10.春色の習作⑧
白瀬の残した遺書。
その真ん前で俺と森亜の冷たい視線が交錯する。互いの傍らには、それぞれの助手役が一人ずつ、やはり同様に睨み合っていた。
だが、審判を下すべき存在はいない。担任はおそらく俺を擁護するように言いくるめられていたのだろうが、今の乙母の言葉で何も言えなくなってしまっている。そしてそれは刑事の方も同じのようだ。
「つまり、生徒会は俺達文藝部が白瀬を自殺に追いやったと言うのか?」
「この遺書を見れば明白です! 文藝部に責められたからこそ、彼は自身の罪に追い詰められて死んだのです! 貴方たちが! 貴方たちが彼を殺したんです! 覚悟して下さい!」
「……そうだね。僕たち生徒会も本気を出すことにしようか」
正義に燃ゆる乙母をサポートするように森亜は言う。そして、悔しいことにその行動は速かった。
「先生、刑事さん。僕たちは学校を回って生徒から証言を集めてきます。なので、この2人の監視をお願いします。彼の家の力があれば、証言の捏造なんて容易いでしょうから」
「言ってくれるな――!」
同時に森亜の口が音もなく動く。言葉にはならないその意思は、されど不思議と俺に伝わってきたのだ。
――この謎が解けるかい? 才賀君?
もちろん、それは俺の空想に過ぎない。だが、気付いたときには俺もまた同様に口が動いていたのだ。
――今度は5分で充分だ、森亜……!
刹那、森亜の顔が愉快そうに歪んだ。
「そこの刑事! 白瀬の遺書の現物を見せろ!」
「あ、はい……。どうぞ」
森亜と乙母が足早に退出するのと、想定外の事態に怯える刑事が袋に入った遺書の現物を取り出すのは同時だった。
”今まで本当にありがとうございました。特に文藝部の人達。貴方たちのお陰で色々なことを知ることが出来ました。
……本当のことを言うと、どうしてもまた会いたかった。追いかけていきたかった。会って幸せになりたかった。となれば、残された道は一つだけ。来世に希望を託します。
ありがとう
”
「せ、先輩~!? ど、どうするんですか!? まさか、白瀬君は本当に?」
「バカ! そんなわけ無いだろう。昨日のあいつを思い出せ! 明らかに奴は森亜に殺されたんだッ!」
そこで平静に戻ったらしい紫が取り乱し始めたので一喝する。こいつにはこれで充分だ。問題なのは遺書の方。
なるほど、間違いない。
「おい刑事さん。この遺書は……いや、白瀬はどうやって死んでいたんだ?」
有無を言わせない俺の言葉に刑事は逆らわなかった。どうやら多少怪しくても実家の権力は健在らしい。
「えぇっと。その。正確な死亡時刻はまだ分からんが、昨夜なのは間違いない――」
「何処で、どうやって死んでいたんだ? 首つりか?」
「いや、理科室で窒息死――」
「何? 窒息? 室内で? 首でも絞められたか?」
「硫化水素のようだ。どうも彼は死に場所を探していたようで、校内の色々な場所を探し回っていた痕跡があった。そして最終的に偶然鍵の開いていた理科室で塩素系洗剤と酸素系洗剤を混ぜて硫化水素を発生させ、それによって窒息死した。苦悶の表情の中、必死で握りしめていたのがこの遺書で――」
「理科室の鍵は開いていたのか? いや、硫化水素なんて物を発生させたら、周囲にも巻き添えがある。奴の身体に近づいて遺書を細工するのは無理か……。やはり自殺? いや、そんなはずは……」
考える。まず前提として、白瀬は絶対に死を選びはしないはずだ。動機が無い。だが、各種の証拠は奴が自殺したことを示している。
――いや。それは矛盾しないか。
「遺書か。問題は遺書だな」
「えっ? 先輩、どういうことですか?」
俺達の推理が正しいと仮定すれば、森亜は菫を自殺に追いやっている。どう考えても死にそうにない菫を、だ。そう。菫と比べれば、白瀬には確かに一つだけ死を選ぶ理由がある――
「あぁ。そういうことか。これは初歩的だったな」
「……先輩! と言うことは分かったんですね!?」
嬉しそうにする紫とは対照的に、刑事と先生は不審を隠せない顔で見合わせていた。別にそれは構わない。
「刑事さん一つ良いですか?」
「何だね?」
「学校のパソコンを調べて下さい。白瀬は死に場所を探していたんでしょう? ということは、突発的に自殺に及んだということです。そうなれば一つ問題があります。すなわち、この遺書はどこで作られたのか?」
「……先輩、でも、そんなことを調べてどうするんですか? そんなの事件と関係が……」
大いに関係ある。というか、おそらくこれ位しか証拠はないだろう。白瀬が自殺したのは確かだ。焦点はそこではない。
誰が白瀬に自殺を決意させたのか、それが問題なのだから――
「それであれば、我々教師陣の方で調べよう。刑事さんも、よろしいですね?」
刑事の方は完全に話について来れていなかった。だが先生の言葉に頷きだけはした。
居心地の悪い空気が流れ続ける中、俺達は夕暮れを迎えていた。あの担任は勢いだけは確からしく、どうにかその結果を持ってきたのだ。
「結論から言うとだな……」
「えぇ先生。どうでしたか?」
「……遺書を作成した痕跡は無かった」
首を傾ける担任。訝しむ刑事と紫。一方俺はというと――勝利を確信していた。分かったのだ。事の真相が。
「えぇっと、先輩。どういうことなんでしょうか? 白瀬君は事前に遺書を作っていたってことですか?」
「バカ、そんなわけ無いだろう。奴は死ぬ気なんかこれっぽっちも無く登校して、その後に死を決意したんだ」
「じゃ、じゃあ、印刷した形跡を削除したとか?」
頭を横に振る。おそらく教師陣だって本格的に調べたわけではないだろう。確かに誤魔化されている可能性もある。が、白瀬にそんなスキルがあったかは分からないし、なにより動機が無い。
ここから導き出される結論は一つだけだ。
「この遺書は白瀬のものではない」
「は? っということは!? この遺書は何なんですか!?」
決まっているだろう。この遺書擬きこそが、白瀬に自殺を決意させた、言わば凶器なのだ。
「よく遺書の文面を見ろ。この文章には主語が一つも無い。白瀬が握りしめていたから奴の遺書だとされているが、本当にそうなのか?」
「……おいお前。まさかこの遺書は……!?」
なるほど、先生の方は多少はマシな頭脳を持っているらしい。バカや老刑事よりも上等だろう。
「これは白瀬ではなく、菫の遺書だ。少なくとも白瀬はこれを菫の遺書だと思って読み、衝撃を受けて死を選んだ。だから死ぬときも離さなかったんだ」
”今まで本当にありがとうございました。特に文藝部の人達。貴方たちのお陰で色々なことを知ることが出来ました。
……本当のことを言うと、どうしてもまた会いたかった。追いかけていきたかった。会って幸せになりたかった。となれば、残された道は一つだけ。来世に希望を託します。
ありがとう
”
白瀬の遺書だと思って読むから、彼は文藝部によって唆されて、菫の後を追ったように読めるのだ。
だが菫の遺書だと思ってこれを読めば、意味合いは変わる。菫の遺書だと考えれば、一転して未練たらしく白瀬への想いを告げる内容になるのだ。
「――ッ!? なるほど!? 確かに、中段の“追いかけていきたかった”は白瀬君の物だと考えれば“追いかけて行きたかった”、後追い自殺を示唆していますが、玉坂先輩の物だと考えれば“追いかけて生きたかった”、未練を意味するようになります! ……あれ? ってことは、玉坂先輩……まさか本当に白瀬君のことを!?」
「そんなわけ無いだろ」
「え? で、でも、この遺書は玉坂先輩のって――」
「遺書? 菫の死んだ時のことを思い出せ。そんなものは無かった」
つまり、だ。
「この菫の遺書は偽物だ。犯人が白瀬を自殺に追いやるために作ったんだ」
だから、校内に遺書を作った形跡がないのだ。校内のパソコン室は誰かが使っていることも多いし、遺書の印刷時刻を調べれば容易に誰が作ったのかを特定できてしまう。
「おい……お前、つまり、これは……そういうことなのか?」
「……白瀬だって馬鹿じゃない。そもそもあいつは菫の自殺現場を見ていて、遺書がないことを知っている。となれば、普通の人間が菫の遺書だと言って渡してもまともに取り合わないでしょう。奴が騙される可能性があるのは、同じ自殺現場にいた人間だけです」
きっと、白瀬への遺書だから警察よりも先に渡したかった、とか言ったんだろう。
それが出来るのは死体を発見したオカルト研究会、そして現場を封鎖していた生徒会の森亜である。
「行くぞ」
「ほあ? 行くって何処に?」
「決まっている! 生徒会室だ!」
紫と先生達を連れ立ちつつも思う。
担任はただデータを調べるだけなのに随分と時間をかけてしまっている。おそらく抵抗があったのだ。間違いなく事件を有耶無耶にして幕引きを図りたい俺の実家の指図だろう。
それに、そもそもあの森亜が分かりやすい証拠を残しているだろうか? おそらく奴の自宅のパソコンを調べた位じゃ遺書の証拠は出ないだろう。県内、下手したら県外のネットカフェや漫画喫茶だろうか。砂漠の何処かで落とした硬貨を探すような物だ。そうして、時間が経てば経つほどうちの圧力が強まり、事件は闇へと葬られていく。つまり、
――今この時! どうにかして、この件を盾に森亜に自白させるしかない!
いよいよ、俺と森亜の最後の決戦が始まろうとしていた。
……少なくとも、俺はそう思っていた。
「……それは……しかし、何の証拠もありません……」
と言うのが、俺が二番目に放った言葉、推理を聞いた乙母の対応だった。ちなみに、一番目は俺を見るなり噛みついてきた壊れ目覚ましへの皮肉である。
「証拠はない。……それはそうだろう。しかし、それはお前達の言い分だって同じじゃないのか?」
「……それは……そうかもしれませんが……帝はそんなことをする人ではありません」
乙母は幾分もトーンダウンしていた。やはり、彼女は良い。美しいだけじゃなく、聡明だ。今も理性と感情を分けて厳しい現実を受け止めるだけの度量がある。
深井ではないが、返す返すも森亜の女なのが惜しい。……それに比べて
「なんでしょう!? なにか無性に不愉快な気分がしますっ!」
「……お前の堪には驚きだ。いつでも野性に返れる準備が出来ている」
「そ、そうですか? 面と向かって褒められると照れますね……えへへ」
うちの助手はこんなんだ。今も無邪気に褒められたと思っているようだった。
「じゃああああああ!! あんた達は森亜君がッッッ!! 人を死に追いやったって言うのかしらァァァァッッッ! んな分けないだろうがッ!!! 馬鹿か貴様だ死ねッ!!! 死ね死ね死ねッッッ!!! 死んで彼に詫びるが良いッッ!!! この私は絶対にあんたたちを許さないィィィィッッ!!! 必ずッ! 必ずぶっ殺してやるんだからッッッ!!!」
……壊れ目覚ましよりは大分上等だがな。
「おい乙母。お前、昨日は一日森亜と一緒にいたのか?」
「……いいえ」
「一昨日は?」
「…………いいえ」
「じゃ、奴が何処で何をしていたのかは知らないんだな?」
乙母は蒼白になりながら、そして壊れ目覚ましからぶつけられる殺気のような圧力をはね除けながら、静かに小さく頷いた。
「森亜はどこにいる?」
「……はぁ!? 何でそんなこと教えてやんなきゃいけないの!? 例えそっちの刑事に聞かれたとしても知らないし、教えてやるわけ無いじゃないッッッ!!!」
「……ごめんなさい。実は本当に分からないんです。少し前にフラッと外に行ってしまいまして……鞄があるので学校にはいると思うのですが」
――逃げた、とは思わない。それだけは確信している。間違いないだろう。
むしろ逆にジリジリと心の端から炙られるような焦燥感が湧きだしてくる。嫌な予感だ。
森亜は俺達を一時的に生徒指導室に缶詰にした。何故だ? 自分たちに有利な証言を得るため?
――違う
では、都合の良い印象を生徒に与えるため?
――違う
確かに奴ならそのくらいできるだろうが、それはとても些細なことだ。それこそ、しないよりは良い程度の。そんなことだけで俺達を足止めしたとは思えない。
ジリジリ。ジリジリ。
何か理由があるはずだ。だが、分からない。奴の動機が分からない。だからあいつの動きが推理できない。危険な兆候だ。
ジリジリ。ジリジリ。ジリジリ。ジリジリ。
辺りを見回してみる。ここにいるのは俺と紫に刑事と先生。それから乙母を筆頭とした生徒会員達だけ。森亜がここにいないということは、このメンバーは対象外ということだろう。
考える。ここにいない面子……。……。……葛城? 確かに自殺に追いやるのは簡単そうだが、意味があるのか? 深井? まさか。あいつは菫の件で自宅療養中だ。会うことはおろか話すことも不可能。森亜が自殺に追いやっているのは、今のところ全員が”幽霊の足”を確かめようとした面子。乙母……壊れ目覚まし……違うだろう。
――何処かで誰かの警告が聞こえたような気がした。
「俺、か」
そうだ。それしかないだろう。奴が狙うとしたら俺だ。さっき攻撃を仕掛けてきたのも、自殺の理由があるという布石作りに違いない。しかも俺の場合、実家が不祥事の臭いを感じてもみ消しを図っている。後は俺を始末してしまえば、紫なんて容易く――
「先輩?」
「望むところだ。行くぞ紫。森亜を探す。側を離れるな」
「……!? は、はいっ! お供します!」
少しだけ嬉しそうな紫を連れて行こうとしたところで、間の悪いことに電話が掛かっていた。苛立ちながらスマートフォンを取れば、その相手はなんと深井。
少しは元気になったのだろうか。
「俺だ」
『あ、……才賀?』
やはり体調はまだ回復しきってはないらしい。声に力が無く、どこか気怠げだった。
『……たい……あれ……才賀? 聞こ……る? 電波……悪い? くそ……肝心……ときに』
「あぁ。悪い。今ベランダに出るからちょっと待て。…………具合はどうだ?」
そのまま紫に仕草で待てをしつつ、生徒会室の窓を開けてベランダに出る。生温い空気が身体に絡みついてくる中、多少は電話の通りが良くなった。
『……ぁ。悪……。でも、仕方……。聞こえる?』
「あぁ。問題ない。それで、どうしたんだ?」
『そうか、良かった。そんなことよりだよ、才賀ぁ。聞いて欲しいんだ』
「何だ?」
『でも、信じられないと思う。僕だってそうだよ。だからこんなことまでしてるんだけど……』
「話が読めないんだが?」
『あ、痛いッ! っと、ごめん。実は、ついさっき、菫から電話がかかってきたんだ……』
――何を言っているんだ、とは言えなかった。深井の症状は聞いている。菫の夢を見るほど魘されているのだ。一種のトラウマのような物かもしれない。本物の幽霊とも思えないが、不用意に触れない方がよいだろう
話の内容に気付いたのか、紫が近づいてきた。
「……菫から? ……そうか」
『そうだよ。それでさ……へへっ! あいつ言ってたよ。”こんなことになってしまい、申し訳ないです””勝利君……私、嫌いではありませんでした”” 叶うことなら……一緒になって……幸せに暮らして欲しい”ってさ……へへ……俺達……両思いだったんだ……』
「……そうか――」
『だから……だから……こうすることにしたんだ……痛ッ!』
同時に何かが滴るような音と、水面に何かを落としたような音が電話の向こうから聞こえてきた。
――いけない……。何かがおかしい……
「深井? 何を言ってるんだ?」
『あぁ、ごめん。流石の才賀も分からないよね? それとも分かりたくないのかな? 後者だと……友達として嬉しい……かな』
「落ち着け……! 今、どこにいる? 謎が解けたんだ、話がしたい」
『あー……そっか。流石だね。でも、ちょっと厳しいかも。だって僕は……菫の想いに応えるんだから』
――ゾクリ、と絶対零度の氷で貫かれたかのような緊張が走った。同時に本能的にスマートフォンを耳から離し、スピーカーモードへと変える。突然の音声に何事かと訝しむ乙母達と目が合った。
「待てッ! 何を考えているッ!?」
『ごめん。もう……限界が近いのかも。あぁ……水が……真っ赤に染まって……月光が反射して……綺麗だ……。こんな僕でも……中身だけは……綺麗……痛い思いをした……甲斐があった……菫……』
「まさかお前!? 手首を切ったのか!?」
奴からの返答はあっさりとした物だった。
『言っただろ? 菫の所に行くって決めたんだ……』
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