでもらいます。それも、できるだけ沢山。ううん、よしんば一人だけなら英才教育です。


 もちろん、ちと先輩に拒否権は有りません。だってあなたの父親は、間違いなく他の誰より優秀な俺を選びますから……!!」


 今度こそ、本音を出していた。それを聞いたちと先輩は少しだけ嬉しそうながら――


 「よく言った。少しは待ってやろう……。が、やはり詰めが甘いな」

 「えっ!?」


 ――頬を不服そうに膨らませていた。


 あぁもう! 可愛いなぁ! こんな可愛い仕草を見せられたら……僕はもう……我慢が出来ないよ! 今からでも抱きしめて口づけしたいっ! それどころか……もっと先まで――


 「妻にするのだろう? なら、ちと先輩ではなく、千歳と呼び捨てるべきだった」

 「うっ……」

 「まったく、落第だよ。……だから、再試験だな」

 「………………はいっ!」


 そう言うと、ちと先輩は幸せそうに僕の送った花束にキスをした。そうして静かに再会を約束すると、そのまま部室を去って行く。


 ――複雑だ。残念ながら結果は再試験。でも、仕方ないよね? もしここでOKされてたら……僕は人気がないのを良いことに、先輩の唇だけはどうしても奪ってしまうだろう。


 というか、正直したいのだ……。でも、そこまでいけなかったのは自分の落ち度なわけで……どうにか我慢しないといけないわけで――


 「あ、一つ忘れていた」

 「ふぁい?」


 なんとも冴えないことに、戻ってきたちと先輩は飄々と部室の椅子の裏に手をやると、べりべりと何かを引きはがす。あれは……秋風が設置した録音機かな?


 あぁ。そうだよね……。僕の何とも微妙な結果になった告白も……あまり知られたくない代物だし――


 「あぁ、後輩よ。なんだその顔は……この大事な時にゴミがついてるじゃないか」


 そう言うと、ちと先輩はしょうがないと言わんばかりに苦笑いしながら僕のほっぺに手をあて――


 「ん」

 「……ッ!? ……ん……ふぁ………………っん」


 ――キスをした


 ……………………………………………………


 ……………………………………………………ほあ?


 あわ!? な、ななな、何をしてるのちと先輩!? チュー!? チューか! チューだよね!? ななな、なんでチューしてくれてるの!? 甘っ! ファーストキスって酸っぱいんじゃないの!? すっごく甘いよ!? っていうか、これ唇だけじゃないよ!? ちと先輩の舌が!? 舌が僕の中に入ってきてるのぉぉ!? それで何かよく分からないけど甘くてドロドロしたのも伝わってきてるぅぅ!? でも、美味しい! 美味しいよぉ! ちと先輩……えへへ、ちと先輩ちと先輩ちと先輩……大好き!


 「ふわぁ…………ちと、先輩……もっと……下さいぃぃ……」

 「……ん…………ちゅ、仕方ない…………でももう……チョコレートは残ってないからな……」


 息継ぎのために離れると、僕はようやくちと先輩の顔を真っ正面から見ることが出来ていた。ちと先輩は……幸せそうに頬を染めていたのだ! 当然、我慢なんて出来るはずがない。


 「こら! 後輩、そんな強引に――」


 気付けば僕の両腕は勝手にちと先輩をきつく抱きしめていた。暖かな体温をもっともっと感じたくて、ぎゅうぎゅうと締め付けていく。切ない声と共にちと先輩が息継ぎをした。


 ――その瞬間を待っていたのだ。


 「ちと先輩……千歳……ん」

 「……! …………! …………………………ん」


 逃げられないように千歳の顎を片手で支え、今度こそとばかりに抱きしめる。そうして、息継ぎしたばかりの唇を思いっきり堪能するのだ。いいや唇だけじゃない。千歳の口の中、いたずらっ子な舌も、愛らしい歯茎も全部。あぁ、まだあちこちにチョコの甘みが残ってるじゃないか。


 最高の気分だ。形良い柔らかな胸も、引き締まったお尻も、全部僕の物なのだ。だって……千歳だって抵抗しないし……


 「こら!」

 「……ッ!? い、いひゃいッ!?」


 そんな幸せな時間は、儚いまでに過ぎ去っていた。ちと先輩が僕の舌を噛むと、情けないことに足下から崩れ落ちてしまう。同時に痛みのお陰で冷静な思考が帰ってくる。


 ――マズイ……どう考えてもやり過ぎた。で、でも、止めて貰えて良かったかもしれない……! だって、あのままじゃ、僕絶対服の中まで堪能してたと思うの……。


 「なぁ、後輩?」

 「な、なんでしょう先輩!?」


 ――しょうがないなぁ、と言わんばかりにちと先輩は言った。


 「まったく、君って奴は。甘さとはこういう風に使ってくれれば良いのに――」


 羞恥のせいなのか、それとも欲情したのか、ちと先輩は耳まで真っ赤になっていた。可愛い。早く妻にしたいなぁ。


 「先輩……ご褒美……もっと欲しいです」

 「いや、待て話を聞け。駄目だ。この前のご褒美はこんなところが妥当だろう?」


 ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ。悔しいけど、そうかも知れない。続きは……やっぱり結婚してからだよね? 新婚初夜、かぁ……きっと、真っ白なウェディングドレスを着たちと先輩は綺麗なんだろうなぁ……。そんな綺麗なのを一枚一枚剥がして……もっと綺麗に……


 「落ち着け後輩。思考がハートで埋まってるぞ」

 「はう! す、すみません……」

 「全く仕方ない奴だ。ほら、依頼人がやって来たぞ?」

 「うわ!? 本当ですね!?」


 神様に祝福された僕たちを引き裂くお邪魔虫……じゃなくて、依頼人がやって来たのだ。足音の数は2つ。だけれど妙にリズムが合っている。あれ? このリズム、僕……知ってるかもしれない。


 「おーっす! リョウいる?」

 「タ、タカ君駄目だよノックしないと!? も、もし中で2人がキスとかしてたら……!?」


 案の定、やって来たのは僕の友人佐伯と、そのまさかの恋人久瀬さんだった。一切遠慮なく扉を開けた佐伯に対し、久瀬さんは袖を引っ張って止めている。


 しかしながら、騙されない。彼女と知り合って早数ヶ月。僕は彼女が言葉で止めつつ、本当はそういうハプニングを期待してること知っているのだ。


 2人の前でちと先輩はさっきまでの熱いベーゼのことなど無かったように振る舞っている……ものの、唇端にチョコレートが残っている。佐伯は気付かなかったものの、久瀬さんは意味深なそれを確かに見逃さなかったようだ。


 「佐伯じゃん、どうしたの? もう野球部の見送りは終わったの?」

 「おうよ! で、令佳が探偵部……というより、千歳先輩に頼みがあるっていうんで、来たって訳だ」

 「す、すみませんお忙しいところ……。ご迷惑でしたか?」


 ――危なく大迷惑になるところでした。とは口が裂けても言えない僕とちと先輩は、やむなく2人を歓迎することにしていた。


 「いや、大丈夫だ。しかし久瀬が私に用とは珍しいな?」

 「すみません。でも、ようやく”アレ”が完成したんです。新聞部に見せても好評でして……もし千歳先輩さえ良ければ、壁新聞の一コーナーとして連載して貰えるそうなんです……」

 「……アレ?」

 「はい。”アレ”です」


 そこまで言われたところで、僕にも思い当たる節があった。12月のことだから、その後に受験で急がしかったちと先輩は忘れてしまっているのかも知れない。


 「あ、もしかして――」

 「そ! 前に4人で神社に行ったときの件だ!」


 そう、文藝部の小説だ。あの時久瀬さんは探偵部を題材にすることを決めて、僕もその後資料を送ったりや取材を受けたりしたのである。


 「小説……か?」

 「はい! 是非読んで下さい! 特に千歳先輩は一際格好良く書けているはずです! これは……私史上類を見ない傑作なんです! 特に問題が無ければ、4月から順に連載されます!」


 そう言って久瀬さんは自分の鞄から一冊に纏められた小冊子を取り出した。表紙にデザインとかはなく、単に表題だけが大きく印字されている。


 「お2人分ちゃんと用意しておきました! 後で感想聞かせて下さいね!」


 それはとてもシンプルで、それでいて分かりやすいタイトルだった。


 ――”立浜高校探偵部”


 そこに僕とちと先輩の、かけがえのない冒険の思い出が刻まれている。


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